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「フランス人」は、好きかどうかで決める

『好きなことだけで生きる』より ⇒ 池田晶子さんが「好き嫌い」が重要な判断基準と言っていた。更に徹底させよう。

好きかどうかで決める 自分にうそをつかない

 自分に正直に生きること。

 とてもシンプルだけど、難しい。正直でい続けるためには、ある意味、あらゆるプレッシャーを跳ね返す勇気も必要になってくるからです。

 まず自分を知ることがとても大事。それにはやはり時間がかかります。年をとるほど自分を知り、いろいろなことを学び、悟り、人生は面白いと感じることが多くなります。

 私の著書『フランス人は年をとるほど美しい』でも書きましたが、正しく年をとれば、どんどん成熟し、自信に満ち溢れ、美しくなれる。「自分らしく、好きなことをして今を生きているか」。その自分らしさがわかってくるからこそ、年齢を重ねることでどんどん魅力的になるのです。

 自分に本当に大切な人、似合うもの、やりたい仕事などがわかるのは年齢を重ねたからこそ。若い頃には捨てられなかったこだわりが、実はそれほど重要な問題でもないな、とわかったり、すぐに人とぶつかっていた人が柔和になったり。

 自分はどんなタイプの人生を生きたいのか。自分はどういう「主義」で生きていくのか。どんなタイプの人生を生きたいのか。しっかり自分を見つめて考えてみる。

 安全、安心の生活の中で力を発揮して生きていくのが自分らしいのなら、安定した収入を選ぶ。組織に縛られず自由なことをしたいならフリーランスを選ぶ。

 わたしのように世界中を旅したいなら、実現できるような仕事を選ぶ。

 日本では、勉強も結婚も仕事の選び方も住むところも自分の好きなことを優先するより、イメージとか世間の評判で決める面があるように思います。世間的に知られている大学や企業に憧れる傾向が強いし、自分がそこに入りたいと思って努力するならまだしも、高学歴で高収入の男性と結婚したいと考えたり。

 フランス人は買い物も、流行りのブランド、有名なブランドだから選ぶ、ということはあまりしません。自分が好きな、自分に似合う服やアクセサリーならノーブランドでも、数百円のものでも身につけます。自分が着ていて「今日のわたし、なんだかいいな」と思えることが大切です。

 ただし、自分に正直に生きることは『頑固』になることとは違う。むしろ、かたくなさを取り払って、自分を見つめなおすこと。

 もしあなたの心がなんだかもやもやしているのなら、自分が何を好きなのかがわからなくなっているのかもしれません。自分に正直に生きるには、自分か好きな何かを見つけること。「好き」がわかれば心が素直に喜ぶし、正直になれるの。

行きつけのカフェを持つ カフェのない人生なんて

 パリジェンヌにとってカフェのない人生なんて考えられない!

 街中の至る所にカフェがあります。わたしはテラス席で太陽と自然の空気を感じながら街行く人を眺めるのが好き。ひとりのときは本を読んだり、原稿も書きますし、原稿に行き詰まったらゆっくり考えごとをします。

 カフェは待ち合わせをしたり、仲間で議論を交わす場でもあります。わたしもソルボンヌ大学に通っていた頃は、大学近くのカフェで一杯のコーヒーを注文し、コーヒーが冷めても何時間も議論を闘わせた思い出があります。

 一日中、いつ行っても、誰と行ってもいい。ふらりと寄って立ったまま食事をしてすぐに職場に向かってもいいし、コーヒー一杯で何時間いてもいい。自由を愛するフランス人にぴったり。通りに面したオープンテラスのある店構えからもわかるように、カフェはまさに開かれた場所なのです。

 パリジャンもパリジェンヌも、たいてい自宅の近く、職場の近く、買い物のついでに寄るところ……など、行きつけのカフェがあります。待ち合わせのときに時間があったら知らないカフェに寄ってみるのも楽しい。

 わたしは知らないカフェにふらりと入るのが好きで、時間があればクロックムッシュ(パンにハムとチーズを挟み、バターを溶かしたフライパンで焼いたホットサンド)か、クロックマダム(クロックムッシュに半熟卵を載せたもの)をオーダーしてみます。この二品が美味しい店は、たいていほかのメニューの味も満足できる、というのがわたしの持論です。

 パリで暮らす人々にとって、十九世紀からカフェは大事な文化の発信地。モンパルナスには、サルトルやボーグォワールといった作家やピカソなどの画家が夜な夜な集まり、議論を交わしたカフェがあちこちにあります。

 その代表格がサン=ジェルマン・デ・プレの『カフェ・ドウ・マゴ』。石畳の広場で教会に面し、観光客も多い有名なカフェです。交差点角にあるのは映画にもなった『カフェ・ド・フロール』。文学カフェです。このカフェにはフランス人以外で初めてギャルソンになった山下哲也氏がいます。ギャルソンたちは受け持つテーブルが決まっていて、客が注文した飲食代の何パーセントかが彼らの収入源に。わたしはこのカフェに行くと、彼の担当するテーブルに。お互いに日仏の架け橋として、話も弾みます。ただし老舗のカフエとして有名なこの店は観光客が多くていつでもいっぱい。足を運ぶのはごくたまに、だけど。

 東京にはコーヒーショップのチェーン店がたくさんあり、便利だけれど個性的ではありません。パリ市内では最近スターバックスができたものの、一般的なのはやはりカフェ。カウンターのバーテンダーや店に立つオーナーが客たちの話し相手をしてくれます。行きつけのカフェでは彼らが笑顔で迎えてくれます。ギャルソンも「いいお天気ですね」「そのブラウスの色いいですね」などと、気軽に声をかけてくれます。

 カフェと生活が切り離せないパリ市民にとって、二〇一五年十一月十三日のパリのテロはとてもとても大きなショックでした。金曜の夜、カフェの席で普通に食べて飲んでくつろいでいる一般人が殺されたのです。

 あの日以来パリ市民は「今ここでテロが起きたらあそこに逃げよう」などと、常に警戒しながら日常生活を送っています。カフェで気ままに過ごす楽しみが、脅かされる世の中になってしまったのです。一日も早く、そんなことを気にせずにくつろげる日が戻ってくることを祈るばかりです。
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