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こころの危機

『情緒発達と看護の基本』より 人間のこころと行動

人は、ストレスの多い環境の中で、自らの課題を抱えながら、また周囲の人々と交流しながら生きている。人のもつ意識的、無意識的な諸機能により、心身の環境は一定の状態を維持しつつ成長を遂げるように調整されている。しかし、ときとしてこの安定が破られることがある。このような状況が危機である。危機という言葉が、実際には生活状況の深刻な急変など外面の変化を指すこともあるし、身体的、精神的な病的症状の出現(あるいはその徴候)を指す場合もある。いずれにせよ、危機とは、これまでの対処法や調整手段では効果的な解決が得られないことが予想されるために、緊急に何らかの対応が求められる重要な時期のことである。

こころの危機という言葉はいろいろな状況で用いられるが、ここでは従来の行動による対処やこころの防衛機制が破綻をきたす代表的な場合である、①成熟的危機、②心的外傷、③精神疾患の発症、④家族内葛藤から生じる危機、の4点について述べることにする.

 (1)成熟的危機

  人は発達段階に応じた人生の課題に直面する。例えば、青年期は自我同一性が確立する時期である。この時期に同一性獲得につまずくと、エリクソンが同一性拡散症候群と名づけた一連の症状を呈するに至る。こうした人は「やる気が起きない」「希望がもてない」などと訴えるために,やればできるのにやらないでいると見なされて,「怠けている」「わがまま」などと周囲が見なしがちになる。しかし、成熟の課題を抱えているこころのエンジンは、自分(や周囲)の思うようには動かないのである。こうした点を念頭に置いて接しなければ、善意の励ましのつもりが、かえって事態をこじらせることにもなりかねない。

  近年増えていると伝えられる、社会的に引きこもる人の中には、精神疾患に罹患している人や人格の偏り(人格障害)が問題となる人もいないとはいえないが、まず成熟という観点から理解に努めるべき事例が多いことは間違いないであろう。

  このほか、乳幼児期から老年期に至るまで、いわゆる不適応行動がみられる場合には、その人の人生の課題の達成、すなわちこころの成熟が危機に瀕している可能性があるということを認識する必要がある。

 (2)心的外傷

  大規模な災害の被災者、犯罪被害者、虐待の被害者など心的外傷を受けた人は、急性ストレス反応のほか、後になり心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症する場合がある。PTSDは一定の症状がみられ、一定の基準に基づいて診断される医学的疾患である。そのため、ひとたび発症すれば医学的治療の対象となる。 PTSDについては、拡大解釈されている場合もないとはいえないが、発症して苦しんでいる人がいるのは紛れもない事実である。PTSDに対する社会の無知が二次的な心的外傷を生む危険性も指摘されている。こころの危機はPTSD発症の時点ではなくて、危機的な事態が発生した時点で発生していると認識するべきであろう。このような考え方に立ち、心的外傷を受けた人に対しては、症状が現れていなくとも早期からの予防的対応が求められる.

 (3)精神疾患の発症

  こころの悩みと精神疾患にころの病)は別のものである。人は誰でもいつでも、多かれ少なかれこころの悩みをもっており、場合によっては悩みがよりよく生きるための原動力にもなる。しかし、精神疾患は悩みの有無によらず、一定の症状をもち、その症状から医学的な診断が下される状態である。悩みが一見、精神疾患の原因であるようにみえても、発症には脳の機能、その疾患へのなりやすさ(脆弱性)、遺伝子などの生物学的な要因の関与が明らかにされつつあり、単純に悩みを病気の原因ととらえるべきではない。このような意味で、精神疾患の発症は、脳というこころの基盤の危機であるといえる。精神症状は本来、自分の意思に反して出現しているものであり、軽く見えるからといって、本人がコントロールすることは困難なものである。それまで悩みをもっていた人に、こうした精神症状が付け加わった場合、悩みを解決する力は障害される。また、仮に悩みが解消したからといって、一度発症した精神症状は消えるものでもない。例えば、会社での対人関係の悩みがあった人に幻覚や妄想が発症した場合には、会社を休んでも幻覚や妄想は消えるものではなく、適切な薬物療法などが必要になる。医学的治療は本来の悩みを解決するものではないため、治療と並行して,あるいは時期をみて、こころの悩みを解決する援助を行うことが必要となる。

 (4)家族内葛藤から生じる危機

  家族は互いに影響を与え合う集団であるが、家族成員のうち誰が問題の原因かが理解しあえず対立が深刻化することがある。例えば、仕事人間で深夜まで帰宅しない生活を続ける父親と、それを批判しつつ、大学を卒業しても就職せずその父親に経済的に依存している息子が深刻な対立をする場合などがその例である。この場合、父は会社の要求に対して責任を負い過ぎているし、息子は社会人としての責任を回避しているという問題がある。

  それぞれが自分の立場を正当化し、相手に対して批判的な態度をとり続ける場合、悪循環が生じ、互いのこころのありようにも深刻な影響が生じることがある。家族は長い歴史の中で、互いへの感情を培ってきており、不用意な注意や指摘は問題解決どころか、こうした悪循環を刺激して事態を悪化させる場合もあることを念頭に置く必要がある。

  家族成員の中に成熟の問題を抱える人がいたり、あるいは精神的な疾患を抱える人がいる場合、問題が個人レペルにとどまらず、家族関係の中でより悪化したり、複雑な様相を呈することがまれならず認められる。このような場合、発端となった問題が何であれ、家族成員間の関係のあり方に危機の本質があると考えられることもある。
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