藤原定家
くれぬなり
あすも春とはたのまぬに
猶のこりける
鳥のひとこゑ
友人からエビネを貰った
明日は
間違いなく雨というから
今日中に植えようと
庭に出る網戸を開けたが
履物がない
サンダルをとりに行こう
いやいや
開けたままだと
わが猫が外に出てしまうかも
しばらく猫の姿は見なかったが
やはり
締めておこうと戻ってみると
わが猫のミーちゃんが
すでに
濡れ縁に出て
エアコン室外機の
匂いを嗅いでいるではないか
えっうそ
いつ きたのか
知らない間にきて
もう外に出ている
そっと
逃げないで
逃げないで
私も忍び足で近付いた
猫が外に出てしまうと
大変
戻ってくるまで
ずっと心配なんだから ね
後ろから
そっとエイヤっと
捕まえた
やれやれ
写真は植えたばかりのエビネ
物好や匂はぬ草にとまる蝶 芭蕉
蝶の羽の幾度越る塀のやね 芭蕉
今日は
気持ちの良い大気
気分の良いみどりの風が吹く
薫風自南来
わが庭にも蝶が来た
写真の
今、掛けてある軸は
一応大和絵らしいが
内容は不明
公卿と武士が相対している
きっと意味があるのだろう
でも内容は不明
わからないものを
解き明かしていくこと
半年でわかるか
10年でもわからないか
それも不明
流れ来て清水も春の水に入 蕪村
今日は火曜日
お習字の日だ
でもでも
今日はお片付けせねば
明日のお稽古に間に合わない
お習字はまたにして
ひたすら道具をしまう準備
そこへタクシーから降りてきたサカチカさん
ちょうど良いところ
片付けを手伝ってもらった
明日はお稽古
透木釜と
竹自在に手取釜
もう釣り釜の鎖はしまってもいいかな
椿の花はもう終り
何か探そう
藤原定家
をちかたや
花にいばえて行く駒の
こゑも春なる
ながき日ぐらし
をちかた(彼方・遠方 )→遠くの方。向こうの方。あちら。
いばえて→馬が鳴く。いななく。
春の季語
日永 ヒナガとは
春になり、
昼の時間が伸びて来ることをいう。
実際は夏のほうが春より日が長いが、
心理 的には冬に比べて、春は日が長く感じられる。
似ている言葉に
【日がな一日】
ひがな‐いちにち→
朝から晩までずっと。
一日じゅう。終日。
今日は何もない日
雨が降ったり止んだり
庭の草木の成長に目を見張る
朝ドラは牧野富太郎先生のお話し
朝ドラはあまりみないが
今回は見ることにしている
好きな植物を研究する
何もかも忘れて没頭できる
好きなもの
あると いいね
くもりしが ふらで彼岸の夕日影 其角
今日は火曜日
祭日
彼岸の中日だ
曇りがち
昨日、食事から帰ったら
いつものお坊様が
お彼岸の棚経に見えたという
御布施を用意してなかったので
後でお届けした
お彼岸を忘れていたこと
棚経にお坊様が見えること
すっかり忘れていたことに
どうしちゃたのと
我ながらショック
近頃は予定表のある手帳を持たなくなった
手元にないと、その予定を書けず
後で記入するつもりが
それを忘れる
書いてあってもそれを見ない
それでスマホの予定と手帳の予定と
同じ日に異なる予定が記入しがち
空いてるからと
またそれぞれに予定を入れてしまう
結果 困ったことによくなったので
何でもかんでも
スマホのカレンダーに記入するごとに決めた
何をするかは皆書き込む
書いてないこと
日々の周辺のことなどは、
気がつかない
頭が回らない
いくつもの用件を覚えていられない
元々そうなのか
老化なのか
忘れてはいけないので
早速スマホのカレンダーに
先のお盆とお彼岸も打ち込んだ
これで よしよし
