『世界の政治思想50の名著』より
健康と社会的費用
ウィルキンソンとピケットが調査から得た、不平等が大きくなると健康および社会問題も拡大するという見解は、国同士の間だけではなく、国の中でも当てはまることが明らかになっている。ルイジアナ、ミズーリ、アラバマは、アメリカ国内で最も所得分配が不平等な州だが、同時に、健康および社会問題においても最悪である。一方、ニューハンプシャー、バーモント、ユタは所得格差が比較的小さく、健康および社会問題も最小にランクされている。驚くべきことに、アメリカの同じ地域に暮らしていても、貧しい黒人と豊かな白人では、平均余命に二十八年もの開きがある。
多くの国々で、仕事の地位が低いことと健康状態が悪いことは強く相関している。どの国にも地位の低い仕事はあるが、適切な最低賃金が設定されていれば、仕事の心理的影響は相殺される。所得格差が小さい国は肥満の人の割合も小さい。たとえば、アメリカでは成人の三十パーセントが肥満なのに対して、日本ではわずか二・四パーセントである。肥満は、その人の収入や教育レベルよりも、本人が自分の社会的地位をどう感じているかと密接に関係している。ストレスを受けると、人は食べることに慰めを求め、特に、糖や脂肪を多く含んだ食品を好んで食べたり、アルコールの量が増えたりする。
不平等が大きい国ほど、教育の到達度は低くなる。世界中の十五歳の生徒を対象に行なわれる「国際学習到達度調査(PISA)」では、概して、社会的な不平等が激しい国ほど数学と読解力の総合点が低くなるという結果が出ている。アメリカの読解力の平均点が低いのは、社会経済的環境が悪い子どもたちの得点が全体の成績を引き下げているからである。福祉サービスに長い歴史があり、不平等が小さい国は、読解力における社会的な差が少ない。
十代で妊娠する女性の割合も、不平等が大きい国ほど高く、アメリカの中でも、所得格差が大きい州ほど高い。十代で母親になると、通常のキャリアパスから外れ、社会との関わりも少なくなる傾向があるため、もともと置かれていた低い社会経済的地位が固定化されやすい。
不平等の大きさと殺人の発生率の間には、さらに明確な相関がある。百万人あたり六十四人というアメリカの殺人発生率は、イギリスの四倍を超えており、日本の十二倍に上る。アメリカ国内では、百万人あたり百七人というルイジアナの殺人発生率はニューハンプシャーの七倍である。不平等が著しい国や州は収監率も高い。
社会の流動性については八カ国のデータしかないが、(アメリカンドリームという神話に反して)最も低いのがアメリカで、次いでイギリス、中間がドイツであり、社会階層を上がるチャンスが最も高いのはカナダとスカンジナビア諸国である。
われわれすべてに影響がある
「実は、格差が大きくなると社会の大多数の人が結局より大きな損害をこうむるのである」とウィルキンソンとピケットは言う。不平等が大きな社会では、貧しい人びとだけではなく、全員について「収監率は五倍、臨床的に肥満と診断される人の数は六倍、そして殺人率も何倍も違う」。こうした国では、たとえ最貧困層を計算から除外しても、残りの人びとのそれらの要素は、より平等な社会の全体よりも高い値を示す。
『平等社会』を批判している人びと、たとえば『The Rise of the Equalities Industry(平等産業の成長)』の著者ピーター・ソーンダーズは、アメリカにおける不平等と社会問題の明確な相関のほとんどは、犯罪の真の原因が人種であることを隠す「政治的に正しい」方法なのではないかと示唆する。犯罪の最も妥当な予測因子は、不平等それ自体ではなく、アメリカ各州の黒人人口の大きさだとソーンダーズは言う。これに対して、ウィルキンソンとピケットは、アメリカの白人の死亡率だけを取っても、総じて他の多くの国々よりも高いと指摘する。どの教育レペルにおいても、アメリカの白人男性は、同じ収入のイギリスの白人男性に比べて、糖尿病、高血圧、肺疾患、心臓疾患になる率がはるかに高い。この事実は、人種ではなく、社会そのものの特質の中に、社会および健康問題の予測因子があることを意味している。
平等を目指す政治
不平等の拡大は、単に、テクノロジーと人口構成の変化によって自然にもたらされたのだと考える人がいるかもしれないが、ウィルキンソンとピケットはそれを否定する。原因は、労働組合の弱体化、税と給付によるインセンティブの変化、右傾化など、政治状況の変化にあると彼らは言う。その結果、賃金格差が拡大し、税の累進性が下げられ、最低賃金が無視され、給付がカットされる等々のことが起きている。不平等は完全に政治がもたらすものであり、逆に言えば政治によって変えられるのである。
二〇〇七年には、アメリカのトップ企業三百六十五社のCEOがその会社の平均的な労働者の五百倍以上の賃金を得ていた。つまり、CEOが労働者の年収を超える金額を一日で稼いでいたということだ。ウィルキンソンとピケットによれば、二〇〇七年の賃金格差は一九八〇年の約十倍になっているという。
ただし、平等を求める議論は、かならずしも大きな政府を必要とするものではないと彼らは主張する。スウェーデンと日本はともに社会および健康問題が少なく、死亡率も低いが、平等を達成する方法は異なっている。スウェーデンが再分配と大きな社会保障制度によるのに対して、日本は税引き前所得の平等性を高めるという方法によっている。さらに、GDPに占める公的な社会支出の割合と、社会問題や健康問題の指数とは「全く相関していない」と著者は言う。それらの問題が起きないようにするために政府が多額の支出をする場合もあるし、問題に対処するのに多くの費用が必要になることもあるが、どちらにせよ、根底にある問題は、不平等である。
ウィルキンソンとピケットは、デューク大学とハーバード大学が実施した、見出しのない三つの円グラフを被験者に見てもらうという調査を取り上げる。第一のグラフは、人口の五分の一ずっが、他と同じ量の富を持っている状態を示し、第二は、アメリカの、きわめて不平等な富の分配を反映し、第三のグラフはスウェーデンの富の分配を表している。被験者が裕福でも貧乏でも、共和党の支持者でも民主党の支持者でも、およそ九十パーセントがスウェーデンのような富の分配の国で暮らしたいと答えた。
自由市場、小さな政府、個人の責任といった価値を信じることと、多くの人びとが置き去りにされる国に暮らし、そのイデオロギーに伴うコストを負担しなければならないことは別なのである。
最後に
ウィルキンソンとピケットは、歴史は高い平等性へ向かう長い動きであり、「人類史を流れる川」だと考えている。その川は、国王の支配に制限を設けてゆっくりと民主主義を前進させ、法の前の平等を原則にして奴隷制度を終わらせ、選挙権を女性と無産者に拡大し、医療や教育を無償で提供し、労働者の権利と失業保険を拡充し、貧困の撲滅のために力を注いでいる。この流れに異を唱えるのは困難だし、本書に引用されている、専門的評価を受けた何百もの研究が、不平等の害を指摘していることに反駁するのは難しい。
しかし、彼らが「長らく進歩の大原動力だった経済成長は、富裕国では、おおむねその使命を終えつつある」と述べているのは少し言いすぎに思える。貧困層を中間層に変え、政府が再分配を切望している富を生み出せるのは、やはり経済成長なのではないだろうか?。
一九三二年から一九四六年までスウェーデンの首相を務めたペール・アルビン・ハンソンは、階級なき社会を作るというビジョンを持ちつづけ、それをほぼ実現した。スウェーデン人は、アングロサクソン系の国に多く見られる、さらに自由な経済や社会的原子化を望んではおらず、今あるレベルの市民的自由が適切だと思っている。スウェーデンの例が市民的自由の否定や共産主義の兆候ではないことを示せるならば、平等というアジェンダは、二十一世紀の政治においてミルトン・フリードマン流の経済的自由主義に代わる原理として、重要な役割を果たす可能性が高い。
健康と社会的費用
ウィルキンソンとピケットが調査から得た、不平等が大きくなると健康および社会問題も拡大するという見解は、国同士の間だけではなく、国の中でも当てはまることが明らかになっている。ルイジアナ、ミズーリ、アラバマは、アメリカ国内で最も所得分配が不平等な州だが、同時に、健康および社会問題においても最悪である。一方、ニューハンプシャー、バーモント、ユタは所得格差が比較的小さく、健康および社会問題も最小にランクされている。驚くべきことに、アメリカの同じ地域に暮らしていても、貧しい黒人と豊かな白人では、平均余命に二十八年もの開きがある。
多くの国々で、仕事の地位が低いことと健康状態が悪いことは強く相関している。どの国にも地位の低い仕事はあるが、適切な最低賃金が設定されていれば、仕事の心理的影響は相殺される。所得格差が小さい国は肥満の人の割合も小さい。たとえば、アメリカでは成人の三十パーセントが肥満なのに対して、日本ではわずか二・四パーセントである。肥満は、その人の収入や教育レベルよりも、本人が自分の社会的地位をどう感じているかと密接に関係している。ストレスを受けると、人は食べることに慰めを求め、特に、糖や脂肪を多く含んだ食品を好んで食べたり、アルコールの量が増えたりする。
不平等が大きい国ほど、教育の到達度は低くなる。世界中の十五歳の生徒を対象に行なわれる「国際学習到達度調査(PISA)」では、概して、社会的な不平等が激しい国ほど数学と読解力の総合点が低くなるという結果が出ている。アメリカの読解力の平均点が低いのは、社会経済的環境が悪い子どもたちの得点が全体の成績を引き下げているからである。福祉サービスに長い歴史があり、不平等が小さい国は、読解力における社会的な差が少ない。
十代で妊娠する女性の割合も、不平等が大きい国ほど高く、アメリカの中でも、所得格差が大きい州ほど高い。十代で母親になると、通常のキャリアパスから外れ、社会との関わりも少なくなる傾向があるため、もともと置かれていた低い社会経済的地位が固定化されやすい。
不平等の大きさと殺人の発生率の間には、さらに明確な相関がある。百万人あたり六十四人というアメリカの殺人発生率は、イギリスの四倍を超えており、日本の十二倍に上る。アメリカ国内では、百万人あたり百七人というルイジアナの殺人発生率はニューハンプシャーの七倍である。不平等が著しい国や州は収監率も高い。
社会の流動性については八カ国のデータしかないが、(アメリカンドリームという神話に反して)最も低いのがアメリカで、次いでイギリス、中間がドイツであり、社会階層を上がるチャンスが最も高いのはカナダとスカンジナビア諸国である。
われわれすべてに影響がある
「実は、格差が大きくなると社会の大多数の人が結局より大きな損害をこうむるのである」とウィルキンソンとピケットは言う。不平等が大きな社会では、貧しい人びとだけではなく、全員について「収監率は五倍、臨床的に肥満と診断される人の数は六倍、そして殺人率も何倍も違う」。こうした国では、たとえ最貧困層を計算から除外しても、残りの人びとのそれらの要素は、より平等な社会の全体よりも高い値を示す。
『平等社会』を批判している人びと、たとえば『The Rise of the Equalities Industry(平等産業の成長)』の著者ピーター・ソーンダーズは、アメリカにおける不平等と社会問題の明確な相関のほとんどは、犯罪の真の原因が人種であることを隠す「政治的に正しい」方法なのではないかと示唆する。犯罪の最も妥当な予測因子は、不平等それ自体ではなく、アメリカ各州の黒人人口の大きさだとソーンダーズは言う。これに対して、ウィルキンソンとピケットは、アメリカの白人の死亡率だけを取っても、総じて他の多くの国々よりも高いと指摘する。どの教育レペルにおいても、アメリカの白人男性は、同じ収入のイギリスの白人男性に比べて、糖尿病、高血圧、肺疾患、心臓疾患になる率がはるかに高い。この事実は、人種ではなく、社会そのものの特質の中に、社会および健康問題の予測因子があることを意味している。
平等を目指す政治
不平等の拡大は、単に、テクノロジーと人口構成の変化によって自然にもたらされたのだと考える人がいるかもしれないが、ウィルキンソンとピケットはそれを否定する。原因は、労働組合の弱体化、税と給付によるインセンティブの変化、右傾化など、政治状況の変化にあると彼らは言う。その結果、賃金格差が拡大し、税の累進性が下げられ、最低賃金が無視され、給付がカットされる等々のことが起きている。不平等は完全に政治がもたらすものであり、逆に言えば政治によって変えられるのである。
二〇〇七年には、アメリカのトップ企業三百六十五社のCEOがその会社の平均的な労働者の五百倍以上の賃金を得ていた。つまり、CEOが労働者の年収を超える金額を一日で稼いでいたということだ。ウィルキンソンとピケットによれば、二〇〇七年の賃金格差は一九八〇年の約十倍になっているという。
ただし、平等を求める議論は、かならずしも大きな政府を必要とするものではないと彼らは主張する。スウェーデンと日本はともに社会および健康問題が少なく、死亡率も低いが、平等を達成する方法は異なっている。スウェーデンが再分配と大きな社会保障制度によるのに対して、日本は税引き前所得の平等性を高めるという方法によっている。さらに、GDPに占める公的な社会支出の割合と、社会問題や健康問題の指数とは「全く相関していない」と著者は言う。それらの問題が起きないようにするために政府が多額の支出をする場合もあるし、問題に対処するのに多くの費用が必要になることもあるが、どちらにせよ、根底にある問題は、不平等である。
ウィルキンソンとピケットは、デューク大学とハーバード大学が実施した、見出しのない三つの円グラフを被験者に見てもらうという調査を取り上げる。第一のグラフは、人口の五分の一ずっが、他と同じ量の富を持っている状態を示し、第二は、アメリカの、きわめて不平等な富の分配を反映し、第三のグラフはスウェーデンの富の分配を表している。被験者が裕福でも貧乏でも、共和党の支持者でも民主党の支持者でも、およそ九十パーセントがスウェーデンのような富の分配の国で暮らしたいと答えた。
自由市場、小さな政府、個人の責任といった価値を信じることと、多くの人びとが置き去りにされる国に暮らし、そのイデオロギーに伴うコストを負担しなければならないことは別なのである。
最後に
ウィルキンソンとピケットは、歴史は高い平等性へ向かう長い動きであり、「人類史を流れる川」だと考えている。その川は、国王の支配に制限を設けてゆっくりと民主主義を前進させ、法の前の平等を原則にして奴隷制度を終わらせ、選挙権を女性と無産者に拡大し、医療や教育を無償で提供し、労働者の権利と失業保険を拡充し、貧困の撲滅のために力を注いでいる。この流れに異を唱えるのは困難だし、本書に引用されている、専門的評価を受けた何百もの研究が、不平等の害を指摘していることに反駁するのは難しい。
しかし、彼らが「長らく進歩の大原動力だった経済成長は、富裕国では、おおむねその使命を終えつつある」と述べているのは少し言いすぎに思える。貧困層を中間層に変え、政府が再分配を切望している富を生み出せるのは、やはり経済成長なのではないだろうか?。
一九三二年から一九四六年までスウェーデンの首相を務めたペール・アルビン・ハンソンは、階級なき社会を作るというビジョンを持ちつづけ、それをほぼ実現した。スウェーデン人は、アングロサクソン系の国に多く見られる、さらに自由な経済や社会的原子化を望んではおらず、今あるレベルの市民的自由が適切だと思っている。スウェーデンの例が市民的自由の否定や共産主義の兆候ではないことを示せるならば、平等というアジェンダは、二十一世紀の政治においてミルトン・フリードマン流の経済的自由主義に代わる原理として、重要な役割を果たす可能性が高い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます