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類と生命 収容所

『自由という牢獄』より 類と生命

ナチズスムやスターリニズムのような、二〇世紀の全体主義は、民主主義の外部にあるわけではなく、民主主義の内在的な転回として登場したということ、このことをわれわれは知っている。全体主義とは、人間が集まることから帰結する多様性の最も過激な否定である。すなわち、それは、多数の人間の集まりを一人の人間であるかのごとく閉鎖することにこそある。そうであるとすれば、全体主義こそば、自由と開放性を条件とする公共性にとって、最大の脅威であろう。全体主義への転換は、なぜ生ずるのか? 全体主義をまさにそれとして示している指標は、誰もが同意するだろうが、収容所である。全体主義は、普通の民主主義からの転回の産物であると述べたが、同じことは、収容所に関しても言える。

収容所は、全体主義国家にだけあったわけではない。最初の収容所は、一九世紀末にスペイン人がキューバに作った強制収容所であるとも、また二〇世紀初頭にイギリス人がボーア人対策のために建設した強制収容所であるとも言われている。いずれにせよ、最初の収容所は、植民地戦争に関連した、超法規的な例外措置から生まれたものであった。ここで思い起こしておきたい。われわれは、第1節で、現在において「公共性」が直面している困難を隠喩的に例示するために、映画『ゴースト・オブ・マーズ』を参照した。そこで描かれているのも、植民地における「先住民」との戦争であり、そして、公共的な空間を危機に陥れる恐るべき他者は、まさに植民地の「先住民」に投射されて表現されていた、ということを、あらためて思い出しておきたいのだ。

全体主義国家の収容所が、通常の国家の--ただし超法規的な例外状態や戒厳令下の--収容所に端を発しているということ、このことは、最も広く知られた収容所である、ナチスの収容所の場合は、殊のほかはっきりしている。強制収容の法的な根拠は、プロシアの「保護拘留」に関する、特別な警察的措置にある。それは、戒厳状態に関するプロシア法である。この法は、第一次大戦とその後の混乱期に大々的に利用された。最初の収容所は、その時に、つまり一九二三年に作られた。だから、アガンベンに倣って強調しておきたいことは、ドイツの最初の収容所は、ナチスではなく、社会民主主義政府が作ったということである。収容所に最初に送り込まれたのは、共産主義活動家だったが、その後は、ユダヤ人難民も入れられた。つまりユダヤ人強制収容所と限定したとしても、最初に、これに手を染めたのは、社会民主主義政権だったのである。無論、それは、絶滅収容所ではなかったが。

では、ナチスは、なぜ、あれほど熱心に、ドイツ社会からユダヤ人を排除しようとしたのか? なぜ、ユダヤ人を収容所に送り、最後には、この地上から抹殺しようとまでしたのか? このことを、われわれは、民主主義の原理に伏在していた論理の展開=転回として説明できなくてはならない。先に、民主主義的な(規範の)普遍化の機制の内に、ある逆説が--人権宣言に既に読み取ることができる逆説が--孕まれている、と述べておいた。それは、普遍性が特殊性に短絡することにおいて分節される、という逆説である。この逆説の極限値を取れば、ナチスの優生政策が得られるのではないだろうか。

一方で、人間を完全に普遍化した上で、対象化しようとすれば、われわれは、そこに、単に生命である限りでの人間を、つまり「類」としての人間を得ることになるだろう。他方で、しかし、その普遍的な類は、特殊化され、限定された形式においてのみ、つまり「種」の形式においてのみ、捉えられる。両者の重合、これ以上は考えられないほどに直接的な両者の短絡によって生み出されるのが、ナチスの「人種」--完全で純粋なアーリア人としてのドイツ民族--ではないだろうか。カール・シュミットは、ナチスの人種概念のずばぬけた重要性について、こう述べている。人種概念なしには、「国民社会主義国家が存在することもできず、その法的な生を思考することもできなくなる」と。最も重要な差異、差異の中の差異とも言うべき差異、つまり、「類」の中での相対的な「種差」ではなく「類」と「種」との差異の直接的な合致によって導かれるのが、「人種」である。

だが、このような人種概念には、大きな困難が付きまとう。類そのものの内部に、類の外部であるような種が入り込んでしまうのである。ドイツ人が、類を代表しつつ、同時に特殊な種(民族)でもあるとすれば、必然的に、その類の内に、ドイツ人という種の否定も含まれているはずだ。ユダヤ人とは、この類の内なる(類の)外部ではないか。だが、もしドイツ人によって、普遍的で包括的な類が代表されているのだとすれば、その外部であるところのユダヤ人という種は、(規範的に)存在してはならない種--というより事実的に存在するはずのない種--である。ナチスが、ユダヤ人を強迫的に絶滅させようとしたのは--いかなる合理的な計算にも見合わない執着をもってユダヤ人の存在の痕跡を抹消しようとしたのは--このためではないだろうか。

ここでわれわれは注意しなくてはならない。ユュダヤ人が排除されたのは、ユダヤ人が、ドイツ人と非常に違っていたからではない、ということを、である。ナチスの人種差別は、ュダヤ人が十分にヨーロッパ社会に同化し、遺伝的な特徴においても、生活様式においても、ほとんど差異がなくなったときにこそ、顕著になったのである。もし、ユダヤ人の排除が、以上に論じてきたような機制にしたがっているのだとすれば、ユダヤ人とは、ドイツ人の双子の分身である。もしドイツ人が、包括的な類と等値されているのだとすれば、ユダヤ人というもう一つの種もまた、当然、「ドイツ人」でなくてはならないからだ。それゆえ、ドイツ人にとって、類の普遍性を犯す、最も恐ろしい他者(敵)は、それ自身、自己に--つまりドイツ人に--内在していることになる。敵が外的な他者ではなく、ある観点からすれば自己自身であるとするならば、その敵を排除しようとする衝動は、原理的に、終わることがない。

第1節で、次のようなことを確認した。われわれは、現在、言ってみれば「人間」としての最小限の規範をも共有しえない(ように見える)、それゆえ公共的空間の内に迎え入れて共存することがとうていできそうもない、敵なる他者に直面している、ということ。しかも、その敵なる他者は、われわれ(の共同体)に深く内在しており、われわれ自身のもう一つの側面でもあるように思える--したがって外部に切り離すことができない--ということ。これらの事態こそが、公共性の避けがたい危機を構成しているのであった。ところで、今、ナチスに即してみてきたような逆説、すなわち、ドイツ人=ュダヤ人という逆説を、民族的な限定性をはずして一般化してみたらどうであろうか。それは、自己なるXと、これとおよそ通約しえぬ形式で対立する他者なるYとの間の、逆説的な一致という形式をとるに違いない。これこそ、われわれの公共的空間を困難ならしめている危機そのものではないだろうか。そうであるとすれば、われわれは未だに、ナチスを強迫的に駆り立てていたのと同質の衝動の中に捕らえられているのである。
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