未唯への手紙
未唯への手紙
自動運転車で自動車の数を九割削減
『通勤の社会史』より すべては変わる ⇒ インフラの有効活用という観点。地域のインフラは地域のコミュニティに委託する。シェア社会につながる。
自動運転車の研究をリードしている〈グーグル〉社も、安全性を目的としている。同社の非公式の企業理念が「邪悪になるな」ということもあり、戦争よりも多くの犠牲者を出している交通事故を、自動運転車によってなくしたいと考えている。〈グーグル〉の最高財務責任者、パトリック・ピシェットは、在宅勤務をはねつけたときと同じスピーチにおいて、理想的な世界では「人間に車の運転をさせるべきではない」と述べた。問題が起きる要因と確率を計算し、それに自動車の数をかけてみれば、渋滞になるのは当然であり、「人に車の運転をさせるのはナンセンスだ」と語った。
〈グーグル〉が自動運転車の実現に野心を燃やすのには、安全性のほかにも理由がある。同社の開発指導者で二〇〇五年の《DARPAグランド・チャレンジ》で活躍したセバスチャン・スランは、次のような理由を挙げた。
1 交通事故を九割削減できる。
2 通勤に費やす時間とエネルギーの無駄を九割削減できる。
3 自動車の数を九割削減できる。
自動車の総数を減らすという三番目の項目を目的として自動運転車の開発に着手したなら、一番と二番もおのずと達成されるだろうが、その逆はそう単純ではない。いずれにしても、試験走行は始まっている。〈グーグル〉の最初の実験用自動運転車十台は、累計走行距離にして三十万マイル(約四十八万キロ)を突破した。車に搭載したコンピューターに問題が発生した場合に備えて、実験車には人間が一人乗車する。これまで三回事故が発生しているが、そのうち最も大きな事故--プリウスとの追突事故--は人間が運転しているときに起こったという。
〈グーグル〉の次のステップは、完全に無人の自動運転試験車を紹介することで、それは二〇一四年五月にユーチューブで初公開された。この試験車は大型のハマーとは対極をなし、座席は二人分のみ、小さな電動エンジンを搭載し、最高速度は時速約四十キロである。始動ボタンと緊急停止ボタン以外、人間が操作するものは何もない。漫画家がデザインしたような外観で、フロント部分には親しみやすい顔までついていた。形もコンセプトも、ディズニー映画《ラブ・バッグ》(一九六八年)に出てくるハービーという自動車によく似ている。ハービーはすこぶる人間的な感情を持っていたが、〈グーグル〉は自社の試作車に感情を持たせようとはしていない。試作車の室内は実用優先で、カップホルダーが二個あるだけだが、快適だ。閉鎖周回路で、高齢者と子どもと視覚障害のある男性を乗せて自動運転を披露したところ、参加した全員が、こうした車に乗って行動範囲が広げられる可能性に興味を示した。この車はハイウェイでの走行でなく、街や住宅地の範囲内を行き来するといった用途を想定している。
自動運転車はカリフォルニア州、ネヴァダ州、フロリダ州で限定的に合法化されている。推進者らによれば、今後はほかの州も自動運転車を承認していき、いずれは道路で普通に見かけるようになるとのことだ。〈フォーブス〉誌に寄稿しているイノベーション戦略家のチュンカ・ムイは、「もはや、合法化されるかどうかの問題ではなく、いつ合法化されるかというところに来ている--その日は思っているより近いはずだ」と述べた。
〈日産〉は、二〇二〇年までに自動運転車は一般でも購入可能になると公言している。〈グーグル〉はカリフォルニア州で百台のグーグル車の試験走行を行なう計画で、二〇一四年には公道走行が実現するかもしれない。ミシガン大学は、自動運転の〝コネクテッド・カー〟(通信機能を活用する自動車)をテスト走行させられる十三万平方メートルの模擬都市を建設中である。
〈ボルボ〉はスウェーデンのヨーテボリ市と協力して、自動運転車のパイロットプロジェクト(実際的ではあるが限定された運用条件のもと、情報処理システムの暫定版や最終版を試験するためのプロジェクト)を二〇一七年に開始すると発表した--最初の試験走行では、「一般的な通勤用幹線道路」と目される公道、約五十キロの範囲に、百台の自動運転車を走らせる計画だという。また、イギリスのニュータウン、ミルトンキーンズ(第7章参照)は、町の中心部から駅までの専用コースを走る自動操縦車〝ポッド〟を百台、二〇一五年に導入する計画である。
