未唯への手紙
未唯への手紙
スピリチュアルペイン
『セルフマネジメント』より
わが国では、“spirit”に対する訳語は定まっていない。しかし、1998年に開かれた世界保健機関執行理事会において, 1983年、「健康の定義」にspirituaKtyの概念が検討されて以来、spiritualityの概念に対して、さまざまな意見が述べられている。spiritualには,[精神的な]「精神の」「霊的な」「魂の」「崇高な」「気高い」「超俗的な」「超自然な」「神の」などの意味がある。このことから、「スピリチュアルベイン」とは、「精神的な苦痛」「霊的な苦痛」「魂の苦痛」とも訳されている。しかし、「精神的」あるいは「霊的」といった用語は理解しにくいため、この章では窪寺の説明に基づき、spiritualityを次のような意味で用いる。「人生の危機に直面して生きるよりどころが揺れ動き、あるいは見失われてしまったとき、その危機状況で生きる力や、希望を見つけ出そうとして、自分の外の大きなものに新たによりどころを求める機能のことであり、また、危機のなかで失われた生きる意味や目的を自己の内面に新たに見つけ出そうとする機能のことである」。よって、スピリチュアルペインとは、難治性疾患死に直面し、その窮境のなかで人間が生きる意味や目的を自己の内面に新たに求めようとして苦悩している状況ともいえよう。
また、「苦悩」sufferingは、『広辞苑』によると「苦しみ悩むこと」「精神的な苦しみ」とある。この「苦痛」や「痛み」「苦しみ」を示す英語はさまざまあるが、painやpangには、精神的な苦痛や苦悩、心痛、悲痛といった意味があり、主に肉体的な特定の個所の痛みや、それに伴う不愉快な出来事によって生じる心理的身体的な痛みを示す場合が多い。sufferingには、「……の下で(suf)支える[耐える](fer)の意味があり、動詞には「耐え忍ぶ]などの意味がある。そこで死が近づいている時期に生じる実存的苦悩を述べるときは、sufferingの意味の「苦悩」を用い、身体的痛みあるいは心理的な痛みに関しては「苦痛」(pain)という用語が妥当と思われる。このような区別によれば、「スピリチュアルペイン」という用語は本来「身体的痛みに伴う精神的あるいは霊的苦痛」という意味になり、「苦悩」(suffering)と同義といえよう。
近年、医療の高度化、複雑化、専門化に伴い、看護師が施設内で求められる業務の内容も変化し始めている。例えば、看護実践の場も一般病院のみならずホスピスあるいは在宅にまで及び、そのような場での看護は、「医師の指示通りに看護行為を行うjといった内容から、医師、看護師、薬剤師、栄養士、作業療法士らによって構成されている多職種とともに協働し、実践するといった状況へと変化している。特に ターミナル期の人は、疼痛、全身倦怠感などの身体的苦痛や、心理的・社会的な問題に加え、生きる意味や目的に対する苦悩を抱いていることが多い。そのようななか、看護師は患者にとって誰より自分の病状やそれに伴う苦痛を知っているため、訴えを言いやすい立場にある。その訴えのなかには、身体的苦痛のみでなくスピリチュアルな側面もあるため、看護師は患者の訴えをよく聴き、耳を傾けて対応する能力が必要と考える。そのような意味で看護師には、患者との関係性のなかで患者の苦悩を援助していく上での大きな責務が課せられている。
トラペルビーは、看護は「人間対人間のプロセス」であり、単に「できるだけ高い適正な健康水準」を取り戻すよう援助することのみでなく、「病人が病気・苦難・痛みの体験のなかで意味をみつけるよう」5)援助することであるという看護理論を生み出した。このように、彼女は、「病気は深い意味を含みうる」という独自の考えを唱えており、この考えはフランクルのロゴセラピーの考えに基づいているといわれている。そこで、トラペルビーの看護観の基礎にあるフランクルのロゴセラピーにおける重要な人間関係のあり方について述べ、ターミナル期患者のF意味充足」に向けた看護について述べていきたい。
