湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

お金は上手に使う

2023-09-30 16:18:37 | Weblog

毎日、否応なく、仕事は押し寄せ

その多くは、こちらが労力を使い、金銭を支払うことで終わります

仕事とは、金を稼ぐ子音であるはずなのに、現実には、経営者は支払いに追われるのです

この精神的苦しみに耐えないと、経営者は務まりません

 

経営は、金を稼ぐことであるのに

実際は、金を使うことであることに気付けば

経営者としての第一歩を踏み出したことになります

投資や仕入れから商売は始まるからです

 

商人を支えるものは社会の信用です

とりわけ、金銭的信用は全てに優先すると言っていいでしょう

お金を上手に使うことが商人の基本なのです

 

多くの人は、子供に節約を勧めるでしょう

お金を大事にすることは正しいことだと教えるでしょう

仮に、自分は浪費家であると自認するする人でも

居直り気分でしか、自己を合理化できないのではないでしょうか?

 

私も、金を使うことには道徳的後ろめたさがあります

出来ることなら、倹約したいし、貯金も作りたいし、借金もしたくない・・・

しかし、現実の私は、借金を重ね、貯金ができず、投資も消費も休み無しです

もし、商売が上手くいかなくなったら・・・という不安も無いわけではありいません

 

それでも、私は投資も消費をやめません

それが私の人生であり、ビジネススタイルであり、これまで生きて来た証でもあります

仮に、私に、この生き方ができなかったとしたら、今の私は無かったからです

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数学は言語である・・・遠山啓先生の言葉

2023-09-29 15:49:13 | Weblog

若い時、遠山啓先生の「無限と連続」という本を読み

数学に興味が湧きました

ただし、すでにタイミングが遅く、私はすっかり数学嫌いになっていた後でした

ですから、あらたに数学を勉強しなおそうとは思いませんでした

それでも、現在に至るまで、数学への興味が尽きないのは遠山先生のおかげです

 

先日、藤沢に所用があり、書店に寄ると、古本市をやっていました

遠山先生の著書があったので買い求めました

そして、少しだけ読みました

そして、驚きました

その中に

 

”数学は特殊な言語である”

 

というフレーズを発見したからです

 

「数学は言語である」・・・という考え方は

私のオリジナルだと思っていたのです

少なくとも、どこかで読んだ記憶はありません

そもそも、この考えは、私が考え抜いて得た結論なのです

 

文章は、数学が満点でも入学試験に落ちた学生のことでした

教授達が、そのことを議論する中で

仮にその学生が数学を専攻しても、大成しないだろうという結論だったそうです

遠山先生も、そのことに理解を示し

数学は言語であるということを文章に入れたのでした

言語系の学問がまるでできないのでは、数学には向いていないということなのです

 

 

 

 

 

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変わらぬ真実

2023-09-28 16:22:30 | Weblog

人それぞれ、人生には悩みがあります

私の場合、生きているのが面倒くさくなる悩みがあります

特に、体をこわして、楽しみの多くを失ってからは

何が楽しくて生きているのか、自分でも分からなくなってしまうのです

もちろん、死にたくもありませんから、生きていますけれど・・・

 

私が生きている理由は

痛いことや苦しいことが嫌いで、自殺願望が無いからです

もう一つの理由は、生きてみることの価値を知っていることです

 

「人生、生きてみることおだ」

 

これが私の変わらぬ人生観です

自分の考えがいかに浅はかであるかは、生きてみないと分からないのです

時が経ち、自分n行為も、社会的現象も、結果が出ます

それは、しばしば、私の予想を裏切ります

良い意味でも、悪い意味でも、予想は裏切られるのです

 

自分の淺知恵を信じこんで、早まった行為をするものではありません

明日、何が起きるかなんて、誰にも分からないのです

上手くいくはずのことが上手くいかず、失敗したと思ったことが、そうでもなくて

自分の淺知恵を恥じ入るばかりになることがあるのです

先のことは分からない・・・それが変わらぬ真実です

 

だから、生きてみることだ!

