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未唯への手紙

未唯への手紙

第一次ポエニ戦争で地中海制覇

2016年07月31日 | 4.歴史
『ローマ帝国』より ⇒ 2月に読んだ、小説「ハンニバル戦争」は第二次ポエニ戦争でのハンニバルに対する、大スピキオを扱っている。それの歴史的な記述になっている。

周辺の国々やケルト人との闘いを征し、イタリア全土をほぼ手中に収めたローマは、次はシチリアに目を向けます。前三世紀頃の当時、西地中海一帯は海洋民族のフェニキア人が席捲しており、シチリアも、フェニキア人勢力の一つであるカルタゴが西半分を、東半分をギリシア人勢力のシラクサとメッシーナが統治していました。

ところがシラクサがメッシーナを占拠するという暴挙に出、メッシーナはローマに支援を求めます。ローマは大いに苦慮します。支援を断ればメッシーナはカルタゴを頼るでしょう。当時、カルタゴは地中海一帯で最強の力を誇っており、放っておけば、シチリア全体がカルタゴの手に落ちるのは明らかでした。反対に、ローマがシチリアを手に入れればカルタゴを牽制することになり、ローマは優位に立てます。

最終的に前二六五年、ローマはメッシーナに援軍を送ることを決意します。もっとも、このときローマは、この戦いが二三年間も続き、その後の第二次、第三次を合わせると一〇〇年も続く大戦争になるとは予想さえしていなかったでしょう。

ローマにはアッピア街道やアッピア水道を建造したことで名高いアッピウス・クラウディウス(前三五〇~前二七一)がいました。この頃は亡くなっていましたが、大軍を率いてシチリアに向かったローマ軍の執政官は、この名門貴族の血を引くアッピウス・クラウディウス・カウデクスです。彼はシチリアに到着するとすぐにメッシーナとの間に同盟協定を結びます。これで、メッシーナ支援の軍事介入の大義名分ができたわけです。

次いで、クラウディウス・カウデクスはシラクサに講和を申し入れます。しかし、シラクサはこれを拒絶。つまり、「戦いで決着をつけよう」という意思を表明したことになります。

シラクサは予想どおりカルタゴと同盟軍を作って応戦しますが、ローマ軍の敵ではなく、ローマ軍はあっけなく同盟軍を打ち破り、シチリアの東半分を手に入れます。

ここで冬の到来。南国シチリアでも冬は自然休戦期となり、ローマでは翌年の執政官の選出を行なう民会が開かれます。その結果、新たに二人の執政官が選ばれ、二人の執政官はそれぞれ二個軍団、つまり、計四個軍団を率いてシラクサにやってきます。

シラクサの借主ヒエロンは洞察力に優れた人物で、ローマ軍とシラクサが戦っている問にカルタゴが〝漁夫の利〟を得てしまうのではないかと懸念し、ローマ軍を訪れて講和を申し出ます。シラクサと講和し、メッシーナを同盟国としたローマは、結果的にシチリア東部の防衛を確実にするという初期の目的を達したことになります。

ところがここに至り、危機感を深めたのがカルタゴです。カルタゴは翌年の前二六四年、兵力をいっそう増強し、陸海軍で四万の大軍を率いて、シチリア南部のアグリジェントに上陸。ここに第一次ポエニ戦争が勃発します。ちなみに、「ポエニ」とはフェニキアをラテン語読みしたもので、フェニキア人と同義語です。

第一次ポエニ戦争の主戦場は海上でした。最強の艦隊を擁するカルタゴと、まだ海軍さえ持っていなかったローマ軍。ローマ軍は船隊が必要なときはギリシアの同盟国に参戦してもらうことでなんとかやってきたのです。これでは、カルタゴの優勢は火を見るより明らかだといってよいでしょう。

しかも、ギリシアの船隊の軍船は旧式な三段櫂船で、一方のカルタゴは新式の五段櫂船。三段擢船では船体の左右、片翼の上下三段に船員を一〇〇名配置して漕ぎますが、五段権船では一列の漕ぎ手が五〇〇人に増え、船体もずっと大きいのです。カルタゴはこの五段擢船を一二○隻も備えていました。カルタゴと戦うのなら、ローマも五段擢船を大量に持たなければ勝負になりません。ローマはカルタゴの五段擢船を捕らえ、それを解体、模倣してローマ初の五段擢船を一〇〇隻も作り、対抗します。

ローマ軍の戦略で大いに威力を発揮したのが新兵器「カラス」です。当時の海上戦は、敵船の側面に回り込み体当たりする戦術が主でした。この戦法は操船技術に劣るローマにはむずかしかったので、時の執政官ドゥイリウスは「カラス」を考案します。

「カラス」は先端に鉄の鈎がついた接舷タラップで、敵船に近づき敵船の甲板に下ろすと甲板に刺さって固定される。そこを兵は通って敵船に乗り込むのです。

海運国カルタゴでは船の美観も大切にします。「カラス」のような見場の悪いものを船に取りつけるなど、思いも寄らないことでした。しかし、ローマはそんなことにはお構いなしに、戦い上の便宜を第一に考え、「カラス」を船に取りつけたのです。

兵と兵が刀剣で戦う白兵戦ではローマ兵のほうに格段の利があります。兵が敵船に乗り移って白兵戦に持ち込む戦術は見事に功を奏し、前二六〇年の初の海戦でローマはカルタゴに大勝。カルタゴはこの一戦で戦力の三分の一を失うほどの打撃を受けてしまいました。

シチリアに戻ったローマ軍は前二五六年、史上最大の海戦といわれるエクノムス沖海戦を戦って勝利。しかし、暴風に襲われた海難事故で多大の艦船と兵士を失うなど、ローマの被害も甚大でした。そこから立ち直って、やがてローマは大艦隊を再建します。さらに前二四一年のアエガテス諸島沖海戦でもカルタゴ輸送船団を撃破。この敗戦でカルタゴは兵や食料の補給がままならなくなり、ローマに敗戦を認め、第一次ポエニ戦争は終結。ローマは多額の補償金とともに、シチリアを手中に収めます。

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