写真は有楽町の桜
春深きかげの山畑道見えで 紹巴
深みゆく春に
かなたの山畑をめぐる細道も
いつしか霞の中に消え失せて
という里村紹巴の第3句だと
里村紹巴
さとむら-じょうは
1525-1602
戦国-織豊時代の連歌師。
大永(たいえい)5年生まれ。
里村北家の祖。
里村昌休(しょうきゅう)らにまなび,
連歌界の中心人物となった。
昌休の没後,遺児昌叱(しょうしつ)を養育。
豊臣秀吉,明智光秀ら武将や
公家,高僧と交流し,
のち豊臣秀次の事件に連座する。
法眼。
慶長7年4月12日死去。78歳。
大和(奈良県)出身。
本姓は松井。
号は臨江斎,半醒子。
著作に「連歌至宝抄」「源氏物語抄」など。
(日本人名大辞典より)
紹巴を主人公とした作品は
岩井三四二『覇天の歌』
ほかに小高敏郎
『ある連歌師の生涯 里村紹巴の知られざる生活』
ショウハではなくジョウハなのだ
読んでみたい
紹巴とは
【読み:しょうは】
名物裂の一つで、
千利休の弟子、
里村紹把が所持していたところから、
この名がついたといわれます。
経、緯ともに強撚糸を用いて、
細かい横の杉綾文や山形文状の地紋を出し、
幾何学模様のほかに、
花や唐子が遊んでいる様子を文様化したものもあります。
織りあがりの 凹凸がほとんどなく
絹特有の柔らかな質感と相まって、
非常に締めやすいものです
と、着物屋さんに載ってた。
古袱紗によくある紹巴を
ショウハと読んでいたので
ずっと里村紹巴をサトムハショウハだと思っていたが、
誤り
サトムラ ジョウハだったとは
今日も忙し
午前中10:30から
朝日カルチャー
寝坊は出来ない
写真はアイテラ氏から貰った
雪折れほうれん草
茹でてお浸しにする
すごいボリュームの
自己主張だ
生命力の強さを
エイっと頂きませう
如月や電車に遠き山の手の
からたち垣に三十三才ミソサザイ鳴く
木下利玄
木下利玄
キノシタリゲン
1886-1925
明治-大正時代の歌人。
明治19年1月1日生まれ。
伯父の木下利恭の養子。
はやくから佐佐木信綱に師事し,
「心の花」同人となる。
明治43年「白樺」創刊に参加。
口語的な発想,四四調の破調など,
利玄調とよばれる作風で知られた。
大正14年2月15日死去。40歳。
岡山県出身。
東京帝大卒。
本名は利玄(としはる)。
歌集に「銀」「紅玉」「一路」。
いよいよ二月の晦日ミソカだ
一月は往イぬる
二月は逃げる
三月は去る
冬も終わり
春になる
その春はあっという間に
時が経って
四月五月もそう先の事ではないだろう
今日は
四月に招かれた
茶事への手紙を書く
下手な字だが
お習字をちょっと習ったからって
そうそう治らない
下手のまま出すしかない
諦めた
下もえをうらからのぞく土橋かな 千代女
お茶の点前は
習う先生によって異なる事がある
その先生の付いている
業躰先生によっても違うしね
最近では
大炉の雪輪瓦を
羽箒で掃く時
さらっと私は掃いていたが
雪輪の花弁をひとつずつ
くるりくるりと掃く人もあると
お弟子様に聞いた
聞いたことないなぁ
好奇心強く、物事を深く知ろうとしてる友人に聞くと
それはずっと昔にあったかもよ
今はさぁーと掃きますよ
と聞いて
スッキリ
今日は
昨日の続きの確定申告の
書類を揃えること
は何とか
整った
あとは会計事務所へ届けるだけ
ほっとした
良かった
うれしい
スッキリした
明日は茶会で熱海へ行くので
朝早いので
ここまで
写真は下萌えでなくヤブラン
