未唯への手紙
未唯への手紙
歴史的思考力が目指す社会--多文化共生--
『思考する歴史教育への挑戦』より アメリカ歴史教育からの示唆
歴史教育における歴史的思考力の育成とディシプリン・ギャップに焦点をあて、歴史教育のカリキュラムを目標から評価、そして実戦レベルまで追い、そのギャップがどこで生じるのか、なぜ生じるのかを明らかにしてきた。歴史教育における歴史的思考力の育成と歴史学上のディシプリン・ギャップに焦点をあてることは、これまで日本において進められてきたアメリカ歴史カリキュラム研究を前進させ、その実践レペルでの実像にまで迫る研究であったと考える。また、事例として州レベルの教育に焦点をあてる際に、一つの州の研究だけでは浮き彫りになりにくいイリノイ州の特殊性を、保守派による教育が進むニューヨーク州を参考事例として挙げ比較するといった点で、比較教育学における研究手法として新たな方法論の提示ができたのではないかと考えている。
また、本書で焦点をあてている歴史的思考力は、様々な歴史観を持った資料をもとに異なる時代や文化のもとでの人間の営みについて解釈し、共感する力であり、また批判的に思考する力である。こうした歴史的思考力の育成を図ろうとする歴史教育の改革がK-12レベルの教育実践に浸透していないとする先行研究が一九九〇年代から多く出されてきた。それらの先行研究では、新しい歴史教育の実践を阻むものとして、教育実習生自身が新しい歴史教育の実践を受けた経験がなく、暗記型・一斉授業といった教師主導型の伝統的なスタィルによる歴史教育を一二年間受けてきたことから新しい歴史教育を実践するだけの経験が不足していることが挙げられていた。その他にも存在論的歴史学に基づいた研究を行ってきたはずの大学院生がK-12レベルの歴史科教師になると教科書や学校区で定められた教育目標によって認識論的な歴史学に回帰していくことや、テスト対策や教科書をすべて終えるために一斉授業を行うことを強いられ、子ども主体で調べたり解釈させたりしていくような時間的余裕がないこと、さらに生徒自身に歴史的資料を使って歴史的な出来事を解釈させたり、批判的に思考させたりすることは無理だと考えている教師がいることなどが挙げられていた。
そうしたディシプリンーギャップの生起要因を探る研究の中には、歴史的思考力を育成するような授業を体験していないとするものも見られる。しかし、一九九四年のナショナルースタンダード策定において歴史的思考力の育成が掲げられてから、約二〇年の歳月が流れようとしている現在、歴史科教師を目指す学生の中には様々な歴史的資料を使って従来のWASP中心の合衆国史観を批判的に見る授業などを受けてきたものも見られるようになってきた。とはいえ、従来の合衆国史に対してマイノリティの立場や異なる文化から異論の声を上げることは、WASPを中心とするアメリカ民主主義の成立と発展を筋書きとするナショナル・アイデンティティや「文化的リテラシー」の崩壊につながるとする保守派からの声は現在もなお存在する。
アメリカ白人の優越主義に対抗するものとして、一九七〇年代より登場した黒人や移民といった被支配者層の自己承認や解放や癒しの手段として社会史やニューヒストリーが使われてきたことからも、従来の社会認識や社会構造、そして特定の人々への崇拝といった価値観まで覆しかねない存在論的歴史学の持つ潜在的可能性は保守派の人々にとって恐威として写ることは想像に難くない。即ち、存在論的歴史学の側から出される様々な合衆国史観に対して、一つの客観的な合衆国史の維持を目指す保守派からのナショナリズムの動きが、西欧近代思想やその流れをくむWASP文化を中心とした合衆国史の再構築という形につながったこと、こうした認識論的な歴史観に戻そうとする保守派の動きと、存在論的なマイノリティの権利獲得の動きは、歴史教育を右にも左にも動かし歴史教育を翻弄させているのである。
