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未唯への手紙

未唯への手紙

コミュニティで自動車保険

2014年10月26日 | 3.社会
外部費用の扱い

 独占的にモノを売っているという利ザヤは高い。何しろ、それがないと道路を走れないから。道路は元々、共有なものであり、維持管理するのは、地方行政が行っている。そこをタダ乗りしていることが分かっていない。クルマは本来、負担すべきです。

 外部費用をコスト計算すると、クルマは倍以上になるのでしょう。実際に、それだけ掛かっているだから。

自動車保険は100年

 自動車保険100年です。車がなければ、自動車保険は始まらなかった。クルマのリスクが高いから、商売になった。バス・電車の乗客に同等の保険が掛かっているとは思えない。事故率が低いというのに、それだけの保険を払うのか。

 本来、道路とか車に関することを個人に直課しているからです。個人がその気になっているからです。あんたが悪いから、賠償せよ!という一方的な論理がはびこっている。ところが、人身事故の場合は、人と人の関係に落とされる。個人はそれに耐えかねないから、保険というものが100年前に出てきた。それが正義か。

 コミュニティで保障することが商売になります。お金だけでなく、人的な関係で、お互い様で支援する。

モノを探査する仕組み

 図書館のICチップを使った仕組みができないか。GPSではないけど、それでICチップを探すことができれば、無くなってしまったら困るものに貼っておけばいい。ICレコーダーも小さすぎる。

国家間の保障

 教育・仕事・家族の循環がどうなっていくか、それが未来にどう影響を与えるかと同様に、国との間の保証も考えていった方がいい。アフリカ連合とヨーロッパ連合はあるけど、アジア連合がない。アセアンぐらいしかない。

認識

 ニーチェに関する真理と認識。特に認識。認識は発見だという考え方。

宗教の伝播力を使っていく

 宗教の伝播力は、10.6.4にします。

 良く考えると、個人=超国家こそ、ムスリムのアイデアです。個人が超国家とつながり、超国家が個人とつながる。国家をまたぐ。

 その間に教会があったキリスト教と異なり、ムスリムは直接、日常とつながります。そのために、戒律があります。生活そのものをムスリムにしてしまいます。

 カリフは居るけど、居ないと同様です。その間にグループがあるだけです。つまり、ムスリム同胞団の存在です。多様なカタチをとる。

スタバのクリスマス

 11/1からのクリスマスは早いような気がします。また、5000円の券を確保しないといけない。Iさん絡みの最後です。券はリザーブで使いましょう。

書き起こし

 ICレコーダーがある限りは寝ながら考えるのは可能です。むしろ、その方がいいです。入力方法として、例のマシンを試しましょう。キーボードがあるから。蓄えなければいいんです。

パートナーの異動

2014年10月26日 | 5.その他
パートナーの異動

 単なる絶対的存在にしておきます。それ以上でも。それ以下でもない。

 パートナーに対する複雑な思いを単純にします。絶対的存在というだけです。彼女の幸せを願うとかいうのも避けます。自分で考えればいい。本当はサファイアを貫いてほしい。それは欲です。それが自然に伝わればいいけど、伝わらなくてもいい。だから、連絡もパートナーからの意志ですべて行います。こちらからは行動しない。

 絶対的存在と決めている以上は、自分は乱さない。やるべきことをやる。パートナーよりも自分の方が切羽詰っているとかは関係ないです。

 結局、Jの器には収まりきれない。そんな狭いところ。パートナー本人はそれが分かっていない。

 パートナーは本当は何がしたいのか? その意識があるのか。ストレスを溜めている。それに対応しない。期待してしてはダメだと言っているのに。

コマーシャルの表現

 大人の水川にすればいいのに、トヨタのコマーシャルは変なカタチで表現されている。お金を掛けている。出演者には困らないから。一つずつはぶれてきます。全体に意味があれがいいみたいな作り方です。静香ちゃんは大人になって、ツインテールをしているとは思えない。

未唯へ

 結局、起きたのは8時でした。ニューヨークへ行く飛行機の中で席を変わっていたら。横で呼ばれた夢を見た。それが南ちゃんだったというのは意味があるのでしょう。

 今日は雨だったんですね。岡崎行く途中で降ってきた。雨粒は小さいですね。

 松屋のごはん軽めの並・卵は似合わない。温泉卵にしたのは間違いです。

 今週はトルコの皮にしましょう。外に行くのは、最期だから。まだ、季節的には間に合います。

650の操作

 ICレコーダーはオンとオフがごっちゃになります。やはり、アラームを一回入れてみましょう。

 ICレコーダーにボタンを入れてみた。やはり、邪魔です。常時表示されているのは、何かつまらない。元に戻します。650のボタン一つの世界はいいですね。レコードとストップが一緒になっている。ポーズを削除したから。

