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『「家庭」の誕生』

『「家庭」の誕生』

 『「家庭」の誕生』

理想と現実の歴史を追う

理念と実態の乖離――むき出しになる「家庭」

1「家庭」の飽和

個人化の時代

二〇二一年の「こども家庭庁」の名称変更の問題に際して、自民党内からは、「子どもは家庭を基盤に成長する」、「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」といった発言が相次いだという[『朝日新聞デジタル』二〇二〇年一二月二〇日]。こうした発言について、作家の山崎ナオコーラは、自身の子育ての体験を踏まえて次のように述べている。

「子育ての基盤が家庭」という言葉には「家庭」と「社会」を切り離し、閉じた場所であるかのようなニュアンスがあります。でも私には、この二つは地続きです。子育ては家庭で完結しないし、社会人が多様であるように、子どもや親、家庭も多様です。(…..)集団でなく、個として子どもや親をとらえられる社会は、小さな声が聞き届けられ、結果的に少数派も堂々と生きられる社会につながるはずです。生まれた瞬間から、人は個として存在している。そのことを忘れないでほしいです。

本書を通読してきた読者にとっては、「子育ての基盤が家庭」という観念は、歴史的に形成されたものであるということは自明であろう。この観念は、明治期に欧米社会の「家庭(Home)」のあり方に影響を受けた知識人たちが広めはじめたものだった。

明治初期であれば、「子どもは家庭を基盤に成長する」、「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」という発言は進歩的にも聞こえたかもしれない。「家庭」ではなく、「家」が社会の基盤であった時代では、母親の存在感は大きいものではなかったからである。

「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」という観念は、かつては女性の主体性の獲得とも結びついていた。「家庭」では「家」と異なり、夫に単に従属するのではなく、家事や育児を通して自律的に動く主婦になることが求められていた。

もっとも現在では、「子どもは家庭でお母さんが育てるもの」という発言は、ある種の押しつけにも聞こえるだろう。「こども家庭庁」の名称変更に際しても、女性からの反対の声が多くみられた。山崎ナオコーラはこの点について、「女性からの声が目立ったのは、『家庭』は母親に向けられる言葉、という側面があるからでしょう。(…)『母親』は実際は自分の子や家庭の中だけを見ているわけではなく、社会を支える側でもある。(…)甘く見ないでほしいです」と述べている『『朝日新聞デジタル』二〇二二年二月二二日』。

実際に近年では、結婚、出産後も仕事を継続する女性は増加傾向にある。国立社会保障・人口問題研究所「第一六回出生動向基本調査」によれば、二〇一五(平成二七)~二〇一九年に第一子出産後に就業継続した妻の割合は五三・八%であり、二〇一〇(平成二二)~二〇一四(平成二六)年より約一一ポイント上昇した。

女性だけでなく、男性の意識も変化している。同調査によれば、男性がパートナーの女性に望むライフコースの理想像は、仕事と子育ての両立コース」が最多であり、「再就職コース」や「専業主婦コース」よりも高かった[国立社会保障・人口問題研究所二〇二二]。

また各々の家族の姿もさまざまである。昭和期のような三世帯同居や専業主婦世帯もあれば、夫婦ともに総合職に就いていたり、妻がパートで働いていたりするケースもある。あるいはひとり親世帯として暮らすことや、そもそも結婚しないという選択肢も珍しくなくない。現在は、画一的な「家庭」が営まれている時代ではないのである。

社会で共有されてきた生き方のモデルがゆらぎ、個人の選択可能性が高まることを、社会学では「個人化」と呼ぶ。現代日本においては、どのような「家庭」を営むか、あるいは営まないかということは、個人の選択の問題とみなされるようになってきている。

個人化は、社会の近代化にともなう現象であり、人びとが自分勝手やわがままになったことを意味するわけではない。また一方で、人びとが本当に生き方を選択できているのかという問題もある。たとえば非正規雇用で経済的に安定せず、結婚したくてもできないというケースや、近隣に子どもを預けることができる環境がなく、仕事と育児の両立を諦めるケースは珍しくない。これらは個人の選択というより、社会構造の問題である。

昭和が終わり、平成、そして令和の時代を迎えた。この道のりは、高度経済成長期に成立した「家庭」のあり方が、理念としても実態としても大きくゆらいだ時期にあたる。かつての「家庭」を支えていた企業や地域社会の安定が失われ、それまでのような家族生活を営むことが困難になる人びとが増える一方で、新しい生活モデルが目指されたり、あるいは特定の「家庭」像が声高に唱えられたりしている。

あらためて現在は、これまでの生き方のモデルがゆらぐなかで、「個人」と「家庭」の関係が問い直されている時代なのではないだろうか。「個人」としてどのような生活を営むのか、あるいはどのような相手とともに暮らすのか、そして多様な「家庭」や共同生活を社会がどのように包摂していくのか。

本章では、これらの問題を考える前提となる、一九七〇年代後半以降の「家庭」の状況をみていく。

辛口ホームドラマの時代

第四章でもみたように、日本における「近代家族」的な「家庭」の最盛期は、専業主婦の割合を基準にすれば、一九七五(昭和五〇)年前後である。だがこの時期には、「家庭」の解体を予感させる表現も、メディア上に多くあらわれはじめていた。

「家庭」の解体の予兆のひとつは、テレビドラマにおける家族関係の描かれ方にみることができる。一九七七(昭和五二)に放映された、山田太一脚本の『岸辺のアルバム』は、その代表的な作品のひとつである。

『岸辺のアルバム』は、一九六〇年代のホームドラマと同様に、東京郊外に住むサラリーマンと専業主婦、そして二人の子どもという、典型的な中流家族を描いた作品であった。しかし六〇年代のホームドラマが明るくハッピーエンドに終わる家族の姿を描いていたのに対して、この作品の基調となっていたのは家族の不和であった。

仕事人間の夫は家族とコミニケーション不足気味であり、勤めている会社も倒産寸前。妻は良妻賢母的な専業主婦だが、心の穴を埋めるために浮気に走る。大学生の娘は家族に対して心を閉ざしがちで、受験生の息子はバラバラになっていく家族の姿に葛藤を抱えている。
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