安禄山の乱の唐から、舞台は日本に移ります。
唐から帰国して10年。70歳になった真備は「雑草抜き」のために博多から都に向かう船上にいます。「雑草」とは朝廷での主導権を確保しようと暗躍する藤原仲麻呂のことで、この状況を苦慮していた孝謙上皇と藤原豊成が真備を支援します。
帝から恵美押勝と名前を賜っていた藤原仲麻呂ですが、真備たちの綿密な策により官位剥奪と所領を没収され次第に追いつめられていきます。
帝から恵美押勝と名前を賜っていた藤原仲麻呂ですが、真備たちの綿密な策により官位剥奪と所領を没収され次第に追いつめられていきます。
こうした真備たちの奮闘の最中に躍り出て生きたのが道鏡です。真備は、孝謙上皇の本意が押勝を追いやり、道鏡を取り立てて朝廷の中枢に置くことだったと気づきます。
真備は孝謙上皇に、仏法と政は分けて考えるべきと進言します。しかし上皇は重祚して女帝・称徳天皇になり、道鏡を太政大臣禅師に任じて自分の信念を貫きます。
真備も右大臣として信頼されますが、女帝の道鏡への傾倒は止み難く「法王」の位まで授けます。しかし、この後、増長した道鏡は宇佐八幡神託事件を引き起こすことになります。「道鏡を皇位に付けよ」という神託です。
和気清麻呂が神託の虚偽を称徳天皇に上申したり、老齢の女帝は次第に道鏡から心が離れ、重い病を患い間もなく崩御します。
しかし病床にあった中でも称徳天皇と真備は連絡を取り合い、しっかりと後継者を決めていました。天智天皇の孫にあたる白壁王です。
壬申の乱以来100年続いた「天武派」対「天智派」の争いを終わらせ、皇統を「天智派」に返す決断をしたのです。
真備は請われて右大臣のまま新帝・光仁天皇を支えます。すでに76歳でした。
この頃、真備の唐での妻・春燕(貿易商)と、阿部仲麻呂の第二婦人・玉齢(楊貴妃の姉)が真備を訪ねてきます。
手広く貿易をおこなう春燕に伴われて、玉齢は自分の「役割」を果たすために日本に来たのです。
玉齢から聞かされたのは、安禄山の乱が鎮圧された後、仲麻呂は玄宗の子の新帝に使えたこと、安南都護として遭難した遣唐使船の仲間を救い出したこと、そして仲麻呂が他界したことでした。
この時真備に手渡されたのが、玉齢が仲麻呂に託された巻物『魏略第38巻』でした。安禄山の乱の最中に偶然発見された史書です。
この時真備に手渡されたのが、玉齢が仲麻呂に託された巻物『魏略第38巻』でした。安禄山の乱の最中に偶然発見された史書です。
この史書を得るためにだけ仲麻呂は何十年も唐に残り奮闘したのです。やっと手に入れたものの帰国の遣唐使船の中でそれが偽物であることを知ります。そして今、本物が真備の目の前にある・・・。真備は混乱します。
国書をめぐる日本と唐の対立は、仲麻呂の尽力で既に解決しています。日本は今、律令体制を築きつつあり、必要なのは天皇に対する信仰であり、この巻物から知る歴史的真実ではないのです。
しかし破棄するにはわけにはいきません。真備の学者としての良心が歴史の真実を闇に葬ることを許しません。結局は朝家の秘府で管理してもらうことにしました。
この『魏略第38巻』がその後どうなったのかわかりません。ただ朝家には楊貴妃に対する信仰が長く受け継がれたようで、皇室の菩提寺である京都の泉湧寺には今も楊貴妃が祭られている、というところで終わりました。
1年半に及ぶこの小説の中で、常に見え隠れしていた『魏略第38巻』の着地点が示されてほっとしました。
現在、辻原登『陥穽(かんせい)』が始まりました。陸奥宗光の青春を描くのだそうです。陷穽とは、落とし穴とか、人を陥れるはかりごとの意味があります。
今、紀伊藩と宗光の父親・伊達宗広と家族の部分ですが、父親だけを主人公にしても小説になるような人です。
辻原登。読んだ作品ははすべて好きになるような作家です。