 どう見ても、650は雑音が入りすぎている。これがレベル1なのか。

仕事に対する考え方

 仕事の仕方、というよりも仕事に対する考え方を存在の力の変えていく。それがまず、やるべきことでしょう。そうしないと、この会社も日本のダメになる。やりがいもそこから生まれます。

 非正規のNを見ているとそう思います。自分で仕事が決められない。本来やるべきことは何なのかを考えられない。本来やるべきことは、先生を目指した頃の思いに戻ることなんです。そこを出発点にすべきなんです。働き方はどうでもいい。

 問題になってくるのは、大企業はお金があるということです。これは皆のインフラから吸い上げてきたものです。

 それを従業員に配っているにすぎない。彼らが優秀だからとか、成果を上げているから、高いというのではないことは確かです。今の職場を見れば分かります。自分の事しか考えていないけど、販売店の仕事に乗っかっている。

 歴史を変えないといけない。教育の最大のポイントはそこです。今までの意思の力の歴史から、今後は存在の力に変わっていくことをハッキリさせる。

岡崎市図書館の10冊

2014年10月26日 | 6.本
311.2『西洋政治思想資料集』

482.4『さまよえる「共存」とマサイ』ケニアの野生動物保全の現場から

304『RandomYOKOの新・愛国論』超人気ブロガー 組織を悪く言う人は時代遅れでカッコ悪い!

335.8『NPOのためのIT活用講座』効果が上がる情報発信術

007.1『「人工知能って、そんなことまでできるんですか?」』東大准教授に教わる

222『かわいそうな歴史の国の中国人』

289.3『セオドア・ルーズベルトの生涯と日本』米国の西漸と二つの「太平洋戦争」

673.9『さっぽろ喫茶店グラフィティー』

234.0『ドイツ、そしてベルリン』

007.8『FileMakerで作るデータベース』~顧客管理名簿・売上伝票・営業報告書~ ファイルメーカーを使うべき七つの理由

教育・仕事・家庭の循環

2014年10月25日 | 3.社会
組織に頼らない

 組織に頼っていないことが私の一番の特徴でしょうね。組織で完全に開き直っています。組織そのものがないと思っています。

4年前の28項目

 4年前に、28項目の要件をパートナーに出した。定年後、1年間かけて、全体を見て、先を考えて、まとめた。その内、どれをするのかをパートナーに聞いた時に、やらないと言われた。ネットワークだけをやるということで、ネットワークだけを1年で行った。

 その中で、一番やってほしかったのは、事務局です。販売店の身になって、横に展開することです。何が要するに売れるのか、何がどう使っていけばいいのか。販売店の知恵の活湯技術をまとめていく。

所有と自由の関係

 なぜ、所有するのか。所有することで自由は得られるのか、失われるのか。モノを買うこととモノを作ることは違います。そこが同じだと思っている。

 消費することで何が得られるのか。CDは以前は所有だったけど、音楽源が分かれてしまったので所有ではない。図書館の本も所有ではない。そこで何が不自由なのか。そこに書き込めるかどうかと言って、マンガ的なモノに何を書き込むというのか。

 書き込むことにしても、その部分だけが自分のものであって、あとは共有財産です。キンドルでは、共有財産はそのままにして、書き込んだところを共有にすることもできるようになっている。

クルマの所有権

 クルマについても同じです。所有する部分はほんの一部です。シェアすることで十分です。移動することが目的ならば、シェアで十分です。公共交通機関の方が先に在った。公共ならば、安くする必要はないです。電車を安くするよりも皆がちゃんと乗れるようにする。インフラは堂々と作り出せばいい。

 所有みたいな形でシェアしようとすると、今のシステムレベルではダメです。もっと、皆の中に入り込んだシステム、お互いの状況をハッキリさせるシステムが必要です。

パートナーの行く先

 パートナーは偶然でどこに行こうとも、パートナーの魅力を発揮すればいいです。それらをまとめていくところに、最終的に向かえばいい。

 4年前に28項目を示した。夫々のところをやっても、答えは一緒です。お客様とどうつながるか。そして、メーカーではなく、新しいインフラを作り出すこと。それによって、日本を変えていくこと。

 事務局は全部、自分でやる必要はない。販売店にやらせてもいいし、お客様との共有だから、お客様にやらせてもいい。その辺を循環で取りまとめるところ、グローバルで企画のところ、そして、皆の意見を吸い上げるところ、そのインタープリター。パートナーは常にジャンヌ・ダルクです。この企業を救い、日本を救うために存在している。だから、偶々の人間に対して、非難してもしょうがないです。それは一つの実験です。

 予見が多いとなかなかやれないですね。朝、10時にメールがあって、そのあとは何もない。本当にハレーすい星です。

宗教による伝播

 答えを出そうとするところ、シンプルにすることも重要だけど、それを否定することも重要です。ありのままに。やはり、ケータイを使った宗教、この形態で拡げていくのが先人の知恵です。

存在の力での仕事観

 循環を考えた時に仕事の内容がベースになる。では、仕事とは何なのか。ここがサファイアとの関係です。というか、存在の力との関係です。今のものは意識の力で成り立っている、組織の力です。自分が何をしているか分からなくても、組織としては機能する。

 お金を渡すことで、使うこと、消費することで循環するというロジックです。本当は仕事で破んな苦労をせずに、お金を配ることで済む話です。モノが関係しなけば、単にお金を配って、お金を使って、お金を配って、お金を使っている、小さな商店街みたいなものです。

 小さな商店街が限界にぶつかると同じように、この論理もすべて、限界にぶつかります。そしてやることがなくなる。創る人と作る人で順番にするやつ。では、これはどうするのか。

 元々、存在する力というものがあったはずです。それで自分がどのように納得するのか、という小さな単位に落としていくと同時に、それを共用という場で大きな単位で循環させていく。仕事を変えて、教育を変え、そして、家庭を変えていく。縦の循環を作り上げる。

教育に存在の力を入れ込む

 教育を変えるポイントは何か。自分の存在の力をなるべく、多様化すること。早めに、自分の職業を決めること。会社ではなく、サファイアの中の役割です。会社に入って、指示を受けるのではなく、自分がやるべきことをやる。

 14歳ぐらいに自分の適性を自分で決めていく。世の中の配置をどう決めていくのか、4つのスタンスに変えていく。

 教育をどこに入れるか、本・図書館編を拡張させます。生涯学習を含めて、学校教育もその中に入れます。

 生涯学習は、6.4.4です。教育は、6.4.3ですから、「知識と意識」はその前の方にすべて集約します。働く意味は、8.8.4です。

 未唯空間の項目に対する考え方は、点は集合であり、集合は点であるので、いつでも互換できる。点の概念が変わってきています。そこが入口だということです。中に、色々な位相を持つ空間です。

家庭に存在の力を入れ込む

 家庭での役割を変えていく。それらの項目を未唯空間上でどこに作っていくのか。家庭での役割は、自分の分だけでなく、家庭そのものを変えるということで、社会編ではなくで、生活編に入れ込みます。

 家庭は7.6,1に入れます。存在の力でどう家庭を変えていくのか、循環をどう断ち切るのか。子どもに対する感覚を変えていくことです。これは宇宙の旅人からの転用になります。現在あるエッセイは生活の中に入れ込みます。もう少し、膨らませます。それらをまとめるのはテーマで行います。家庭・教育・仕事と循環の変遷です。

スタバのクリスマス

 スタバのカードはあと1200円です。一回400円として、三日分です。どう見ても、11/1までは待たない。ショートですね。2000円、途中で入れます。

 高級車販売店は小笠原流だけど、普通のお店はスタバに習った方がいいです。あとは、アップルショップの店員に習うことです。

 二胡の券を買いました。ガラガラみたいですね。のんびりと聴けそうです。

フェイスブックの「いいね!」の情報力

2014年10月25日 | 5.その他
『買いたがる脳』より アップルストアも実践する「人的きっかけ」 フェイスブック戦争

マーケティング担当者にとってフェイスブックの最も貴重なデータは、おそらくユーザーの「いいね!」に関する情報である。

ケンブリッジ大学の心理学者ミハエル・コジンスキーとデイビッドースティルウェル、マイクロソフトリサーチのトレーグレイペルの共同研究によって、「いいね!」を調べれば個人の年齢、知能指数、人種、性格、性的指向、宗教、政治的志向、喫煙の有無、薬物使用、飲酒などをかなり正確に予測できることが明らかになっている。

3人の共同研究では、「myPersonality」というフェイスブックのアプリケーションを制作し、「知性」「競争力」「人生に対する満足度」に関する心理テストに任意で回答してもらい、同時に「外向性」や「内向性」についても検証した。協力してくれたアメリカの5万8000人のフェイスブックユーザーの回答内容を、本人のプロフィールや友達のデータとともに分析すると、「いいね!」のデータから個人のさまざまな特性をかなり正確に予想できた。ビジネスヘの応用の可能性も高い。

たとえば、同性愛者かどうかは、男性の場合88%、女性の場合75%正しく判断し、アフリカ系アメリカ人か白人かは95%、支持政党は85%、宗教は82%、喫煙の有無は73%、アルコールの摂取は70%、薬物使用は65%という的中率になった。また、ユーザーが21歳になるまでに両親が離婚しているかどうかなど、それほど重要でもない個人情報も60%正確に予測できた。

さらに、「知能指数」「感情の安定性」「寛大さ」「外向性」といった把握しにくい特性の分析も正確だった。「いいね!」の項目のなかには、何の脈絡もなく無関係に思えるにもかかわらず、強い相関の見られるものもあった。たとえば、カーリーフライ(らせん状のフライドポテト)が好きな人はIQが高く、「人間がクモを怖がるよりも、クモのほうが人間を怖がっている」と思っている人は喫煙者よりも非喫煙者に多い、などである。

同じ研究では、「いいね!」をクリックして積極的に本人の特性を明らかにするユーザーは、かなり少数派だという状況もわかっている。同性愛者の結婚式の話題に「いいね!」をクリックした同性愛者のユーザーは、5%にも満たない。したがって正しく予想するには、有益性は劣るかもしれないが、もっと一般的な音楽やテレビ番組などに対する「いいね!」のデータを、膨大に収集しなければならない。

集まった信頼度の高い詳細な個人情報は、マーケティングや広告業界にとって大いに価値あるデータと考えられている。だが同時に、悪用の可能性も懸念され、ミハエル・コジンスキーは次のように指摘している。私自身、フェイスブックをはじめとする革新的技術は大好きで、積極的に利用している。おすすめ機能にも感謝している。だが、そのデータや技術が政治的志向や性的指向の予測に応用されると、自由の侵害、さらに生命の脅威につながる事態も想定される。

心理測定学者のデイビッド・スティルウェルも、プライバシーの設定には一層注意が必要だと考えている。もしフェイスブックが収集した個人情報の商業利用を、プライバシー侵害だと思うのであれば、全面的に信頼しすぎないように気をつけているかもしれない。一般的な市場調査会社にくらべて、フェイスブックは隠し立てなくあらゆる個人情報の収集を続けている。

アマゾンをはじめとするオンライン・ショッピングの運営会社も、顧客情報の収集に力を注いでいる。たとえばキンドルで本を読むと、タイトルはもちろん(イライト箇所、めくったぺージ、最初から最後まで読んだのか、拾い読みしたのか、どの部分を拾い読みしたのかまで記録される。それらのデータを分析すれば、個人の興味や好みにあわせたマーケティングができる。

だが個人情報を収集しているのは、グーグル、アマゾン、アップル、マイクロソフトといった有名企業だけではない。無名に近い企業も密かにデータを集めている。

アーカンソー州リトルロックに本社のあるアクシコムは、年間売上11億5000万ドルの「一般に知られていない最大の企業」と呼ばれる。イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ポーランド、オーストラリア、中国、ブラジル、アメリカ全土で事業展開するグローバル企業であ

アクシコムには、ほぼすべてのアメリカの世帯、5億人を上回る世界各国の消費者に関するデータが蓄積され、男性、女性、子ども別のそれぞれ約1500項目の情報が集められている。従業員によると、データという商品を生産する大規模工場のようなものである。

巨大なサーバーにゼタバイト単位(バイト単位にするとゼロが21個並ぶ)のデータが蓄積されているにもかかわらず、アクシコムの個人情報は市場全体の12%にすぎない。残りの88%の情報は、さらに秘密裏に情報収集している企業が保有している。アクシコムの報告書によると、天文学的データのどこかに、購買行動やブランドの好き嫌いの手がかりとなるパターンや行動がかくれている。その可能性のある膨大な元データを組み合わせてシステム化し、実務に役立つ具体的な知見を見つけ出すのは相当な難題である。

若者が創造するネット上のパブリック

2014年10月25日 | 3.社会
『つながりっぱなしの日常を生きる』より ソーシャルメディアとは何か? ネットワーク化されたパブリックの影響力

この本で論じられた問題の数々は、しばしばティーンの公共空間への意義あるアクセスを獲得することへの興味と仲間とつながりたいという欲望を前提としている。多くのティーンは、先行する集団に占拠された場所と空間を取り戻すために闘う代わりに、別の手段を取ってきた。彼らは、彼ら自身のパブリックを創出したのだ。ティーンがソーシャルメディアを魅力的だと感じたのは、ティーンが友達にアクセスすることを可能にし、身体的にはベッドルームにいながらより広い公的な世界にも足を踏み入れる機会を提供したからである。ソーシャルメディアを通して、彼らは人と情報のネットワークを築いた。結果として、彼らはネット上のパブリックに参加すると同時に、その創出の手助けをしているのである。

序章およびこの本の全編にわたって論じた通り、ネット上のパブリックはネットワーク化されたテクノロジーに依存すると同時に、人々を新たなかたちでつなぎ、意義深い想像されたコミュニティを生み出す公の社会としての役目を担う。様々なパブリックの存在は、政治的なアクションを実現するというだけでなく、私たちが社会的世界を築くメカニズムを提供するという意味においても重要である。つまるところ、パブリックは社会の基盤なのだ。

人はパブリックヘの参与を通して、他の人々についての感覚を育み、それは理想的には寛容と尊敬として現れる。法は特定の領域に関して何か受け入れられて何が受け入れられないかについての具体的な規則を提供するが、ほとんどのやりとりを形づくっているのは社会的規範だ。人は自分が棲息し理解しているパブリックにおいて見られるものを参照して自分たちのふるまいを集合的に調整しながら、何が標準的なのかの感覚を育む。だからといって世界はもともと安全なものだということにも、人は常に隣人を尊敬するものだということにもならないが、しかし公共性を支える社会的手続きは、共通の文化的基盤を作り出すことによって、人へ向けられる憎しみを和らげている。

ティーンはパブリックヘのアクセスを求め、そこで見ると同時に見られ、社交し、学校と親によって形づくられた窮屈な場所を超えて世界を探求する自由を感じたがっている。概して言えば、かつて社会が市民生活から女性を排除していたように、私たちは公共生活の多くの局面へのティーンエイジャーの立ち入りを禁止している。大人は若者を排除することを、彼らのためであるとか、彼らの経験や認知能力の欠如への必要な対応であるとして正当化する。

若者の多くは、彼らの社会的立場をただ受け入れるのではなく、社交的なものから政治的なものまで多種多様な公共性にアクセスし参加する方法を見つけようとして激しく要求する。多くの場合、彼らはそうするためにソーシャルメディアその他のネットワーク化されたテクノロジーヘと向かう。

ティーンがオンラインですることを、彼らのより広範囲にわたる欲望と関心、態度と価値観から切り離すことはできない。彼らのネット上のパブリックとの関係は、公的生活に参加することへの彼らの関心を示している。つまりそれは彼らがヴァーチャルな存在になろうとしているとか、現実から逃れるためにテクノロジーを利用しているということではない。ソーシャルメディアその他のテクノロジーヘのティーンの参加は、もっと大きな世界へ参加するひとつの方法なのだ。

アメリカのティーンが生きている世界は囲い込みが厳しくなっている。彼らの生活は親と制度的な力の両方によって統制されている。ホームスクーリング〔在宅教育〕という選択肢があるとはいえ、学校での義務教育は現代社会の現実だ。いつ、どこで、どのように彼らが集うことができるかを規定する法は、ティーンの活動と可動性を形づくる。同じような調子で、ティーンの世界観は、もっと一般的にアメリカ社会を支えている文化的力学の影響を受けている。彼らはさらに大きな文化的価値観を伝えるメディアの語りに晒され、消費主義かつ商業主義的な性質を持つ社会構造の中で暮らしている。

ティーンが棲息するネット上のパブリックは、国営・公営という意味での公ではない。事実、ティーンが遭遇する公共空間のほとんどは、モールの中であろうとフェイスブックの中であろうと、私有されているものだ。彼らの存在とそこに残す痕跡はしばしば商業的な関心のために利用される。彼らは学校を含む訪れる場所のほとんどにおいて、オンラインマーケティングのターゲットなのだ。アメリカの子ども時代にみられるこの傾向は、インターネット以前からのものだが、しかしこれがソーシャルメディアによって強化され、ネット上のパブリックに現れていることに疑いの余地はあまりない。この本は、これまで多くの優れた学者たちがしてきたようにこの仕組みを批判しようというのではなく、それをそのまま受け止めている。なぜならこれが今日のティーンが知っている唯一の世界だからである。ティーンはこのネットのありかたを受け入れている。なぜなら、いくら欠点だらけとはいえ、このソーシャルメディアが提供する空間とコミュニティは、公的生活への意義あるアクセスを探求する彼らにとって手の届くものだからだ。彼らがアクセスできる商業主義的なネットの世界は理想的ではないかもしれないが、それは彼らが経験する可動性の制限とも、彼らが生きているがんじがらめの生活とも違うものを提供しているのだ。

コミュニティにおける共感の条件--「超越性」と「内在性」

2014年10月25日 | 3.社会
『こころの病気を治すために「本当」に大切なこと』より コミュニティの力を

加藤行夫は『悲劇とは何か』(研究社)のなかで、悲劇が観客に共感されるための条件として、超越性と内在性との間に広がるグラデーション構造の重要性を挙げています。

超越性とは「真実」を知っている人知を超えた存在、内在性とは普通の人々が身近さや親密さを感じるような存在を意味します。悲劇が共感されるためには、その悲劇を救済してくれるような超越性と、そうした超越性と普通の人々をつなぐ媒介者が必要だということです。

同じようなことが、台湾の寺廟で行われている儀式にもあてはまります。

絶対的な存在である神様を中心に、位の高い法師やシャーマン、寺廟の運営委員、古参の信者、新参の信者といった順番でグラデーション状のコミュニティが作られています。この中の運営委員や一部の古参信者が、「超越性」と「内在性」をつなぐ立場にあるのです。

相談内容が難しく、何度来てもなかなか現状が変わらなかったり、神様のお告げに納得できなかったりする人もいます。そういう時には、古参の信者が「自分がお願いした時も同じでしたよ」と、自分の経験を引き合いに出して相手を労わるのです。

儀式という半ば公然の場で、困っていることを相談すること自体が、悲劇の舞台を連想させます。当然、神頼みですべてが好転するわけではありません。

実際に機能しているのは、その悲劇に共感し、困っている人を受け止めるコミュニティであり、その「超越性」と「内在性」をつなぐグラテーション構造なのです。

「超越性」と「内在性」をつなぐグラテーション構造の広がりが大きければ大きいほど、「超越性」が保証され、普段はあまり神様を祭っていない普通の人でも、気軽に参加して相談できるのです。ちなみに、「超越性」と「内在性」という一見相矛盾した特徴か、儀式で繰り返し確認されることは、社会学の創始者の一人であるエミール・デュルケム(1858-1917)の考えにさかのぼります。

精神医療をひとつの文化として社会的に考えてみます。

「超越性」は、私たちがなぜ病気になるのかという「病気の真理」、あるいはそれに答えようとする医学知識や医師の専門性にあたるのかもしれません。では「内在性」についてはどうでしょう。

医学の専門知識を持たない普通の人が、病気を治療可能なものとして前向きに受け止めたり、服薬を中断せずに再発予防に努めたりするには、必要な知識を身近なものとして内在化させる媒介者の存在が必要です。

たとえば、薬を飲みたがらない患者さんは、どうすれば薬をきちんと飲むようになるのでしょうか。

医師が「薬をきちんと飲まなければ、病気が悪くなりますよ」と一対一で服薬指導をしても、あまり聞き入れてもらえません。しかし、医師だけではなく、他の患者さんと一緒に服薬について話し合ったらどうでしょうか。

「この人も病気を治そうとがんばっているんだ」という親近感が生まれてくるかもしれません。そして、その患者さんから「私も以前はそうした症状で苦しみました」といった話をされると、「どうしたらそんなに良くなったのか」、「良くなるためにどんな工夫をしてきたのか」聞いてみたくなるのではないでしょうか。

同じ立場の患者さんの「私は薬を止めたら、再発してしまいました」とか「薬を飲むことで、いまの職場で働けているんです」といった実体験に裏づけられた話には説得力があり、共感を得られるに違いありません。そして、それは治療の促進につながるはずです。

このようなことを台湾で論文にまとめ、帰国後の就職先を探していると、「治療共同体」という治療法を実践しているA病院を知りました。そういえば、かつて京都のある集まりで、A病院の院長に紹介されたことがありました。