自動運転車は総合的なコスト面からも大いに注目されている。多国籍企業の〈KPMG〉は、自動運転の普及によって生じるであろう恩恵を試算した。交通事故が減れば、保険料その他の安全性に関する費用が低く抑えられるし、自動運転車で職場に行くなら、通勤者は車内で仕事をすることも可能になる。ロード・レージで逆上することもなくなるだろう。
そして、何十万エーカーもの駐車場が不要になれば、その土地を再開発できる。車線が狭くなることで道路建設計画も縮小でき、交通標識や交通信号は不要になり、道路を飛躍的な効率で活用できるようになると予想される。現在はラッシュ時の渋滞中を除き、自動車が道路の表面積を占めている割合は、実は驚くほど小さい。人が運転すると、恐怖心などから必要以上に車間距離をあけるからだ。人間は急に減速したり、ゆっくり加速したりするため、車が止まったり動いたりするうちに車列が伸び縮みするのだ。それに、運転中に家庭や職場の問題を気にしていれば、車間距離も一定しなくなるだろう。
一方、自動運転車にはプログラム・コード以外の、別の生活というのは存在しない。理論上は、短い車間距離の隊列を連ねて高速走行をすることが可能だ。先頭の車以外のすべての車が、前の車の後ろに発生する空気流を利用して走れるので、燃料を四分の一ほど節約できる。新しい道路を造らなくても、ラッシュ時の車の量を二倍、三倍に増やすことが可能だろう。
車両も乗り物として楽しいスタイルに変わりそうだ。前を向いた座席が一列か二列並んでいる現在の車と違って、ペッドやシャンデリア、ミニバー、パソコンデスクなども置けるし、ルーレット台だって乗せられる。通勤はかつてのように、冒険旅行にも豪華旅行にもなりうる。
自動運転車は簡単に利用できるという点から、究極のタクシーにもなる。いつ、どこにいても、電子メールで呼びだせる。身体の不自由な人やアルコール依存症の人など、現在運転を許されていない人たちも、自分で運転することなく車が利用できる。目が悪くなったり身体が動きにくくなったりした高齢者も、自動車に乗る自由を手放さずにすむ。
自動運転車の研究をリードしている〈グーグル〉社も、安全性を目的としている。同社の非公式の企業理念が「邪悪になるな」ということもあり、戦争よりも多くの犠牲者を出している交通事故を、自動運転車によってなくしたいと考えている。〈グーグル〉の最高財務責任者、パトリック・ピシェットは、在宅勤務をはねつけたときと同じスピーチにおいて、理想的な世界では「人間に車の運転をさせるべきではない」と述べた。問題が起きる要因と確率を計算し、それに自動車の数をかけてみれば、渋滞になるのは当然であり、「人に車の運転をさせるのはナンセンスだ」と語った。
〈グーグル〉が自動運転車の実現に野心を燃やすのには、安全性のほかにも理由がある。同社の開発指導者で二〇〇五年の《DARPAグランド・チャレンジ》で活躍したセバスチャン・スランは、次のような理由を挙げた。
1 交通事故を九割削減できる。
2 通勤に費やす時間とエネルギーの無駄を九割削減できる。
3 自動車の数を九割削減できる。
自動車の総数を減らすという三番目の項目を目的として自動運転車の開発に着手したなら、一番と二番もおのずと達成されるだろうが、その逆はそう単純ではない。いずれにしても、試験走行は始まっている。〈グーグル〉の最初の実験用自動運転車十台は、累計走行距離にして三十万マイル(約四十八万キロ)を突破した。車に搭載したコンピューターに問題が発生した場合に備えて、実験車には人間が一人乗車する。これまで三回事故が発生しているが、そのうち最も大きな事故--プリウスとの追突事故--は人間が運転しているときに起こったという。
