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社会システムと皮膚感覚

『皮膚感覚と人間のこころ』より

人間にとって視覚は、皮膚感覚とは逆に、自己と他者、自己と世界とを結びつけるために重要な役割を果たしてきたと思われます。スペインのアルタミラの洞窟で野獣の絵を描いた旧石器時代の人々は、そのイメージを仲間と容易に共有できたでしょう。やがてヒエログリフや襖形文字のような古代文字が発明され、個人のイメージはさらに正確に、さらに幅広く、時間と空間を超えて、他者に伝達できるようになりました。このことによって、大きな社会、文化、文明、換言すれば、大人数の集団を組織化するシステムの構築が可能になったと言えます。

その状況は視覚中心の人類のシステムの進化をさらに加速させました。活字印刷技術の発明からインターネットに至る情報技術の発展は、情報の共有化を精密にし、より精妙な社会システムを構築しようとする人間の意志の現われでしょう。世界各地で様々な文化、文明が現われては消えましたが、大抵の場合、より強靭な情報システムを構築したグループがグループ間の闘争に勝利を収めてきました。現代の「先進的」社会ほど、記号化された視覚的情報に重きを置いたシステムを有しているように思われます。

視覚に次いで聴覚も情報の共有化に寄与してきたと考えられます。まずは言語の発明があり、古代ギリシャでは演説が尊ばれたといいます。文字を持だない文化や、あるいは文字を学ぶ機会を得られなかった人々には、聴覚上言葉による情報の伝達が、重要な役割を果たしていたでしょう。やがて録音技術と、音声を電気信号に変換して遠方に届ける技術が開発され、聴覚による情報の共有化は時間と空間を容易に超えることができるようになりました。現代の情報ネットワークシステムでは、視覚と聴覚による情報伝達が精妙な発展を遂げたのです。

視覚、聴覚の伝達技術が、嗅覚や味覚、皮膚感覚に比べて著しく発展したのは、光と音が物理的にはいずれも波動であり、電気信号に変換しやすかったのも理由の一つでしょう。嗅覚や味覚においては、何らかの物質、分子が必要ですが、現在の科学技術は物質の情報を電気信号に変換する直接的な方法を持ちません。特に嗅覚については、個人の意識がその認識に作用するため、大勢の人間が共有できる情報になり得ないことが、嗅覚伝達の技術革新への意欲を人類にもたらさなかった理由だと思われます。まして個々の人間の意識と密接につながっている皮膚感覚については、それを他者と共有化する試みさえ、ほとんど行なわれませんでした。かくして現代の先進的な科学技術を享受できる環境に生きる多くの人々にとって、視覚情報と聴覚情報が生活の上で重要な情報となり、時にはそれらだけが、個々の意識の決定を左右するようにもなるのです。

しかし、皮膚感覚は、私たちを強く揺さぶります。五感がもたらす様々な刺激のうち、皮膚感覚ほど個々の快・不快を惹起するものはないでしょう。例えば性的な接触は強烈な快感をもたらし、逆に皮膚の痛みや楳みは、堪え難い不快をもたらします。視聴覚情報をもとに、客観的に自己に有利な意思決定をしようとする人間の意識を、皮膚感覚は往々にして狂わせてしまいます。システムの中で生きる人間を、皮膚感覚は突然、個人に戻してしまうのです。それは皮膚感覚が他の感覚に比べて強く個人の意識に結びついており、自己と他者を区別するという重大な役割を担っているためです。時として社会のシステムと対立する文学や演劇などの芸術が、往々に恋愛を主題にするのは、そのためかもしれません。おんみらが肌と肌とを触れあって至高の幸をかちうるのは、愛撫が時を停めるからだ、愛におぼれるおんみらを結んだ場所が消えぬからだ、おんみらがそこに純粋な持続を感ずるからだ。(第二の悲歌)(リルケ『ドゥイノの悲歌』手塚富雄訳 岩波文庫)

一見、皮膚感覚は社会システムを構築するのには適さない、何か未発達の原初的な情報取得手段であるように思えるかもしれません。しかし、それは違います。皮膚感覚だけで、我々の言語的意識、あるいは論理的思考を発達させることができるのです。例えば視覚に障害がある人は、点字という皮膚感覚情報で、情報を他者と共有し、社会システムに参加し、論理的思考を深化することができます。有名なヘレン・ケラーの逸話では、水の触覚と言語を結びつける経験を糸口に、高度な言語的意識を構築しています。

ウィスコンシン大学のバックトイー=リータ博士が視覚障害者のためにある装置を開発しました。舌の上に細かな格子状の板をのせ(格子の一辺にて一本、合計一四四本の突起がある)、カメラが撮った映像を、その格子の上に圧カパターンとして映し出すというものです。この装置を用いると、やがて脳は舌の上にもたらされた圧カパターンを視覚として認識するようになり、その訓練を受けた先天的視覚障害者は、転がってくるボールをバットで打つことができるまでになりまし。

この装置を使ってデンマークのコペンハーゲン大学とカナダのモントリオール大学の共同チームは、視覚障害者と目隠しをした健常者、それぞれ一〇人ずつで「舌でものを見る」訓練を行ないながら、脳の活動部位をfMRIで観察したところ、訓練中は両グループで脳の活動部位が異なっていたのが、訓練終了時には、両グループとも大脳の視覚野の活動が見られるようになった、と報告しています。つまり視覚障害者に舌への圧刺激で入力された情報は、本来、視覚情報を受け持つ領域で処理されたのです。脳の感覚野は五感それぞれで部位が異なっていますが、それらは固定されたものではなく、状況によって、使い方が変わるようです。

皮膚感覚は個々の意識の影響を受けやすいものですが、視覚の代わりを担えるのです。つまり私たちの論理的思考を構築するに足る、外部世界の情報を私たちに提供しうる感覚なのです。
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