未唯への手紙
未唯への手紙
ポスト・イスラーム主義
『イスラーム主義』より もう一つの近代を構想する
ポスト・イスラーム主義とは何か
中東の政治のコンテクストに戻ろう。イスラーム主義は、「アラブの春」後の三重の苦難--権威主義、過激主義、宗派主義-―を克服し、「帝国後」の「あるべき秩序」を提示する有力なイデオロギーの座を取り戻すことができるだろうか。
本書を通して見てきたように、イスラーム主義は硬直したイデオロギーではなく、時代や環境に応じて、思想、運動、革命、武装闘争やテロリズム、政党・政策などのかたちで中東政治に大きな影響を及ぼしてきた。したがって、今後もかたちを変えながら、中東の国家と社会のあり方に働きかけていくものと考えられる。
では、イスラーム主義はどのように変化していくのだろうか。
この問題について、近年、「ポスト・イスラーム主義」と呼ばれる議論が盛んとなった。ポスト・イスラーム主義とは、イスラーム主義に「後」を意味する接頭語である「ポスト」が付けられたものであり、イスラーム主義の新たな思想や運動の潮流を説明するための分析概念である。
だが、その定義については論者の間で異にする。
先に触れたロワは、ポスト・イスラーム主義を、イスラーム国家の樹立を目指す思想や運動に対置させながら、「再イスラーム化の個人化」をめぐる「複合的な実践と戦略」と捉える。
彼は、一九九二年の時点で、アルジェリアのイスラーム救済戦線の経験を事例として、イスラーム主義者がイスラーム国家の樹立に挫折したことで革命性と急進性を喪失し、その結果、既存の国民国家の枠組みのなかで他の政治勢力と同じような「正常化」の道を歩まざるを得なくなると論じた。
ロワのポスト・イスラーム主義の議論は、この「政治的イスラームの失敗」論の延長線上にある。すなわち、イスラーム主義は、イスラーム国家の樹立に「失敗」した後、国家権力よりも社会や個人における生の充実へ、言い換えれば、公的領域よりも私的領域の「再イスラーム化」へと活動の重心を移していくものとされた。
国家中心的議論の限界
このロワによるポスト・イスラーム主義論は、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけてのイスラーム主義の変化を概ね正確に捉えているように思われる。確かに、イスラーム国家の樹立を声高に叫ぶ者たちは、今や一部のジハード主義者に限られるようになり、イスラーム主義者の多くが、自らの生を営む国民国家や民主主義へのコミットメントを強めている。彼ら彼女らは、イスラーム政党を結成し、世俗主義を含む他のイデオロギーを掲げる政治勢力との積極的な連携を見せている。
だが、いくつかの疑問も残る。こうした変化は、イスラーム国家の樹立に挫折しなければ起こらなかったのか。イスラーム主義は、ポスト・イスラーム主義に置き換わるようなものなのか。イスラーム国家樹立の目標は、本当に放棄されたのか。
ロワは、自身が唱えた「政治的イスラームの失敗」論を議論の出発点とすることで、①「失敗」にイスラーム主義の変化の要因を収斂させ、②「失敗」の前後でイスラーム主義とポスト・イスラーム主義との間に断絶を見出し、③前者から後者への単線的・不可逆的な移行過程を想定していたと言える。
しかし、こうした想定は、結果的に、本書を通して見てきたような、イスラーム主義の多様性と変化を捉えるための足かせとなりかねない。そして、それは、結局のところ、ロワのイスラーム主義の議論が国家中心的であり、「政治」を既存の国家の内部での権力闘争と同一視してきたことを露呈している。
実際には、ムスリム同胞団、ナフダ党、ハマース、ヒズブッラーなどのケースで見てきたように、イスラーム主義者が国民国家や民主主義へのコミットメントを強めたからといって、彼ら彼女らのすべてが「失敗」を経験しているわけでも、国家権力の奪取を放棄したわけでも、さらには、イスラームを私的領域における事柄に限定したわけでもない。これらのイスラーム主義運動は、国民国家や民主主義を尊重し政党活動を行いながらも、草の根の社会活動や武力による抵抗運動を通して、公的領域における「イスラーム的」の実現を理想として掲げ続けている。
こうした現実を踏まえ、本書では、「政治」に「国民国家内の権力闘争」と「国民国家自体の相対化」という二重の意味を読み込んできた。イスラーム主義者は、この二つの「政治」を必ずしも個別ないしは継起的に捉えているわけではなく、「あるべき秩序」の実現のために働きかけるべき対象としてきたのである。
「もう一つの近代」への道
