goo

「立場上、仕方ない」がループを廻す

『満州暴走 隠された構造』より 雪玉はだれにも止められぬ雪崩となっ

かくして日本の陸軍・海軍は、特に陸軍は、暴走し始めました。この暴走システムを止めるには、だれかの立場を脅かさなければなりません。自分の立場も危うくしなければなりません。それは日本立場主義人民共和国では不可能なことなのです。できません。

その結果、暴走は止まらず、

 「いやあ、私は止めたいんだけど、走っちゃうんですよ」

などと他人事のように言う。止まりませんから中国大陸奥深くへのめり込んでいきます。どんどん人が死にます、人を殺します。それも仕方ないのです。

こうなるとさらに死んだ人の手前、止められません。「あいつは犬死にした」などと口が裂けても言いたくないのです。なので、もう止めましょうとだれも言い出しません。本当はだれかが言ってくれるのを待っているのですが、だれも言わないのです。

すでに述べたように、満洲事変のときも、時の若槻礼次郎首相が軍費を決裁してしまいました。「出てしまったものは仕方がない」と。とんでもない話です。首相が予算を止めれば、出たものも引っ込んだのです。しかしおそらく、彼は、立場主義者に命を狙われた結局このようにして、日本国民全体が戦争に引きずり込まれて、そのツケはすべてごく普通の人々が払わされました。親・子・兄弟を戦地で喪う。国内にいても空襲で原爆で沖縄戦で殺される。家を焼かれ職や商売を失う。

ところが原因をつくった暴走エリートたちは、(いくらかは戦犯などとして処罰されましたが)戦後ものうのうと生き残っていきます。皆で互いの立場を守ったのです。たとえば開拓団を推進した加藤完治は戦後も大活躍しました。勲章をもらって、園遊会に招かれています。

こうした「立場上、あるいは自分の立場を守るために暴走した」連中は、実は結構生き残っているのです。そしてそれに引きずり込まれて酷い目に遭わされた人々が、補償も何もしてもらえないのです。

中国残留孤児・婦人の方々は壮年を過ぎて帰国されたため、言葉や仕事など生活全般で苦労されており、結果、帰国者の多くが生活保護を受けていると言います。そのため国に対する損害賠償訴訟もたくさん起こされました。つまり国とそれを動かしている人々は、自分たちの棄てた人々に対し、責任を持って「帰ってきてもらう」という考え方ではなく、「帰りたいなら帰ってもいいよ」という考え方なのです。

もう存在しないはずの人々(立場のない人々)が現れると、棄てた方(立場主義者)はとても困るのです。だから見て見ぬふりをするのです。

こういった考え方をしてしまう、あるいは許してしまうのは、私たち一人ひとりの心の中に、「立場主義」が根強く巣食っているからだ、と私は考えます。自分がその「立場」に立ったとき、同じことをするかもしれない、同じことしかできないかもしれない、という怯えが、心の中にあるのです。

「立場上、仕方ない」

この言葉ほど、私たちの心に響く言葉があるでしょうか。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 軍略家石原莞... 蒋介石政権に... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。