春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉
日没がだんだん伸びてきた
今日は5時21分
コロナ禍でお休みしていた研究会が
四月から再開する
会員の皆さんにメールで連絡すると
すぐに何通か返信を頂いた
短いメールの文章でも
その方の声や
姿が浮かんでくる
四月が楽しみだ
茶道具の箱で杉箱は苦手だ
台子の箱
台目棚の箱
三友棚の箱
杉箱だと非常に重たい
取り出すのも大変だし
兎に角 邪魔なので
新しいものは破棄した
古いものも覚悟を決めて破棄
中身だけだと気楽で使う回数が増えた
箱は桐箱が一番良い
柔らかくて軽い
加工に便利
衝撃を緩和させる
白くてきれいだ
少し凹んでも湿すと戻るとか
節が少なく
木目がきれい
上等になるほど細かくて平行
柾目マサメと言う
古い茶道具に桐だけど柾目でない
ものがある
それは根っこを使ったもので
根目ネモクといい
面白がって使ったと
お道具屋さんに聞いたことがある
写真は熱海のMOAの茶券
次の日は好日会
その何日かあとは流儀は違うが
茶飯釜の茶事に招かれてる
楽しむ為にも
元気でいよう
眠れねば香きく風の二月かな 水巴
渡辺水巴 ワタナベスイハ
1882-1946
明治-昭和時代の俳人。
明治15年6月16日生まれ。
昭和21年8月13日死去。65歳。
東京出身。
日本画家渡辺省亭ワタナベセイテイの長男。
内藤鳴雪の門人。
のち高浜虚子の教えをうけ,
「ホトトギス」で活躍。
本名は義(よし)。
古い茶道具を買うとその箱に
何か紙が貼ってあることがある
銘や伝来が書いてあれば
→貼紙
品番や季節、所蔵印など整理札が貼ってあれば
→貼札
また箱の甲や裏に箱書があったり
中に極めが入っていたり
箱の材質や形
真田紐の種類や皮紐の位置
知らないこともたくさんある
道具やさんに教えて貰ったりして
少しずつ知識が増えてくるのも
買わずとも
いや買えなくとも
古い道具を見るという
楽しみがある
三味線に冴えたる撥バチの春浅し 漱石
今日は雪が降るというので
出かける予定は早めに取り止め
先生にメールを送る
電車が止まったりして
帰れなくなったら大変
雪で転んでも大変
家に静かに居よう
寝坊して
昼寝して
早寝しよう
さて分かりにくいものに
落款と花押がある
花押カオウとは なにか
これはサインのことで、
自署のかわりに書く記号で、
書判カキハンとも言う。
主な茶人や流儀の歴の宗匠など知らないと困ることある
若いうちに覚えておくと、その後ずっと使える
見れば人物がわかり、時代や趣味がわかる
昔の誰だか不明な花押が付いた茶道具もいくつかある
有名でない人は
この後ずっと不明のままだ
印とは
いわゆる「はんこ」のことだが
在印ザイインとは、
箱に判子がおされてる
後の人が箱書押印したものも含むようだ
それでは落款とは
ウィキペディアには
落成款識(らくせいかんし)の略語。
書画を作成した際に
製作時や記名、
識語(揮毫の場所、状況、動機など)、
詩文などを書き付けたもの、
またその行為を言う。
その文を款記といい、
その時捺す印章を落款印と言う。
慣習上、署名として押捺された印影、
またとは署名に代えて押捺した印影を
さすことも多い。
署名用の印そのものを
落款と称することもある。
(ウィキペディアより)
折り取つて日向に赤し寒椿 水巴
渡辺水巴
ワタナベスイハ
1882-1946
明治-昭和時代の俳人。
明治15年6月16日生まれ。
日本画家渡辺省亭セイテイの長男。