トクヴィルが一八三五年に発表した『アメリカの民主政治』の中で述べたように、ョーロッパ人の子孫たち、とりわけイギリス人の子孫はアメリカにおける民主主義の精神を強く信じている。そして、彼ら「イギリス人に端を発し、そして自然的でもあるこの白人種的自負心は、アメリカでは民主的自由によって生まれている個人的自負心でなお著しく増強されている」と述べている。つまり、白人としての優越主義が、民主主義の普及によってさらに高まっているというのである。合衆国史におけるナショナル・アイデンティティの統合を支持する保守派の人々の多くは、社会的地位や収入が高く、ヨーロッパ人を祖先に持つ人々という偏りを持っている。さらに、ローディガーは、白人優越主義の思考が、一九世紀になりアメリカにやってきた低所得者層のヨーロッパ系移民の自己認識の形成とも密接な関係にあることを指摘している。とりわけアイルランド系移民にとって、南北戦争前後の北部での職種や暮らしぶりは解放された黒人のそれとほとんど変わらない状況であり、自らの存在を黒人と乖離するためには、「黒人を自らの職場から放逐し、可能ならばそこに黒人がいたという記憶までも消し去ること」であり、白人としての特権、つまり「自ら選択をし、自分たち自身の文化を作り出す歴史上の行為者なのだということ(前出邦訳?出)」を示すことにあったと述べる。ローディガーは、アイルランド系移民の取った戦略として、白人として自己を主張し、その違いとして黒人を対峙させるために、黒人に対して「追従的」「怠惰」「野生的」「好色」といった動物的なレッテルを張る必要があったと述べる。つまり、知性や政治的権利を持った黒人という存在は、アイルランド系移民、ひいては一九世紀に次々とアメリカにやってきたヨーロッパ系移民にとっては自分たちが「黒人」のような存在ではないことを証明し、アメリカ社会における主体的行為者としての地位を獲得する上で、認めることのできない存在であったというのである。
二〇世紀に入ってもなお、合衆国史は、先住民であるネイティブーアメリカンや、アフリカ系アメリカ人、そしてニューカマーとして二〇世紀になり増加したアジアや中南米からの移民に対して、アメリカ社会における解決すべき課題として描き続けられている。合衆国史が、ヨーロッパに端を発する民主主義発展の歴史として描かれ、その主体的な行為者として「白人」という集団が描かれるという構造がある限り、黒人を始めとする有色人種の集団やその文化は周縁に位置づけられ続けてきた。それぞれの集団が歴史を描く主体者となり、自己を周縁としてではなく、行為者として語る必要がある、そう訴えたのはデュボイスであった。
様々な歴史観を認める存在論的歴史観は、ナショナル・ヒストリーに対峙するものなのであろうか。アメリカの歴史カリキュラムの変遷を見る限り、アフリカ系アメリカ人や先住民、そして移民の存在を無視して合衆国史を語ることは不可能になっている。アフリカ系アメリカ人や先住民、そして移民は合衆国史そのものであり、また重要な構成要素となっているからである。従来のWASP中心の歴史観によって安心をするのは「アングロ社会への同化」を図ろうとする人々であり、彼らは過去に起こったマイノリティに対する悲惨な出来事によってマイノリティから批判されることを恐れている人々である。
ワインバーグは「集団的な記憶はフィルターとしての役割を果たす」と述べる。つまり、歴史的な出来事は時間が経つと詳細は忘れられ、何が残って何が忘れ去られるかは、常に今日の社会的なプロセスによって形が変えられていくというのである。彼はそこで次のような例を挙げる。「ある出来事は祝うがある出来事は祝わないといった国家の行為。ある物語は語るがある物語は描かないという小説家や映画製作者の判断。過去からいくつか項目を選んで描くが、他のものは寝かせたまま描かないという形のない社会的なニーズ。こうした不自然な行為は、なぜ起こるのだろうか。誰かが、またはいずれかの集団が、他の集団との線引きをはかり、歴史記述においてある特定の出来事を選び自分や自己の集団の正当性や主体性を主張しているとすれば、他者はいつまでも歴史の周縁的な地位から逃れることはできない。地球上に様々な個や集団が共存し、またそれらが境界を超えて交流を図るような時代に、自己や自己の集団の正当性だけを主張するだけでは理解し合うことは難しい。不信感や対立の火種になりかねない。
ワインバーグが唱えるように、耳に聞こえの良い事柄だけでナショナル・ヒストリーを学ぶだけでは、様々なネットワークでつながるボーダーレス社会において井の中の蛙となっていくだろう。耳慣れない異なる人々からの声を聞き思考する能力は、地球上の市民として生きていくための能力であり、対話のためのスキルともなる。存在論的な歴史学は、歴史記述そのものの客観性を認めるものでなく、様々な歴史解釈を認めるものである。ナショナル・ヒストリーと存在論的歴史観は対峙するものではない。むしろナショナル・ヒストリーを学ぶ上で必要不可欠な視点である。
