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国家はなぜ衰退するのか 成長が見た目どおりとは限らないのはなぜか

『世界の政治思想50の名著』より

権力と富--共有するべきか、否か

 公明正大な私有財産権、取引の自由、契約の履行を保証する法律制度、商業を支える道路の建設といったものはすべて、国家の力によって初めて達成できる。そして、誰もがそうした権利や自由を享受でき、それらから利益を得られるような制度が作られているとき、その制度は包括的制度と呼ばれる。しかし、法律制度や経済制度が社会のごく一部(たとえばラテンアメリカ植民地におけるスペイン人や、バルバドスのプランテーションの所有者、北朝鮮の支配者層など)だけを利するように作られている場合、それは収奪的制度と呼ばれ、国民の大多数は、進歩するために努力したり、よい生活をするために働いたりする意欲や能力を持つことがまったくできない。そうなると、経済は停滞してしまう。

 豊かな国と貧しい国を分けるのは、清潔な水、安定した電力供給、整備された道路、医療といった公共設備だけではなく、すぐれた法と秩序、刑法の公明正大さも重要である。先進諸国では、国民は夜中に明らかな理由もなく自宅から連行される心配はないし、政府は国民の家やビジネスを勝手に取り上げることはできない。

 さらに重要なのは、おそらく、それぞれの国家で国民が得られる機会の格差だろう。人びとはただ自宅に水道が欲しくてリオ・グランデ川を泳いで渡ったり、満員のボートで地中海を越えたりするわけではない。彼らが欲しているのは、母国ではエリート層でなければ手に入れられないチャンスなのだ。彼らは自分の才能を最も生かして、最大の生産性を上げられる仕事が選べる労働市場に加わりたいと願っている。

 ここで、包括的経済制度が国を豊かにすることが繰り返し証明されているとしたら、権威主義的な政治体制も含めて、すべての国が包括的な制度の樹立を願わないのはなぜなのだろうか、とアセモグルとロビンソンは問いかける。

 どんな国でも、エリート層は一般的に、多元主義的で開放的な経済制度の樹立に抵抗するものだ。なぜなら、そのような制度は彼らの収奪的な権力を脅かすからだ。権力を手に入れた者は、決してそれを手放したがらない。ほとんどの独裁者(著者は一九六五年から一九九七年にかけてコンゴを支配した独裁者、ジョゼフーモブツを例に挙げている)は、単に豊かな国家の支配者でいるよりは、国民から略奪し、ジェット機や自宅にぜいたくにお金を使う方が、いい暮らしができると信じている。残念なことに、モブツのような独裁者の考えは正しいのである。コンゴのような独裁国家では、堕落した王であれ植民地の支配者であれ、社会主義革命家であれ、クーデターを起こした軍部であれ、何らかのグループが権力を掌握し、政権の座に座っている。対照的に、包括的な制度の下では、富や権力は国民の間で分配されており、権力者が不当な利益を蓄え、それを持ち逃げするのは難しい。もしそんなことが起きれば、権力の座にいるのが誰であろうと、投票によって職を追われるだろう。

 スタンダードオイル社のように、十九世紀にアメリカで誕生したいくつもの巨大な独占企業は、市場だけでは包括的な制度が達成できないことを示している。実際、市場の独占は、権力と富を蓄え他人から機会を奪うために利用できる。「トラストの解消」は現在も政府の重要な役割の一つだ。アイダ・ターペルのように、政府の腐敗などを徹底して暴き出す「マックレイカー」と呼ばれるジャーナリストは、ヅァンダービルトやロックフェラーのように独占によって富を築いた「泥棒男爵」の腹黒い行動を明るみに出し、独占を防ぐ対策を講じるように政治家に圧力をかけた。政治家の中にこうした泥棒男爵の味方がいても、ひるむことはなかった。報道の自由は、収奪的な傾向に対する歯止めとして、これからもなくてはならないものだ。実際、テレビであれ新聞であれインターネットを利用したソーシャルメディアであれ、メディアの統制は、収奪的な支配体制においてはおそらく何よりも重要な項目だろう。

