藤沢周平といえば、随分前にNHK「蝉しぐれ」を見ていました。義父を尊敬し信じて屈辱に耐える優しく強い男・文四郎を内野聖陽が演じます。内面の哀切を余すところなく演じ、余韻の残る素晴らしいテレビドラマだったのを覚えています。

他は「漆の実の実る国」を読んだくらいで、藤沢周平についてはこれくらいの認識しかありませんでした。
そこに友人から、この本「藤沢周平 遺された手帳」が回ってきたのです。

藤沢周平は死後4冊の手帳を遺していました。最初の結婚後の昭和38年から昭和51年までの記録です。
娘の遠藤展子はその手帳を見ながら『若い父の記憶をたどりながら、なぜ父が小説を書き続けたのか、私はどのように生まれ育てられたのか、触れておきたいと思うようになりました。そして、その辛い時期を乗り越え、現在の母と一緒になり、本格的に小説家として仕事をしていきますが、父の持つ「鬱屈」がどのように変化したのかを書き記しておこうと筆をとることにしました』というのがこの本の出版のきっかけです。
藤沢周平には昭和。38年2月に娘・展子が生まれますが、その8か月後妻悦子を癌で亡くします。幼子を抱え、「波のように淋しさが押し寄せる。狂いだすほどの寂しさが腹にこたえる。小説を書かねばならない」「生きているひとつひとつの行動に何の喜びもない。荒涼とした砂漠が私の前にある。そこへ私は歩き始める」とその苦悩は深く暗く、これが鬱屈の正体でした。
周りの手も借りながら乳飲み子の育児と家事と会社勤め。想像を絶する辛さ苦しさがありますが、亡き悦子のためにも小説を書こうと執筆活動は続けていました。
ここに出てくる「母」は藤沢が娘6歳の時に再婚した女性・和子で、賢い母とおっとりした娘はとてもうまくいっていたようで、なんの違和感もなく読めました。
そして藤沢は妻のサポートで執筆活動も軌道に乗り直木賞を受賞し作家として独立します。
毎月の複数の原稿の指定枚数と締め切りが細かに記されていて、作家の生活をハラハラしながらも、次々にストーリーをわきださせる能力に痛く感心させられました。
「成功しなかった人たちのことを書きたい」、「徹底して美文を削り落とす作業にかかろう。美文は鼻につくとどうしようもないほど嫌なものだ。いまどき、形容詞に憂身をやつ文士はいないだろうと思ったりする」と手帳に記されていますが、この言葉に藤沢周平の作家としての魂が集約されていると思いました。
確かに無駄がない文章で読みやすい小説と感じたのはここにあったのです。
駆け出しの頃にもかなりの執筆があり、刊行された本もたくさん知りました。歴史小説が好きで時代小説には興が引かれませんでしたが、今、藤沢作品のどれにしようかと思案中です。