わが国では、“spirit”に対する訳語は定まっていない。しかし、1998年に開かれた世界保健機関執行理事会において, 1983年、「健康の定義」にspirituaKtyの概念が検討されて以来、spiritualityの概念に対して、さまざまな意見が述べられている。spiritualには,[精神的な]「精神の」「霊的な」「魂の」「崇高な」「気高い」「超俗的な」「超自然な」「神の」などの意味がある。このことから、「スピリチュアルベイン」とは、「精神的な苦痛」「霊的な苦痛」「魂の苦痛」とも訳されている。しかし、「精神的」あるいは「霊的」といった用語は理解しにくいため、この章では窪寺の説明に基づき、spiritualityを次のような意味で用いる。「人生の危機に直面して生きるよりどころが揺れ動き、あるいは見失われてしまったとき、その危機状況で生きる力や、希望を見つけ出そうとして、自分の外の大きなものに新たによりどころを求める機能のことであり、また、危機のなかで失われた生きる意味や目的を自己の内面に新たに見つけ出そうとする機能のことである」。よって、スピリチュアルペインとは、難治性疾患死に直面し、その窮境のなかで人間が生きる意味や目的を自己の内面に新たに求めようとして苦悩している状況ともいえよう。
また、「苦悩」sufferingは、『広辞苑』によると「苦しみ悩むこと」「精神的な苦しみ」とある。この「苦痛」や「痛み」「苦しみ」を示す英語はさまざまあるが、painやpangには、精神的な苦痛や苦悩、心痛、悲痛といった意味があり、主に肉体的な特定の個所の痛みや、それに伴う不愉快な出来事によって生じる心理的身体的な痛みを示す場合が多い。sufferingには、「……の下で(suf)支える[耐える](fer)の意味があり、動詞には「耐え忍ぶ]などの意味がある。そこで死が近づいている時期に生じる実存的苦悩を述べるときは、sufferingの意味の「苦悩」を用い、身体的痛みあるいは心理的な痛みに関しては「苦痛」(pain)という用語が妥当と思われる。このような区別によれば、「スピリチュアルペイン」という用語は本来「身体的痛みに伴う精神的あるいは霊的苦痛」という意味になり、「苦悩」(suffering)と同義といえよう。
近年、医療の高度化、複雑化、専門化に伴い、看護師が施設内で求められる業務の内容も変化し始めている。例えば、看護実践の場も一般病院のみならずホスピスあるいは在宅にまで及び、そのような場での看護は、「医師の指示通りに看護行為を行うjといった内容から、医師、看護師、薬剤師、栄養士、作業療法士らによって構成されている多職種とともに協働し、実践するといった状況へと変化している。特に ターミナル期の人は、疼痛、全身倦怠感などの身体的苦痛や、心理的・社会的な問題に加え、生きる意味や目的に対する苦悩を抱いていることが多い。そのようななか、看護師は患者にとって誰より自分の病状やそれに伴う苦痛を知っているため、訴えを言いやすい立場にある。その訴えのなかには、身体的苦痛のみでなくスピリチュアルな側面もあるため、看護師は患者の訴えをよく聴き、耳を傾けて対応する能力が必要と考える。そのような意味で看護師には、患者との関係性のなかで患者の苦悩を援助していく上での大きな責務が課せられている。
トラペルビーは、看護は「人間対人間のプロセス」であり、単に「できるだけ高い適正な健康水準」を取り戻すよう援助することのみでなく、「病人が病気・苦難・痛みの体験のなかで意味をみつけるよう」5)援助することであるという看護理論を生み出した。このように、彼女は、「病気は深い意味を含みうる」という独自の考えを唱えており、この考えはフランクルのロゴセラピーの考えに基づいているといわれている。そこで、トラペルビーの看護観の基礎にあるフランクルのロゴセラピーにおける重要な人間関係のあり方について述べ、ターミナル期患者のF意味充足」に向けた看護について述べていきたい。
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