内藤鳴雪の門人。
のち高浜虚子の教えをうけ,
「ホトトギス」で活躍,
大正3年には雑詠欄の代選をつとめた。
明治39年「俳諧草紙」創刊。
大正5年より「曲水」を主宰。
昭和21年8月13日死去。
65歳。東京出身。
本名は義(よし)
今日は月曜日
朝から晴れだ
「咲きそうな椿はあるか」
狭い庭を一巡り
椿は成長は遅く、
寿命は長い
というが
庭の椿の樹齢はかなり
私が子供の時から
すでに庭にあった
明石潟と乙女椿
日本椿の会の
大手町の農中での頒布会
その時の西王母と金魚葉白椿
紺侘助
加茂本阿弥
などは四十年前
その後にいくつかは買ったが
古くなった椿は
花芽をあまり付けくなった
肥料をあげないからか
年をとったからか
花を咲かせない
近ごろは
根っこを伸ばし
この先から新たに幹を伸ばし
葉を付けた
その場所のほうが日が当たるようだ
植物もちゃんと考えてる
ようだ
藤原清正
花さかぬ
梅の立枝も
わがごとや
年のこなたに
春を待つらむ
藤原清正
フジワラノ キヨタダ
?-958
平安時代中期の官吏,歌人。
藤原兼輔カネスケの次男。
左近衛少将をへて
従五位上,紀伊守となる。
三十六歌仙のひとり。
壬生忠見,藤原敦忠らと親交があった。
天暦期の歌合わせで活躍。
「後撰和歌集」以下の勅撰集に28首がはいる。
天徳2年7月死去。
今年の裏千家初釜は
18日にご招待を受けていたが
都合で欠席
今日宅配便が届いた
干支の永楽の盃
御家元の扇子
末富のお菓子
有り難く頂戴した。
紀貫之
雪ふれば
冬ごもりせる草も木も
春に知られぬ花ぞさきける
強烈寒波が来るので
明日明後日とどんどん寒くなると言う
教えてもらった水道管破裂予防
二階への水道管にプチプチを巻いて
テープで止めた
水道の元栓がある四角い箱の中に
プチプチをたくさん詰める
そしていよいよ寒くなったら
水を少し出しておく方法で水道管が破裂しないように
何があるかわからないから
出来ることはやってみよう
広島の凛さんからラインの電話
行事の色々をブログで見て
懐かしく参加したいと
思えど
今は遠くにいるので
叶わず残念
とのこと
又いつかね
一緒にね
遊びましょう
写真は
土曜日に行った京料理のふくもとの庭
タヌキとフクロウがいる
大つぶの寒玉子おく襤褸ボロの上
飯田蛇笏 イダダコツ
1885-1962 明治-昭和時代の俳人
本名武治。
別号山廬サンロ。
山梨県生れ。
早大英文科中退。
高浜虚子に師事し《ホトトギス》に出句。
大正期から俳誌《雲母(うんも)》を主宰発行した。
句風は重厚で妖艶,格調が高い。
昨日はブログを書くのを忘れてしまった
トホホ
今日は
明日の稽古の支度をする
子育て中でお休み中のお弟子様が訪ねてきた
現在11か月のお子さん
ずっと寝てた
いい子だ
この春に
旦那様の都合で大阪に転勤とのこと
行ってらっしゃい
季語にもなっている寒卵 カンタマゴ
鶏が寒中に産んだ卵は
栄養価が高く、
保存がきくとされ、
寒卵と言われる。
冬には卵料理。
特に
大寒卵ダイカンタマゴは特別良い。
大寒の日に産まれた卵のことをいい。
今年は1月20日に産まれた卵が
「2023年大寒卵」
昔から
「金運や健康運を呼び込む」と言われる。
気温の寒い時期だからこそ、
滋養も豊富で味も濃厚。
おいしさもしっかり楽しめる縁起もの。
と
ネットでも販売しているようだ。
卵を買ったものの、料理をあまりしないので
使わない。
明日はゆで卵でも作ろうかしら。
写真は香立て