未唯への手紙
未唯への手紙
『世界史の発明』
『世界史の発明』
国民国家を超えて一九四五年~二〇一八年
冷戦を超えて
一九七五年、アメリカはインドシナ半島か車を引き上げ、南ヴェトナムの首都は北の共産主義者の手に落ちた。そのとき、南ヴェトナムから多くの人々が国外へ脱出した。海を漂うあいだにおおぜいが命を落とし、さらに多くのが外国での屈辱的な貧しい暮らしに身を落とした。ヴェトナム戦争の巻
き添えで疲弊したカンボジアでは、機関銃を持った一〇代の若者ばかりで構成する共産主義の中核グル―プにより、およそ六〇〇万人が死に追いやられた。両国の破壊の度合いは凄まじく、復興は不可能と思われたが、両国とも生き延び、再編され、再建され、一世代のうちに両国とも(特にヴェトナムは)十分にまとまりのある、十分に平和な、微妙に共産主義的な国に生まれ変わった。冷戦の時代を経験した私たちのほとんどは、このような変貌が可能とは想像もしていなかった。
一九七五年、第三世界ではいまだ所々で新たな武力衝突が起きていたため、冷戦が終わりに近づいているとは誰も思わなかった。一九七八年、アフガニスタンで国内の共産主義者が権力を握ると、その権力維持のためにソ連がアフガニスタンに侵攻し、対するアメリカはただちにアフガン反政府勢力を支援した。多くの政治の専門家の目には、アフガニスタンはありふれた冷戦の戦場に見えた。しかし実際は、ソ連がアフガニスタンに侵攻した頃、彼らの帝国は内側から崩壊していた。アフガニスタンは結局、冷戦最後の戦いではなく、新しい戦争の最初の戦いだった。欧米の軍はまもなく、共産主義も資本主義も区別しないイスラーム原理主義者と戦っていることに気づく。
革命家たちはその後、CIAが支援する近隣国イランの王を追放するが、これもソ連のためではなかった。ここでも、勝者は自らを「イスラーム革命」の戦士であると宣言した。この言葉――イスラーム革命!―は、長年ムスリム世界の歴史物語が浸透している地域、すなわちミドルワールドに響き渡っていた。そこでは、多くの人々にとって、イスラームのナラティヴのなかに自身の不満を位置づけることで、不満が理解しやすくなった。あっと突然、思い当たる。これですべてつじつまが合う。共産主義対資本主義のストーリーは、イスラームの中心地では、この種の意味付けのパワーを持っていなかった。
新しい戦争が始まろうとしていたのは、ちょうど主権の概念が破綻しかけていた頃だった。残念なことに、国民国家体制はこの概念に依存していた。もし国民国家が主権国でないなら、それは国民国家ではない。主権国とは、他国の干渉を受けずに自国の規則を決める、すべての権利を有する国を意味する。またこれは、ただ領土を奪うために他国に侵攻してはならないということも意味していた。征服は大昔の帝国がやっていたことであり、そんな日々は終わったのだ。カエサル、チンギスカン?とっくの昔に死んでいる。二〇世紀後半には「戦争省」をもつ国に足を踏み入れることなく、一万マイルを通過できた。もちろん、どの国も軍隊はもっていたが、これら軍隊を管轄する政府機関は普通、国防省(など)と呼ばれた。攻撃を防衛的な動きに見せかける方法を考え出すのは、重要な戦争スキルになった。そして一九八〇年、イラクの独裁者サダム・フセインが一般的な道理に反する行動に出た。彼は高尚な口実も用意せずに、隣国イランを攻撃したのだ。イランの石油と領土が欲しいという本音を隠しもしなかった。フセインは、革命後の混乱でイランを簡単に落とせると睨んだらしい。このような所業は、かつて王たちが行っては成功した暁には-それで利益を得る者たちから拍手喝采を浴びていた。恥は負けた場合に限り、侵攻そのものは恥ではなかった。フセインにとってそれは首尾よく行かなかった。戦争は両国の血を八年間も啜ったあと、膠着状態で終わった。どちらも勝者ではなかった。
しかし、主権の概念は打撃を受けた。
打撃はそれだけではなかった。一九八九年、アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、主権国であるはずの他国パナマの大統領マヌエル・ノリエガを「逮捕」し、アメリカの麻薬取締法に違反したとしてアメリカの法廷で裁いた。ノリエガは有罪判決を受け、アメリカの刑務所に収監された。逮捕だと?それは政府が自国の法律を破った者だけに許されることではないのか?それどころか、主権の原則によれば、それこそ、ある国が他国の市民――特にその国の首長-にできないことではなかったのか?
