未唯への手紙
未唯への手紙
存在は137億年の中の凸関数
数学編の後半のロジックは未発達。「存在と無」から平等空間を作るだけなのに。 #平等空間
凸関数と私の存在。凸関数を習ったときに、137億年にたいする50年のパルスを感じた。今・ここしかない。今・ここが全て。これを137億年に拡張させり。あまりにも非連続な時空間。 #存在はパルス
『1989』を読んでいる。11月9日のベルリンの壁崩壊。1938年の11月9日の『水晶の夜』とは偶々、同じ月日と思っていた。どうも察していたみたい。 #ドイツの運命の日
ドイツでは11月9日は「運命の日」と呼ばれている。20世紀にナチのミュンヘン一揆、水晶の夜、ベルリンの壁崩壊が起こっている。私は9.11を逆にして遡ってきづいた。#ドイツの運命の日
サモア戦よりも9時にブログで井上小百合が卒業を発表した!! #井上小百合
あのすっとぼけた顔が見えない #リクが亡くなった
ところで薬物検査やったのかな? #豊田スタジアム
語り得ぬものについて、人は沈黙しなければならない
ルートヴィヒが、部屋の片隅で、ペンを片手に便服を見つめている。
今朝は炊爨車が到着し、久しぶりに豆のスープと焼き立てのパンを食べ、熱い紅茶を飲んだ。特筆すべきは豆のスープだ。ブイヨンとブーケガルニで味付けした農村風のスープで、目が回った。こんなに美味い食べ物があったのか! --世界は驚きに満ちている。
東部戦線に異常はない。昨夜も襲撃があった。日に10時間は前線に立ち、帰営後、6時間ほど「仕事」をする。4時間眠る。……翌日もまた、10時間前線に立ち、6時間「仕事」し、4時間眠る。「仕事」は順調だ。2週間前、はじめて哨戒塔に登ったあの日から、考えが止まることはない。
君がいてくれるからだよ。ピンセント。ありがとう。
もはや疑い得ない、はっきりと自明であると思われることが、2つある。論理は疑い得ない。言葉は世界を写す。そしてこの2つから、さらにこうも言うことができる。論理と言葉を使って、我々は、思考を進め、世界の限界を広げる。
つまり人は語り得るものについては明晰に語り得る。しかし語り得ぬものについては沈黙するしかない。
論理とは何か? この問いに、論理を使わずに答えることができるだろうか? ……できない。論理は語られ得ない。論理は語られるものではなく、我々が語るための条件なのだ。
もうひとつ、語られ得ないものがある。それは、……例えば、今朝のあの豆のスープは何故あんなにも美味しかったのか? この汗臭く小汚い部屋は、どうして地獄にも思え、天国にも思えるのか?
それについて、考えてみるといい。君への宿題だ。
君の考えを聞かせて欲しい。君からの返事を、喉から手が出るほど、待ち佗びている。宿題の答えを待っている」。
スタイナー --「神は我が軍に味方している。戦況は我が軍に有利。
勇敢にして英明なる兵士諸君の健闘には、カール・ハプスブルク皇帝閣下も、……」
飛ばすぞ。神さまと王さまの自慢話だ。後でゆっくり読め。
「……以って、オーストリア軍第11師団は、本日1100時より撤退。さらに堅牢なる鉄壁の守りを敷くため、カルパチア山脈北東部の前線はこれを放棄。ハンガリー北東、デプレツェンを中心とした、」
ペルナルド え、え、撤退?
スタイナー 最後まで聞け。
ペルナルド 撤退ですよね。
スタイナー 撤退である。
カミル 馬鹿げてる。
ペルナルド (作戦書を受け取且「神は我が軍に味方した。戦況は我が軍に有利」。(飛ばして≒以って、オーストリア軍第11師団は)、
スタイナー 撤退だ。荷物まとめとけ。
ミヒャェル やったねえ。戦況は我が軍に有利! 撤退する!
