藤原伊尹フジワラノコレタダ、コレマサ
和歌・歌人88
あわれとも
いふべき人は
思ほえで
身のいたづらに
なりぬべきかな
『拾遺集』
藤原 伊尹
(ふじわら の これただ/これまさ)
924~972.
平安時代中期の公卿・歌人。
一条摂政と称す。
『一条摂政御集』がある。
諡号は謙徳公。
藤原北家、右大臣・藤原師輔モロスケの長男。
妹の中宮・安子が生んだ冷泉天皇・円融天皇の
即位に伴って栄達し、
摂政・太政大臣にまで上り詰めたが、
まもなく病気により早逝した。
孫に書家として名高い藤原行成がおり、
子孫は世尊寺家として書道を世業とした。
今日は何もない日
録画してある中国ドラマ、を見よう
ミーユエ
独孤伽羅
カフキ
王女美央
如懿伝~紫禁城に散る宿命の王妃~
急いで見ないとたまるばかり
それも楽しいたろうつ
大中臣能宣オオナカトミノヨシノブ
和歌・歌人87
みかきもり衛士のたく火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ
大中臣 能宣
(おおなかとみ の よしのぶ)は、
平安時代中期の貴族・歌人。
神祇大副・大中臣頼基の子。
官位は正四位下・祭主・神祇大副。
三十六歌仙の一人。
梨壺の五人の一人。
『拾遺和歌集』(59首)以下の
勅撰和歌集に124首が入集。
家集に『能宣集』がある。
百人一首の
「みかきもり衛士のたく火の夜はもえ
昼はきえつつ物をこそ思へ」
作者は能宣ではないとの説が有力。
今日はちょっと銀座へ用事あり
すぐ終わって、
オー バカナル銀座でお茶
隣人は写真のカフェオレ
お向かいさんは紅茶
私めはカフェ
珍しくミルクとお砂糖1袋
入れかき混ぜる
カフェとても美味しかった
でも早く帰ろう
平兼盛タイラノカネモリ
和歌・歌人86
たよりあらば
いかで都へ告げやらむ
今日白河の
関は越えぬと
『拾遺集』
忍ぶれど
色にいでにけり
わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで
『拾遺集』
【平兼盛】タイラノカネモリ
[?~990]
平安中期の歌人。
三十六歌仙の一人。
光孝天皇の玄孫。
従五位上駿河守。
赤染衛門の実父か。
家集に「兼盛集」がある。
「天徳四年内裏歌合」に
「しのぶれど色に出にけり我が恋は…」の歌で、
壬生忠見に勝った話は有名。
今日は
寝起きがわるく
すーっと起きれない
九時半に来客あり
そのあと二度寝
お昼ごはん食べて昼寝
起きたら三時の水羊羹
夕ご飯にお風呂でもう寝る時間
何をしただろう
届いたアマゾンやその他の宅配便を
何度か玄関に取りに行ったことかな
あとは寝てた。
写真は
友人が送ってくれた写真。
兼明親王カネアキラシンノウ
和歌・歌人85
ななへやへ
花はさけども
山吹の
みのひとつだに
なきぞかなしき
『後拾遺集』
若き日の太田道灌が
蓑を借りるべく
ある小屋に入ったところ、
若い女が何も言わず
山吹の花一枝を差し出したので、
道灌は怒って帰宅した。
あとで後拾遺和歌集の古歌にある歌で
山吹には
「七重八重花は咲けども山吹の
みのひとつだになきぞ悲しき」
の意が託されていたのだと教えられ
無学を恥じたという有名な話が『常山紀談』に載る。
兼明親王カネアキラシンノウ
(914―987)
醍醐天皇の第11皇子。
前中書王サキノチュウショオウ、御子左大臣ミコサダイジン。
920年(延喜20)源姓を賜り御子左ミコヒダリを号した。
のちに中務卿ナカツカサキョウとなったので、
後中書王たる具平トモヒラ親王に対比して
前中書王と称される。
博学多才で文をよくし、
書にも優れていた。
今日は小雨が降って庭をぬらしていた
木々が枝葉を伸ばし
狭い庭がますます狭くなった
午後にサカチカさんが藻塩入り水羊羹を持ってきてくれた。
源 順ミナモトノシタゴウ
和歌・歌人84
水の面ミノオモに
照る月なみを
かぞうれば
今宵ぞ秋の
最中モナカなりける
『拾遺和歌集』
源 順
ミナモトノシタゴウ
平安時代中期の貴族・歌人・学者。
嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。
左馬允・源挙コゾルの次男。
官位は従五位上・能登守。
梨壺の五人の一人にして、
三十六歌仙の一人。
今日は中国ドラマと韓ドラを見放題
短歌の勉強用に本を買ったが
買っただけだ。
でも中国ドラマは、
以前買った写真の雑誌をよく見てる。
勉強している。つもり。
今日も一日、面白かった。