同じ年、革命イランの新しいリーダー、アヤトラ・ホメイニは、イランで禁止された本を書いたとして、イギリス市民、サルマン・ラシュディを非難し、彼に死を宣告した。宣告だと?それは主権国の法廷が自国の法を破った人にすることではないのか?ラシュディはイギリス市民で、イランには住んでおらず、それまで住んだこともなく、将来もそのつもりはなかったため、ホメイニにはそんな権限はないはずだ。ところがホメイニは、ラシュディを処刑できるところにいるムスリムは誰でもそれを実行せよと命じ、主権は国民国家に属するのではなく、政治的国境を超えた宗教共同体にあるのだと暗に主張した。これにより、イギリス人ムスリムは二つの重なり合う「星座」のなかの星になった。自分はどちらの星座に属しているのだろう?両方というのはあり得ない。そして、ラシュディの支援者たちは、主権問題も無視しがちになった。彼らがラシュディを擁護した理由は、言論の自由に対する彼の権利が侵害されたからだった。要するに、イギリスの主権では、その枠組みを超えてくる高位の掟からラシュディを守ることはできないと諦めたのだ。彼らはただ、それら超国家的な掟とはどういうものかを議論しただけだった、支援者たちは、イギリスよりも大きな星座、全人類ぐらいの星座を思い描いた。その掟には、言論の自由に対する権利が含まれ、彼らの見解ではホメイニさえも、それを尊重する義務があった。
一九九〇年、多くの国の市民が結束し、南アフリカ政府に対して、先住のアフリカ人にも白人と同じ市民権を認めよと訴えた。アパルトヘイトは当時、南アフリカの法制度の一部だった。主権を尊重するというルールに従えば、他国の市民はこの問題に立ち入れない。それでも反アパルトヘイト活動家は、高位の掟に、つまり(まだ)存在していない世界国家の法律に訴えた。彼らは、世界市民となるのも夢ではないと語っていた。彼らの訴えには、世界大戦直後に国連が発行した「世界人権宣言」をそれとなく想起させるものがあった。
ついに二〇〇一年、どの国とも関係のない世界で活動する組織アルカイダが、主権国であるはずのアメリカ合衆国を攻撃した。その後、世界は大なり小なり多くの戦争に巻き込まれ、そこで敵対する集団は国民国家の場合もあったが、独立したゲリラ軍や個人が集まった秘密結社が多く、たまには一般の人が聞いたこともない秘密の教義に突き動かされた一匹狼も混じっていた。戦争と犯罪の境がぼやけ、のあいまいな境界から「テロリズム」とそのドッペルゲンガー、「対テロ戦争」が生まれた。この新しいグローバル紛争はスムーズに冷戦の跡を継いだ。ちょうど、冷戦が先の世界大戦の灰の中から現れた
ように。
多国籍企業
主権が侵害されつつあるとき、国民国家体制は別のライバルとも戦っていた。世界大戦後、かつてないほど大きな企業体がその手足や身体の一部を国の境界の向こうへと広げ始めた。イギリス東イン社などの巨大企業は、実際最初から世界を股にかけて活動していたが、それは常に故国の政府のパーナーとして、あるいは国の代理としてだった。
しかし、いまや企業と国との関係は弱くなっていというのも、多国籍企業は仕事ごとに最適な環境を求めて複数の国に分散しているからだ。たまたま鉱石が採れるところで採掘し、労働力が安く賄えるところで製造し、進んだ教育制度のおかげで専門家や技術者が大量に生み出されるところで知的な業務を行い、税制が有利なところで金を銀行に預け、人々が可処分所得をたっぷり持っている国でマーケティングと販売を行うといった具合に。いくつもの国境線で封じ込められている会社は、このような企業には太刀打ちできない。
多国籍企業は、他の企業と同じく、そこで働く特定の人間とは別のアイデンティティをもった。しか多国籍企業の目的は、受入国の目的と必ずしも一致しなかった。多くの政府のもとで運営しながら多国籍企業は一国の政治的管轄に含まれなかった。ある政府が多国籍企業に好ましくないことを要求してきたら、別の国民国家に軸足を移せばいい。このように、主権国の政府と対等に渡り合う力をもった多国籍企業は世界の舞台で活躍する独立したプレイヤーになった。多国籍企業の出現により、グローバル経済が台頭したが、グローバル政府は現れなかった。
一九七〇年代半ばまでには、少数ではあるが一部の多国籍企業は、多くの国の国内総生産を超える資金を現金でもっていた。もし企業が国だったら、そのうち一七社は上位六〇か国に入っていただろう。〈ゼネラル・モーターズ〉はそのリストでスイスの下の二一番に入り、〈エクソンモービル〉とダッチ・シェル〉はトルコとノルウェーの上にランクインしただろう。
時が経つにつれ、自由貿易という言葉が国家間の協定協議の場でひんぱんに出るようになったが、それらの交渉は、正確には貿易についてではなく、少なくとも全面的に貿易に関するものではなかった。貿易とは人間の集団同士で行われるものだ。両者とも自分が持っているものと他人が持っているものの交換を望む。二〇世紀後半の自由貿易交渉では、多国籍企業の活動を妨げている国境の壁を取り払うことが主な議題となった。そうした交渉は、国民国家が帝国から生まれたように、国民国家体制の子宮から生まれる巨大な新しい社会有機体の利益に貢献した。
