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存在の力での第三の道

未唯へ

 TMは五日まで休みです。寒いヨーロッパではなく、暖かいところに行ったみたいです。

存在の力での第三の道

 文句を言わずに働け!文句があれば辞めればいい。それ以外の第三の道が存在の力です。組織を変えることです。

 組織が国だったら、よく分かると思います。変わるわけにはいかないので、社会を変えることが残された道です。企業なら分かるけど、リーガル・ハイではないけど、裁判所は多数決ではない。和解というのは、全員一致です。

 それぞれがどのように生きていくかを決めよ!ということです。決めた結果として、どうしていくかです。存在の力を発揮するには、色々なことを知らないといけない。好奇心が一番かもしれない。そうして、相手の身になって考える。

コミュニティの間のコラボレーション

 コミュニティの間のコラボレーションをもう少し、具体化しましょう。図書館コミュニティと学校図書館をターゲットにしましょうか。

 同じ図書館でどういうカタチにすればいいのか。学校図書館は司書の専任化によって、多くの人が考えられる。また、日本全国に多くのケースが発生する。色々なやり方を試すことができる。その際に、島根の隠岐のケースでは地理的条件を特化できます。

 コンテンツをいかに利用するかという意味では、電子書籍は役に立ちます。そこで、自分たちの知識と意識をどう拡大させていくのか、どう受け入れていくのか。情報共有は、そこではポータルに限ります。クラウド的な発想です。生涯学習も同様についていかないといけない。何しろ、カリスマをなくして、自分でそれぞれが考えていくということです。

 やはり、コミュニティ間の連携は情報共有の概念でやるしかない。そこではポータルとライブラリが意味を持ちます。それぞれが、内的にコミュニティ化する部分と、外的に情報共有する部分からなり、それぞれの手段は異なります。

女性から男性は作られた!

 ムスリムの女性たちは依存している振りをしている。男性を立てているだけです。男性は幼稚だから。このユダヤの考え方は重要です。女性の神様と結託して、女性としての身の振り方を決めている。

 依存していると見せながら、存在の力を使う。この隠してあるパワーが一気に展開される可能性があります。結局、フランス革命にしても、ロシア革命にしても、トリガーは女性でした。

相対的な価値観

 図書館協議会の時に、自らの意思で来ている人間と役割で来ている人間では、全然、発言が違います。

 身分が安定しているとかではなく、誰の価値観であるかで異なります。それを認める人にとっては大きいけど、そうでない人にとっては、その人がどれだけ本を読んでいるかに依ります。リンゴとお金との価値観によく似ています。絶対的な価値観はないけど、相対的に見た時に、皆が認めているから認めているというのは、依存です。

 会社の組織もそうです。彼が何のためにそこに居るのかではなく、自分の身分を守るために、そうしていることは否定します。mmはそういうものに頼ろうとします。自分が不安定だから、人に説明する時に楽だから。それでは依存です。依存すればするほど虚しくなる。

 自分の思いをもっと信じるべきだし、そのために、分化すると同時に、知ることを知らないといけない。ムスリムの戒律はユダヤの戒律から生まれたのでしょう。ユダヤはかなりの戒律です。だから、離散しても生きていけます。だから、どうしても、絶対的な存在が必要です。皆にとって、それが一神教です。
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