『グループ・ダイナミックス』より
政府首脳の決定が国家に甚大な被害をもたらした事例としてすぐ頭に浮かぶのは、太平洋戦争開戦の決定である。当時、経済力ならびに軍事力において日米間には圧倒的な差があった。1941年の石油生産量は、アメリカは日本の527倍、鉄鋼や石炭などの主要物資生産高は76.7倍,海軍力(船舶保有トン数)は2倍であった。この決定が集団的浅慮の症状や原因にどの程度合致するのか検討する。
① 集団成員相互の同調圧力
閣議や最高首脳会議(大本営政府連絡会議)などで開戦に異を唱えることは、かなり自由に行われていたようである。事実、1941 (昭和16)年11月5日に行われた開戦の決意を固める御前会議の直前に開かれた大本営政府連絡会議では東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相は開戦に激しく反対した。それから11月29日の開戦直前の宮中での重臣会議でも、非戦の主張が少なからずあった。ただ当時日本が大陸に所有していた権益を無にすると思われるアメリカのハル国務長官の要求、いわゆるハルノートを受け入れることができなかったこと、戦争終結に関しても、星野直樹元内閣書記官長は「今から考えれば早く戦争を止めるべきであったが、当時は敗戦や戦争終結を口にすることは犯罪とされていたので、誰もなかなか言い出せなかった」と証言している。わが国では圧倒的な社会的気運がある方向に動こうとするときそれに協賛せぬものは非国民となると述べている。根拠のある独自の思考よりもみんなの「空気」に和すること、気配りが重要な徳目とされている。
② 自己検閲
先ほど述べたように、非戦の主張はあったが、ハルノートを受け入れることができなかったこと、それからすでに日米開戦を想定しての準備も行っていたことなどもあり、自分の身命を賭し戦争を阻止するために行動した最高指導者はいなかった。
③ マインドガードの発生
政府首脳集団は一枚岩ではなく、マインドガードの役割を果たすような人物の存在は確認できない。
④ 表面上の意見の一致
上述のように強い反対意見もあり、意見の一致はなかった。
⑤ 無謬性の幻想 ″
杉山元参謀総長は開戦直前の会議で「連合国兵士のうち白人本国兵は30%にすぎず、あとは戦闘能力の低い現地兵である。日本の方が陸海とも編制、装備、素質に優れている。それに連合国の兵力は広大な地域に分散し、共同作戦が困難であるばかりでなく、インド、オーストラリアからの増援も困難である。奇襲攻撃で先制し集中攻撃によって連合国を各個撃破する」と言っている。それから永野修身軍令部総長も「米の艦隊の6割しか太平洋にいない。英の大艦隊が来る可能性もない。ハワイ奇襲作戦が成功すれば2年間は十分戦える」と言っている。
⑥ 道徳性の幻想
政府首脳らは、八紘一宇、大東亜共栄圏のスローガンを掲げた。近衛文麿内閣の基本国策要綱には「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(国のはじめ)の大精神に基づき、世界平和の確立を招来することを以て根本とし先ず皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するにあり」とある。八紘一宇は日本書紀にある言葉で、全世界を統一して一軒の家とするという意味である。要するに日本が全面協力してアジア民族を白色帝国主義から独立させ、東アジアに白人の力が及ばない日本を中心とした共栄圏をつくることを意図した。そのために日本の南進は侵略ではなく新秩序の建設と考えた。
⑦ 外集団に対するゆがんだ認識
陸軍のある高官は「アメリカは多民族の寄せ集めで、愛国心はない。兵隊もダンスはうまいが、鉄砲は下手。それに対して皇軍には比類無き志気がある」と言っていた。
⑧ 問題解決方略の拙さ
軍は長期戦の見通しがなかったことを、島田繁太郎元海相は次のように証言している。開戦2年の間は勝利する確信があるが、米英の本土を攻略する力はない。相手が動員体制を整えて反抗してくるだろう3年目以降については予見できなかった。そのために相手の事情も考えず、身勝手な楽観的な見通しを考えた。例えば、南方の資源を確保すれば自給自足しながら戦える、インド洋を制圧すればイギリスは資源不足になる。そのうちドイツが英本土上陸をやるだろうから、そうなればイギリスは脱落し、仲間を失ったアメリカも戦意を喪失する、そのときに中立国を通して工作すれば有利に戦争を終結できる、このように思い込んだ。それから日本の先制攻撃がアメリカ世論を激高させ志気を高めることも、あまり計算していなかった。また日本政府と駐米大使館との連絡は、アメリカの暗号解読により全部筒抜けであった。