一九九五年、GATTははるかにグローバルな「世界貿易機関(WTO)」に生まれ変わった。GATTには二三か国が加わっていたが、WTOは一二三か国が加盟した。GATTは多くの国々の協定に過ぎなかった。WTOは常設の事務局をもつ意思決定機関だった。その役割は、既存の協定の監視にとどまらず、変貌する世界で貿易を滞りなく行うのに必要な新しいルールをつくることだった。WTOもIMFもその同類も、政府機関に似た働きをしたとはいえ、どこの政府の代理でもなく、既存のものに代わる新しいグローバル管理システムの種だった。
それでも国民国家は存続した。国家は、人間の心に簡単には消えないほど深く埋め込まれたために存続した。ひとつには、ほとんどの人は自分の国籍をアイデンティティの一部と感じていたからだ。自分はフランス人だ、日本人だ、ブラジル人だと言うとき、彼らは自分が何者であるかについて何か重要なことを言っている。誰も(まだ)自分はフォード人だ、エクソン人だ、グーグル人だとは言わない。そして、グローバリズムの反動が来たとき、人種と原意主義意図に則して解釈すべきとする主張の考え方にもとづき、地球よりもはるかに小さい集団アイデンティティを主張する「移民排斥主義者」集団という形で現れることもある(「ここは我々の土地。我々のほうが先に来た」)。このような集団は、感情の燃料としてナショナリズムに頼り始める。そして、ナショナリズムが人間の心を支配するようになると、その暗い糸の一部が表面にも現れてくる。たとえば、過激な人種差別主義はその糸の一本だ。
欧米では、刑事司法といった、直接利益は得られないが社会生活にとって必要とされる多くの側面を、政府が依然として担っていた。しかし、巨大企業はその資金力を使って、政府の政治機構を自分たちの執行管理機関として利用できるし、またそうしてきた。巨大企業はこれを、名目上の民主国家でも利用できた。民主国家では、市民が自分たちの要求に応える政府を選ぶことになっているが、選挙には金がかかり、多国籍企業はそのための資金を大量に所有しており、社会の意思をまとめるのにその資金を戦略的に使えるからだ。中国は国民国家というより文明国家であるため、その代替モデルを示しているように思える。しかし中国にも欧米の多国籍企業に相当する企業があり、そのなかには国営企業もあれば民間企業もある。ただし中国では、私営か国営かを問わず、企業は中央政府が管理する世界規模の社会の一部として運営される。一〇〇〇年前の中国の「星座」は死んでいない。変わっただけで、いまだに存在している。
単体として機能するために、多国籍企業は物理的に何千マイルも離れた無数の人々の無数の活動を調整する必要があった。これらの人々の一部は溝を掘る。一部は設計図を書く。一部は工場で研磨する。一部は部品を組み立てる。一部はおしゃれな広告を作る。一部は部品を船や飛行機や列車に積み込む。一部は決算のために何行もの数字を合計する。しかも、こうした活動は異なる言語、法律、文化、政治的環境のもとで行われるのだ。すべてのレベルの意思決定者は、他のレベルの意思決定者と同じ考えでなければならない。したがって、膨大な情報が迅速に、効率よく企業全体に流れる必要がある。それが達成されて初めて、大きな企業の各メンバーが相互に結びついた全体の目標に効率よく貢献できる。このように大きく複雑な社会有機体は、数十年前まではまとまりを保てなかった。人間がどれだけ迅速かつ大量に相互に連絡できるかには限界があるからだ。
あるいは、少なくともかつてはそうだった。「かつては」はどんどん過去のものになっている。多国籍企業が次々と生まれている最中にも、テクノロジーは革新的な変化を遂げていた。
ロリウッドはパキスタンのラホールを拠点とする映画産業、ハリウッドはナイジェリアの映画産業を意味する。
これらの巨大企業はいまや、さらに大きな巨大企業と比べると小さく見える。〈アマゾン〉は小売業の独占を目論んでいる。〈フェイスブック〉はソーシャル・メディアの相互交流を完全に手に入れよ
ついに乃木中もリアルで見たくなくなった#早川聖来初回から見てたのに
「代わりはいくらでもいる」という発言をする演出家コミュニティではありえない#早川聖来
「人権問題」には社会を超えた超から見る目が必要好き嫌いで判断する力#早川聖来
個と超が合わさることで人類の未来は開かれる個の核は社会を超える#早川聖来
やはり梅は好きになれない桜が好きです#早川聖来
やっと今日ローマの休日のリメイク版を観に行く1953年は奥さんの生まれた年か
やはり権力ではなく好き嫌いで判断しないと個の存在の力は活かせない個の核から発する好き嫌いの感情で行動できる人#早川聖来
過去に起ったことは今起っていること#早川聖来
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