右近ウコン
和歌・歌人83
忘らるる身をば思はず 誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな
『拾遺和歌集』
右近
ウコン
生没年不詳
平安時代中期の女流歌人。
父は右近衛少将藤原季縄。
醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、
元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順などと恋愛関係があった。
960年(天徳4年)と962年(応和2年)の内裏歌合・
966年(康保3年)の内裏前栽合などの歌合に出詠、
村上天皇期の歌壇で活躍した。
今日は日曜日
用事がない日曜日
いい天気
茶室の雨戸を開けて風を入れ
襖を開けて水屋にいくと
森金さんがとってきた花が
勢いよく水を吸い明るく光ってた
稽古の時に茶花として花入には入れなかったけど
誰に見られずとも生き生きとして
いいね
藤原朝忠フシワラノアサタダ
和歌・歌人82
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし
『拾遺和歌集』
藤原 朝忠
フシワラノアサタダ
延喜10年(910年) - 康保3年12月2日(967年1月15日)
平安時代中期の公家・歌人。
藤原北家高藤流、右大臣・藤原定方の五男。
官位は従三位・中納言。
土御門中納言または堤中納言と号する。
小倉百人一首では中納言朝忠。
三十六歌仙の一人。
短歌の結社に入ってるので
月に12首くらいは詠んでいるが
良い景色を見て浮かんでくるなんてことは
一度もない
さあつくるぞと以前はメモ帳に書いたり
パソコンに向かってつくっていたが
最近はスマホに書き込んでいる事が多い
短歌を詠むのは難しいいまだに何だかわからない
ほぼ欠詠なく続けている
参加すること
継続すること
目指している
写真は庭の建仁寺垣
だいぶ傷み始めた
源 信明ミナモトノサネアキラ
和歌・歌人81
あたら夜の月と花とをおなじくは
あわれしられむ人に見せばや
『後撰集』
ほのぼのと有明の月の月影に
紅葉吹きおろす山颪ヤマオロシの風
『新古今集』
源信明ミナモトノサネアキラ
平安時代中期の官吏,歌人。
910-970
延喜10年生まれ。
天禄元年死去。61歳。
源公忠キンタダの子。
若狭,陸奥などの国守を歴任。
従四位下。
三十六歌仙のひとり。
「後撰和歌集」以下に23首は入集。
家集に「信明集」がある。
もう三十年くらいまえだが
牡丹の苗を売りにきたので、買った。
狭い庭に植えたところ
大人しく何年かは咲いて消えた。
言わずもがな
牡丹の花は見事だ
一輪でも華やぐ。
茶のために使うには
花の頃合いもある故
いくつも株がないと切れない。
それはわが庭は日当たり悪く
水はけ悪くては
とうてい無理だ
最近のわが狭庭には
日陰でも咲く雪の下が広がりつつある
そのうちにホトトギスと半化粧で埋まってしまう
みな地植えなので気がつけば
強いものに淘汰された。
草木の伸張の早いこと
雨の後は特に目を見張る
炉塞ぎの月も過ぎるのが早かった。
清原元輔キヨハラノモトスケ
和歌・歌人80
ちぎりきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 浪こさじとは
『後拾遺和歌集』
:清原 元輔キヨハラノモトスケ
平安時代中期の貴族・歌人。
内蔵允・清原深養父の孫で、
下総守・清原春光の子。
官位は従五位上・肥後守。
娘に清少納言がいる。三十六歌仙の一人。
今日は日曜日
93歳のエム先生に
ご機嫌伺いのお電話をした
お稽古は辞められたが、お一人だけお弟子様とお稽古しておられると。
お元気で何よりだ。
写真は近所の小学校のタンポポ
藤原 敦忠フジワラノアツタダ
和歌・歌人79
あひみての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり
『拾遺和歌集』
藤原 敦忠フジワラノアツタダ
平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。
藤原北家、左大臣・藤原時平の三男。
官位は従三位・権中納言。
三十六歌仙の一人。
亀戸天神の藤の花が
今日は満開だと
例年より二週間早いらしい
江戸の浮世絵にもあったその風景を
私はまだ見たことがない
一度行ってみたい
写真は南青山御幸通りの大きな樹