スタイナー 茶化すな。
ルートヴィヒ わからない。神はいない。
ピンセント じやあ誰に祈っているの。
ルートヴィヒ わからない。言葉にできない。
ピンセント 今でも何もわからないの。
ルートヴィヒ いや。わかる。
人は語り得るものについては明晰に語り得る。--僕がいる。君はいない。僕たちは逃げる。オーストリア軍は負けた。ロシア軍は南下を続けている。戦争はまだ終らない。僕は生きている。君は死んだ。人は語り得るものについては明晰に語り得る。
しかし人は、語り得ぬものについては、
全体主義に染まっている学校教育とスポーツ界
『なぜ、人は操られ支配されるのか』より
全体主義は一定の成果はあげる
全体主義は個人の犠牲も強いるものの、意思決定が早く、強引であっても一気にある程度の成果はあげることから、不安に疲弊して、手っ取り早くそこから抜け出したくなっている人々には魅力的に映ります。
社会不安が強くなれば、どこであっても全体主義的な勢力が強くなる土壌はあります。ヨーロッパでも、ネオナチなどの活動は今日も根強くつづいています。いまの社会に不満を持っている人たち、特に若者のあいだでは、そのような勢力に対する期待もあります。
アメリカでは、トランプ大統領の就任後、近未来全体主義国家を描いたジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』が大人気になりました。もしかしたら、そのような時代が到来するかもしれないという危機感があるのでしょう。
日本でもこの本はふたたび読まれているようです。「自民党政権の強権化、一党独裁化」を危惧する声も聞かれます。一方、「安倍政権がつづいているからこそ、日本は長引く不況から脱することができた」と見る人もいます。
こういった様相は、いまという時代の日本の社会不安のありようを如実に反映しているといえるでしょう。
全体主義に染まっている学校教育とスポーツ界
「日本は民主主義なのか」とアメリカ人に聞かれることがありますが、たしかに全体主義的な性質は一貫して強いといえます。民主主義が大事、自由主義を守るというような議論は、一部をのぞき、あまりおこなわれません。
学校社会を見ればそれがよくわかると思います。
たとえば高校野球では、優勝したら監督のインタビューからはじまります。なぜ選手が主役ではないのでしょうか。これはとても不思議な現象です。
そういう体育系の部活にしても、体育の授業にしても、「健全な精神を教える」ことを掲げていながら、権力への服従、私生活の剥奪、批判の封じ込めといった戦前の教育を引きずっている場合が多々あると感じます。
そもそも学校というのはどこも変わらず、学習指導要領にもとづいて指導をおこなっています。教師側の自由というものがあるはずなのに、教えている内容も教え方もどこもほとんど変わりません。
日本では、学校教育そのものが全体主義にかなり染まっているのではないでしょうか。
日本では、スポーツ界にも全体主義とカリスマ支配が根づいています。学校のクラブ活動や部活などで無意識のうちに経験した人も多いかもしれません。
全体主義でやっていると、短期戦には強くなります。監督やコーチの下で一丸となってがむしやらに闘うわけですから、成果は出やすいでしょう。
一方、日本のスポーツ界の弱みはそこだともいわれています。全体主義で指導されてきた選手たちには、「自分で考えて動く」という習慣が身についていません。
それに加えて、「気合があれば勝てる」というような精神論がまだまだ強いので、長期戦をつづけていけるだけの理論による裏づけを持っていないのです。
カリスマ支配がおこなわれていることは、近年のスポーツ界の話題を見ればわかると思います。2018年はスポーツ界の不祥事が相次ぎました。
悪質タックル問題の日大アメフト部・内田前監督、パワハラ問題の女子レスリングの栄前監督、選手・関係者333人から告発されたボクシングの山根前会長などは、従わなければ罰を与えるということをしていたわけですから、かなりの「圧政」で支配をおこなっていたといえるでしょう。「オレを信じろ、任せろ」と強要するところは、カルト的でもあります。
高校野球でも、「監督を信じろ」という思想を強く持ち込むと、部員はやがて「監督は神」などといい出したりします。
指導者や上司、あるいは憧れる人物に対して、尊敬できる、あんな生き方がしたい、教えてもらいたい、という気持ちを持つのは自然ですが、依存になると危険です。
指示がなくなったところで、生きていけなくなるからです。
身近なところにある「ミニ支配」
閉鎖的な集団で、リーダー的な人がいて、その人の支配の下でメンバーが依存しているという関係は日常的に存在します。