 

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あえて困難を選ぶことも大事

2023-09-28 15:57:33 | Weblog

人は楽を求めます

私とて、例外ではありません

なるべく楽をするような生き方の結果、成人病になったのです

そして、成人病という言葉は、今では生活習慣病と呼ばれるようになりました

 

「お前の生活習慣が悪いのだ!」

 

と、指摘されていいるようです

でも、まあ、それが人間というものです

人は楽を欲するのだ、オレだけが駄目なわけじゃない・・・

 

階段を登るところをエレベーターを使う

歩くべきいところをクルマを使う

そういう生活態度を改めないかぎり、病気からは逃れられないと言う人もいます

 

そういうお説教には、私はうんざりです

その人の言うことには、一面の真実はあるでしょう

でも、エレベーターもクルマも使わなかった時代の人の方が寿命は短かったのです

 

人生の選択において、楽な方を選ぶことが間違いだとは決めつけられません

むしろ、正しいことも多いのではないでしょうか?

ただし、気をつけなければいけないこともあります

考えに考え抜いて、それでも結論が出ないとき、そして二者択一に迷う時

けして、安易な方を選ばないことです

 

結局、迷うのは、困難を避け、安易を選びたいからなのです・・・安易な方が選びやすいのです

それなのに、困難な方が捨てきれない場合、それが正しいからです

正しい道は、しばしば、困難がつきまとうのです

 

 

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私の昼食

2023-09-27 16:20:21 | Weblog

これが私の昼食です

ほぼ毎日、同じものを食べています

自分で作ります

一応、糖質制限食のつもりです

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医師に全ては任せられない・・・健康探求

2023-09-26 12:56:20 | Weblog

食事の後、眠くなるのは

新しく飲み始めたサプリのせいかと思い

飲むのをやめたのですが、あいあわらず眠くなります

どうやら、サプリは無実だったよううです

 

健康問題は、とかく、原因と結果が正確に結び付きません

そこに、インチキ商品やインチキ医療が蔓延る余地が生まれます

人体は複雑ですから、その全体像は医師でも十分には頭に入っていません

解剖学的構造を知っていたところで、個々人の体調のことなど分からないからです

 

医師を健康の専門家と考えたいのですが

私を含めて、多くの人は、医師をあまり信用していません

私とて、医師をまったく信用しないわけではないのですが、彼らの能力の限界が気になります

糖尿病の様な病気は、症状を抑えるっことはできても、完治できません

 

医師は、それが現代医療の限界だと考えていますから、悩みません

患者は、そうはいきません

たった一度の人生を、治る見込みの無い病気との付き合いで終わらせたくはありません

とくに、肉体的不自由があると、なんとか、それを打破したくなるのです

 

医師からは、否定されたり嘲笑されたりしても

患者は、医師の指示以外のことをやりたがります

当事者として、なんとか、少しでも状況を改善したいからです

無駄な抵抗かもしれませんが、座して死を待つ気にはなれないのです

 

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余裕からベストパフォーマンスは生まれる

2023-09-25 18:46:42 | Weblog

暑さ寒さも彼岸までと言います・・・少し楽になりました

どうやら、この夏の猛暑も、ここへきて、少し和らぐようです

 

私の毎日は忙しく

その忙しさは、必ずしも仕事の利益に直結しません

それでもかまわず、私は、得にならないことでも、一生懸命やっています

それが私の人生だからです

人生は、金儲けだけではありません

日々、人として、やるべきことがあるはずだからです

 

むしろ、何かやるべきことをし忘れたのではないか?

そんな不完全感に、いつも、囚われています

でも、それも気にしないことにしています

何かやり残したことがあったとしても

それは、明日以降の仕事として、私を待っていてくれると信じるのです

 

今日は、今日できることを精一杯やる

そして、明日は明日で、また一から、精一杯の努力をする

ただし、精一杯と言っても、余裕を持ってやるのです

力尽きるまでやろうとすると、その思いだけが先行し、実力が発揮できません

いつも余裕を持つことが大切です

 

