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使うから買うへ

使うから買うへ

 使うから買う、買うから使う。それによって、買うことは個人だけど、使うとなったら、地域です。それが、「いい町・いい社会」とつながっていきます。クルマを使う、交通手段をどのように使っていくのか、それを市民と一緒になって考える。

 今までは、使うというのを個人単位で考えていたけど、個人単位ではムリがあります。エネルギーもまるで変わらないです。結局、資本主義の一番のベースを変えていくことになります。個人が所有するという欲求を変えていくこと。それは共有の世界をさらに進めることであり、かつ、効率的にすることである。人が多く居れば居るほど、成り立つ世界を作ることです。

 最初の仕事の部分でシステムは単に作るだけではなく、作るのが目的でなく、使うのが目的であることからの帰結です。個人の欲求をグループの欲求にして、それでもって、全体の効率を上げるだけでなく、双方向をいい形にしていく。

 結局、デカルトではないけど、所有することで、資本主義は発達してきたが、この先の有限の世界において、それはありえない。シェアすることにより、共有することにより、更なる進歩を図らないといけない。エネルギーは特にそうです。

目的を明確にする

 目的を明確にして、そのために社会を変えていく。その中で、自分がどういう役割をしていくのか、そのためには自分の存在の力がベースになる。言われたことをやると言っても、言った連中が欲でもない場合は、ここでは特にそれが必要です。

 だから、全体を見ると同様に、個々のところを見ていく、その両方をドッキングさせること。最初の直感のところ、システムを作ることではなく、使うことの帰結がここに来ている。えらく粘り強いですね。自分でも驚きます。

本と図書館をつなげる公共の概念

 本がある理由、図書館がある理由、それらがつながっていない。それをつなげるのが、第6章。つなげるポイントは公共の概念ということと、もう一つは行動につなげるかです。つまり、市民の分化と組織の分化。

国民国家と市民主体社会

 4章の歴史編は国民国家が中心になります。そこから、脱国民国家に行く途中に、市民主体社会になるのか、同じなのか。市民主体国家もどちらかというと、社会の位相化と同じように分化と統合です。

 むしろ、歴史観です。歴史哲学をベースにして、個人からどのように積み上げていくのか。それは他のジャンルでやるけど、歴史で全てが統一される。

 歴史における新しい歴史観、歴史哲学、そのベースは分化と統合です。元々、ローカルとグローバルというものとか、社会の位相と数学的要素も入れて、分化と統合です。近傍系という概念を大きくしています。今までの国民国家と何が違うのか。

 国民国家は意思の力です。カリスマ的な指導者がいて、それに従うモノがいて、拡張することを前提とした意思の力です。

存在の力の集約

 今回は完全に意思の力ではない。個人の存在の力の集約そのものです。存在の力での新しい社会です。自分がなぜ、そこに居るのかという存在の力、それをどのようにして全体の力にしていくのか。ローカルの場合はそういうものが一切なかった。自分が存在するだけで汲々としていた。

 そういう個々の存在の力を全体として、統合していく。それが国を為していく、世界を為していく。統合の力はあくまでも、それらをどのようにパターン化していくのかというところです。だから、国という形態は在ってもなくてもいいです。あった方が主張しやすかったら、それにすればいいです。そこでのベースは意思の力そのものです。

存在の無からサファイアへのチェーン

 チェーンで考えた方がいいみたいです。存在と無から生まれてきた意味、生まれてきた意味からもう一人の私、もう一人の私から社会分析、社会分析からサファイア循環。何となく、桶屋モードですね。
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