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スターバックスの業績の失墜と回復

『実践!行動経済学』より

モノまね思考--「モノまねしない」方が本当は楽

--先ほど、アメリカのスターバックスの業績が一時、急落した話か紹介されました。

これは、数店舗の規模から世界的チェーンヘと育て上げたハワード・シュルツが二〇〇〇年にCEO職を引退したあと、引き継いだ経営者たちが、投資家の要請に応えて急拡大路線に転換したのが裏目に出たとされます。

顧客は何ブロックも先まで歩かなくても、手近なスタバの店に入れるようになった半面、コーヒーの味は落ち、店内にはホットサンドイッチのチーズの焦げる臭いが漂い、スターバックスの持ち味だったパートナーと呼ばれる従業員の接客の質は低下し、顧客との対話も薄れ、「スターバックス体験」と賞賛された独自の価値が失われてしまった。

自宅でも職場でもない上質な「第三の場」を提供する独自のモデルから離れて、手軽さを追求し、ファストフード・チェーンと同じようなモデルに追随した結果の失墜でした。

結果として、ファストフード・チェーンのモノまねになってしまったわけです。

鈴木 モノまねの大きな問題点は絶対に本物以上にはなれないし、トップにも、ナンバーワンにもなれないことです。スターバックスの店舗数が急増し、身近な存在になっても、マクドナルドほどの手軽さを提供できなかったのは、モノまね路線だったからです。

モノまねをする経営としない経営、どちらが楽かというと、する方が楽なように思えます。これは本当のようなウソで、モノまねは進む道が制約され、差別化できないまま、やがて単純な価格競争に巻き込まれます。自分で勝手に制約をつくって苦しむのです。

一方、モノまねをしない経営は常に新しいことへの挑戦が求められ、一見大変そうに見えます。実際、新しければ新しいだけ、困難がともなうでしょう。しかし、全方向に広角度で自由に考えられるので、むしろ楽であるという発想に切り替えるべきです。

自己差別化が求められる時代にモノまねをしている限り、成功はありません。

--スターバックスもシュルツが急きょ、トップに復帰し、再生にとりかかりました。

その改革の苦闘を自ら『スターバックス再生物語』という本で綴っています。リストラという苦渋の決断をする一方で、新製品の開発や業務の改革など、次々と手を打ち続け、一年半後には業績が見事に回復します。

要因は複合的でしょうが、本の記述で印象的なのは、シュルツがひたすらパートナーたちに直接語りかけ、改革や革新に向けた挑戦を求め、互いの信頼感を取り戻そうとしたことです。「手を泥だらけにして頑張ろう」と、シュルツが手を前に掲げて呼びかけると、泥まみれの手を映したポスターが自発的につくられ、オフィスに張られたりもしました。

自己差別化を進めるには、一人ひとりがモノまねではなく、独自のアイデアと創意工夫を生み出していく必要があります。もともとスターバックスは店舗での従業員一人ひとりがサービスでの自己裁量ができるところに強みがありました。

鈴木 例えば、「単なる作業」と「本当の仕事」はどう違うか。「単なる作業」はあらかじめ答えがわかって行うのに対し、本当の仕事は自分で責任を持って挑戦し、答えを出し、問題解決をしていかなければなりません。

モノまねは、すでに答えは出ているため、相手が右に行けば右、左に行けば左に進むことになり、自分では仕事をしているつもりでも、単なる作業をしているにすぎないことになります。

一方、モノまねをせず、自己差別化していくには、本当の仕事が求められます。

人間は本来、責任ある仕事を任せられると自然に仕事にやりがいを感じ、自主的に仕事をするようになるという本質を持っています。

--スターバックスの業績の失墜と回復は、モノまねをする経営は仕事の「作業化」をもたらすのに対し、モノまねをしない経営は社員のやりがいを引き出し、それが成果に結びつくという好循環をもたらすことを物語っているようです。
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