『あなたを変える七日間の哲学教室』 哲学とは何か?
読 者 哲学者のように考えるとはどういうことなのか、この五日間で、僕はだいぶ理解できたような気がします。でも、まだ「哲学とはこれだ」と言えるようなものを見つけられていない気がします。つまり、哲学そのものを定義できないんです。
哲学者 ソクラテスも、君と同じように考えた。プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』によると、ソクラテスは、正義や友情といった基礎概念を説明するのにひたすら例を挙げつづける相手に「例を挙げるのではなく、それらを定義してほしい」と言い返したそうだ。
読 者 そもそも哲学を定義することなんてできるんですか?
哲学者 哲学を定義するのが難しいのは、「哲学の本質とは何か?」という問い自体が哲学の課題だからだ。だから、その答えは哲学者によって違う。
読 者 じゃあ、その中からあなたが正しいと思う答えを一つ、僕に教えてくださいよ。
哲学者 私は、哲学者の「明確な見解」のどれもが基本的には正しいと思っている。哲学の他の課題についても同じだ。どんな見解も真剣に考えられたうえでの結論であれば、多かれ少なかれ正しい。そうでなければ、誰もそんな見解を支持したりしないだろう。
読 者 あなたが言う「明確な見解」とはどういうものですか?
哲学者 それを知りたいなら、まずは哲学をするうえでとても重要な三つの区別を理解しておかなければならない。一つめは、認識の種類の区別だ。経験せずに得られる認識、つまり、先験的(先天的)な認識のことを、哲学ではカントにならって「アプリオリな認識」と呼んでいる。反対に、経験を通して得られる認識のことを「アポステリオリな認識」と呼んでいる。
読 者 例を挙げて説明してください。
哲学者 例を挙げる前に、二つめと三つめの区別も説明しておきたい。二つめはいわゆる事象の区別で、特定の状態でなければ成立しない事象を「必然的事象」と呼び、特定の状態でなくても成立する事象のことを「偶然的事象」と呼ぶ。そして、三つめは発言の区別だ。ただ意味的に正しい発言のことを「分析的に真の発言」と呼び、意味的に正しいだけではなく、総合的に正しい発言のことを「総合的に真の発言」と呼ぶ。
読 者 三つの区別についてはわかったので、例を挙げてくださいよ。
哲学者 では、三つの区別を同時に説明できる例を挙げよう。たとえば「独身男性は未婚である」という発言について考えてみよう。この発言は、意味的には正しいので「分析的に真の発言」とみなすことができる。
読 者 それは、「独身男性」が「未婚の男性」を意味するからですか?
哲学者 そうだ。「独身男性」という言葉は「未婚」という意味をすでに含んでいるから、「独身男性は未婚である」という発言は意味的には正しいことになる。また、独身男性は未婚でなければならないので「必然的事象」ということにもなる。
読 者 ところで、発言と事象の違いは何ですか?
哲学者 発言とは言葉であり、その言葉が言い表すものが特定の事象、つまり、「独身男性は未婚である」ということだ。「独身男性は未婚である」という発言は意味的に正しい、つまり。
「分析的に真」であるので、その言葉が言い表す事象は必然的ということになる。なぜ「分析的に真」であれば、事象が必然的になるかというと、未婚でない男性を「独身男性」と言い表すことはできないからだ。つまり、「独身男性」と呼ばれるものは未婚でなければならないのだ。要するに、「分析的に真」であるとは、そこに必然性がともなうということだ。
読 者 なるほど。
哲学者 また、「独身男性は未婚である」という認識は「アプリオリな認識」であると言える。なぜならこの認識は経験を通して得られるものではなく、「独身男性」と「未婚」という言葉の意味を知ってさえいれば得られるものだからだ。
読 者 でも、なぜ、それが経験を通して得られる認識ではない、と言えるんですか? だって、まずは「独身男性」と「未婚」という言葉を学ばなければそういう認識はできないわけですよね。それには、それらの言葉を学ぶという経験が必要なのでは?
哲学者 もちろんだ。だが言葉の意味を一度知ってしまいさえすれば、認識は得られる。「独身男性は未婚ですか?」という質問をされたら即答できるようになる。経験から判断する必要はないのだ。だが、「独身男性は基本的に寝るのが遅いですか?」という質問をされたらそうはいかない。それに答えるためには、独身男性についての情報を集めて分析しなくてはならないからだ。
読 者 じゃあ、「独身男性は基本的に寝るのが遅い」という認識を得られたならば、その認識は「アポステリオリな認識」とみなされるのですか?
哲学者 そうだ。それに、いろいろ分析したうえで「独身男性は基本的に寝るのが遅い」と認識し、そう発言したなら、その発言は意味的に正しいだけでなく、事実としても正しいので「総合的に真の発言」ということにもなる。だが、独身男性はみな夜更かしをしなくてはならないというわけでは決してないので、「独身男性は基本的に寝るのが遅い」ということは「偶然的事象」とみなされるのだ。独身男性だって早く寝たいときもあるだろう?