政治学者A・バヤートは、近年のイスラーム主義の変化を、「失敗」を境とした断続性ではなく、歴史的な継続性のなかで捉えることの重要性を指摘し、ポスト・イスラーム主義にロワとは異なる定義を与えた。バヤートのそれは、イスラーム主義に変化をもたらす「状況」とそれに伴う「計画」とされる。
「状況」とは、「イスラーム主義のアピール、エネルギー、正統性の源泉が枯渇した政治的・社会的状況」であり、他方、「計画」とは、イスラーム主義者たちによる「社会的、経済的、知的領域を横断するイスラーム主義の基本原則と倫理を概念化・戦略化しようとする自覚的な試み」を指す。
つまり、ポスト・イスラーム主義とは、イスラーム主義が一九七〇年代や八〇年代に見せたような強い訴求力を失った今日において、「「もう一つの近代」を実現すべく、イスラームと個人の選択や自由、すなわち民主主義や近代性とを結びつけようとする」営みのことを指す。
ただし、バヤートは、ポスト・イスラーム主義の出現が「潮流としてのイスラーム主義の歴史的終焉」を意味するわけではなく、それを「イスラーム主義の経験からの質的に異なる言説と政治の誕生と見るべき」であるとし、現実には両者の併存状況を観察できることもあるとも論じている。
しかし、だとすれば、ポスト・イスラーム主義は、多様性と変化を絶えず見せてきたイスラーム主義の今日的な一形態に過ぎず、わざわざ「ポスト」と名付け区別する意義が薄弱になる。事実、彼は、「啓示と理性の調和」を唱えた二〇世紀初頭のイスラーム改革者アブドゥに、ポスト・イスラーム主義の特徴を見出している。
むしろ、バヤートのポスト・イスラーム主義論は、一九世紀末以来のイスラーム主義が本来的に持っていた発想、すなわち、神の意思に真摯に向かい合うことで、未知の事物から新たな
「イスラーム的」を発見できるとする発想を再確認した上で、その今日的な発露のかたちを捉えようとしたものと言えよう。
アフガーニー、アブドゥ、リダーらのイスラーム改革思想以来、イスラーム主義者たちが問題にしてきたのは近代西洋との関係のあり方であった。イスラーム主義が実現しようとしてきた「もう一つの近代」とは、西洋的近代に対置される、ないしは近代西洋を起源とする事物を排除した偏狭な「イスラーム的」な近代を意味しない。そこで想定されてきたのは、近代西洋とイスラームの二分法を止揚したかたちの近代なのである。
ポスト・イスラーム主義とは何か
中東の政治のコンテクストに戻ろう。イスラーム主義は、「アラブの春」後の三重の苦難--権威主義、過激主義、宗派主義-―を克服し、「帝国後」の「あるべき秩序」を提示する有力なイデオロギーの座を取り戻すことができるだろうか。
本書を通して見てきたように、イスラーム主義は硬直したイデオロギーではなく、時代や環境に応じて、思想、運動、革命、武装闘争やテロリズム、政党・政策などのかたちで中東政治に大きな影響を及ぼしてきた。したがって、今後もかたちを変えながら、中東の国家と社会のあり方に働きかけていくものと考えられる。
では、イスラーム主義はどのように変化していくのだろうか。
この問題について、近年、「ポスト・イスラーム主義」と呼ばれる議論が盛んとなった。ポスト・イスラーム主義とは、イスラーム主義に「後」を意味する接頭語である「ポスト」が付けられたものであり、イスラーム主義の新たな思想や運動の潮流を説明するための分析概念である。
だが、その定義については論者の間で異にする。
先に触れたロワは、ポスト・イスラーム主義を、イスラーム国家の樹立を目指す思想や運動に対置させながら、「再イスラーム化の個人化」をめぐる「複合的な実践と戦略」と捉える。
彼は、一九九二年の時点で、アルジェリアのイスラーム救済戦線の経験を事例として、イスラーム主義者がイスラーム国家の樹立に挫折したことで革命性と急進性を喪失し、その結果、既存の国民国家の枠組みのなかで他の政治勢力と同じような「正常化」の道を歩まざるを得なくなると論じた。
ロワのポスト・イスラーム主義の議論は、この「政治的イスラームの失敗」論の延長線上にある。すなわち、イスラーム主義は、イスラーム国家の樹立に「失敗」した後、国家権力よりも社会や個人における生の充実へ、言い換えれば、公的領域よりも私的領域の「再イスラーム化」へと活動の重心を移していくものとされた。
国家中心的議論の限界
このロワによるポスト・イスラーム主義論は、一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけてのイスラーム主義の変化を概ね正確に捉えているように思われる。確かに、イスラーム国家の樹立を声高に叫ぶ者たちは、今や一部のジハード主義者に限られるようになり、イスラーム主義者の多くが、自らの生を営む国民国家や民主主義へのコミットメントを強めている。彼ら彼女らは、イスラーム政党を結成し、世俗主義を含む他のイデオロギーを掲げる政治勢力との積極的な連携を見せている。
だが、いくつかの疑問も残る。こうした変化は、イスラーム国家の樹立に挫折しなければ起こらなかったのか。イスラーム主義は、ポスト・イスラーム主義に置き換わるようなものなのか。イスラーム国家樹立の目標は、本当に放棄されたのか。
ロワは、自身が唱えた「政治的イスラームの失敗」論を議論の出発点とすることで、①「失敗」にイスラーム主義の変化の要因を収斂させ、②「失敗」の前後でイスラーム主義とポスト・イスラーム主義との間に断絶を見出し、③前者から後者への単線的・不可逆的な移行過程を想定していたと言える。
しかし、こうした想定は、結果的に、本書を通して見てきたような、イスラーム主義の多様性と変化を捉えるための足かせとなりかねない。そして、それは、結局のところ、ロワのイスラーム主義の議論が国家中心的であり、「政治」を既存の国家の内部での権力闘争と同一視してきたことを露呈している。
実際には、ムスリム同胞団、ナフダ党、ハマース、ヒズブッラーなどのケースで見てきたように、イスラーム主義者が国民国家や民主主義へのコミットメントを強めたからといって、彼ら彼女らのすべてが「失敗」を経験しているわけでも、国家権力の奪取を放棄したわけでも、さらには、イスラームを私的領域における事柄に限定したわけでもない。これらのイスラーム主義運動は、国民国家や民主主義を尊重し政党活動を行いながらも、草の根の社会活動や武力による抵抗運動を通して、公的領域における「イスラーム的」の実現を理想として掲げ続けている。
こうした現実を踏まえ、本書では、「政治」に「国民国家内の権力闘争」と「国民国家自体の相対化」という二重の意味を読み込んできた。イスラーム主義者は、この二つの「政治」を必ずしも個別ないしは継起的に捉えているわけではなく、「あるべき秩序」の実現のために働きかけるべき対象としてきたのである。
「もう一つの近代」への道
政治学者A・バヤートは、近年のイスラーム主義の変化を、「失敗」を境とした断続性ではなく、歴史的な継続性のなかで捉えることの重要性を指摘し、ポスト・イスラーム主義にロワとは異なる定義を与えた。バヤートのそれは、イスラーム主義に変化をもたらす「状況」とそれに伴う「計画」とされる。
「状況」とは、「イスラーム主義のアピール、エネルギー、正統性の源泉が枯渇した政治的・社会的状況」であり、他方、「計画」とは、イスラーム主義者たちによる「社会的、経済的、知的領域を横断するイスラーム主義の基本原則と倫理を概念化・戦略化しようとする自覚的な試み」を指す。
つまり、ポスト・イスラーム主義とは、イスラーム主義が一九七〇年代や八〇年代に見せたような強い訴求力を失った今日において、「「もう一つの近代」を実現すべく、イスラームと個人の選択や自由、すなわち民主主義や近代性とを結びつけようとする」営みのことを指す。
ただし、バヤートは、ポスト・イスラーム主義の出現が「潮流としてのイスラーム主義の歴史的終焉」を意味するわけではなく、それを「イスラーム主義の経験からの質的に異なる言説と政治の誕生と見るべき」であるとし、現実には両者の併存状況を観察できることもあるとも論じている。
しかし、だとすれば、ポスト・イスラーム主義は、多様性と変化を絶えず見せてきたイスラーム主義の今日的な一形態に過ぎず、わざわざ「ポスト」と名付け区別する意義が薄弱になる。事実、彼は、「啓示と理性の調和」を唱えた二〇世紀初頭のイスラーム改革者アブドゥに、ポスト・イスラーム主義の特徴を見出している。
むしろ、バヤートのポスト・イスラーム主義論は、一九世紀末以来のイスラーム主義が本来的に持っていた発想、すなわち、神の意思に真摯に向かい合うことで、未知の事物から新たな
「イスラーム的」を発見できるとする発想を再確認した上で、その今日的な発露のかたちを捉えようとしたものと言えよう。
アフガーニー、アブドゥ、リダーらのイスラーム改革思想以来、イスラーム主義者たちが問題にしてきたのは近代西洋との関係のあり方であった。イスラーム主義が実現しようとしてきた「もう一つの近代」とは、西洋的近代に対置される、ないしは近代西洋を起源とする事物を排除した偏狭な「イスラーム的」な近代を意味しない。そこで想定されてきたのは、近代西洋とイスラームの二分法を止揚したかたちの近代なのである。
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