未唯への手紙
未唯への手紙
新しい数学とは何か?
新しい数学とは何か?
人間が理解している空間、宇宙空間を表わすのに数学を使ってきた。宇宙の拡がりを座標系とみなして、デカルト空間を作った。
だけど、空間の歪みがあること、地球の表面も平面ではない。なのに、幾何学のために、ユークリッドは法則を作り出した。
そこで、認識を全体から個に持ってくるのではなく、個から全体に持って行くというトポロジーを作り上げた。今、存在と無、宇宙全体を一つと見なすことから、新しい数学、というか、本来の数学を作り出していく。
存在と無の数学
その元になるのは、一つの点と全体との関係、部分と全体との関係、集合は点であり、点は集合である。そして、存在は無である。
これらは滑稽に見えるかもしれないけど、これらは今まで使われてきた論法です。点には面積がない、線には太さがないという仮説を受入れてきた。それで数学を作り上げてきた。
現実にあるものから考えたのではなく、仮想的な空間を作り上げて、そこに抽象的な概念を分かりやすくしてきた。だから、新しい数学と言うよりも、認識に合った数学、その為の概念を作るというものです。
数学史
数学史はそこに至るまでのプロセスをあらわにしている。未来のカタチから、今を見て、未来に戻していく、というやり方です。部分と全体の関係、思考と行動の関係に持ち込んできた。
新しい数学をそのまま、社会に適用するわけにはいきません。何しろ、二世代、違っています。とりあえず、現在のトポロジーの世界を社会に反映させることです。それが2.7です。その上で、その先の新しい数学とのマッチングを図るのが、2.8です。
未来のカタチ
2.7はあくまでも配置です。ハイアラキーでなく、配置で作った世界。それを試します。2.8は一番上と一番底辺のがつながっていく世界。宗教で言うと、神と直接つながっている世界です。それで始めて安定させることができる。
パラメーターとして、自由と平等を挙げています。自由の定義は難しい。進度により異なります。配置から定義しています。なぜ、社会と合わせようとするのか。これにはあまり意味はありません。単に、その考え方を自然な方へ持って行こうとしているだけです。数学はそういう所で底辺が役立たせようという人間の思惑です。
内と外の4つの状態
思考と行動の関係はあくまでも内向けと外向けです。数学は内なる世界で、社会は他者の世界、外の世界です。思考は内向けです。部分は内なる世界。向きではなく、エリアです。存在は内なる世界、無は外なる世界。
内にあるものか、内を向いているのか、外にあるのか、外を向いているのか。その四つで全てを見ていく。数学は内なる世界で確かめて、外なる世界に放り出す。
第3章の社会編は完全に外なる世界です。それで内なる世界に持ち込むエッセンスを探してきた。
第5章の仕事編で数学を使ったのは、内なる世界のエッセンスを外の世界で試すと同時に、新たな事項を発見すること、知らない間に何十年に亘ってやってきたと言うことです。
第4章の歴史編が難しいのは、時間軸というものをシーケンスと見ているから分かりにくいのでしょう。空間と同様に配置と見るとスッキリします。
原因と結果は時空間の配置で処理
原因と結果の関係で悩んでいたけど、時間軸の間の2点をどっち向きに見ていくのか、それで非順序になっていると言うことです。2つの間の関係はあるが、全体の中の関係にはなっていない。
人間が理解している空間、宇宙空間を表わすのに数学を使ってきた。宇宙の拡がりを座標系とみなして、デカルト空間を作った。
だけど、空間の歪みがあること、地球の表面も平面ではない。なのに、幾何学のために、ユークリッドは法則を作り出した。
そこで、認識を全体から個に持ってくるのではなく、個から全体に持って行くというトポロジーを作り上げた。今、存在と無、宇宙全体を一つと見なすことから、新しい数学、というか、本来の数学を作り出していく。
存在と無の数学
その元になるのは、一つの点と全体との関係、部分と全体との関係、集合は点であり、点は集合である。そして、存在は無である。
これらは滑稽に見えるかもしれないけど、これらは今まで使われてきた論法です。点には面積がない、線には太さがないという仮説を受入れてきた。それで数学を作り上げてきた。
現実にあるものから考えたのではなく、仮想的な空間を作り上げて、そこに抽象的な概念を分かりやすくしてきた。だから、新しい数学と言うよりも、認識に合った数学、その為の概念を作るというものです。
数学史
数学史はそこに至るまでのプロセスをあらわにしている。未来のカタチから、今を見て、未来に戻していく、というやり方です。部分と全体の関係、思考と行動の関係に持ち込んできた。
新しい数学をそのまま、社会に適用するわけにはいきません。何しろ、二世代、違っています。とりあえず、現在のトポロジーの世界を社会に反映させることです。それが2.7です。その上で、その先の新しい数学とのマッチングを図るのが、2.8です。
未来のカタチ
2.7はあくまでも配置です。ハイアラキーでなく、配置で作った世界。それを試します。2.8は一番上と一番底辺のがつながっていく世界。宗教で言うと、神と直接つながっている世界です。それで始めて安定させることができる。
パラメーターとして、自由と平等を挙げています。自由の定義は難しい。進度により異なります。配置から定義しています。なぜ、社会と合わせようとするのか。これにはあまり意味はありません。単に、その考え方を自然な方へ持って行こうとしているだけです。数学はそういう所で底辺が役立たせようという人間の思惑です。
内と外の4つの状態
思考と行動の関係はあくまでも内向けと外向けです。数学は内なる世界で、社会は他者の世界、外の世界です。思考は内向けです。部分は内なる世界。向きではなく、エリアです。存在は内なる世界、無は外なる世界。
内にあるものか、内を向いているのか、外にあるのか、外を向いているのか。その四つで全てを見ていく。数学は内なる世界で確かめて、外なる世界に放り出す。
第3章の社会編は完全に外なる世界です。それで内なる世界に持ち込むエッセンスを探してきた。
第5章の仕事編で数学を使ったのは、内なる世界のエッセンスを外の世界で試すと同時に、新たな事項を発見すること、知らない間に何十年に亘ってやってきたと言うことです。
第4章の歴史編が難しいのは、時間軸というものをシーケンスと見ているから分かりにくいのでしょう。空間と同様に配置と見るとスッキリします。
原因と結果は時空間の配置で処理
原因と結果の関係で悩んでいたけど、時間軸の間の2点をどっち向きに見ていくのか、それで非順序になっていると言うことです。2つの間の関係はあるが、全体の中の関係にはなっていない。
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