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ギリシャ精神の諸要素

『歴史哲学講義』より

ギリシャは個人を生かすような共同体です。共同精神そのものが個人のもとにとりもどされるので、精神が自然に埋没することはもはやなく、したがってまた、地理的条件が人びとの生活を大きく左右することもありません。国土は海によってこまかく分割され、たくさんの島々と、島のような形をした本土からなっています。ペロポネソス半島は狭い張りだし部分でかろうじて本土とつながっているし、国土の全体にたくさんの入江が食いこんでいます。全土が小さい部分にわかれ、しかも、海によって全体がつながり、むすびついています。山や盆地や小さな谷や川はあるが、大きな川やコ間に広がる谷間の平地はない。一様な地形が国土の大部分をおおうといったことはなく、山や川が入りくんだ地形です。東洋の場合、たとえばガンジス川やインダス川の流域の平野では、地平線がどこまでいってもおなじ形をしていて、そこに住む種族は画一的な生活を脱する変化のきっかけがつかめない、といった自然力の支配が見られる。が、ギリシャの自然はまったく多種多様で、それはギリシャ人の多様な民族性とギリシャ精神の活動性によくかなうものだということができます。

これがギリシャ精神の自然的特色で、そうした条件のもとにあるギリシャ人は、個人がみずからの足でたつ自立した状態を出発点として精神を形成し、家父長制にもとづく自然の結合をぬけだして、法律と精神的しきたりというべつの媒体のもとに統合をはたしたのです。ギリシャ民族にいたってはじめて、民族がなにかになるということがおこった。もとからある国民的統一には、分裂や異質の要素が大きく目につく。それを克服することが、ギリシャ形成の第一期のおもな課題です。異質な要素をかかえつつ、それを克服することによってはじめて、美しく自由なギリシャ精神がうまれたのです。この原理をわたしたちは肝に銘じなければならない。血縁と友愛を維持する種族が単純に発展していけば、そこに、美しく真に自由な生活がうみだされる、と考えるとしたら、それは皮相でばかげた考えです。一見、異質なものの入りこまない、安定した展開をしめすかに見える植物ですら、光と空気と水の対立する活動によって生命をあたえられ、生長していきます。精神のもとにある真の対立は、精神的な対立であって、精神は内部に異質な要素をもつことによってのみ、精神にふさわしい力を獲得するのです。

ギリシャ民族の生活を左右するもう一つの要素は、海です。ギリシャの国土は水陸両用の生活にふさわしいもので、ギリシャ人は、遊牧民族の放浪生活とも、河川地域の民族の定住生活ともちがって、海上を自由に動きまわるとともに、陸上でも自由な旅をしました。航海の主要な目的は、交易ではなく、海賊行為にありましたが、ホメロスを見るとわかるように、それは不名誉な行為とは見なされていない。海賊行為を制圧できたのはミノス王の力によるとされ、クレタ島は最初に市民政治の確立された土地として有名です。それ以前のクレタ島は、のちのスパルタに見られるような一党支配の地で、他の党はそれにつかえ、そのための労働に従事しなければなりませんでした。

こうして、ギリシャ人の国家形成以前に、すでに、文明をもった他民族の植民活動かおこなわれていたことになりますが、この活動は、イギリス人の北アメリカにおける植民活動と同列にはあつかえない。イギリス人は原住民とまじることなく、原住民を追放しましたが、ギリシャヘの植民は、外来のものと土着のものがまじりあっていったからです。植民者の到来の時期は、はるか紀元前十四、五世紀にさかのぼります。カドモスがテーバイを建設したのが紀元前一四九〇年ごろとされるから、モーゼのエジプト脱出(紀元前一五〇〇年)とほぽ同時期です。アンピクテュオンもギリシャの建設者のひとりにかぞえられ、テルモピレーでギリシャ本土の群小民族とテッサリアの民族とのあいだに同盟を成立させたとされます。のちの大アンピクテュオン同盟のもといをなすものですが。

ギリシャ精神の基本性格をなす美しき個人とはそのようなものです。この概念は多方面に光をはなって実現されますが、以下、その光の一つ一つを見ていかねばなりません。どの光も芸術作品をつくりあげていて、それを三重の像としてまとめることができる。第一の像は主観的な芸術作品、つまり、人間そのものの育成であり、第二の像が客観的な芸術作品、つまり、神々の世界の造形であり、第三の像が政治的な芸術作品、つまり、国家体制と個人のかかわりです。
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