藤原実頼フジワラノサネヨリ
和歌・歌人78
まだ知らぬ人もありけりあづまぢに
われも行きてぞ住むべかりける
『後撰集』
藤原 実頼は、
平安時代前期から中期にかけての公卿・歌人。
藤原北家、関白・藤原忠平の長男。
村上天皇の時に
左大臣として右大臣の弟・師輔と共に
朝政を指導して天暦の治を支えた。
しかし、後宮の争いでは師輔に遅れをとり、
外戚たる事ができなかった。
冷泉天皇が即位すると、
その狂気のために関白職が復活し
実頼が任じられた。
次いで円融天皇が即位すると
摂政に任じられている。
また、有職故実に通じ、
小野宮流を創始した。
(ウィキペディアヨリ)
今日は何もない日
中国ドラマ韓国ドラマなど
ビデオを楽しむ
他になあんにもしない
ぐだぐだの一日
写真はわが狭庭の
芽を出しはじめた
シャクヤク
はじめは赤いのに
だんだん緑になってきた
元良親王モトヨシシンノウ
和歌・歌人77
わびぬれば今はたおなじ難波なる
みをつくしても逢わむとぞ思ふ
くやくやとまつ夕ぐれと今はとて
かへる朝アシタといずれまされる
『後撰集』
元良親王モトヨシシンノウ
890-943
平安時代中期,陽成天皇の皇子。
寛平2年生まれ。
母は藤原遠長の娘。
三品,兵部卿。
和歌にすぐれ,風流,色ごのみの人として知られた。
歌は「後撰和歌集」以下の勅撰集に20首入集。
天慶6年7月26日死去。54歳。
家集に「元良親王集」。
(日本人名大辞典ヨリ)
夜中に激しい雨が降って
何度も目が覚めた
庭の椿の花は
雨に打たれていくつも散っていた
木戸のいろはもみじが
新芽を出しはじめた
これから雨毎にぐんぐん枝葉をのばす
スッキリとしていた庭に緑の面積が増えてくる
雨後の楽しみ
源宗于ミナモトノムネユキ
和歌・歌人76
山里は 冬ぞ寂しさ まさりける
人目も草も 枯れぬと思へば
『古今和歌集』
源宗于ミナモトノムネユキ
平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。
光孝天皇の孫で、式部卿・是忠親王の子。
官位は正四位下・右京大夫。
三十六歌仙の一人。
寛平6年(894年)源朝臣姓を賜与されて臣籍降下し、
従四位下に直叙される。
最終官位は正四位下行右京大夫。
今日は雨
ずいぶんお習字をお休みしてる
久しぶりに筆をとる
何度か筆ペンでのし袋や宛名を書いたが
墨をすればよいのに
と我ながら思った
写真は古本屋で買った
関戸松下軒蔵器入札並びに売立。
もくろく。
結構大きく重い
源等ミナモトノヒトシ
和歌・歌人75
浅茅生アサヂウの小野の篠原忍れど
あまりてなどか人の恋しき
『後撰和歌集』
源 等ミナモトノヒトシ
平安時代前期から中期にかけての公卿。
嵯峨源氏、中納言・源希の次男。
官位は正四位下・参議。
下記は八代集
古今和歌集→こきん
後撰和歌集→ごせん
拾遺和歌集→しゅうい
後拾遺和歌集→ごしゅうい
金葉和歌集→きんよ
詞花和歌集→しいか
千載和歌集→せんざい
新古今和歌集→しんこきん
八代集を覚えよう
古今後撰こきんごせん
拾遺後拾遺しゅういごしゅうい
金詞千新きしせんしん
今日は
手紙を出しに出かけて
ポストに投函
外の空気を吸った
信号待ちの草むらに
ホトケノザが小さな花をつけていた
藤原忠平フジワラノタダヒラ
和歌・歌人74
小倉山 峰のもみじば心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ
藤原忠平フジワラノタダヒラは、
平安時代前期から中期にかけての公卿。
関白太政大臣藤原基経の四男。
兄の時平、弟の仲平とともに三平と呼ばれた。
70歳没
通称は小一条太政大臣、
諡号シゴウは貞信公。
兄・時平の早世後に朝政を司り、
延喜の治と呼ばれる政治改革を行った。
朱雀天皇の時に摂政、次いで関白に任じられる。
以後、村上天皇の初期まで長く政権の座にあった。
今日は朝日カルチャーへ
ちょっとお勉強して
帰りに
整体へ寄った
一年ぶりである
空いていたのですぐ施術できた
膝の手術して歩けるようにはなったが
寒かったり暑かったり
又少し歩いたりすると
足が痛くなる
6回の回数券を買ったが
値上げしてより高くなった
自分のカラダだから仕方ないと諦める
帰り道可憐なスノーフレークが
金網から我も我もと
体を乗り出して咲いている
元気だ
スノーフレークは、ヒガンバナ科。
和名はオオマツユキソウ。
別名はスズランスイセン。
うちにも咲いている
今度のお稽古の時に使おう
うちのはスノードロップかも