政府首脳の決定が国家に甚大な被害をもたらした事例としてすぐ頭に浮かぶのは、太平洋戦争開戦の決定である。当時、経済力ならびに軍事力において日米間には圧倒的な差があった。1941年の石油生産量は、アメリカは日本の527倍、鉄鋼や石炭などの主要物資生産高は76.7倍,海軍力(船舶保有トン数)は2倍であった。この決定が集団的浅慮の症状や原因にどの程度合致するのか検討する。
① 集団成員相互の同調圧力
閣議や最高首脳会議(大本営政府連絡会議)などで開戦に異を唱えることは、かなり自由に行われていたようである。事実、1941 (昭和16)年11月5日に行われた開戦の決意を固める御前会議の直前に開かれた大本営政府連絡会議では東郷茂徳外相、賀屋興宣蔵相は開戦に激しく反対した。それから11月29日の開戦直前の宮中での重臣会議でも、非戦の主張が少なからずあった。ただ当時日本が大陸に所有していた権益を無にすると思われるアメリカのハル国務長官の要求、いわゆるハルノートを受け入れることができなかったこと、戦争終結に関しても、星野直樹元内閣書記官長は「今から考えれば早く戦争を止めるべきであったが、当時は敗戦や戦争終結を口にすることは犯罪とされていたので、誰もなかなか言い出せなかった」と証言している。わが国では圧倒的な社会的気運がある方向に動こうとするときそれに協賛せぬものは非国民となると述べている。根拠のある独自の思考よりもみんなの「空気」に和すること、気配りが重要な徳目とされている。
② 自己検閲
先ほど述べたように、非戦の主張はあったが、ハルノートを受け入れることができなかったこと、それからすでに日米開戦を想定しての準備も行っていたことなどもあり、自分の身命を賭し戦争を阻止するために行動した最高指導者はいなかった。
③ マインドガードの発生
政府首脳集団は一枚岩ではなく、マインドガードの役割を果たすような人物の存在は確認できない。
④ 表面上の意見の一致
上述のように強い反対意見もあり、意見の一致はなかった。
⑤ 無謬性の幻想 ″
杉山元参謀総長は開戦直前の会議で「連合国兵士のうち白人本国兵は30%にすぎず、あとは戦闘能力の低い現地兵である。日本の方が陸海とも編制、装備、素質に優れている。それに連合国の兵力は広大な地域に分散し、共同作戦が困難であるばかりでなく、インド、オーストラリアからの増援も困難である。奇襲攻撃で先制し集中攻撃によって連合国を各個撃破する」と言っている。それから永野修身軍令部総長も「米の艦隊の6割しか太平洋にいない。英の大艦隊が来る可能性もない。ハワイ奇襲作戦が成功すれば2年間は十分戦える」と言っている。
⑥ 道徳性の幻想
政府首脳らは、八紘一宇、大東亜共栄圏のスローガンを掲げた。近衛文麿内閣の基本国策要綱には「皇国の国是は八紘を一宇とする肇国(国のはじめ)の大精神に基づき、世界平和の確立を招来することを以て根本とし先ず皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設するにあり」とある。八紘一宇は日本書紀にある言葉で、全世界を統一して一軒の家とするという意味である。要するに日本が全面協力してアジア民族を白色帝国主義から独立させ、東アジアに白人の力が及ばない日本を中心とした共栄圏をつくることを意図した。そのために日本の南進は侵略ではなく新秩序の建設と考えた。
⑦ 外集団に対するゆがんだ認識
陸軍のある高官は「アメリカは多民族の寄せ集めで、愛国心はない。兵隊もダンスはうまいが、鉄砲は下手。それに対して皇軍には比類無き志気がある」と言っていた。
⑧ 問題解決方略の拙さ
軍は長期戦の見通しがなかったことを、島田繁太郎元海相は次のように証言している。開戦2年の間は勝利する確信があるが、米英の本土を攻略する力はない。相手が動員体制を整えて反抗してくるだろう3年目以降については予見できなかった。そのために相手の事情も考えず、身勝手な楽観的な見通しを考えた。例えば、南方の資源を確保すれば自給自足しながら戦える、インド洋を制圧すればイギリスは資源不足になる。そのうちドイツが英本土上陸をやるだろうから、そうなればイギリスは脱落し、仲間を失ったアメリカも戦意を喪失する、そのときに中立国を通して工作すれば有利に戦争を終結できる、このように思い込んだ。それから日本の先制攻撃がアメリカ世論を激高させ志気を高めることも、あまり計算していなかった。また日本政府と駐米大使館との連絡は、アメリカの暗号解読により全部筒抜けであった。
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