『レイヤー化する世界』より 「国民」は幻想からやってきた
そしてこの「ひとつの国民がひとつの国」という国民国家は、たいへんな副効用がありました。それは、国民国家はめっぽう戦争に強かったということです。
なぜ戦争に強いのでしょうか? それは国民兵が「同じ国民」として強く団結して戦えたからです。
中世の帝国でも、その後の王政でも、たいていの軍隊では正規兵は少数の貴族の騎士だけで、残りは寄せ集めの傭兵でした。戦争をしようと思ったら、傭兵部隊にお金を出して来てもらわなければならなかったのです。
傭兵部隊でいちばん有名だったのはスイスです。寒くて山だらけで貧しい国だったので、軍事の技量を磨いて、お金を払ってくれるところならどこにでも出向いて戦ったと言われています。
傭兵を使えば、常備軍のようにふだんからお金をかけずにすみます。それに傭兵は戦争の専門家たちでしたから、訓練する必要もありませんでした。
しかしフランス革命をきっかけに、戦争の体制が変わります。
革命が起きた三年後、フランス革命政府とオーストリアープロシア同盟のあいだで戦争が起きます。でもフランス軍の士官たちはもともとは国王のもとで働いていた貴族たちですから、革命政府に協力する気持ちなんかさらさらなく、戦争にも乗り気ではありませんでした。なかにはスパイ行為を働く士官までいました。
このためフランス軍は敗走につぐ敗走を重ねます。そしてついに敵軍は、国境を越えてフランス領内に侵入してきました。
途方に暮れた革命政府は、フランス国民にこう呼びかけたそうです。
「祖国は危機にあり。祖国を救わんと考える義勇兵は応募せよ」
革命の熱狂で盛りあがっていた人びとはこの呼びかけに突き動かされ、募集に応じました。フランス全土からやってきた人たちは武器を手に取り、歌いながら前線へと進軍していったと言われます。この時マルセイユからやってきた義勇兵たちが歌った歌が、のちに『ラ・マルセイエーズ』として知られるフランス国歌となったのです。
しかし戦争は終わらず、翌年には義勇兵の補充が追いつかなくなりました。革命政府はしかたなく徴兵制を宣言することになります。
「今日から、敵がわが共和国領土から撃退されるまで、すべてのフランス人は恒久的な兵役義務が課される」
これが近代ヨーロッパの国民皆兵制度の始まりとなりました。徴兵された国民は百万人にものぼり、革命軍のリーダーは前線でこう叫びました。
「機動も、軍事技術もいらない。火力、鋼鉄、愛国心だけでいい!」
この熱狂的な国民の軍隊はとても強く、おまけに加減を知りませんでした。
中世までのヨーロッパの戦争は、「ほどほどに、決着をつけずに戦う」というのがおおかたのルールでした。殺し合いは少なく、お互いの被害は最小限に、話し合いの余地は残しておこうという戦いかただったのです。
しかしフランス革命の熱狂のなかで集められた国民兵たちは、そのルールを無視しました。「われわれは、最後の最後まで、皆殺しをしなければならない」と革命軍リーダーは語ったそうです。
国が総動員され、国民すべてが兵士になり、敵を殲滅するという近代の戦争は、ここから始まったのです。
王が傭兵を使い、ほどほどに敵国と戦っていたころは、領民たちは「また国王様が戦争なさってる」ぐらいにしかみていませんでした。自分たちが戦争の当事者であるとは思ってもいなかったのです。しかしヨーロッパが近代に足を踏みいれ、国民皆兵になると、戦争は国民全員が当事者となって参加するものに変化しました。
フランス革命の国民軍を受け継いだのが、英雄ナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンは国民軍を率いてヨーロッパを転戦し、連戦連勝を飾り、イギリスを除く西ヨーロッパのほとんどを征服しました。ナポレオンの軍隊の強さは、国民軍という新しい軍隊の強さをヨーロッパ全体に知らしめることになり、これが国民軍というありかたをヨーロッパ全土に広める原動力になったのです。
そしてこの「ひとつの国民がひとつの国」という国民国家は、たいへんな副効用がありました。それは、国民国家はめっぽう戦争に強かったということです。
なぜ戦争に強いのでしょうか? それは国民兵が「同じ国民」として強く団結して戦えたからです。
中世の帝国でも、その後の王政でも、たいていの軍隊では正規兵は少数の貴族の騎士だけで、残りは寄せ集めの傭兵でした。戦争をしようと思ったら、傭兵部隊にお金を出して来てもらわなければならなかったのです。
傭兵部隊でいちばん有名だったのはスイスです。寒くて山だらけで貧しい国だったので、軍事の技量を磨いて、お金を払ってくれるところならどこにでも出向いて戦ったと言われています。
傭兵を使えば、常備軍のようにふだんからお金をかけずにすみます。それに傭兵は戦争の専門家たちでしたから、訓練する必要もありませんでした。
しかしフランス革命をきっかけに、戦争の体制が変わります。
革命が起きた三年後、フランス革命政府とオーストリアープロシア同盟のあいだで戦争が起きます。でもフランス軍の士官たちはもともとは国王のもとで働いていた貴族たちですから、革命政府に協力する気持ちなんかさらさらなく、戦争にも乗り気ではありませんでした。なかにはスパイ行為を働く士官までいました。
このためフランス軍は敗走につぐ敗走を重ねます。そしてついに敵軍は、国境を越えてフランス領内に侵入してきました。
途方に暮れた革命政府は、フランス国民にこう呼びかけたそうです。
「祖国は危機にあり。祖国を救わんと考える義勇兵は応募せよ」
革命の熱狂で盛りあがっていた人びとはこの呼びかけに突き動かされ、募集に応じました。フランス全土からやってきた人たちは武器を手に取り、歌いながら前線へと進軍していったと言われます。この時マルセイユからやってきた義勇兵たちが歌った歌が、のちに『ラ・マルセイエーズ』として知られるフランス国歌となったのです。
しかし戦争は終わらず、翌年には義勇兵の補充が追いつかなくなりました。革命政府はしかたなく徴兵制を宣言することになります。
「今日から、敵がわが共和国領土から撃退されるまで、すべてのフランス人は恒久的な兵役義務が課される」
これが近代ヨーロッパの国民皆兵制度の始まりとなりました。徴兵された国民は百万人にものぼり、革命軍のリーダーは前線でこう叫びました。
「機動も、軍事技術もいらない。火力、鋼鉄、愛国心だけでいい!」
この熱狂的な国民の軍隊はとても強く、おまけに加減を知りませんでした。
中世までのヨーロッパの戦争は、「ほどほどに、決着をつけずに戦う」というのがおおかたのルールでした。殺し合いは少なく、お互いの被害は最小限に、話し合いの余地は残しておこうという戦いかただったのです。
しかしフランス革命の熱狂のなかで集められた国民兵たちは、そのルールを無視しました。「われわれは、最後の最後まで、皆殺しをしなければならない」と革命軍リーダーは語ったそうです。
国が総動員され、国民すべてが兵士になり、敵を殲滅するという近代の戦争は、ここから始まったのです。
王が傭兵を使い、ほどほどに敵国と戦っていたころは、領民たちは「また国王様が戦争なさってる」ぐらいにしかみていませんでした。自分たちが戦争の当事者であるとは思ってもいなかったのです。しかしヨーロッパが近代に足を踏みいれ、国民皆兵になると、戦争は国民全員が当事者となって参加するものに変化しました。
フランス革命の国民軍を受け継いだのが、英雄ナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンは国民軍を率いてヨーロッパを転戦し、連戦連勝を飾り、イギリスを除く西ヨーロッパのほとんどを征服しました。ナポレオンの軍隊の強さは、国民軍という新しい軍隊の強さをヨーロッパ全体に知らしめることになり、これが国民軍というありかたをヨーロッパ全土に広める原動力になったのです。
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