『ひとびとの精神史 万博と沖縄返還』より 山本義隆--自己否定を重ねて
沈黙という総括
全共闘(全学共闘会議)に関わった有力な者たちは、総括しないでごまかしていると批判される。あれだけのことをしておいて、都合の悪いことにはふたをして生きていると言われる。かく言うわたしなどは、「職業的恥知らず」と言われたりする。
「総括」とは、自分の属した組織や体系的イデオロギーを批判する、それなりに論理的に、あるいは理屈ばった筋合いのものだ。全共闘のような組織ならざる組織の場合は、総括しようとすると、私小説のようになってしまう。あるいはきわめて短い文言でいうほかない。また矛盾、自家撞着を気にせず思ったことをその場でいう「アドリブ派宣言」ということになる。たがいにぶっかり合って雑音にしかならないにしても、それが思想だということの表明である。
山本の場合は、以後沈黙に価するという、一つの典型の総括を行った。
自己否定に自己否定を重ねて最後にただの人間--自覚した人間になって、その後あらためてやはり物理学徒として生きてゆきたいと思う。
これである。総括は新しい出発、スプリングボードでもあるのだが、この山本の総括には、そのことの意味合いがごく強く出ている。「自己否定の果てにただの人になる」。「ただ」とは「直」であり、「まるごと」に通じ、介在することがないゆえに、「全体」と「無条件」を指し示す。まるごとの「全体」は「無条件」なのだという言い方である。「ただの人」とは全体性を回復した本来の人である。
わたしたちは、条件にがんじがらめにされているものの、無意識に「全体」に則って暮し、半意識的に「全体」を目指しているが、では「全体」とは何か、と正面から取り上げると、容易ならない問題になってくる。ひとつ例を挙げる。
自分の私的な利益は括弧に入れ、社会全体の利益になることは何かをみずから考えること、自分と意見を異にする者たちとのあいだでオープンな議論を重ねることにより合意形成を目指すことは、民主主義社会に生きるすべての者に課せられた義務なのです。全員がこの義務を自覚的に引き受けないかぎり、民主主義は成り立ちません。反対に、この義務が義務として認められているかぎりにおいて、選挙区のあいだに一票の格差があり、さらに、たとえば有権者数や投票率に関し世代間の格差が生れるとしても、少なくとも約束としては、このような事態は、それ自体としては「法の下の平等」を損ねることにはならないはずです。
みんなが社会全体を同程度(=平等)に考えるなら一人一票という形式の中身に軽重が生じてもそれは民主主義を損なうものではない、というのである。
全体という言葉自体いやな響きをもっている。しかし、「一体全体どういうつもり」などという日常の会話の中でも、全体という言葉を使っていることに気づく。六〇年代末、条件なしの全体ということが、おおよそ無意識であれ、しのびよって頭を占めるにいたる情況があった。
自己否定を重ねて
一九七五年、山本は、徹底したすり足の開始の一つの結果、そして長い道のりの開始の印を示した。廣松渉に薦められたカッシーラーの『アインシュタインの相対性理論--哲学からみた物理学の革命』(河出壹房新社、一九七六年)の翻訳である。一九世紀末、生物学では、生気論に代わって生命の全体性(ホーリズム、J・S・ホールデン)が打ち出され、物理学では実体に代わって、相対性(関係性)へという、大きな変化が起ころうとしていた。そして二〇世紀、科学と哲学は、相対の絶対、関係の全体(最早何ものとも関係を持だない自立自発体)に向かって歩み出すことになる。その重要な結節になるカッシーラーの『実体概念と関数概念-認識批判の基本的諸問題の研究』(みすず青房、一九七九年)を山本は続いて訳すことになる。若手の全共闘で五九歳で亡くなった小阪修平は、自分を相対の絶対(事実性としての自分)とみなした。表現は違うが問題意識は同じである。
一九七六年から、山本は駿台予備校の教師になり、生活の糧の安定を得て、以後、難病のバージャー病や無呼吸症候群、頭痛にせめられたりしながら、無条件な全体に向かっての、人の認識、ものの見方の軌跡を克明にたどってゆくことになる。それが『磁力と重力の発見』(全三巻、みすず貴房、二〇〇三年、大佛次郎賞、毎日出版文化賞、パピルス賞受賞、『一六世紀文化革命』(全二巻、みすず書房、二〇〇七年)、『世界の見方の転換』(全三巻、みすず書房、二〇一四年)などになって世に出る。また並行的に東大全共闘の資料集成『東大闘争資料集』全二三巻(68・69を記録する会、一九九二年)を完成させた。山本は科学史家と自ら名乗るようになる。
わたしはと言えば一九七六年、無条件の全体を秘めているかのような、あるいは体現しているかのような、星子という重度複合障がいを表してゆく四人目の子どもが生まれ、以後、星子御用達の三助として、眼の見えずもの言わぬ星子と対話を続けることになる。「自己否定を重ねて」は、当然ながらわたしの問題でもあるのだが、それは「漂私」(最首悟「〝漂私〟の思想 この二o年」『情況』一九九〇年七月号)に対してのこととなったため、さらに先行きはおぼろである。
二一世紀に入って、ハンチントンが指摘した文明の衝突が現実化しようとしている。金融投機による富の偏重に示される自由主義に対して、全体への希求が高まろうとしていると言える。そしてそのことは一〇〇年前の時代の検討を必然のものとする。
全共闘は壮大なゼロと言われた。思想として収斂するものがないと言われた。その中で、科学技術の軍事化を肌で感じながら、無条件の全体に関わって、一〇〇年前の哲学に始まり、西田幾多郎、カール・バルト、滝沢克己に近づこうとする火種があった。その火種を宿した当事者を素描したが、二一世紀、その火種に息を吹き込む流れが、これから現れるだろうし、現れねばならない。
沈黙という総括
