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新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

「竜馬がゆく」 司馬遼太郎

2010年02月13日 | 本・新聞小説

Siba_016 『・・・街道は晴れていた。竜馬がゆく。岡本と藤吉が追いすがり追いすがりしながら、湖畔の野を歩いた。・・・・』

この本のタイトルにもなった部分では、「竜馬がゆく Ⅲ」も終わりに近づいたところです。竜馬は薩長同盟を成功させ、無血の大政奉還に至る大事業をやり遂げました。そのあとの新政府樹立のために、ある一人の男、禁錮刑に処せられている越前藩士三岡八郎を迎え入れるために越前福井に向かう場面です。この男こそ後の由利公正です。

タイトルのように、竜馬はとにかく神出鬼没の行動派。前半はその動きによってしか竜馬をイメージできませんでしたが、後半になると竜馬の考えがしっかり出てくるようになり、やっとその人物像に膨らみを持たせることができました。

世は尊王、勤王、攘夷、佐幕、開国、公武合体・・・の思想が複雑に入れ乱れ、薩長も志士も自らの考えの変転と、迫りくる外国勢の圧力に翻弄される幕末です。

『アメリカの大統領は下女の給金の心配までするという。日本の将軍は三百年、そういうことをしたことがあるか。この一事を以てしても幕府は倒すべき時である。』という平等の考え、世界を見る広い視野、安定した国の財政を常に考えていました。

竜馬は『ただ日本を生まれ変わらせたかっただけで、生まれ変わった日本で栄達するつもりはない。』というように、大事業といものは八分までが困難の道であり、そこまでやればあとの二分は人にやらせて、完成の功を譲るという気持ちこそが成功のもとだという固い信念を持っていました。

大政奉還を実現させた後も新政府に参画する意思はなく、竜馬が作った新政府の構成メンバーに自分の名前は書き込みませんでした。

民主主義が定着した現代では、300年続いた徳川の政治体制を覆すことに、どれほどの人の命とエネルギーを必要としたかを計り知ることはできません。

本の後半で、討幕を熱く語る竜馬の理論の確かさは、多分に司馬氏の思い入れもあるのでしょうが、司馬氏の本で初めて胸が熱くなるのを感じました。司馬竜馬といっていいのかもしれません。

「坂の上の雲」のように、その中に未来を感じるタイトルと違って、「竜馬がゆく」という動詞のタイトルにあまり馴染めなかったのが、今まで本を手にしなかった理由でもあります。しかし「世に棲む日々」を読んでいるときに竜馬の名をかすかに目にして、竜馬の歴史的役割への関心が湧いてきました。

読んだ限りでは、NHKの福山竜馬とはイメージも違いますが、かといってそれではだれに…?といわれても思い浮かびません。ただ、竜馬は3冊の分厚い本の中で、来るべき世界を夢み、行動し、短く美しく燃えて散っていった・・・・、どろ臭いけどさわやかに生きぬいた姿が、ずしりと心に残りました。

20年ほど前に桂浜を訪れたけど、美しい浜辺だという記憶しか残っていません。銅像もあったかどうか・・・。

その銅像は、昭和の初めに早稲田や京大の数人の学生の発起により、全国の青年組織からわずかずつの寄附を集めてやっと建設されたものだそうです。途中岩崎家から5千円の寄付の申し出があったけど、零細な寄付を集めて作るという趣旨からもそれを断ったとか。台座には、建立者の名前は刻まずに、「高知県青年建立」とだけ刻まれているとか。美しいエピソードです。

竜馬の考えは土佐の自由民権運動への流れにつながりましたが、この銅像建立の話にも竜馬の残した心の遺産が見えるようです。

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