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未唯への手紙

未唯への手紙

自動車産業と「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」

2016年11月30日 | 5.その他
『アメリか異形の制度空間』より 〈自由〉の繁茂と氾濫

自動車産業と「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」

 こうして、一九世紀に効率的な大量生産の方式が編み出され、そのための製造工程の機械化・自動化が進み、職人や熟練工のいらないいわゆるオートメーション方式が生み出された。その集大成であるとともに、その後の産業発展の範型となるのが、二〇世紀の初頭に出現した自動車産業である。

 自動車はたんにひとつの工業製品であるのではない。多種多様な製品を組み合わせた総合的商品である。ボディー、エンジン、タイヤ、ウィンドーガラス、シート、電気系統、制御系等々、多様な構成部分からなり、一台の自動車ができるには、それらの部品の製造と、それを調達して組み立てる作業が必要である。ところがヘンリー・フォードは、そのすべてをひとつの工場に集め、製造工程を一貫した流れ作業に統合して、一続きで完成品を作り上げるだけでなく、それによって一台あたりの製造時間を驚異的に短縮することに成功した。複雑で大きな製品の大量生産が可能になったのである。これによってそれまで高級品だった自動車が比較的安価に供給されるようになり、街や郊外を自在に走り回るその姿が一般市民の羨望を誘って、軌道を必要としないこの自由な移動手段は瞬く間に広く普及するようになった。

 この工業製品は、ただの置物でも、備えつけの道具でもなかった。人びとは自分だけの私的な移動手段をもつことになり、道路さえあればいつでも自由にどこにでも行ける。ただしそのためには、自動車が通れるように街路が整備され、遠くまで移動できるよう道路網が拡充され、あちこちにガソリンスタンドも設置しなければならない。そしてそれが一旦整備され多くの人びとが自動車に乗るようになると、生活するのにもはや窮屈な都会の真ん中にとどまっている必要はなくなり、郊外にレストランやショッピングセンター、ホテルやドライブイン・シアターができるようになる。こうして自動車の普及は、人びとの活動範囲や時間意識を塗り替えて生活様式をI新しただけでなく、社会の様相を大きく変えることにもなった。もちろん自動車の燃料のガソリンは必需品になり、石油の獲得や精製が経済社会の重要なファクターになる。

 そうなると人びとは、もはや自動車なしに生活できなくなる。そのために自動車の需要は拡大し恒常化しただけでなく、この総合産業の裾野は広がって、道路関連の産業だけでなく、生活の変化に伴うあらゆる分野の産業が生みだされ、自動車製造はその基軸として、技術革新とそれが引き起こす社会の「進化」を牽引することになった。そしてその後の電化製品による生活の向上や、近年のコンピューターや携帯電話によるいわゆるIT革命のひな型になったのである。また、燃料として必要な石油は主要なエネルギー資源としての位置を占め、その需要は世界情勢を動かす決定要因のひとつにさえなった。こうしてフォードを初めとする自動車産業の勃興と興隆はアメリカの繁栄を確固たるものにし、二〇世紀の世界が「アメリカ的」なものになる方向を決定づけたと言っても過言ではないだろ

 そしてやがて名高い「アメリカ式生活様式」が花開く時期を迎える。独立宣言に「創造主によって与えられた」と明記された「生存、自由、幸福追求の権利」が、個人主義的でオプティミスティックで物質的に豊かな生活のなかで自在に行使される。オートメーションが象徴する効率と利便が、自由でこだわりのない安楽追求を消費生活として後押し、大量生産で供給される豊かな物資を、それぞれの私的な幸福に自足する人びとが惜しみなく使い捨ててゆく社会ができあがる。

 抗争の論理の支配する古い秩序の世界(古いヨーロッパ)が「世界戦争」に到り着いて焦土と化したときも、大西洋に隔てられた「西半球」の〈自由〉の領域は無傷で、むしろその戦争を通して世界の兵器工場となり、自動車で培った生産ラインを駆使して機関銃や軍用車両さらには航空機を大量に製造して世界に送り出し、技術革新も急速に進めて、アメリカは石油化学から電気、医療、核技術にいたるまで世界の技術を集約し、もはや競合しうるもののない巨大産業国となって、二〇世紀後半の世界に君臨することになったのである。戦争中の軍需産業は、戦後は大幅に民間需要に転換するようになるが、その生産力と豊かさが二般の人びとの生活のなかで「アメリカ的生活様式」として享受されるようになる。