台湾でコミュニティの持つ力に開眼した私は、そのA病院で三年ほど働くことになるのですが、本章ではそこで学んだ治療共同体について解説していきます。

パートナーの異動

2014年10月24日 | 1.私
ブラックスワンを予告する

 今、考えていることがブラックスワンにならないようにすることだけをとりあえず、やりましょうか。皆があまりにも当たり前と思っていることがそうでないことを示すだけです。

 大企業にいる人は、タイタニックのように、大きな宇宙船に乗っているような気がするものです。実際、注意を怠るとひとつの流氷でこけるんです。

 世界宗教、ムスリムにしても、あのような急激な普及が予測できるものはいない。ましてや、あんなところから生まれるとは。マケドニアからアレキサンダー、蒙古からジンギスが生まれた時も同じです。理由の後付けはできます。マケドニアの風土から、いかに急激な行動ができるか、というところです。今の段階でも、宗教というカタチを使えば、一気に広がる可能性はあります。

ウェアラブル

 ウェアラブルにするためには、服装を気をつけないといけない。650を入れるところが必要です。小さなノートにしましょうか。大きなノートは持ち運びは難しい。小さなノートに650をくっつけます。一番、関心を持っているものをフロントに起きます。視力からして、さほど持たないから。かすんで見えます。

 650は指の間に入れましょう。それを落とさないように輪ゴムでつなぎます。それが一番簡単です。何しろ、ウェアラブルを狙います。頭が活性化できるように。メガネは邪魔だから、使わないようにしましょう。ケースを持って、歩きましょう。そこに保刈り込んでおきます。使う時はほとんどない。

退職後の生活

 今週ぐらいに、図書館での入力を試しましょう。会社がない時点に生活を合わせます。

 最終であることの意識です。年内に最初のバージョンを出しましょう。どんなものになるか分からないけど。

哲学者の悩み

 サルトルもウィットゲンシュタインも昔と比べると、感覚が違ってきた。彼らの悩みと私の悩みがつながってきた。

キーワードの連鎖

 まずは、キーワードの連鎖を創りましょう。出発点は決まっています。

 宗教は突然に起こるというから、宗教の考え方と伝播する要素を考える。ベースがあるところで、チェーン化される要素。宗教は役に立ちます。見えるものをどうするかです。上にあげるしかないでしょう。

 やはり、絞り出さないとダメです。頭のどこに沈殿しているのかわからない

宗教的伝播

 その意味では、宗教的伝播を狙いましょう。ムスリムはいい奥さんを持っていたけど。ゲームという名で宗教をぶち込めばいい。考えていない連中は言うことを聞きます。どんな魅力的な女性も対象にできます。Iさんとかパートナーなどの考える人間とか本を読む人間はその範疇に入っていない。

 最終的にはケータイにぶち込む形です。今は何しろ、反発です。

図書館カード紛失

 図書館のカードの一枚がない。これでは、15冊しか借りられない。ショックです。なくなることは考えられない。

スタバのクリスマス

 クリスマスは11/1からだそうです。すぐですね。その前に二胡の券を手にしてましょう。

教育・仕事・家庭の日本的循環

 教育・仕事・家庭の変換構造をどのようにサファイアに入れ込むか。縦型か横型なのか。元々、循環が崩壊とあるけど、この三つの関係が循環として成り立っていたのか。その意味ではサファイアに位相を入れ込むのか。それを数学的モデルとして、成り立たせるためにどうするのか。そこから答えを持ってくるのか。

パートナーの異動

 パートナーが11月から異動するって。それも最悪なところへ。吉と出るか、凶と出るかわかりません。このなったら、完全に販売店志向に入っていくしかない。だけど、今の業務はうまくいかないです。販売店の心を捉えていない。

 もっと、わがままで行かないといけない。それだけの力を持っているということ。販売手から考えていくしかない。それがダメなら、止めればいいと言えないです。ここまで来た以上は人生を貫徹できない。

 今まで、1時間15分、グルグル回っていたけど。録音の端子を間違えた。声が入っていない。まあ、そんなもんでしょう。どうなる。22時6分。意地を見せる時でしょう。こんな目に合わされて、黙っていることはない。