〈グーグル〉の次のステップは、完全に無人の自動運転試験車を紹介することで、それは二〇一四年五月にユーチューブで初公開された。この試験車は大型のハマーとは対極をなし、座席は二人分のみ、小さな電動エンジンを搭載し、最高速度は時速約四十キロである。始動ボタンと緊急停止ボタン以外、人間が操作するものは何もない。漫画家がデザインしたような外観で、フロント部分には親しみやすい顔までついていた。形もコンセプトも、ディズニー映画《ラブ・バッグ》(一九六八年)に出てくるハービーという自動車によく似ている。ハービーはすこぶる人間的な感情を持っていたが、〈グーグル〉は自社の試作車に感情を持たせようとはしていない。試作車の室内は実用優先で、カップホルダーが二個あるだけだが、快適だ。閉鎖周回路で、高齢者と子どもと視覚障害のある男性を乗せて自動運転を披露したところ、参加した全員が、こうした車に乗って行動範囲が広げられる可能性に興味を示した。この車はハイウェイでの走行でなく、街や住宅地の範囲内を行き来するといった用途を想定している。
自動運転車はカリフォルニア州、ネヴァダ州、フロリダ州で限定的に合法化されている。推進者らによれば、今後はほかの州も自動運転車を承認していき、いずれは道路で普通に見かけるようになるとのことだ。〈フォーブス〉誌に寄稿しているイノベーション戦略家のチュンカ・ムイは、「もはや、合法化されるかどうかの問題ではなく、いつ合法化されるかというところに来ている--その日は思っているより近いはずだ」と述べた。
〈日産〉は、二〇二〇年までに自動運転車は一般でも購入可能になると公言している。〈グーグル〉はカリフォルニア州で百台のグーグル車の試験走行を行なう計画で、二〇一四年には公道走行が実現するかもしれない。ミシガン大学は、自動運転の〝コネクテッド・カー〟(通信機能を活用する自動車)をテスト走行させられる十三万平方メートルの模擬都市を建設中である。
〈ボルボ〉はスウェーデンのヨーテボリ市と協力して、自動運転車のパイロットプロジェクト(実際的ではあるが限定された運用条件のもと、情報処理システムの暫定版や最終版を試験するためのプロジェクト)を二〇一七年に開始すると発表した--最初の試験走行では、「一般的な通勤用幹線道路」と目される公道、約五十キロの範囲に、百台の自動運転車を走らせる計画だという。また、イギリスのニュータウン、ミルトンキーンズ(第7章参照)は、町の中心部から駅までの専用コースを走る自動操縦車〝ポッド〟を百台、二〇一五年に導入する計画である。
自動運転車は総合的なコスト面からも大いに注目されている。多国籍企業の〈KPMG〉は、自動運転の普及によって生じるであろう恩恵を試算した。交通事故が減れば、保険料その他の安全性に関する費用が低く抑えられるし、自動運転車で職場に行くなら、通勤者は車内で仕事をすることも可能になる。ロード・レージで逆上することもなくなるだろう。
そして、何十万エーカーもの駐車場が不要になれば、その土地を再開発できる。車線が狭くなることで道路建設計画も縮小でき、交通標識や交通信号は不要になり、道路を飛躍的な効率で活用できるようになると予想される。現在はラッシュ時の渋滞中を除き、自動車が道路の表面積を占めている割合は、実は驚くほど小さい。人が運転すると、恐怖心などから必要以上に車間距離をあけるからだ。人間は急に減速したり、ゆっくり加速したりするため、車が止まったり動いたりするうちに車列が伸び縮みするのだ。それに、運転中に家庭や職場の問題を気にしていれば、車間距離も一定しなくなるだろう。
一方、自動運転車にはプログラム・コード以外の、別の生活というのは存在しない。理論上は、短い車間距離の隊列を連ねて高速走行をすることが可能だ。先頭の車以外のすべての車が、前の車の後ろに発生する空気流を利用して走れるので、燃料を四分の一ほど節約できる。新しい道路を造らなくても、ラッシュ時の車の量を二倍、三倍に増やすことが可能だろう。
車両も乗り物として楽しいスタイルに変わりそうだ。前を向いた座席が一列か二列並んでいる現在の車と違って、ペッドやシャンデリア、ミニバー、パソコンデスクなども置けるし、ルーレット台だって乗せられる。通勤はかつてのように、冒険旅行にも豪華旅行にもなりうる。
自動運転車は簡単に利用できるという点から、究極のタクシーにもなる。いつ、どこにいても、電子メールで呼びだせる。身体の不自由な人やアルコール依存症の人など、現在運転を許されていない人たちも、自分で運転することなく車が利用できる。目が悪くなったり身体が動きにくくなったりした高齢者も、自動車に乗る自由を手放さずにすむ。
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