読 者 とりあえず、三つの区別については理解できました。
読 者 哲学者のように考えるとはどういうことなのか、この五日間で、僕はだいぶ理解できたような気がします。でも、まだ「哲学とはこれだ」と言えるようなものを見つけられていない気がします。つまり、哲学そのものを定義できないんです。
哲学者 ソクラテスも、君と同じように考えた。プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』によると、ソクラテスは、正義や友情といった基礎概念を説明するのにひたすら例を挙げつづける相手に「例を挙げるのではなく、それらを定義してほしい」と言い返したそうだ。
読 者 そもそも哲学を定義することなんてできるんですか?
哲学者 哲学を定義するのが難しいのは、「哲学の本質とは何か?」という問い自体が哲学の課題だからだ。だから、その答えは哲学者によって違う。
読 者 じゃあ、その中からあなたが正しいと思う答えを一つ、僕に教えてくださいよ。
哲学者 私は、哲学者の「明確な見解」のどれもが基本的には正しいと思っている。哲学の他の課題についても同じだ。どんな見解も真剣に考えられたうえでの結論であれば、多かれ少なかれ正しい。そうでなければ、誰もそんな見解を支持したりしないだろう。
読 者 あなたが言う「明確な見解」とはどういうものですか?
哲学者 それを知りたいなら、まずは哲学をするうえでとても重要な三つの区別を理解しておかなければならない。一つめは、認識の種類の区別だ。経験せずに得られる認識、つまり、先験的(先天的)な認識のことを、哲学ではカントにならって「アプリオリな認識」と呼んでいる。反対に、経験を通して得られる認識のことを「アポステリオリな認識」と呼んでいる。
読 者 例を挙げて説明してください。
哲学者 例を挙げる前に、二つめと三つめの区別も説明しておきたい。二つめはいわゆる事象の区別で、特定の状態でなければ成立しない事象を「必然的事象」と呼び、特定の状態でなくても成立する事象のことを「偶然的事象」と呼ぶ。そして、三つめは発言の区別だ。ただ意味的に正しい発言のことを「分析的に真の発言」と呼び、意味的に正しいだけではなく、総合的に正しい発言のことを「総合的に真の発言」と呼ぶ。
読 者 三つの区別についてはわかったので、例を挙げてくださいよ。
哲学者 では、三つの区別を同時に説明できる例を挙げよう。たとえば「独身男性は未婚である」という発言について考えてみよう。この発言は、意味的には正しいので「分析的に真の発言」とみなすことができる。
読 者 それは、「独身男性」が「未婚の男性」を意味するからですか?
哲学者 そうだ。「独身男性」という言葉は「未婚」という意味をすでに含んでいるから、「独身男性は未婚である」という発言は意味的には正しいことになる。また、独身男性は未婚でなければならないので「必然的事象」ということにもなる。
読 者 ところで、発言と事象の違いは何ですか?
哲学者 発言とは言葉であり、その言葉が言い表すものが特定の事象、つまり、「独身男性は未婚である」ということだ。「独身男性は未婚である」という発言は意味的に正しい、つまり。
「分析的に真」であるので、その言葉が言い表す事象は必然的ということになる。なぜ「分析的に真」であれば、事象が必然的になるかというと、未婚でない男性を「独身男性」と言い表すことはできないからだ。つまり、「独身男性」と呼ばれるものは未婚でなければならないのだ。要するに、「分析的に真」であるとは、そこに必然性がともなうということだ。
読 者 なるほど。
哲学者 また、「独身男性は未婚である」という認識は「アプリオリな認識」であると言える。なぜならこの認識は経験を通して得られるものではなく、「独身男性」と「未婚」という言葉の意味を知ってさえいれば得られるものだからだ。
読 者 でも、なぜ、それが経験を通して得られる認識ではない、と言えるんですか? だって、まずは「独身男性」と「未婚」という言葉を学ばなければそういう認識はできないわけですよね。それには、それらの言葉を学ぶという経験が必要なのでは?
哲学者 もちろんだ。だが言葉の意味を一度知ってしまいさえすれば、認識は得られる。「独身男性は未婚ですか?」という質問をされたら即答できるようになる。経験から判断する必要はないのだ。だが、「独身男性は基本的に寝るのが遅いですか?」という質問をされたらそうはいかない。それに答えるためには、独身男性についての情報を集めて分析しなくてはならないからだ。
読 者 じゃあ、「独身男性は基本的に寝るのが遅い」という認識を得られたならば、その認識は「アポステリオリな認識」とみなされるのですか?
哲学者 そうだ。それに、いろいろ分析したうえで「独身男性は基本的に寝るのが遅い」と認識し、そう発言したなら、その発言は意味的に正しいだけでなく、事実としても正しいので「総合的に真の発言」ということにもなる。だが、独身男性はみな夜更かしをしなくてはならないというわけでは決してないので、「独身男性は基本的に寝るのが遅い」ということは「偶然的事象」とみなされるのだ。独身男性だって早く寝たいときもあるだろう?
読 者 とりあえず、三つの区別については理解できました。
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