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中国は国民国家ではなく文明国家

『中国が世界をリードするとき』より 文明国家

中国は国民国家であるだけではない。それ自体が文明なのである。事実、中国が国民国家となったのは比較的最近のことにすぎない。いつから国民国家になったかを正確に指摘することもできる。すなわち一九世紀後半、あるいは一九一一年の辛亥革命後である。その意味では--インドネシアは半世紀をわずかに過ぎた程度、ドイツやイタリアは一世紀と少しの歴史しかないというのと同じように--中国もつい最近できた国といえる。中国の存在は数千年にもわたって知られており、そのうち二千年はたしかに存在し、おそらくは三千年といっても間違いないところだが、一般の中国人はこれを大ざっぱに五千年の歴史と称するのを好む。要するに認識としても実体としても、中国の存在は国民国家となるはるか以前にさかのぼるのだ。実のところ中国は、世界でも群を抜く古さを誇る現存最古の政体であり、その起源を少なくとも紀元前二二一年に、ある意味ではそれより昔にさかのぼることができる。これは歴史の菰蓄などではなく、中国人一般(エリートばかりかタクシー運転手も)が実際に自国をこのようにみている。こうした認識は、孔子や孟子の名と並んでタクシー運転手との会話にもしばしば登場し、そこに古詩の引用が混ざることもある。

中国人が「中国」ということばを使うとき、通常は国や国民ではなく、中華文明そのものを意味することが多い。すなわちその歴史、歴代王朝、儒家思想、考え方、政治権力の役割、社会関係のあり方と習俗慣習、関係(個人的交友関係のネットワーク)、家、孝行、祖先崇拝、価値観、独自の哲学などだが、これらはすべて国民国家としての中国の歴史よりはるかに古い。ナショナル・アイデンティティがほぼ国民国家の歴史を基盤に形成された欧米諸国と違って、中国人アイデンティティは圧倒的に文明としての中国の歴史の産物である。中国人は中国を国民国家ではなく文明国家ととらえているのだ。あるいは別の表現をすれば、中華文明とはひじょうに古い地層のようなもので、無数の層が重なって文明国家を構成しており、国民国家はその一番表面にある土にすぎない。欧米社会は独立国家を基盤に構成されるのに対して、中国は文明を基盤に構成ざれている。後にみるように、この相違がもたらす結果はひじょうに大きく、広範囲に及ぶ。

もちろん、世界には過去に多くの文明が存在した。その意味では中華文明もとりたてて変わったところはない。しかしながら中国の特殊なところは、「文明」と「国家」とが、それも短期間ではなくひじょうに長い期間にわたって、ほとんど重なっている点である(大きな例外は中国西部)。ほかにこれと似た例を探すのは難しい。これこそ、中国を文明だけでなく、文明国家と呼ぶことができる理由なのである。ほかにも文明国家の要素を持つ国があるかもしれないが、中国のような形でのそれは存在しない。米国が文明国家の一例だということもできよう--アメリカ先住民を壊滅させてヨーロッパ人が移住し、新たなひとつの国家を、おそらくは新たな文明を、築きあげたのだから。しかしその文明はたんにヨーロッパの継承にすぎず、さらには歴史となると、どう好意的に数えてもわずか四〇〇年ほどしかない。インドもまた候補に挙げられるかもしれないが、しかし中国と違って今日われわれのいう「インド」は、英領インド帝国という比較的新しい政体にもとづき、それ以前の歴史は中国よりもはるかに多様性に富む。

中国はその脆弱さゆえに、支配的立場にあったヨーロッパ列強の意向に沿う形で一九世紀末に国際体制〔ウェストファリア条約にもとづく近代国民国家体制〕に加えられ、国民国家となった。以降一世紀にわたって、中国はみずからを文明国家ではなく国民国家と称してきたが、その第一義的アイデンティティと基本的性格とは文明国家のそれであった。そして今日では、国民国家と文明国家という二重のアイデンティティとでもいうものを備えている。歴史と国の成り立ちからみれば、中国はあきらかに文明国家なのだが、国際関係における立場の弱さゆえに、国民国家にさせられてしまったのである。あるいはルシアン・パイがその鋭い洞察力でとらえたように、「中国は国民国家のふりをしている文明なのである」。この二つのアイデンティティ--これ自体そもそも矛盾する--が将来どのように発展し、相互に作用しあうのかは依然として未知数である。
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