 そうしてこの繁栄が世界の人びとを引きつけ、アメリカを模範と仰がせ、マンハッタンの摩天楼のイリュミネーションは、物質文明世界の「丘の上の町」として輝いた。技術革新(イノヴェーション)によって物資的生産の効率が上がり、新たな消費分野が開拓されると、大量生産と大量消費のサイクルが全開し、それが人びとの行動様式を変えてゆく。ひとつの製品の市場が飽和しても、新しいモードがさらに消費の欲望を生み出すし、このような生活様式は世界を魅了しておのずから市場を外部に拡大してゆく。「アメリカ」は世界の夢となり未来となり、この「灯台」の生活様式は、模倣の欲望を通してしだいに世界に浸透していった。

「アメリカ化」する世界

 〈自由の制度空間〉とは未曾有のものだった。それまで、これほど広大な「無主」の大地はどこにもなかったからだ。それがまるまる新規の〈自由〉に委ねられた空間になったのである。この大陸が「無主」とみなされたのは、それまでそこが『聖書』のどこにも記述されておらず、キリスト教世界にとってその新しさが絶対的だったということ(それまでインドや中国の存在も聖書のささいな記述になんとかあてはめて解釈されてきた)と、そこにいたのがヨーロッパ人の初めて会う人種だったからである(その「異人」が「人間」かどうかは、キリスト教徒となりうるかどうかという形で真剣に議論された)。そのためにこの地は「無垢(手つかず)」の幻想を生み、時の滓に淀むヨーロッパでは夢想でしかなかった「更地からの自由」の願ってもない実験場となったのである。

 〈アメリカ〉と命名されたこの制度空間は、あらゆる歴史的しがらみを旧大陸に捨てて設定された「新世界」だというその性格からして、どんな固有性にも縛られずどこにでも適用できる自在さを備えており、そのため「普遍的」モデルだという幻想を人びとにもたらした。とりわけこの国が短期間に富と繁栄を実現して大国となると、多くのアメリカ人は〈アメリカ〉をすばらしいと思い、他の貧しい国々や〈自由〉でない国々の人びとを憐れみ、アメリカのようになればよい、できたらアメリカのようにしてやりたいと思い、ときには頼まれもしないのにそうすることをみずからの使命だと思い込んだりもする。そして一方、他国の少なからぬ人びともアメリカやそこで実現できると言われる「ドリーム」に惹き寄せられ、アメリカに行くこと、そこで〈自由〉を享受することを夢見たり、あるいは自国の社会をアメリカのようにしたいといった願望を植え付けられてきた。

 〈アメリカ〉がもっとも広範にその魅惑を発揮するのはポピュラー文化や生活領域においてだろうが、それだけでなく、アメリカが世界の趨勢を決定してきたこの半世紀には、どこの国でも知的・社会的エリートたちもこぞってアメリカを模範とし、アメリカ的な視点や考え方を「先進的」で優れたものとして身につけようとし、アメリカ風になることをよしとしてきた。〈アメリカ〉とは進歩的、先進的、解放的なことと同義だったのである。だから世界のどこでも、その社会の主流を作る知的エリートたちはたいていはアメリカ流の考えに同化し、その自覚もないまま自国にアメリカ流を広める役割を果たしてきた。〈アメリカ〉はそのように、みずからの力で膨張し外部に拡大するだけでなく、その外部に〈アメリカ〉への同化の欲望を喚び覚まし、それによってまた〈アメリカ〉を広めてゆく。けれども〈アメリカ〉がもち込まれるとき、ほとんどの社会ではその自律性が崩壊してしまう。というのは、世界のどこも「更地」ではないし、住民は誰もが「孤立した個人」ではないからだ。

 〈アメリカ〉が設営されるためにはまずそこを「更地」にし、住んでいた人びとを「移民」のように、言いかえればその地と生来のつながりがなく、「分断され」「飢えを恐れて自己利益のために行動する人間」にしなければならない。それが〈自由〉を実現するために必要なコストであり、古い慣習や束縛は打ち破らねばならないというわけだ。そうすればかれらはかれら自身の「チャンス」に従って行動し、とりわけ「市場の自由」のもたらす「恩恵」に浴することができる。

 だからこそ〈アメリカ〉は、機会さえあればいつでも「他者の解放」のために「正義の戦い」を仕掛けることをためらわない。〈アメリカ〉の論理によれば、そうすれば世界は「解放」されるのだから。そのために「不朽の自由作戦」が企てられ、不運な人びとの住む土地を「石器時代に返す」までに爆撃し、そこに開かれた荒野(都会さえ荒野だ)に人びとを「解放」して、ときに爆弾とともに「人道物資」も投下しながら、「移民」ならぬ「難民」(これがかつての「移民」の新しいステイタスだ)であることの、底なしの〈自由〉に溺れさせて悔いないのである。

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