『政治哲学概説』より 民主主義の思想原理--古代から現代へ
1970年代以降、政治学においては、参加民主主義論、ラディカル・デモクラシー論、熟議民主主義論が、議会制民主主義の正統性に挑戦したり、補完しようとしたりしてきた。実際にも、住民投票や国民投票の制度化や市民の直接参加による異議申し立てに見られるように、直接民主主義的な観点から、代表者が権力を行使するという代表制議会の原理自体にさまざまな挑戦がなされてきたとも言えよう。とはいえ、議会の制度や思想には「討論による政治」というポジティヴな側面があるので、議会は、いかなる形態をとるにせよ、人びとが絶えざる意見交換と説得の過程によってよりよき決定に到達しうるのだという理性的自己統治に対する信頼に基づいていなければならない。
公共性と市民社会
ワイマール期のドイツで青春時代を過ごしたアレントにとって、デモクラシーは独裁につながるものであり、近代性を批判し、古代ギリシアに遡って政治の原義を求める必要があった。アレントは、古代ギリシアの民主政に隠されたイソノミアという理念を探り出し、人びとが直接討議し、行為する空間である公的空間を復権させようとしたのだが、このようなアレントの問題関心は、ユルゲン・ハーバーマスに引き継がれ、ハーバーマスの社会理論は現代の公共性論や市民社会論の基礎となった。
アレントやハーバーマスの思想は、現代における民主的な政治社会形成に大きな影響を与え続けている。たとえば、伝統的な政治概念のなかでとくに近年大きな転換を見せたのは、公共性の概念であり、この転換をなしたのが、ハーバーマスの「公共性の構造転換」(1962年)だったからである。日本国憲法においても日常語でも、公共性の概念は国家と結びつけられて理解されてきたが、1970年代以降、市民運動や市民活動の定着とともに公共性とは、市民がつくり出し、国家を突き抜けていく価値理念(環境、平和、人権)と深く結びついていることが次第に理解されるようになっていった。また、公共性は、公共圏、すなわち「公的な論議の圏」としても理解されるようになり、市民社会における市民相互のコミュニケーションの空間として捉えられていくようになった。
ハーバーマスの『公共性の構造転換』は、18世紀の市民社会に特有の(公共的コミュニケーション」を「市民的公共性」として概念化した書である。ハーバーマスが(で)ffentlichkeit (公共圏、公共性)という用語で表したのは、空間的概念であり、公共圏と訳すほうが適切だということになってきたが、共和主義の視点から見れば、公共性とは公共精神をも指すことばであり、ハーバーマスの公共性概念にもそのような契機は内在していると言えよう。
ハーバーマスは、公共性の構造転換を代表的公共性→文芸的公共圏→市民的公共圏→大衆社会における世論操作、というように理解しているのだが、絶対主義体制において国王が国民全体を代表するという意味での代表的公共性は精神的次元を含む概念である。文芸的公共圏とは、演劇や小説の内容について論議する公衆の圏であり、サロンやカフェがその舞台となるのである。人びとが分け隔てなく出会い、意見を交換する空間が形成され、次第に政治的な問題についても討議し、行動する市民がコミュニケーションの圏である公共圏を形成していくようになった。こうして市民的公共圏が下から形成されていくようになるが、20世紀になり、メディアが発達し、大衆社会化していくと、市民はメディアによって左右されやすい受動的な存在になっていく、という理解である。
ハーバーマスの議論で重要なのは、「論議し行動する市民」が民主主義を下から支えていくという認識である。このような認識は、ハーバーマスがアレントから継承し、1990年代からの市民社会論の再興にもつながっていくのである。ハーバーマス自身も『公共性の構造転換[第2版]』(1990年)の序文で。自発的結社を基底にして市民社会を捉えなおしている。脱経済化・脱国家化した第三の領域として形成されていく市民社会が多元的で民主的な政治社会を下から支えていくというハーバーマスの認識は、市民社会がもつ潜在可能性を明確化している。もう一つ重要な点として、対等な市民同士の意見交換や情報伝達というコミュニケーション機能がもつ意味である。民主主義において重要なのは、決定に至る過程だとしたら、対等な市民が自由にコミュニケーションできる空間を拡げていくことが、さまざまな重要問題を市民の側から創造的に解決していくことにつながるからである。
ポピュリズムに抗して
1990年代以降の急速なグローバル化によって資本主義が世界的な規模で拡がり、市場化が起こり、従来は非市場的な領域であった福祉や教育の分野においても市場原理が浸透してくるようになった。その結果、社会の画一化・規格化が進み、民主的な社会の基底が揺るがされるような事態が生じている。つまり、新自由主義的改革のなかで民主政治自体も商業的なメカニズムによって動かされる傾向が強くなっているのであり、近年の日本政治において起こったのは、国民の支持を失った首相が目まぐるしく交代し、政治家はメディアを利用することによってポピュリズムとか劇場型政治と呼ばれる政治状況を現出したことである。
ポピュリズムとは、民衆の不満や不安に応えようとする直接民主主義的な政治運動を指すことばであり、イギリスの政治理論家、マーガレット・カノヴァン(Margaret Canovan、 1939-2018)が(ポピュリズムはデモクラシーに影のようについてくる」と表現したように、民主主義の一つの側面を表している。ポピュリズムは世界的な現象になっているが、小泉純一郎や橋下徹に見られた、日本のポピュリズム政治は「マスメディアによる世論の喚起・操作に大きく依存した政治」になっており、ポピュリスト的政治家は、自ら一般国民を代表する「善玉」を演じ、行政機構や官僚を「悪玉」として攻撃する「勧善懲悪的ドラマ」を演出するところに特徴があった。
現代の日本社会は、経営管理される傾向を強め、ポピュリズム的傾向に陥りやすい。政党は、あたかも商品のように政策や候補者を売り込み、耳触りのよい言葉で有権者のニーズに応えていくという手法をとり、有権者のほうも期待感で政党や政治家を選んでいる。さらには、ガバナンス(統治、管理)ということばがさまざまな分野で用いられているように、対決や異議申し立てによって問題を明るみに出すのではなく、協調・協働による包摂型の社会が目指され、市民活動やボランティア活動においても経営的視点が重視されるようになっている。このような状況のなかで、どのようにして理性的な判断力を具えた市民による民主政治を確立していくかが、課題になっている。
討議空間の創出
1990年代以降に使われるようになった熟議民主主義(deliberative democracy)という概念も、市民たちが相互尊重のもとで共通の問題について討議する空間を制度的にっくり、政治的決定を理性的に行なっていくのに役立てようという思想であり、ハーバーマスのコミュニケーション理論の延長線上にある。
自由民主主義が代議制民主主義という制度的な形態をとり、票や支持の獲得を重視し、集計主義的な量の原理で動かされていくのに対し、熟議民主主義とは、慎重に討議し、よりよい決定に到達するという質の問題を重視していると言える。レファレンダムも直接民主主義の一形態であり、住民投票は「諮問型」の住民投票としてであれ、近年、日本においても注目されるようになってきたが、討論の過程よりも民意の表出のほうに重きを置いた制度だと言えよう。これに対し熟議民主主義とは、共同で討議し、討議の過程をとおして討議に加わった人びとは熟慮し、そのような熟慮と熟議を行き来しながら、よりよき決定を導いていこうという考え方である。
そのための討議空間は、直接民主主義においても間接民主主義においても、また制度的にも非制度的にも設定できる。熟議は国会などで代表者のあいだでもなされるが、熟議民主主義とは、市民のなかに「ミニ・パブリック」というようなランダムに選出された人びとによる討議空間をつくり、政治的重要課題について議論を交わさせ、マクロなレベルでの決定に反映させていこうという構想である。討議には対立や異議申し立ての要素も含まれ、何よりも討論の過程で互いに意見が変わりうることが重要である。熟議民主主義の思想は、冷静な判断を市民レベルで形成していくことを重視しているのだと言える。熟議民主主義とは、大衆民主主義やレファレンダム民主主義に対立する概念であり、(熟議により聞こえてくる国民の声は、つねに賢く、傾聴に価するものなのである」という考え方であり、討議の過程を重視している。熟議民主主義は重要な政治的問題の討議を職業政治家のみに委ねず、市民にも開いていこうとしており、世論調査や投票ではなく、(市民討議によって代表制民主主義の〈正統性〉を回復する」ことを目指している。
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