私は、このことを、箱根駅伝で学びました

中継所に倒れ込むように入ってくる選手は、必ずしも良いタイムではありません

区間記録を出すような選手は、むしろ、余裕で引き継ぐのです

全力を出そうという意識が、無理な動きを招き

結果として、ベストパフォーマンスを遠ざけるのです

自分を信じ、自信と余裕で、自分らしく走れば、それがベストパフォーマンスになるのです

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基軸通貨ドルを裏から支えた”円”・・・円とドル

2023-09-24 11:24:59 | Weblog

金も駄目、石油も駄目、輸出競争力も駄目・・・

ドルの信用を支える要素のほとんどが失われてしまった時

唯一、確かな経済的裏付けを持っているように見えたのが日本の経済力でした

とりわけ、その輸出競争力は驚異であり、脅威でした

 

本音を言えば、アメリカ人は日本経済を抑えつけたかったはずです

日本は敗戦国のくせに、なぜ戦勝国にして圧倒的な覇権国家である米国の産業を脅かすのか?

アメリカ人は、納得がいかなかったはずです

しかし、共産主義の脅威が迫るなか、仲間割れはできません

 

アメリカの国力の衰退の大きな原因がベトナム戦争にあることは

多くのアメリカ人の共通認識になりつつありました

出口の見えないベトナム戦争にけりを付けないかぎり、苦境を脱することはできません

思えば、ニクソン大統領は、とんでもない難題を突きつけられていたのでした

 

ドル秩序維持のための奇策が何者かによって考え出されました

「強い円」を事実上の兌換通貨とし、円でドルを買い支えるという奇策です

かつて金との兌換制を表に出し、事実上石油との兌換制によって国際通貨ドルを安定させたように

「事実上の金との兌換制」が成り立つ円を、ドルを裏から支える通貨としたのです

 

 

 

 

 

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”円の20年”・・・円とドル

2023-09-23 11:13:57 | Weblog

1980年から2000年までの20年間を、私は

 

「円の20年」

 

と、呼びたいと思っています

この間、円は常に金に対し優位な相場を着け続けたからです

紙幣が、兌換通貨でもないのに、金よりも信用できた稀有な歴史なのです

 

なぜ、こんなことが可能だったのでしょう?

日銀のストイックな通貨政策が円の価値を維持したのでしょうか?

違います、日銀は、政府の積極財政に渋々従っていました

財政赤字補填の赤字国債発行と、日銀引き受けに進まざるを得ない状況でした

 

日本円が強かった理由は、日本の製造業の強さです・・・その輸出競争力の強さでした

金より魅力的な商品を作り続ける日本の製造業が、日本円の価値を支えたのです

通貨の価値は、その通貨を発行している国の経済力が決めるのです

アメリカドルの価値が落ちたのは、アメリカ経済の実力が落ちたからです

 

日本円の実力は認められていましたが、それだけでは問題は済みません

世界経済を支えている基軸通貨はドルです

いくら日本円の実力が上がったとはいえ

ドルに変わって基軸通貨になるまでの力はありません

 

いかなる形で国際的合意がなされたのかは分かりませんが

円をドルを裏から支える通貨とする方向に、世界は動いていきました

その顕著な現れが金価格との関係ですが

政策としては、米国債を日本が買い続ける形で、米ドルと米経済を支え続けたのです

 

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事実上の兌換通貨”円”の誕生・・・円とドル

2023-09-22 17:00:02 | Weblog

1970年代は

日本が国際社会のリーダーシップを期待され始めた時代でした

ただ、当の日本人には、その自覚はありませんでした

フランスに招かれた三木首相には、目立った言動は何もありませんでした

 

その後も、国際経済を論じる場では、日本は主要メンバーであり続けています

そして、これまたずっと、日本の代表に目立った言動はありません

サミットの記念撮影で、端っこの方に目立たないように立つ日本の指導者は

身長の低さもあり、日本の国際的地位を低さを象徴するかのようでもありました

 

ただ、それでも、日本が欠かさず招かれた意味があります

人物として、日本の指導者は、リーダーシップを発揮できなくとも

日本経済とお日本円は、ゆるぎない地位と役割を担っていたからです

その役割とは、金や石油に代わる”事実上の兌換通貨”として役割です

 

その役割があきらかになったのは1980年代です

70年代の経済混乱を背景として上昇し付けた金価格が

円に対しては下がり続けたのです

 

市場での微調整を繰り返しながら

あたかも1グラム千円に収束するかのような値動きをしていたのが

1980年から2000年にかけての円と金のレートでした

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