未唯への手紙
未唯への手紙
私の中の存在の力
未唯へ
どう見ても、挙動がおかしいけど、しょうがない。
ICレコーダーに音入の要領をキッチリ作り上げましょう。それこそ、すぐわかるようにします。ICレコーダーの割り込みは作らないでおきます。別フォルダーに入れ込みます。
アマゾンの3000円券を取りあえず、買いましょう。機能アップできるかどうか分からないけど。
幸せな国
デンマークは皆同じだというところで大半の国民が幸せと感じる国になった。これは国という単位である必要があるのか。元々は、農業中心で、ローカルでの自由・平等の意識が強く、それを公平に分担することを早めにやってきた。
ハイエクは、小宇宙のルールを大宇宙に適用するとすれば、拡張された秩序を破壊することになる。もし、逆が行われるのであれば、小宇宙を消してしまうことになる。
私の中の存在の力
私の存在の力をもう一度確かめたい。何のために生きているのか、生まれてきたのか、放り込まれたのか。時間が縦に流れています。
何のために先を見てきたのか、どっち道、なくなるところで、そこからもう一度考え直さんしといけない。社会の位相化で、先が見えてきたところで、パートナーから離れて、ゼロになっています。何の目的もなくなっている。
中学の時のなくなることの恐怖、冗談じゃないわ。冗談という言葉もないわ。あの恐怖から、もう一度考えないとダメかもしれない。
今日は家に帰ってから、ブログの入力と本を三冊ぐらいしかしていません。パソコンへの入力はしていません。明日も、3時から起きて何かをするのでしょうね。こんなことを、他の人に話してもしょうがない、居ないんだから、自分に対して、しゃべっています。しゃべることも本当に言葉でいいのか。
戻るとしたら、やはり、存在と無でしょう。未唯空間もそこから作ってきました。この地球、社会そのものを存在と無にしたら、そこまでのアナロジーを考えたら、少しは納得するかもしれません。存在と無で、キーワードをもう一回、確認しましょう。
考えること
考えることは、そういうことなのか。考えることは次元を超えることです。内なる世界に作ることです。全てが虚しいのは分かっているけど。
ポータルのプログラム制約がなくなった
ポータルも動き出してきたが、サファイアなきサファイアでは、どこまでやり切れるか。しかし、それが本来的なことなのか。
相変わらず、ポータルは持って行き先がない:。社会の位相化などは誰も分かりもしない。そのためのインタープリターが居ない。
自分の感覚
全てが、二次元に見えます。自分はセロ次元です。自分というのは、感覚もない。宇宙に漂っていたい。そんな気分です。
この感覚は幻想ではない。これしかないものです。
中学時の驚愕の事実
すべてのものが私を通じてしか見えない。これはどう見ても真実です。ということは、断たれれば、全てがなくなる。これは生まれた時から一緒です。他のモノの心はどうなっているのか。本当に心はあるのかないのか。ないんでしょう。
こんな当たり前のことに、中学の時に、気がついて、驚愕した。それから、50年以上経っても同じです。その間の日々は何だったのか。あまりにも、分かりすぎていること、人の目を通しても同じだということ、人の目そのものが信じられないこと、信じるための根拠がないこと。
愛は拘り
絶対的な存在の女性に託してきたけど、パートナーではないけど、やはり、分からない。素直な問い掛けしても、誰からも答えがない。SNSも幻想でしかない。だから、この社会は幻想でしかない。幻想はないと同じです。
愛は拘りです。拘ることで、一点突破を図ります。人類に対する愛。その拘りを捨てたところから、始まる世界がある。だから、パートナーへの拘りを外します。
やはり、目的は全てを知ることです。存在は有限であり、無は無限です。そこから何を導くのか。それで何を知るのか、知ってどうするのか。
どう見ても、挙動がおかしいけど、しょうがない。
ICレコーダーに音入の要領をキッチリ作り上げましょう。それこそ、すぐわかるようにします。ICレコーダーの割り込みは作らないでおきます。別フォルダーに入れ込みます。
アマゾンの3000円券を取りあえず、買いましょう。機能アップできるかどうか分からないけど。
幸せな国
デンマークは皆同じだというところで大半の国民が幸せと感じる国になった。これは国という単位である必要があるのか。元々は、農業中心で、ローカルでの自由・平等の意識が強く、それを公平に分担することを早めにやってきた。
ハイエクは、小宇宙のルールを大宇宙に適用するとすれば、拡張された秩序を破壊することになる。もし、逆が行われるのであれば、小宇宙を消してしまうことになる。
私の中の存在の力
私の存在の力をもう一度確かめたい。何のために生きているのか、生まれてきたのか、放り込まれたのか。時間が縦に流れています。
何のために先を見てきたのか、どっち道、なくなるところで、そこからもう一度考え直さんしといけない。社会の位相化で、先が見えてきたところで、パートナーから離れて、ゼロになっています。何の目的もなくなっている。
中学の時のなくなることの恐怖、冗談じゃないわ。冗談という言葉もないわ。あの恐怖から、もう一度考えないとダメかもしれない。
今日は家に帰ってから、ブログの入力と本を三冊ぐらいしかしていません。パソコンへの入力はしていません。明日も、3時から起きて何かをするのでしょうね。こんなことを、他の人に話してもしょうがない、居ないんだから、自分に対して、しゃべっています。しゃべることも本当に言葉でいいのか。
戻るとしたら、やはり、存在と無でしょう。未唯空間もそこから作ってきました。この地球、社会そのものを存在と無にしたら、そこまでのアナロジーを考えたら、少しは納得するかもしれません。存在と無で、キーワードをもう一回、確認しましょう。
考えること
考えることは、そういうことなのか。考えることは次元を超えることです。内なる世界に作ることです。全てが虚しいのは分かっているけど。
ポータルのプログラム制約がなくなった
ポータルも動き出してきたが、サファイアなきサファイアでは、どこまでやり切れるか。しかし、それが本来的なことなのか。
相変わらず、ポータルは持って行き先がない:。社会の位相化などは誰も分かりもしない。そのためのインタープリターが居ない。
自分の感覚
全てが、二次元に見えます。自分はセロ次元です。自分というのは、感覚もない。宇宙に漂っていたい。そんな気分です。
この感覚は幻想ではない。これしかないものです。
中学時の驚愕の事実
すべてのものが私を通じてしか見えない。これはどう見ても真実です。ということは、断たれれば、全てがなくなる。これは生まれた時から一緒です。他のモノの心はどうなっているのか。本当に心はあるのかないのか。ないんでしょう。
こんな当たり前のことに、中学の時に、気がついて、驚愕した。それから、50年以上経っても同じです。その間の日々は何だったのか。あまりにも、分かりすぎていること、人の目を通しても同じだということ、人の目そのものが信じられないこと、信じるための根拠がないこと。
愛は拘り
絶対的な存在の女性に託してきたけど、パートナーではないけど、やはり、分からない。素直な問い掛けしても、誰からも答えがない。SNSも幻想でしかない。だから、この社会は幻想でしかない。幻想はないと同じです。
愛は拘りです。拘ることで、一点突破を図ります。人類に対する愛。その拘りを捨てたところから、始まる世界がある。だから、パートナーへの拘りを外します。
やはり、目的は全てを知ることです。存在は有限であり、無は無限です。そこから何を導くのか。それで何を知るのか、知ってどうするのか。
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