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『戦争から戦争』モラン著

戦争から戦争
ウクライナ戦争を終わらせるための必須基礎知識
エドガール・モラン著

なぜウクライナなのか

ウクライナはロシアと起源を同じくする民族であるが、歴史的にポーランドと オーストリア帝国に分断され、その後大部分がロシア帝国に組み込まれた。 ウク ライナはロシア語と似通った固有の言語を有し、ロシアに支配された他の民族と 同じく、十九世紀に知識階層が主導する独立運動の流れがつくられた。

一九一七年の十月革命に引き続く戦争と混乱のあいだ、 ウクライナはアナキス ト、マフノ[ネストル・マフノ (一八八八~一九三四)]の領導のもとに独立を宣言したが、ボリシェヴィキに制圧されソ連に組み込まれた。

ソ連はウクライナの言語と民族文化を許容したが、 自治の願望は抑圧した。 ウクライナの肥沃な土地は強制的にコルホーズ化の対象となり、多くの富農 (ク ラーク)が追放され、一九三一年には大飢饉に見舞われた。このためロシアに対 する大きな怨恨が生まれた。ドイツ軍がキエフにやって来たとき、住民の一部が これを拍手で迎えた映像をナチスが撮影しているが、そこにはこういった経緯が存在したのである。

しかし深刻な問題は、ドイツに亡命したウクライナの独立運動が、ステパーン・バンデーラの指導下にナチス権力と結びつき、ドイツ軍がウクライナに侵攻 し占領したときドイツ軍に協力したことであった。 ウクライナの独立運動はナチ スに従属する行政機関を構成し、占領軍の権力濫用に与し、ユダヤ人の虐殺などにも関与した。ワシーリー・グロスマン [ウクライナ生まれのソ連の作家]はウク ライナがナチスから解放されたとき、自分の母親がウクライナ人の手で殺された ことを知り、苦しみに苛まれたことを告白している。セルジュ・クラルスフェル ト [ナチスの犯罪を追及したことで知られるフランスの歴史学者・弁護士]が伝えているように、一九四一年のキエフの街路には、ナチスに協力したバンデーラの率いるウクライナのナショナリストの、次のようなスローガンが掲示されていた。 「われわれの敵はロシアであり、ポーランドであり、 ユダヤ野郎である」。バ ンデーラは一九四一年、ドイツ軍占領下で、 〈独立ウクライナ共和国〉の樹立を宣言する。UPA (ウクライナ蜂起軍) のなかにウクライナ人の兵士が組み込まれ、 戦後も [ロシアの] 赤軍と戦い続けるが、一九五四年に壊滅する。 これとは逆に、 ドイツの占領軍に抗してパルチザン活動を行なったウクライナ人がたくさんいた ことも言っておかねばならない。

かくして、二〇二二年にウクライナのために参戦した外人志願兵には、二種類 の型があることがわかる。 ひとつは、民主主義的理念によって鼓舞された者、も うひとつは、ファシスト的理念によって鼓舞された者である。
ウクライナはソ連の解体に伴って一九九一年から独立している。 ウクライナはき わめて豊かな穀倉地帯であり、鉱物資源や工業資源にも恵まれている。 ロシアは十九世紀からこの地を工業化した。 二十世紀に入って、ソ連はドンバス地方に重 工業や原子力発電所を据え付け、この地方にロシアからの労働者、流刑者、 技術 者が住み着いた。 独立国家ウクライナはこのロシアの遺産の恩恵を受け、 技術経済的発展を追求し続けた。

ロシアがウクライナを占有しようという意志につき動かされた侵略者であり、 その行動が人間や財産や建物を破壊するものであることはたしかである。他方、 アメリカが、マイダン革命以降、ウクライナ政治の黒幕として経済のなかに浸透 し、ウクライナの情報・諜報システムにとって不可欠の貴重な支援を提供してき たこともたしかである。

ウクライナは、ロシアに隣接するというその地政学的位置と経済的継承財産の ために、スラブ帝国を再建しようという夢を持ち続けているプーチンのロシアに とって重要な標的であるが、 NATの基地をロシア国境にまで設置しようとす るアメリカにとっても、同様に重要な標的である。 実際上、 ウクライナは二つの帝国主義的思惑がぶつかりあう地点なのである。一方は、スラブ世界への支配力を維持し、アメリカの影響下にある隣接国家から身を守ろうとし、他方は、このウクライナを欧米世界のなかに統合し、 ロシアから世界的超大国としての位置を奪い取ろうとしている。 アメリカはウクライナを媒介として利用することによってロシアを持続的に弱体化させ、地球規模のヘゲモニーの維持にとって障害とな るもののひとつ――もうひとつは言うまでもなく中国である を除去しようと しているのである。

独立国家ウクライナはおおいに変化した。 ウクライナは都市化が進み生活習慣 は欧米化した。民衆の反ユダヤ主義は弱まったが、これはおそらく反ロシア主義 のためであろう。

ウクライナの国家社会主義者は少数派である。 バンデーラ主義はたしかに高揚 したが、それは人々がロシアからの独立を求めたためであり、ドイツの占領を助けたバンデーラ主義を支持してのことではない。

ロシアと同様ウクライナでも、経済の全般的非国有化は少数の支配的権力者 (オリガルヒ)に利益をもたらし、 汚職が蔓延した。
ウクライナでは、独立してから親ロシア政権と親欧米政権の政権交替が繰り 返された。二〇〇四年、〈オレンジ革命〉で親欧米大統領が誕生する。その後、 不正選挙が続くなかで、 二〇一〇年、親ロシア大統領が誕生し、 二〇一三年にE U(ヨーロッパ連合)との連合協定を見送る。
親ロシア大統領と親欧米大統領が相次いで登場した背景には、西洋的民主主義 とロシア専制主義とのあいだで大きな紛争があっただけではなく、アメリカ帝国 主義とロシア帝国主義の大きな紛争が控えていた。

二〇一四年、キエフのマイダン広場における親欧米民主主義革命が、親ロシア のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領を打倒し、ロシアによる支配からの離脱傾 向が強まる。しかしこれは、ドンバス地方のロシア語を日常語とする地域の分離とロシアによるクリミアの併合を引き起こす。 二〇一五年、西ヨーロッパの主要国を後ろ盾にして、ロシアとウクライナとのあいだでミンスク協定[ウクライナ東部における停戦合意]が成立するが、それでもウクライナ軍とロシアに支援さ れた分離勢力との戦争を終わらせることはできなかった。 ミンスク協定はウクラ イナによってもロシアによっても守られず、戦争はドンバス地方の前線で続き、 二〇二二年までに一万四千人の死者がでた。 この持続的戦争は紛れもない悪性の膿瘍となり病毒を拡散した。

したがって、私が二〇一四年に書いた論説で告知したように、すべての状況が爆発に行き着くことは予見可能であった。
二〇一九年五月、 ユダヤ系の出自が知られていたにもかかわらず、政党嫌いの ウォロディミル・ゼレンスキーがウクライナの大統領に就任する。 それはゼレンスキーのコメディアンとしての大衆性だけによるものではなく、彼の政党嫌いと 反汚職計画にもよるものであった。

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