たとえば、地域で愛好者が集まっているクラブでも、リーダー的な人がイベントの日程や対抗試合の参加のが荊など、なんでも決めてしまっているようなところがあります。
そこでよく見られるのは、メンバーも「考えるのが面倒だから」「あの人に決めてもらったら早いから」と完全に依存してしまっていることです。
つまり、支配されている状態をラクだと感じているのです。
こういう場合は、そのリーダー的な人がいなくなったとたんに、クラブの活動が沈静化してしまったりすることがよくあります。
支配と依存の関係は、集団でなくても、一対一でも存在します。
たとえば、タレントの中島知子さんが占い師のいいなりになっていたと話題になったことがありました。
いくら傍目には「仲のいい二人」であっても、一方がすべて決めていて、一方が従っているばかりでは、支配と依存の関係になっています。
多くの場合、支配している側は「私が決めなきや」と思っていて、依存しているほうは一人になったら何も決められず、行動もできなくなっています。
日本の「同調圧力」の特徴
日本で全体主義や集団主義が受け入れられやすい理由のひとつに、「和をもって貴しと為す」とする美徳があります。
でも、それと、最近何かとよくいわれる「同調圧力」とは別物だと私は考えています。集団同調の心理は日本だけでなく、世界中にあります。
ドイッチとジェラードというアメリカの学者は、同調には「規範的同調」と「情報的同調」があるといっています。「規範的同調」は仲間外れにされたくないから同調すること、「情報的同調」は多数にいわれたことが正しいと思うから同調することです。
ただし、そこでは、何に同調するのか、その望まれる行動は明らかにされています。つまり、欧米の集団同調の圧力は明示された意見に対する同調です。
一方、日本では、同調する前に「忖度」が求められます。命令されてもいないことをくみ取らなければならない、言葉や態度にあらわれない相手の本意を読み取れ、という圧力がかかるのは日本的です。同調することそのものへの圧力ではなく、「察しろ」という圧力といえます。
それゆえ、階層化した組織で、各部署がほんの少しずつ忖度した結果、末端において、誰もが求めていないほどがんじからめな不自由さを生んでしまう、ということになるのです。
安倍首相の森友学園問題で話題になった「忖度」ですが、この言葉が欧米ではなかなか理解されない、正確にニュアンスを伝える言葉に翻訳できないということを考えると、日本の文化・社会に特徴的な同調圧力かおるというのは確かなようです。
ことさらに日本は特別と主張する「日本特殊論」には安易に与すべきではないと思いますが、「日本は同調圧力が強い」と思う人は、もしかしたら空気を読みすぎているのかもしれません。
現地ルポ ギリシャ
『「国境なき医師団」になろう!』より
経済破綻と難民
二〇一六年七月一四日、羽田空港の深夜便に乗りました。
飛行機の中、モニターに映る世界地図を見て、私はアテネとアレッポの近さに驚きました。ギリシャ文化とオリエント文化の皮膚感覚的な近さを地図が知らせているようでした。
アテネ空港に降り立ち、地下鉄でメガロームシキス駅へ。そこからMSFギリシャのオフィスまで歩きます。
ギリシャは経済破綻をし、EUは緊縮財政を求めました。それに対してギリシャ国民は、二〇一五年の国民投票でEU離脱やむなしという態度をとりました。事態の緊迫化を受けて、EUは金融支援にまわりました。
経済危機に加えて、同年からギリシャにはすさまじい数の難民が押し寄せました。
大半がシリア難民です。彼らは移民の受け入れ対策が厚いドイツなどを目指します。海路でトルコを通って対岸のギリシャに小舟で渡り、あるいは陸路を歩き続けてイスタンブールからヨーロッパに入ります。
海路を選んだ人たちの多くが海難事故に遭い、幼児が沿岸に打ち上げられています。
追い討ちをかけるように、二〇一六年の春に「EU-トルコ協定」が締結されました。
〝密航業者のあっせんなどでギリシャに渡った難民・移民の人々をトルコヘ送還するかわり、トルコ国内の難民キャンプで暮らす人たちを正規ルートにのっとって「第三国定住」の枠組み内で受け入れる〟という約束です。
すでにギリシャに渡った人々の希望が絶たれました。多くの難民がギリシャにとどまり、よりよい決定が世界政治上でなされるのを待っています。
さらに今日もまた他国からギリシャヘと人々が渡っています。
ギリシャの実情
「ようこそ、ギリシャヘ」
オフィスに着くと、黒ずくめの威風堂々とした女性が現れました。MSFギリシャの事務局長マリエッタ・プロヴォポロウです。
マリエックは地図を使ってギリシャの実情を話してくれました。それはギリシャだけが抱える難儀ではなく、ヨーロッパと中東、アジアまでを含む、世界の危機でした。