全共闘(全学共闘会議)に関わった有力な者たちは、総括しないでごまかしていると批判される。あれだけのことをしておいて、都合の悪いことにはふたをして生きていると言われる。かく言うわたしなどは、「職業的恥知らず」と言われたりする。
「総括」とは、自分の属した組織や体系的イデオロギーを批判する、それなりに論理的に、あるいは理屈ばった筋合いのものだ。全共闘のような組織ならざる組織の場合は、総括しようとすると、私小説のようになってしまう。あるいはきわめて短い文言でいうほかない。また矛盾、自家撞着を気にせず思ったことをその場でいう「アドリブ派宣言」ということになる。たがいにぶっかり合って雑音にしかならないにしても、それが思想だということの表明である。
山本の場合は、以後沈黙に価するという、一つの典型の総括を行った。
自己否定に自己否定を重ねて最後にただの人間--自覚した人間になって、その後あらためてやはり物理学徒として生きてゆきたいと思う。
これである。総括は新しい出発、スプリングボードでもあるのだが、この山本の総括には、そのことの意味合いがごく強く出ている。「自己否定の果てにただの人になる」。「ただ」とは「直」であり、「まるごと」に通じ、介在することがないゆえに、「全体」と「無条件」を指し示す。まるごとの「全体」は「無条件」なのだという言い方である。「ただの人」とは全体性を回復した本来の人である。
わたしたちは、条件にがんじがらめにされているものの、無意識に「全体」に則って暮し、半意識的に「全体」を目指しているが、では「全体」とは何か、と正面から取り上げると、容易ならない問題になってくる。ひとつ例を挙げる。
自分の私的な利益は括弧に入れ、社会全体の利益になることは何かをみずから考えること、自分と意見を異にする者たちとのあいだでオープンな議論を重ねることにより合意形成を目指すことは、民主主義社会に生きるすべての者に課せられた義務なのです。全員がこの義務を自覚的に引き受けないかぎり、民主主義は成り立ちません。反対に、この義務が義務として認められているかぎりにおいて、選挙区のあいだに一票の格差があり、さらに、たとえば有権者数や投票率に関し世代間の格差が生れるとしても、少なくとも約束としては、このような事態は、それ自体としては「法の下の平等」を損ねることにはならないはずです。
みんなが社会全体を同程度(=平等)に考えるなら一人一票という形式の中身に軽重が生じてもそれは民主主義を損なうものではない、というのである。
全体という言葉自体いやな響きをもっている。しかし、「一体全体どういうつもり」などという日常の会話の中でも、全体という言葉を使っていることに気づく。六〇年代末、条件なしの全体ということが、おおよそ無意識であれ、しのびよって頭を占めるにいたる情況があった。
自己否定を重ねて
一九七五年、山本は、徹底したすり足の開始の一つの結果、そして長い道のりの開始の印を示した。廣松渉に薦められたカッシーラーの『アインシュタインの相対性理論--哲学からみた物理学の革命』(河出壹房新社、一九七六年)の翻訳である。一九世紀末、生物学では、生気論に代わって生命の全体性(ホーリズム、J・S・ホールデン)が打ち出され、物理学では実体に代わって、相対性(関係性)へという、大きな変化が起ころうとしていた。そして二〇世紀、科学と哲学は、相対の絶対、関係の全体(最早何ものとも関係を持だない自立自発体)に向かって歩み出すことになる。その重要な結節になるカッシーラーの『実体概念と関数概念-認識批判の基本的諸問題の研究』(みすず青房、一九七九年)を山本は続いて訳すことになる。若手の全共闘で五九歳で亡くなった小阪修平は、自分を相対の絶対(事実性としての自分)とみなした。表現は違うが問題意識は同じである。
一九七六年から、山本は駿台予備校の教師になり、生活の糧の安定を得て、以後、難病のバージャー病や無呼吸症候群、頭痛にせめられたりしながら、無条件な全体に向かっての、人の認識、ものの見方の軌跡を克明にたどってゆくことになる。それが『磁力と重力の発見』(全三巻、みすず貴房、二〇〇三年、大佛次郎賞、毎日出版文化賞、パピルス賞受賞、『一六世紀文化革命』(全二巻、みすず書房、二〇〇七年)、『世界の見方の転換』(全三巻、みすず書房、二〇一四年)などになって世に出る。また並行的に東大全共闘の資料集成『東大闘争資料集』全二三巻(68・69を記録する会、一九九二年)を完成させた。山本は科学史家と自ら名乗るようになる。
わたしはと言えば一九七六年、無条件の全体を秘めているかのような、あるいは体現しているかのような、星子という重度複合障がいを表してゆく四人目の子どもが生まれ、以後、星子御用達の三助として、眼の見えずもの言わぬ星子と対話を続けることになる。「自己否定を重ねて」は、当然ながらわたしの問題でもあるのだが、それは「漂私」(最首悟「〝漂私〟の思想 この二o年」『情況』一九九〇年七月号)に対してのこととなったため、さらに先行きはおぼろである。
二一世紀に入って、ハンチントンが指摘した文明の衝突が現実化しようとしている。金融投機による富の偏重に示される自由主義に対して、全体への希求が高まろうとしていると言える。そしてそのことは一〇〇年前の時代の検討を必然のものとする。
全共闘は壮大なゼロと言われた。思想として収斂するものがないと言われた。その中で、科学技術の軍事化を肌で感じながら、無条件の全体に関わって、一〇〇年前の哲学に始まり、西田幾多郎、カール・バルト、滝沢克己に近づこうとする火種があった。その火種を宿した当事者を素描したが、二一世紀、その火種に息を吹き込む流れが、これから現れるだろうし、現れねばならない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます