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ポピュリズムとしてのトランプ現象

『戦後政治を終わられる』より 新自由主義の日本的文脈 日本的劣化--反知性主義・排外主義

ポピュリズムの話に戻ります。大衆の望みに従う政治というのは、確かにそれ自体悪いものではありませんし、民主制の基本です。しかしその時、大衆が根本的な勘違いをしているとすれば、その欲望に寄り添うことは根本的な間違いに帰結することになります。では、大衆はどんな間違いを犯すのか。

例えば、先ほど紹介した安倍首相の発言に引きつけて言えば、結局のところ経済産業政策においては、個別利害を超えた一般的な利害の実現などはありえないという事実が気づかれていない場合です。それは、現代の人々が生活実感を失っている状況とも深く関係しているのかもしれません。

大衆が自分たち自身の利害についての認識を失ってしまうという状況は、日本に特殊なものではなくて、かなりの程度世界に共通のものです。それは、大衆の中身の変質を示唆しています。右傾化や劣化した反知性主義が広がるのと同時に、生活実感に裏打ちされた考え方・世界観・価値観を持っていたかつての庶民1は、小泉政治以降(いや、もっと前からかもしれませんが)庶民2に変質したわけです。

彼らは、安倍首相が言う「世界で一番企業が活躍しやすい」場所が実在すると信じてしまうような庶民です。寅さんならば、「そんな場所あるわけねぇだろ。経済学者さんていうのはそういうのがあると仰るのかい。へぇー、よくわかんないねぇ。お前、さしずめインテリだな」と言って済ませるはずです。私たちは、寅さんのような健全な常識に基づく考え方、ものの見方を失ってしまったのです。

ポピュリズムは、もちろん日本だけの問題ではありません。二〇一六年三月現在、アメリカの大統領選挙の予備選が進行していますが、象徴的なのは、不動産王のドナルドートランプ氏が旋風を巻き起こしていることでしょう。トランプ氏の政治理念が本当のところどういうものなのか、いま様々な議論がなされていますが、現時点で指摘できる特徴は、彼が従来の政治の建前を完全にかなぐり捨てていることです。

例えば彼は、「メキシコ人は強姦魔である」というようなことを平気で言う。これは、政治の「ゲームのルール」が根本的に変化したのではないかということを疑わせるような事実です。もちろん、不法滞在者を含む移民との間でアメリカ社会に様々な軋慄が生じていることは誰でも知っている。しかし、これまでの政治家は、自らが先頭に立って問題視されているマイノリティを社会的に統合しようというスタンスを、少なくとも建前上は見せなければならなかった。しかしながら、トランプ現象では、そういう常識がもう働かなくなっている。あからさまな敵意、社会における分断を露にしているわけです。つまり、われわれの社会はもう包摂などできない、これからは排除を原則とするのだ、ということをはっきり打ち出しているわけです。

もちろんいつの時代においても、そのような発言をする人はいるでしょうが、ほとんどの場合は相手にされないわけです。ところが、トランプ氏は、社会が隠し持っているどす黒い本音の代弁者になって、大手を振って言いたいことを言う。そして、それが拍手喝采を浴びているという状況です。これが、トランプ・ブームの恐ろしさです。トランプ氏が最終的に大統領に選ばれなくとも、こういう傾向が出てきていること自体が、まさに政治が、「包摂から排除へ」という方向にシフトしていることを体現しています。

政治家が社会のどす黒い本音を代弁するような状況は、フランスにおける極右勢力の躍進に見られるように、どこの国においても、グローバル化がもたらす社会的軋棒に対する反応として出現しています。大衆の持つネガティヴな感情を和らげるのではなく、それを煽ることによって、統治者が自分の権力を確保したり強化したりするという状況は、ファシズム的なものにほかなりません。

日本ももちろん例外ではなく、小泉政権当時「何かやってくれるのではないか」と根拠なく盛り上がった大衆感情は、第二次安倍政権の現在、排外主義的で、自己愛に耽溺するインスタントなナショナリズムヘと転化しました。この安手のナショナリズムは、安倍政権の支持基盤となっているだけでなく、政権そのものがこうしたナショナリズムに感染している可能性は高い、と言わざるをえません。
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