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解決としてのEUから問題としてのEUへ

『欧州複合危機』より 問題としてのEU

統合という解の持続性

 ユーロに引きつけていえば、多くの経済学者は、単一通貨を維持するのであれば、銀行同盟はもちろん、財政統合にいたることこそが「解」だと主張するであろう。じっさい、単一通貨のもとで競争力のある富裕地域・階層への集積効果が見込まれるなか、取り残される地域や階層には、なんらかの財の移転が必要なのは確かで、それがまるでないシステムは持続可能ではないに違いない。

 日本という円の単一通貨システムでも、第一次産業の多い北海道は、放っておけば東京や名古屋近辺とのあいだで格差が開いてしまう。であるからこそ、年二兆円ほどの資金が中央政府経由で北海道には投下されているのであり、それがないならば、北海道も単一通貨を離れ、独自の「道円」でも発行し、通貨切り下げをしたほうが割にあうのかもしれない。

 いずれにしても、ここで確認しておくべきは、共通の財政を確立するというさらなる統合が、現在EUが抱えている問題への「解」として、いまだに意識されているという事実である。

 シェンゲン体制についても、同様のことがいえよう。域外からの難民を制御できないという問題に対して、まず提起されるのか、域外国境管理の強化、つまり統合である。あるいはまた、特定の加盟国に難民が集中してしまったなら、それをEU全体で再配置するというのも、従来乗り出さなかった分野で新たに統合を図ることになる。さらに、難民に紛れてテロリストが域内を自由移動するという問題に対しては、域内内務警察協力の強化が政治日程に上がる。具体的には、テロリストや犯罪情報の共有であり、対策のすり合わせである。これもまた、統合によって、問題を解決するという思考法である。

問題の一部となったEU

 近年のEUはそれ自体が問題化し、解決枠として機能していない。その説明をする前に、問題化したEUとはどういうことであるのか、確認しておこう。

 すでに触れたユーロについていえば、統合が解決でもあり問題でもあるという両面を理解する必要がある。

 一方で、それは深刻な問題となっている。財政統合はドイツとオランダ、フィンランドなど同類の数が国が首を縦に振らず、政治日程にすら上らない。銀行同盟もまた、国境を越えた資金投下をともなう預金保険のヨーロッパ化にまではいたらず、機能不全が見込まれる。通貨統合が未完であることは、たび重なるギリシャの多重危機に見てとれよう。モラルハザードが他国に波及するのを恐れるドイツ主導の連合は、必要な債務削減を認めず、ギリシャの窮状を上向かせるのに必要な財政投下に後ろ向きでありつづけている。

 その結果、ギリシャは、緊縮財政のもとで、年金から教育・医療費まで、国民生活に直結する支出の削減を余儀なくされ、ピーク時からGDPの四分の一を失い、若者の失業は五〇%に上って、多くが希望をもてずにいる。縮減する経済にとって、債務はさらに重くのしかかり、不満は間欠泉のように爆発し、政治不信、EU不信、エリート不信となって、断続的に債務返却の合意をむしばんでいる。

 では他方で、単一通貨ユーロを解体し、各国通貨に戻れば、問題は解決するかというと、そう話は簡単でもない。というのも、そもそも、ユーロには、二つの狙いが込められていた。それはまず、対米(ドル)など、域外パワーに対する対抗である。相対的に豊かなヨーロッパの国々がブロックで通貨を共有することにより、通貨交渉など世界政治経済上のプレゼンスを強化するプロジェクトでもあった。これは、中小の国々がバラバラにもつ国別の通貨に戻れば、水の泡となってしまう。

 もう一つは、グローバル市場に対する制御可能性を共同で引き上げることである。通貨統合を目標として掲げたマーストリヒト条約が締結されたころ、グローバル資本市場を飛び交う資金の量は、一日あたり一兆~一・五兆ドルであった。それはいまや五兆ドルに増えている。世界第三位のGDPを持つ日本の年間の国家予算が二〇〇兆円弱であるなか、日々五〇〇兆円を超えるお金が動いている時代だということである。そうした資本市場が、一方向的に一気に動けば、どんな国でも影響は免れない。

 一九九七年のアジア通貨危機では、タイのパーツやインドネシアのルピアが狙い撃ちされ、大混乱に陥った。イタリアのリラやフランスのフランが単独で世界市場に抗してゆくのは、すでに一九九二~九三年の欧州通貨危機で困難だと判明している。もちろん、各国の通貨を統合すれば自動的に守られるわけでないことは二〇一〇年代のユーロ危機が実証済みであるが、ユーロは、各国通貨に比して、強大化する市場を前にますます難しくなっている制御を相対的に可能にする枠組みであり、そのガバナンスを強化しながら、各国経済の切り売りに対して一定の防波堤になる期待をいまだ担ってもいるのである。

シェンゲンの問題性

 それに比べると、シェンゲン体制の問題性はより明らかである。なぜなら、統合したその体制の不備が、テロなどを通じて、EUの市民を傷つける局面をもたらしているからである。

 それは、一九八五年の合意を発端として、九〇年に五か国(独、仏、ベネルクス)のあいだの実施協定として成立し、一九九七年締結のアムステルダム条約によって、EUの制度として組み込まれた。それ以来、域内の人の自由移動を推し進め、ヨーロッパ市民権を目に見える形で具現化してきた。

 しかしながら、その施策は域内の自由移動に向けられ、域外の国境管理はおざなりとなった。第2章で触れたことだが、域外国境管理をつかさどる高官が発足以来「失われた二〇年を過ごした」と述べるほどであった。さらに、域内においても、国家主権の敏感な問題に触れることを避けるあまり、内務警察協力はあまり進展しなかった。機密になればなるほど、情報当局は共有したがらない。

 第3章の主題であったパリやブリュッセルでのテロ事件は、まさにその文脈で起きたものである。もちろん、シェンゲン自体がテロを引き起こすわけではない。その惨劇はテロ実行犯その人がもたらすものである。けれども、そのテロリストが、シェングンの提供する域内自由移動をフルに使って閑歩するとき、その問題性は明らかになる。
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