goo

軍略家石原莞爾の最終戦争論とは

『満州暴走 隠された構造』より 雪玉はだれにも止められぬ雪崩となった

暴走には社会的要因もありますが、もちろん人が主体です。本章ではまず、暴走のループを廻したキーパーソンたちについて見ていきたいと思います。

この総力戦の時代、帝国陸軍に石原莞爾という軍略家が現れました。第一章でもお伝えしましたが、満洲事変を起こした張本人です。当時の日本のトップエリートが集う陸軍大学校を次席で出た(三〇期)たいへん優秀な頭脳の持ち主です。

彼は陸大卒業後、一九二三年からドイツに留学します。そこで第一次世界大戦というものがどういうものか、つまり総力戦とはどういうものかを研究し、非常に深刻な衝撃を受けました。

なぜか。日本にはそもそも地下資源がないし、科学力・生産力も低いので、最初から総力戦を戦えないのです。

そこで彼はこう考えます。こうなったら道は二つに一つしかない。日本を総力戦ができる国に作り変える。それができないなら、「軍備を放棄するを有利とす」。つまり戦争はハナから諦める。

もちろん「できない」と最初から諦めれば軍人の存在意義はありませんから、ここで石原は得意の知恵を絞ります。

彼は日蓮宗の宗徒でした。日蓮という人と彼の大切にした法華経の世界観は、大雑把に言えば「悪とあくまで戦う」ものです。元寇などの国難は、念仏や禅など末法邪教が蔓延る世であるからこそ起きていることで、法華経で日本を立て直さねばならない--。この日蓮の思想を、いいように言うと当代風にアレンジした、悪く言うと時代ウケを狙って歪めた宗教家・思想家に、田中智学という人物がいました。この末法の世に日蓮の教えを振り返り、日本を現世のユートピアにせねばならない……。これこそが「八紘一宇」。この有名なキャッチフレーズを考案した人物です。その智学に石原は親しみました。

軍人としての苦悩と、この智学流日蓮世界が出会ったところで、石原にイメージが閃きます。

これが有名な「世界最終戦争」論です。

総力戦の世界になった以上、世界は最終的には二つの超大国、すなわち東洋の覇者になった日本と、西洋の覇者アメリカが激突する「最終戦争」によって決着がつくだろう。そのとき人類は人口の半分ほどを喪うかもしれないが、その後は一つの世界になり、発達した科学力で飢えも貧困もないユートピアになるのだ--。

完全に妄想です。ですが彼はこの妄想を基盤として、日本はその最終戦争に向けて総力戦のできる国にならなければならない、と思いつめます。

ではどうするか。「全支那を利用する」つまり中国全土を生産基地にし、中国(もちろん朝鮮も含む)をも包含した巨大な大日本帝国を作って、国力を爆発的に高める。中国への足がかりにはまず、地下資源豊富な満洲を領有せねばならない……満洲事変は彼のこういうロジックで準備され、共鳴する仲間が関東軍に集められ、そして実行されました。

石原のイメージの中では、最終戦争は一九七〇年前後に起きます。その際には科学力の粋を尽くした「決戦兵器」が現れており、その戦争は数日か、あるいはそれこそ数時間で決着がつく、とも述べています。

まさに核兵器です。頭のいい人は妄想もわりと当たるものです。

しかし、残念ながら妄想が基盤になっていますから、現実を見つめたリデル=ハートほどには頭が廻りませんでした。「決戦兵器」が現れたなら、最終戦争で平和が訪れるのではなく、延々と続く隠蔽された戦争を伴う薄暗い「平和」が続く、というのが正解だったのです。

石原莞爾は敗戦後、亡くなる直前の一九四八年一一月、インタビューに答えて(このときの映像はNHKで放送もされました)、

 「我々日本は蹂躪されても構わないから、絶対戦争放棄に徹していくべきです」

とまで言っています。

満洲事変を起こした張本人が何を言っているのか、と不審に思われるかもしれません。

しかし先述のように、満洲を手に入れて総力戦のできる国にするか、できない国でいるなら軍備も戦争も諦めるか。これは彼が一九二〇年代から首尾一貫して言っていることです。そして実際に負けたのだから諦めて、世界平和のために絶対戦争放棄に徹し、十字架を負ったイエスのように日本人は進むしかない--。これが彼のロジックでした。

石原莞爾は、日本人には珍しい、極端なまでの原則主義者であったと言うべきでしょう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 信用されない... 「立場上、仕... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。