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「市民社会」論のリバイバル

『政治学』より 市民社会と国民国家 「公」と「私」

近年、「市民社会」(civil society)という言葉が政治学のさまざまな領域で言及されるようになった。欧米先進国、旧社会主義国、また非欧米諸国や第三世界における市民社会の有無、その性格や成熟や衰退の度合いが分析され、また市民社会の可能性や限界が論じられるようになったのである。しかしながら、市民社会とは何か、ということに関しては、論者によってかなり意味するところが異なり、またこの言葉そのものが長い歴史を持つことも加わり、いささか議論が迷走気味である。大ざっぱに述べれば、現在盛んに用いられる市民社会の観念は、一方におけるばらばらの個人、他方における政府または国家とを媒介する位置にある特別な領域、具体的には、市民団体、宗教団体、労働組合、利益集団、大学、親睦のためのクラブ、スポーツや文化や趣味の会といったさまざまな団体(典型的には自発的結社)のネットワークを指す場合が多いと言えよう。また、通常は家族は市民社会の中には含まれない。市民社会とは、権力を媒介とする支配服従関係と乱また個人的な愛情を基礎とする家族関係とも異なる、独特な人間関係が存在する場である。ただし、のちに詳しく見るように、論者によっては、市民社会を構成する要素として何を選ぶかの基準が微妙にずれているため、実際のところ市民社会と呼ばれるものの外延はあいまいである。

だが、市民社会という言葉が意味する対象はさまざまであっても、市民社会が論じられる文脈にはある共通項がある。その文脈において、まず第1に、市民社会とは、政府や国家から(少なくともある程度までは)独立した別の領域であり、政府との関係において、それをコントロールしたり、支えたり、時には鋭く対立したりするものと想定されている。また第2に、市民社会とはばらばらの個人を何らかのかたちで束ねる単位であり、そのためある種の公共的機能を担うものと想定されているのである。

近年における市民社会論のリバイバルの一つのきっかけは、旧東側諸国における民主化運動において、市民社会の観念が一つのキーワードとなったことである。反体制派によれば、旧東側諸国の共産主義システムとは、国家と党がその官僚機構によって社会のあらゆる領域を支配・統制するものであった。このような共産主義国家が打倒されたのちには、封じ込められてきた市民社会の再建が急務であるとされたのである。東欧諸国の民主化運動における市民社会の観念は、西洋のマルクス主義者(またはポスト・マルクス主義者)の関心を刺激し、共産党と労働組合を中核にした旧来型の運動ではなく、より広範な市民社会の動員による新しい社会運動を模索するという方向が示された。

しかし、さまざまな集団が自由に活動することが政治にとってきわめて重要であるという認識自体は、実のところ、マルクス主義以上に、むしろ自由主義の伝統の中で育まれてきたものである。その中でもとりわけ権力の多元性を重視する自由主義的な理論が、国家への一元的な権力集中を阻むものとして期待をかけてきたのが、自立性の高い結社や集団の存在にほかならない。そのため、今口における市民社会の観念は、現代のリペラル・デモクラシーにおいて、さまざまな集団の活動がどのような可能性と限界を持つかを見極めようとする論者がしばしば用いるものともなっている。しかしながら、先にも述べたように、市民社会という言葉自体の歴史は古く、しかも代表的な政治思想家がこの言葉に独自の意味を盛り込んできた。現代の市民社会論が市民社会とはそもそも何かをめぐって時に紛糾するのも、この言葉が歴史的に獲得したさまざまな要素が一緒くたに扱われているからだと言える。ここでは代表的な市民社会観念を四つに分けて、簡単に整理しておくことにする。

政治社会としての市民社会

 そもそも、「シビル・ソサエティ」のもとになったラテン語は、もともとは政府と区別されるものどころか、政治共同体やポリスとほぼ同じものを指すものであった。この用法の歴史は長く、ロックの『統治二論』においても、シビル・ソサエティとは、要するに「政治社会」のことであった。ところが、問題はやや複雑で、言葉の使い方は伝統的でも、口ックの議論には今日の市民社会論に通じる要素がなかったわけでもない。というのも、ロックにとってシビル・ソサエティとは市民の契約に基づいて形成された団体であり、彼の議論には、このシビル・ソサエティの合意に違反する政府の政治権力を厳しく批判する、という観点が含まれているからである。

市場秩序としての市民社会

 こういった「政治社会」としての市民社会という概念を決定的に変容させたのが、ヘーゲルの「市民社会」(biirgerliche Geselleschaft)観念であった。ヘーゲルは国家の全体秩序を「家族」「市民社会」「国家」の三つに分け、市民社会を「欲求の体系」「司法活動」「職能団体」の三つから成るものと規定した。中でも注目すべきは、ここで市民社会が「欲求の体系」と規定されたことである。欲求の体系とは、そこにおいて、各人が自由に自己利益を追求することのできる領域のことであり、明らかにアダム・スミスらによる市場秩序モデル(市場における財と労働力の自由な交換が、総体としては秩序を生み出すとみなす考え方)をもとに定式化されたものである。市民社会は、資本主義的なシステムと密接に結び付いた社会という新たな意味を帯びるようになったのである。

マルクス主義における市民社会

 ヘーゲルによる市民社会論はマルクスによって批判的に継承され、市民社会は、共産主義革命によって克服すべきブルジョワ社会のことを意味するものとなった。ただし、20世紀前半のイタリアのマルクス主義者グラムシのように、むしろある種の市民社会が社会主義的な変革のための基盤になることを示唆する論者もおり、これが先にも述べた西洋の市民社会の多様性マルクス主義者の市民社会論に決定的影響を与えることになる。

市民的団体の集合体としての市民社会

 現代の市民社会論は、市民社会をさまざまな団体の集合体とみなす場合が多い。団体の重要性に着目した議論は無数にあるが、中でも代表的なものの一つがトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』である。そこでは、政治的団体のみならず、市民の日常生活にかかおる大小さまざまな団体(「市民的団体くassociation civile〉」)がいかにアメリカのデモクラシーを健全に維持するのに寄与しているかが多角的に分析される。トクヴィル自身はそれらを市民社会と総称したわけではないが、その分析視角は今日の市民社会論(とりわけアメリカで展開する市民社会論)のそれにかなり近いものである。

市民社会の観念がこのように歴史的に見てきわめて多様であるため、今日の市民社会論も市民社会の定義づけに関して、必ずしも一枚岩ではない。最大の論争点は、市民社会というカテゴリーに、企業活動(個人や家族による小規模経営であれ、株式会社のような大規模経営であれ)を含めるかどうかという問題であろう。ヘーゲル的な市民社会概念からすれば、企業活動はまさに市民社会そのものと言えるところだが、現代の市民社会論は、私企業の諸活動を市民社会の枠の外に置こうとする傾向か強い。というのも、そこではしばしば、市民社会とは国家と市場(とりわけグローバル化する市場)に対抗するだけの潜在的な可能性を持つ、いねば第三のセクターとみなされているからである。これに対しては、市民社会とは要するに家族と政府とを除いたすべての領域を総称するもので、経済活動を通して形成されるさまざまなネットワークを市民社会から一律に排除するのは問題であるという異論もある。
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