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ルソーの第一の散歩

『孤独な散歩者の夢想』より

この世にたったひとり。もう兄弟も、隣人も、友人も世間との付き合いもなく、天涯孤独の身。私ほど人付き合いが好きで、人間を愛する者はいないというのに、そんな私が、満場一致で皆から追放されたのだ。繊細な私の心を最もひどく痛めつけるにはどんな仕打ちがいちばんいいのか、奴らは私への憎悪を極限まで募らせながらさんざん考えたのだろう。そして、奴らと私をつなぐすべてを乱暴に断ち切った。相手がどうであろうと私は人間を嫌いにはなれなかった。つまり、人間でなくなることでしか、私と完全に縁を切ることはできないのだ。もはや彼らはまったくの他人であり、見知らぬ人も同然であり、私にとって何の意味もない存在になったが、それは彼ら自身が望んだことなのだ。だが、そういう私は、皆から切り離され、すべての関係を断ち切られた私は、いったい何者なのだろう。今、唯一私にできることは、自分が何者は悪化するばかりであり、奴らが容赦なく攻撃する種となるようなことを次々としでかしてしまったのだ。何をしても空回り、さんざん無駄に苦しんだ挙句、必然的なことには逆らわず、ただ運命に身をまかせるしかないという結論に達した。こうして諦めてみると、これまでの苦痛がすべて埋め合わされるほどの平穏を見つけ出すことができた。この平穏こそ、諦めが私にもたらしたものであり、つらく報われることのない抵抗を続けていたときには、得られなかったものである。

私が平穏を取り戻すことができたのには、ほかにも理由がある。私を攻撃した者たちは、あらゆる形で私への憎悪を極限状態までもっていこうとした。だが、奴らは激情のあまり、一つ忘れていたことがある。私を苦しめ続け、日々苦しみを新たにするような状況におきたいのなら、たえず新たな攻撃を加え、じわじわと攻撃を強めていくのが最も効果的だったはずだ。もしわずかでも希望の余地が残されていたなら、たとえそれが彼らの巧妙な罠であっても、私はその希望にすがろうとし、今でも諦めきれずに苦しんでいたことだろう。そして、彼らは私を韻し、もてあそび、期待させてはまた新たにその期待を裏切ることで、私を苦しめ続けることもできたはずだ。だが、彼らは、最初からあらゆる策を出しつくしてしまった。私からすべての希望を奪うことで、彼らは私をいたぶる機会を自ら手放してしまったのだ。彼らが私に浴びせかけた罵倒、誹誇、嘲笑、汚辱はすでに頂点に達しており、弱まることはないにしろ、これ以上ひどくなりようもない。要するに、双方とも早々に限界に達してしまったのだ。あちらは最大限の攻撃を加えようと必死になり、こちらはこちらで最悪の状態に必死に耐えるばかりだった。敵側は、私を最大限に痛めつけようと急ぎすぎた。もはや、地獄の助けを借りようとも、人の手で可能なあらゆる策略を出しつくしてしまい、これ以上は何もできなくなっている。肉体的な苦痛を与えようにも、こうした苦痛はさらに苦しみに追い打ちをかけるかに見えて、実は精神的な苦痛から気をそらせる効果をもつ。痛い、痛いと声をあげれば内に秘めていた苦痛を発散させ、肉体の痛みによって心の痛みを忘れることができるのだ。

もうすべて出しつくされているのだから、何を恐れることがあろう。これよりもひどい状態はないのだから、もう彼らにはこれ以上私を脅かしようがないのだ。不安と恐怖という苦しみから、彼らは私を永遠に解放してくれた。それについては安堵している。今、現実にある不幸など大して重要ではない。現在感じている苦しみについては、きちんと受け入れることができる。だが、この先、襲ってくるかもしれない苦しみを心配し始めると耐えられなくなるのだ。こうなったらどうしようと怖々ながら想像すると、頭の中であらゆる不幸が組み合わさり、何度も反復するうちに拡大、増幅していく。実際に不幸になるより、いつどんな不幸が襲ってくるのかと不安にびくびくしているときのほうが百倍もつらい。攻撃そのものよりも、攻撃するぞという脅しのほうがよほど恐ろしいのだ。実際にことが起こってしまえば、あれこれ想像を働かせる余地はなく、まさに目の前の現状をそのまま受け入れればいいのだ。実際に起こってみると、それは私が想像していたほどのものではないことが分かる。だから、私は不幸のど真ん中にあっても、むしろ安堵していたのだ。こうして現在は、新たな不安を抱くこともなく、へんに期待することも動揺することもなくなっている。慣れてきたというだけでも、現在自分がおかれている状況が徐々にそれほど苦痛でもなくなってきたというわけだ。なにしろ、今以上に悪くなるはずはないのである。時間がたつにつれ、感情は生々しさを失い、奴らがどうあがこうが、もはや負の感情を再燃させるようなことは起こりようがないのである。要するに、私を攻撃する者たちは、感情の高ぶりにまかせてあらゆる策を出しつくしたことで、逆に私を助けてくれたのだ。彼らはもはや私を支配することができない。今や私は彼らを鼻で笑うくらいの余裕があるのだ。

とはいえ、私が心の平穏を取り戻してからまだ二か月もたっていない。とっくの昔に怯える気持ちはなくなっていた。だが、それでも私はどこかで期待し続けていたのだ。わずかな希望を掻き立てられ、やがて失望し、それがきっかけになって狂おしいまでの思いがあれこれと湧き上がり、平静ではいられなくなったものだ。ところが、ある悲しい出来事、思いがけない出来事によって、ついにかぼそい希望の糸も断たれた。もうこれ以上、期待しても無駄だということが、これではっきりしたのだ。そこで私はようやくきっぱりと諦めがつき、心の平穏を取り戻したのだ。
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