『純粋機械化経済』より AI時代にソ連型社会主義は可能か
社会主義経済計算論争
計画経済が市場経済のように円滑に機能するのかどうかといった問いをめぐる一連の議論を、社会主義経済計算論争という。この論争には、ミーゼス、ラング、ハイエクといった経済学者が関わっている。
まず、オーストリアの経済学者ルートヴィヒ・ミーゼスが、自由競争的な市場経済でなければ価格の決定は不可能だと言って、計画経済の不可能性を示した。
それに対し、ポーランドの経済学者オスカー・ランゲは、計画経済でも価格は決定できるし、中央計画当局は模索過程を経ることで需給均衡をもたらす価格を決定できると主張した。
模索過程というのは、まず中央計画当局がとりあえずの価格を提示し、その価格の下で需要が供給を上回るのであれば当局が価格を引き上げ、逆に下回るのであれば価格を引き下げるというものだ。
そのような模索過程の末に需給均衡価格が得られるというわけだ。市場経済とは違って、個々の企業や店舗ではなく、中央計画当局が試行錯誤しながら適切な価格を見出すのである。
ハイエクは、価格を決定するために必要な需要と供給に関する無数の情報を一カ所に集めることは現実的に不可能だと言った。このような情報の局在性ゆえに計画経済では妥当な価格の決定はできない、と論じている。
身近な例を挙げておこう。大学近くのコンビニエンスストアは、大学入試の実施日には利用者が激増するので、普段よりも多くのおにぎりや弁当、使い捨てカイロなどを供給する必要がある。ただし、昼時におにぎりを用意してもほとんど売れないかもしれない。
なぜなら、一度キャンパス内に入ったら入試が終わる夕方まで受験生は外に出てはいけないとルール付けている大学もあるからだ。私が非常勤講師を務めている早稲田大学にはそのようなルールがある。
その場合、受験生は朝、入試が始まる前におにぎりを買っていくことになるので、店舗側は朝方に大量のおにぎりを用意する必要がある。
店舗で働いている人ならば知り得るそうしたこまごまとした情報が、本社の会議室で議題として取り上げられることはまずないだろう。ましてや、中央政府が一国のすべての店舗で必要なそのような決定を逐一とり行うことなど現実的には不可能だ。
ネットを利用すれば、局在的な情報を一箇所に収集することかできるので、計画経済が可能だという人もいる。しかし、数値化できない現場の情報をいちいちドキュメント化して送信するのも、それを受信して解読するのも不問が掛かる。
決定する主体と作業する主体が離れている場合には、悄報伝達のフリクション(摩擦)や遅延が避けようもなく発生してしまう。実際に作業する人かその近くにいる人が決定を下す方が、迅速に事が運ぶ。
そうであれば、現場にいる個々の経済主体が意思決定を行う分権的なシステムの方が、より効率的と言えるだろう。実際、資本主義経済における企業は、近年特に分社化によって意思決定を分権化する傾向にある。計画経済ではその真逆で、意思決定が一極に集権化されているので、効率が悪いことこの上ない。
これに関して、ハイエクは、
組織化された価格の体系と、市場によって決定される価格の体系との違いは、各隊、各兵が、特別の指揮と正確な本部の遠隔指令によるのでなければ動き得ないような戦闘部隊と、各隊と各兵が彼らに与えられたすべての機会を利用して動く軍隊との違いと同じようなものであるように見える --ハイエク『個人主義と経済秩序』
と述べている。
計画経済は遠隔指令でのみ動く軍隊に、市場経済は前線の兵が現場の判断で自己決定できる軍隊に対応している。遠隔指令のやり取りをしている間に前者の軍隊が後者の軍隊に撃破されてしまうことは、想像に難くない。
分権的な経済システムたる市場経済を計画経済によって再現することの不可能性は、ハイエクによって理屈の上で示されただけでなく、ソ連の崩壊によって実地に確かめられもした。結局のところ、それは人の手に余る難事だった。
レーニンとともにロシア革命を主導したレフ・トロツキーは、革命の反対勢力に対し「おまえたちは歴史のゴミ箱行きだ」などと宣告したが、その70年ほど後には彼らが建設した社会主義国家がまるごと歴史のゴミ箱行きとなった。人の見える手は神の見えざる手の代わりになり得なかったために、社会主義体制の崩壊は免れられなかったのである。
人工知能と社会主義
20世紀のAI研究とソ連型社会主義は、設計主義という同根の要因によって失敗している。リゾームシステムである人間の脳や市場経済を還元的に(つまりツリー状に)理解し設計主義的に再現できるという人間の驕り、思い違いがそれらの根っこにある。
それを象徴する出来事がある。マイケル・ポランニーが暗黙知の理論を思い立ったのは、1935年にモスクワでニコライ・ブハーリンと会話を交わしたことがきっかけだった。ブハーリンは、レーニン亡き後の有力な指導者の一人だ。
「純粋な科学的探求は必要ない」という意見をブハーリンから聞いたポランニーは、ソ連の指導者が人問社会のすべてはメカニカルに把握でき、コントロールできるといった僣越的な意識を抱いていると感じ収ったようだ。
そのことか元で、ポランニーは折‥学的思考を深めていき、暗黙知の理論を提示するに至る。言葉や論理によっては明確に表し難い身体知や経験知があると主張したのである。ポランニーが、暗黙知の例として挙げたのは人の顔の識別だった。すなわち、それは20世紀のAIには困難だった画像認識である。なお、ブハーリンはこの3年後、スターリンの指示で銃殺された。さらにその48年後にチェルノブイリ原発事故が発生し、技術のすべてを人間がコントロールできるといった僣越的な意識が打ち砕かれた。
以上の議論を踏まえて言うならば、純粋機械化経済の上にソ連型社会主義のような体制を築いても、望ましい結果はもたらされないだろう。
神のような知性を持ち、あらゆる工場・店舗の現場の情報を知悉している超AIが中央計画当局に鎮座しており、供給量や価格を完全にコントロールしてくれるというのであれば、一切はその超AI様にお任せすれば滞りなく万事がとり運ばれることになる。
ハイエクも、
「偏在し、全能である」ばかりでなく、全知でもあり、したがってすべての価格を、必要とされるちょうどその分だけ、時期を失することなく変更することができるような集団主義的経済の指令機関を考えること自体は、論理的には不可能ではない --ハイエク 『個人主義と経済秩序』
と述べている。
神のごとき知性の超AIならば、そのような指令機関(計画当局)の仕事を完璧に務めることができるはずだ。その場合、神の見えざる手に代わって神的AIの見える手が、経済システムを良いあんばいにコントロールしてくれることだろう。ところが、第2章で論じたように、今世紀中に全脳エミュレーションは不可能なので、人間そっくりに振る舞えるAIは出現しない。それゆえ、不測の事態に備えて店舗や工場を責任持って管理する人間の労働者が必要とされ続ける。
そうしたマネジメントばかりでなく、ホスピタリティやクリエイティヴィティに関わる仕事における人間の活躍も当面は続くことになる。彼らは企業を経営したり、イノベーションを起こしたり、新商品を企画したり、映画を作ったり、保育や介護に携わったりするだろう。
企業や組織をすべて国営化し、中央計画当局がすべてをコントロールする集権的な経済に移行したら、分権的な経済の強みは失われてしまう。
適切な価格付けがなされないだけでなく、局所的な情報に基づく商品・サービスの改善やイノベーションが起きにくくなり、ソ連と同じ失敗が繰り返されることになる。純粋機械化経済への移行に際し、「歴史のゴミ箱」からソ連型社会主義を拾いLげてリサイクルしても、望ましい結果はもたらされないだろう。