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第10章は「私の世界の物語」

乃木坂のユニット

 パフォーマンスが披露された。ポリゴンとして、次から次に出してくる。その内に三列目の両脇の5人が並んでいます。ひめたん、小百合、新内、きーちゃん、まりかの5人です。三列目の真ん中の3人が別になっている。つまり、実質的に四列目のフォーメーションです。

 つまり、5人、6人、3人、5人の列です。ごちゃごちゃしていたけど、これは紅白の大舞台を想定した練習なんでしょう。

 ユニットが作られるのではなく、ユニットをポリゴンのように合成して、全体を作ろうとしています。

欅に対して感じた違和感

 欅に対して感じた違和感、それは全体主義です。楽しくない。サイレントマジョリティと言いながら、完全に沈黙の螺旋を示している。自己主張を拒否している服装。

 サイマジョは歌詞と異なり、全体主義を感じると同時に、それを好む多くの人の存在。言うことと行動が逆な世界って、どうなっているのか。

 ヨーロッパの連中から言わせたら、軍服が後から付いてきた。

 乃木坂は「それぞれの椅子」です。分化と統合になっている。それらの対抗して、バラバラの世界、混沌と行ってもいい世界があります。それがAKBです。

 乃木坂だったら、あの軍服は使わないだろう。意見をまとめ上げる橋本とか桜井も居るし、自由にものが言える、生ちゃんもいます。

なかなか、名古屋へ行けない

 5時半に起きて、名古屋へのバスには十分間にある。全然、寝不足です。そんなものはバスの中で寝ればいいのに。どこかで引っかかるものがあったのでしょう。

 ポッキーの日はお休みと言っていたので、その前日を狙いましょう。映画はブリジット・ジョーンズを仮置き。

クリスマスのフラペチーノ

 チケットだから、今日からのフラペチーノにしました。チケットがある時だけの楽しみです。

朝動けないから夜行性?

 これだけ、朝、動けないとやばいですね。夜を使うしかないかな。3時くらいまでなら、朝は11時まで寝ていてもいいという気分になります。計算が合います。だけど、こちらの深夜放送は六なのがないから、どうしても、ネット放送に頼ることになる。乃木坂があって良かった。この世界の先を行っています。

第10章は「私の世界の物語」

 第10章は「私の世界の物語」にしましょう。観念論もここまで来ると立派でしょう。

10.1「多くの他者」

 第10章を「私の世界の物語」とした以上は、10.1「多くの他者」にします。ある意味では上から目線です。ルサンチマンが本当にどうしたらいいのか。そして、社会の仕組みをどうしたらいいのかを宗教的な感覚の「啓示」として示すことになります。

 未来方程式で示したように、情報共有で世界を変えないといけないということでしょう。今のようなバラバラな状態というのは、ハイアラキーの世界で、上からの情報に従って生きていく分にはいいかもしれないけど、配置の世界では自分たちの力を信じて、切り開いていくことです。

 重要なのは、一人ひとりが存在していること、生きている、生まれてきた、その力をどう使っていくのか。そのためには、現在の意思の力、ハイアラキーの世界をしっかり見据えないといけない。配置の考えで国というものをどのように超えていくのか。

 覚醒することによって、自分の近傍を創り出す。それでもって変わる。それでない限り、依存するだけです。

 宗教でいうと、戒律というカタチで残した方がいいかもしれません。ムスリムは戒律で、バラバラであった砂漠の民をまとめ上げた。
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