テーマの検討

2014年10月24日 | 1.私
サルトルの自由

 自由が起こす自己欺瞞、自由からの回避、サルトル

ハレーすい星

 やはり思った通りにはならない。パートナーの場合はそうでしょう。パートナーが言い出したことはその通りに進むけど、それ以外のものはその通りには進まない。

 「ハレー彗星は70年周期だから、ゆっくり待つは」とは。太陽がなくなれば、ハレーすい星は戻ってこない。そんなところでしょう。

テーマの検討

 テーマの考え方。根幹の部分です。ジャンルを完全に超えます。そこで何がポイントなのか。共鳴剤ではない。大きな流れとして、全体から部分に来て、部分が全体をカバーする。そのプロセスと前提条件を最初にあげないといけない。

 だから、カバーリングは大きな要素です。その時にサファイアがどんな関係になるのか。部分から全体へ回すために必要なサファイア。サファイアも答えだけではない。途中のプロセスです。大きな塊の中の一つです。モデル化するところの一つのやり方であると同時に、現在なされていない循環をどうするのか。

 ローカルを育てるための存在の力と意思の力。最終形の市民=超国家、次の次の世界。

 社会の位相化の部分は大きなテーマなのか。ローカルなるときに必然的にその形になる。

 会社の未来はクルマ社会でどうなっていくのか。一メーカーの問題ではない。もっと、大きくなっていきます。そして、日本の問題です。そういう意味ではなく、ジャンルではなくて、テーマで全体の絵を描いた方がいい。その名観で考えないと、関係まで踏み込めない。

 コミュニティは一つの機能として、横軸を持っている。そこで何か必要なのか。情報共有の拠点であると同時に、分化の場であり、国を変えるところまで行きます。

 これだけ大きな空間を人間の頭でカバーできるのか。パソコンはあまり役に立ちそうもない。何次元になるかわからないけど、空間を作らないといけない。これだけの意匠が一つの目的に向かっているのは脅威です。やってみて初めて分かった。それをどうやっていくかです。ジャンル分けを超えていく。

あと二ヶ月でどこまでやる

 サファイアの数学理論化にしても、たやすいものではない。十年・二十年かかるような代物ですけど、数学者は一瞬で解くしかない。どう見ても、あと二ヶ月では、ディーテイルまではできそうもない。

 最終的には、大きな意志が示す偶然に従うことになります。

偶然を使いましょう

 思いをもって仕掛けるのは得意ではないみたいです。それを知らせてくれたんでしょう。思いがけない方で動いていくもんですね。急にIさんが現れてびっくりしました。

 Sが動き出してきた。ヤバいですね。あの小さな頭では碌なことは考えない。まあ、それも一つの方法です。その偶然をどう生かすか。

 やはり、二人で話し合うことはないでしょう。あんなもんでしょう。Iさんは熱を持つと、頭に汗が出て、髪の毛がヘタッとします。あれがかわいいですね。

 早いな。もう一週間か。あと二ケ月。この間ので、ジャンルを超えたシナリオができたけど、それが形になっていない。土日で一回、まとめましょう。

 これを突破できる本が見つかるでしょう。過去の読み返しも、この観点で変わってくるでしょう。それと、全体をここまで来たら、あまり決めつけないということです。幅を持たせるというよりも、もっといい加減にします。細かいところはどっち道、実証できないから。

 やはり、Iさんは優しい。今日、急にあらわれたのも、来なくても済んだけど、気にかけてくれたのでしょう。あわてて出てきたのは、一目瞭然です。あの必死さには打たれます。だけど、パートナーとは合わないですね。

豊田市図書館の15冊

2014年10月24日 | 6.本
未唯宇宙の最終章に入る。年内を第一次のターゲット

豊田市図書館の15冊 カードが一枚無くなったので、15冊。考えろの啓示!

146.8『依存症臨床論』援助の現場から

319『国際政治の構造と展開』

070.17『<報道写真>と戦争一九三〇-一九六〇』

675『買いたがる脳』なぜ、「それ」を選んでしまうのか?

124.22『タオを生きる』

367.65『つながりっぱなしの日常を生きる』ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの

689.21『インバウンド戦略』人口急減には観光立国で立ち向かえ!

289.3『わが半生』

368.4『最貧困女子』

188.86『道元「典座教訓」』禅の食事と心

131.3『饗宴 恋について』

188.51『空海「秘蔵宝鑰」』こころの底を知る手引き

304『もじれる社会』戦後日本型循環モデルを超えて

493.7『こころの病気を治すために「本当」に大切なこと』意外と知らない精神科入院の正しい知識と治療共同体という試み

230『ローマ亡き後の地中海世界4』海賊、そして海軍