歴史教育における歴史的思考力の育成とディシプリン・ギャップに焦点をあて、歴史教育のカリキュラムを目標から評価、そして実戦レベルまで追い、そのギャップがどこで生じるのか、なぜ生じるのかを明らかにしてきた。歴史教育における歴史的思考力の育成と歴史学上のディシプリン・ギャップに焦点をあてることは、これまで日本において進められてきたアメリカ歴史カリキュラム研究を前進させ、その実践レペルでの実像にまで迫る研究であったと考える。また、事例として州レベルの教育に焦点をあてる際に、一つの州の研究だけでは浮き彫りになりにくいイリノイ州の特殊性を、保守派による教育が進むニューヨーク州を参考事例として挙げ比較するといった点で、比較教育学における研究手法として新たな方法論の提示ができたのではないかと考えている。
また、本書で焦点をあてている歴史的思考力は、様々な歴史観を持った資料をもとに異なる時代や文化のもとでの人間の営みについて解釈し、共感する力であり、また批判的に思考する力である。こうした歴史的思考力の育成を図ろうとする歴史教育の改革がK-12レベルの教育実践に浸透していないとする先行研究が一九九〇年代から多く出されてきた。それらの先行研究では、新しい歴史教育の実践を阻むものとして、教育実習生自身が新しい歴史教育の実践を受けた経験がなく、暗記型・一斉授業といった教師主導型の伝統的なスタィルによる歴史教育を一二年間受けてきたことから新しい歴史教育を実践するだけの経験が不足していることが挙げられていた。その他にも存在論的歴史学に基づいた研究を行ってきたはずの大学院生がK-12レベルの歴史科教師になると教科書や学校区で定められた教育目標によって認識論的な歴史学に回帰していくことや、テスト対策や教科書をすべて終えるために一斉授業を行うことを強いられ、子ども主体で調べたり解釈させたりしていくような時間的余裕がないこと、さらに生徒自身に歴史的資料を使って歴史的な出来事を解釈させたり、批判的に思考させたりすることは無理だと考えている教師がいることなどが挙げられていた。
そうしたディシプリンーギャップの生起要因を探る研究の中には、歴史的思考力を育成するような授業を体験していないとするものも見られる。しかし、一九九四年のナショナルースタンダード策定において歴史的思考力の育成が掲げられてから、約二〇年の歳月が流れようとしている現在、歴史科教師を目指す学生の中には様々な歴史的資料を使って従来のWASP中心の合衆国史観を批判的に見る授業などを受けてきたものも見られるようになってきた。とはいえ、従来の合衆国史に対してマイノリティの立場や異なる文化から異論の声を上げることは、WASPを中心とするアメリカ民主主義の成立と発展を筋書きとするナショナル・アイデンティティや「文化的リテラシー」の崩壊につながるとする保守派からの声は現在もなお存在する。
アメリカ白人の優越主義に対抗するものとして、一九七〇年代より登場した黒人や移民といった被支配者層の自己承認や解放や癒しの手段として社会史やニューヒストリーが使われてきたことからも、従来の社会認識や社会構造、そして特定の人々への崇拝といった価値観まで覆しかねない存在論的歴史学の持つ潜在的可能性は保守派の人々にとって恐威として写ることは想像に難くない。即ち、存在論的歴史学の側から出される様々な合衆国史観に対して、一つの客観的な合衆国史の維持を目指す保守派からのナショナリズムの動きが、西欧近代思想やその流れをくむWASP文化を中心とした合衆国史の再構築という形につながったこと、こうした認識論的な歴史観に戻そうとする保守派の動きと、存在論的なマイノリティの権利獲得の動きは、歴史教育を右にも左にも動かし歴史教育を翻弄させているのである。
トクヴィルが一八三五年に発表した『アメリカの民主政治』の中で述べたように、ョーロッパ人の子孫たち、とりわけイギリス人の子孫はアメリカにおける民主主義の精神を強く信じている。そして、彼ら「イギリス人に端を発し、そして自然的でもあるこの白人種的自負心は、アメリカでは民主的自由によって生まれている個人的自負心でなお著しく増強されている」と述べている。つまり、白人としての優越主義が、民主主義の普及によってさらに高まっているというのである。合衆国史におけるナショナル・アイデンティティの統合を支持する保守派の人々の多くは、社会的地位や収入が高く、ヨーロッパ人を祖先に持つ人々という偏りを持っている。さらに、ローディガーは、白人優越主義の思考が、一九世紀になりアメリカにやってきた低所得者層のヨーロッパ系移民の自己認識の形成とも密接な関係にあることを指摘している。とりわけアイルランド系移民にとって、南北戦争前後の北部での職種や暮らしぶりは解放された黒人のそれとほとんど変わらない状況であり、自らの存在を黒人と乖離するためには、「黒人を自らの職場から放逐し、可能ならばそこに黒人がいたという記憶までも消し去ること」であり、白人としての特権、つまり「自ら選択をし、自分たち自身の文化を作り出す歴史上の行為者なのだということ(前出邦訳?出)」を示すことにあったと述べる。ローディガーは、アイルランド系移民の取った戦略として、白人として自己を主張し、その違いとして黒人を対峙させるために、黒人に対して「追従的」「怠惰」「野生的」「好色」といった動物的なレッテルを張る必要があったと述べる。つまり、知性や政治的権利を持った黒人という存在は、アイルランド系移民、ひいては一九世紀に次々とアメリカにやってきたヨーロッパ系移民にとっては自分たちが「黒人」のような存在ではないことを証明し、アメリカ社会における主体的行為者としての地位を獲得する上で、認めることのできない存在であったというのである。
二〇世紀に入ってもなお、合衆国史は、先住民であるネイティブーアメリカンや、アフリカ系アメリカ人、そしてニューカマーとして二〇世紀になり増加したアジアや中南米からの移民に対して、アメリカ社会における解決すべき課題として描き続けられている。合衆国史が、ヨーロッパに端を発する民主主義発展の歴史として描かれ、その主体的な行為者として「白人」という集団が描かれるという構造がある限り、黒人を始めとする有色人種の集団やその文化は周縁に位置づけられ続けてきた。それぞれの集団が歴史を描く主体者となり、自己を周縁としてではなく、行為者として語る必要がある、そう訴えたのはデュボイスであった。
様々な歴史観を認める存在論的歴史観は、ナショナル・ヒストリーに対峙するものなのであろうか。アメリカの歴史カリキュラムの変遷を見る限り、アフリカ系アメリカ人や先住民、そして移民の存在を無視して合衆国史を語ることは不可能になっている。アフリカ系アメリカ人や先住民、そして移民は合衆国史そのものであり、また重要な構成要素となっているからである。従来のWASP中心の歴史観によって安心をするのは「アングロ社会への同化」を図ろうとする人々であり、彼らは過去に起こったマイノリティに対する悲惨な出来事によってマイノリティから批判されることを恐れている人々である。
ワインバーグは「集団的な記憶はフィルターとしての役割を果たす」と述べる。つまり、歴史的な出来事は時間が経つと詳細は忘れられ、何が残って何が忘れ去られるかは、常に今日の社会的なプロセスによって形が変えられていくというのである。彼はそこで次のような例を挙げる。「ある出来事は祝うがある出来事は祝わないといった国家の行為。ある物語は語るがある物語は描かないという小説家や映画製作者の判断。過去からいくつか項目を選んで描くが、他のものは寝かせたまま描かないという形のない社会的なニーズ。こうした不自然な行為は、なぜ起こるのだろうか。誰かが、またはいずれかの集団が、他の集団との線引きをはかり、歴史記述においてある特定の出来事を選び自分や自己の集団の正当性や主体性を主張しているとすれば、他者はいつまでも歴史の周縁的な地位から逃れることはできない。地球上に様々な個や集団が共存し、またそれらが境界を超えて交流を図るような時代に、自己や自己の集団の正当性だけを主張するだけでは理解し合うことは難しい。不信感や対立の火種になりかねない。
ワインバーグが唱えるように、耳に聞こえの良い事柄だけでナショナル・ヒストリーを学ぶだけでは、様々なネットワークでつながるボーダーレス社会において井の中の蛙となっていくだろう。耳慣れない異なる人々からの声を聞き思考する能力は、地球上の市民として生きていくための能力であり、対話のためのスキルともなる。存在論的な歴史学は、歴史記述そのものの客観性を認めるものでなく、様々な歴史解釈を認めるものである。ナショナル・ヒストリーと存在論的歴史観は対峙するものではない。むしろナショナル・ヒストリーを学ぶ上で必要不可欠な視点である。
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