権力の分配--歴史の影響

 不平等は持続するだけでなく、時間とともにさらに拡大していく。なぜなら、国家の制度というものは(アセモグルとロビンソンが指摘するとおり、それはしばしば「過去に深く根を下ろしている」[上巻]、さまざまな方法で不平等を拡大させるからだ。いったんある国家が作られると、その国の最初のあり方によって、ものの見方や行動の仕方が決まってしまい、あとからそれを変えるのは難しい。万人に対する機会の欠如が最初に問題視されなければ、その状態は社会に定着してしまう。

 現在の制度があるグループや階級にとって都合がよければ、彼らは国民の多くの利益のためにそれらの制度を改革する気にはならないだろう。このようにして、社会はより多くの国民に、より多くの利益を約束する制度や政策を合理的に評価して作られるのではなく、権力者が彼らの利益を守るために作った政策によって形成される。権利が奪われていると感じるグループ、たとえば極左政党などが政府を転覆させたとしても、結局は他のグループを犠牲にして自分たちの権力を強化するだけで、不安定な社会のパターンはそのまま受け継がれる。ドイツの社会学者ロベルト・ミヒェルスが「寡頭制の鉄則」(上巻)と名づけたこの現象は、なかなか覆せないことが歴史的に証明されている。国民全員に繁栄と参加の機会がある真に成功した国家を創造できるのは、権力の分配を確実に行なう制度だけだ。ある国家が権力を分配する方向に発展する理由は、しばしば偶然によるもので、「決定的な岐路」(上巻)とも呼ばれている。

 それは社会のバランスを崩すような大事件の場合もあれば、さまざまな要因の積み重ねの場合もある。北アメリカ植民地は、設立当初はヨーロッパの封建制を模倣した社会になるはずだった。豊かな地主が低賃金労働者や奴隷から富を収奪する社会である。南部のプランテーション経済ではそれが実現したが、北部植民地では労働力(白人と先住民族の両方)の不足によって入植者に強い交渉力が生じ、また、土地そのものも単一の家族が耕す小規模な土地保有に適していた。こうした条件が入植者の間に自立的な思想を育てるため、入植者に豊かになろうとするインセンティブを与えない限り、新しい土地の開拓は進まないとイギリス政府は理解せざるを得なかった。

成長が見た目どおりとは限らないのはなぜか

 少なくとも短期的には、収奪的な制度を持つ国家がうまくいかないわけではない。一九三〇年代から一九七〇年代にかけて、ソビエト連邦は国家権力によって産業を農業から工業に移行することで、急速に発展した。しかし一九八〇年代になると、ソ連の経済成長は一気に減速した。

 ときには収奪的な政府が、経済を急成長させる場合もある。世界的に需要の多い商品を独占している場合(たとえばバルバドスの砂糖生産のように)や、収益の低い産業(農業)から高い産業(工場生産)に資源を移動させる場合がこれに当てはまる。スターリンが農場を集団化し、その収入でソビエトの工業を興したのもその一例だ。その工業化の過程は市場経済に比べれば非効率的で、技術の進歩は遅く、強制されたものだったが、それでも経済成長は生じるのである。一九二八年から一九六〇年にかけて、ソ連の経済は年率平均六パーセント成長した。多くの人びとはこの成長が持続的なもので、いずれはアメリカ経済を凌駕するとさえ思い違いをした。実際には、アセモグルとロビンソンが指摘するように、一九七〇年代に「イノベーションの欠如と経済的インセンティブの不足によってそれ以上の進歩が妨げられ」(上巻)、成長は止まってしまった。

 過去十年間の中国の成長は、ソビエト連邦の爆発的成長と非常に似通っていると著者は言う。中国経済はソビエトよりもはるかに多様性があるし、中国には数百万人の起業家がいると認めているが、ソビエトと同じ原理は中国にも当てはまる。「政治制度が収奪的である限り、過去の同様の事例と同じく、成長は本質的に限られたものになる」(上巻)と著者は言う。中国で持続的な成長が可能になるためには、中国経済が「創造的破壊」(上巻)を受け入れなければならない。政府が多数の国営企業を所有・支配している現状で、その可能性はどれくらいあるのだろうか? さらに、創造的破壊は包括的政治制度を通じて初めて実現するのだが、中国でそうした制度が誕生する兆しは見あたらない。
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