彼女がまず指さしたのは、ギリシャの北側にあるイドメニ。象徴的な国境地です。
難民になってしまった人々はギリシャに流れ着くとイドメニを関所のように通ります。そこからマケドニア、セルビア、クロアチアなどバルカン半島のかつての紛争地帯を通り、ドイツやオーストリア、スウェーデンなど自分たちを受け入れてくれる国へと向かいます。
しかし、このイドメニ国境が「EU-トルコ協定」によって閉鎖されたのです。
「EU-トルコ協定」は二対一という枠組みを設けており、不法入国者が一人トルコヘ送還されると、正式な手続きをした難民一人がEUに送られます。ここには絶対的な不平等があります。この協定によってEUに渡ることができるのはシリア難民だけだからです。
シリアの政治状況は泥沼化の一途です。アサド政権と反政府勢力が戦い、過激派組織「イスラム国(IS)」が勢力拡大を狙い、政権側のバックにロシアがいて、反政府軍はアメリカに支援を受けている。シリアだけで一〇〇〇万人以上の難民・避難民が生まれています。
しかし難民はシリアからだけではありません。アフガニスタン、アフリカ諸国、イラクからもヨーロッパヘ逃げてきます。
世界には経済的な難民以外にも、紛争で住まいを破壊され、自国に住めなくなった人々がたくさんいます。彼らは漂流せざるをえません。難民たちのかすかな道を「EU-トルコ協定」は遮断してしまいました。
どこが一対一でしょうか。あらゆる国の難民たちがシリア難民に権利を譲らされるに近い状況です。これは世界政治の複雑怪奇さが生み出した数学のゴマカシでしょう。
イドメニに三〇〇〇人。アテネ近郊のエリニコに一〇〇〇人。アテネ近郊のピレウス港に一三○○人。他にも市内に七〇〇人。テルモピレス難民キャンプに二〇〇人。ギリシャにある約五〇のキャンプに五万五〇〇〇を超える難民がいるのだと、マリエックが地図を点々と指さしながら教えてくれました。
MSFはアテネ市内、イドメニ、レスボスやサモスなどのエーゲ海の島々で医療を提供し、他の援助団体との連携をとって多くの救護活動をしています。
ヨーロッパの入り口であるギリシャには移民・難民問題はずっと昔からあって、MSFはそれに対応してきました。フ几九四年からの二〇年余りで移民・難民の総数は一〇〇万を超え、現在は数十万人。そのほとんどが二〇一五年の難民ラッシュによるもので、シリア紛争が大きな原因です。
難民たちは移動して住む場所がありません。
それどころか、移動の間にあらゆる暴力があります。レイプ、強奪、病気や怪我にさいなまれます。それでも彼らは安住の地を求めて動き続けるしかありません。
彼らは自分たちが非合法な身だと思っているため、誰を非難することもないのです。訴えることもできず、ただただ耐え忍んでいます。
マリエックは世界の矛盾に鉄槌を下すかのように言いました。
「生きるために紛争を逃れてきた身に、非合法なんてことはありえません」
想像してください。対岸トルコからゴムボートで来る難民のことを。
彼らは密航業者に大金を払ってゴムボートに乗ります。けれど、ろくに操作を教えられません。エンジンが壊れていたり、油が入っていないこともざらにあります。
船は風や乗員オーバーによって容易に転覆します。または穴が開いて沈みます。大人たちは子どもを守ろうと、あらかじめ船の真ん中に子どもたちを乗せています。
しかし、船が壊れ始めると、そここそが弱いのです。水が溜まり、船底が割れる。その上、彼らはニセのライフジャケットを買わされていることさえある。海に投げ出され、自力で泳ぐしかありません。子どもたちはまだ水泳を知りません。
「その様子が沖に見えるんです。しかし助けることができない。すぐに船は沈んでしまう。海岸に子どもの死体が上がります。自分の子どもを遊ばせていたビーチに、誰かの子どもの溺死体が流れ着く。これが今、ヨーロッパで起きていることです」
もし生きてギリシャにたどり着けても、暑かろうと寒かろうと、彼らは歩き続けなければなりません。すでに自国を出るときからすさまじい距離を踏破してきたのに、さらにまたギリシャの海岸沿いを北へ北へと歩きます。そして途中の国境で突然、軍隊に押し返される。「EU-トルコ協定」が決まったから、と。
MSFは「EU-トルコ協定」に抗議をし、EUからの資金援助を断ちました。資金の独立性を重視するMSFならではの決断です。
「我々は政治がどうであるかにかかわらず支援をします。EUが知らないふりをしていても、現実に対応するべきだからです。私たちは医療や心理のケアを提供し、毛布を運び、食べ物を送り、シャワーを用意し、トイレを設置し、同時にEUの大使たちにどう働きかけて状況を好転させるか試行錯誤しているところです」
マリエックは指をしまって言いました。
「彼ら難民の方々には、他の誰とも同じように尊厳があります」