goo

アラン・ケイ--ゼロックスPARC--「お偉いさん」に却下されたパソコン

『イノベーターズ』より アラン・ケイ--パーソナルでフレンドリーなコンピュータ
作りたいと思っている小型のパーソナルコンピュータに印象的な名前が必要だと感じたケイは、「ダイナブック」と呼びはじめる。オペレーティングシステムとなるソフトウェアには「スモールトーク」という愛称を付けた。ユーザーがおじけづかないようにする一方、筋金入りのエンジニアに過度な期待をかけられないようにすることを狙った命名だ。
 「スモールトークなんて当たりさわりのない名前のものですばらしいことが少しでもできたら、意外で楽しいだろうと考えた」
と、ケイは明かしている。ダイナブックは、「学校で無料配布できるように」価格を500ドル以下にしなければならない。しかも、「子どもが、隠れ場所にも持っていけるように」小型の個人用でなければならず、使いやすいプログラミング言語を備えている必要がある。
 「単純なものは単純なままにしなければならないし、複雑なものも実現可能でなければならない」
ケイはこう考えていた。
「全年齢対象の子ども用パーソナルコンピュータ」と題して、ケイはダイナブックについての記述を残しているが、これは製品の提案書というより一種のマニフェストである。創造的な仕事にコンピュータを使う可能性についてエイダーラブレスが述べた歴史的な卓見「解析機関は、ジャカード織機が花や草木をつむぎ出すように、代数のパターンを織りあげる」も引用されている。
このマニフェストで、ケイは、さまざまな年齢の子どもがダイナブックを使う様子を説明することで、パーソナルコンピュータは個人的創造の道具であってネットワーク経由で協力するためのターミナルではないという自分の立場を明らかにしている。
 「学校の『図書館』など、未来の『知識の設備』を通じて他者と対話する目的に使うこともできる。だが、大部分は、持ち主が自分自身と内省的に対話する個人用メディアとして使われるだろう。いまの紙やノートと同じような使い方だ」
ダイナブックは、大きさはノート以下、重さは2キログラム以下でなければならない、とも書いている。
 「いつでもどこでも望みのまま、文章やテキストのファイルを持ち歩いたり編集したりできるようになる。なんなら森で使えるようになる、と付け加えてもいい」
言い換えれば、タイムシェアリング方式のメインフレームにネットワークでつながなければなにもできない低機能のターミナルではないということだ。なお、パーソナルコンピュータとデジタルネットワークがいっしょになる日も彼は思い描いていた。
 「この『どこにでも持ち歩ける』デバイスと、ARPAネットワークもしくは双方向ケーブルテレビのようなグローバル情報インフラを組み合わせれば、図書館も学校も、もちろん、商店や掲示板も、家に持ち帰ることができる」--。  
これは心を惹かれる未来像だったが、その実現には20年もかかるわけだ。
ダイナブックを現実にしようと、ケイは小さなチームを作り、ロマンチックで意欲的だがばくぜんとしたミッションを掲げた。ケイはこうふり返っている。
 「ノートサイズのコンピュータという考えを聞いたときに目を輝かせるタイプだけを集めた。日中も、PARC外で過ごすことが多かったな。テニスをしたり自転車で遠乗りしたり、ビールを飲んだり、中華料理を食べたり。その間もずっとダイナブックのことを話していた。これが完成すれば人間の限界が広がる、足元があやしくて新しい思考方法を切実に必要としている文明にそれをもたらすことができると語り合ったんだ」
実現に向けた第一歩として、ケイは「暫定」モデルを提案した。小ぶりのスーツケースくらいの大きさで、小さなグラフィックディスプレイを備えるものだ。1972年5月には、ゼロックスPARCハードウェア部門の責任者クラスに、30台を製造する案を持ちかけ、説得を試みている。学校に設置し、学生が簡単なプログラミングの課題に取り組めるかどうかを試すためだ。
 「個人用のガジェットを、エディターやリーダーとして、持ち帰り用として、またインテリジェントなターミナルとして使えるのは明らかだと言えます」
ビーズクッションでくつろぐエンジニアやマネージャーに向かってケイは説いた。「さっさと30台作って試してみましょうよ」
自信に満ちた情熱的な説得だった。さすがはケイという調子だったが、PARCコンピュータ研究室のトップ、ジェリー・エルキンドに感銘を与えることはできなかった。ゼロックスPARCの歴史を綴ったマイケル・ヒルツィックは、次のように書いている。
 「ジェリー・エルキンドとアラン・ケイは、違う星から来た生物のようだった。一方は厳格で事務的なエンジニア、もう一方は生意気で思索的な自由人だった」
エルキンドは、子どもがゼロックスの機械でおもちやの亀をプログラミングしているところを想像し、目を輝かせるタイプではなかったのだ。
 「あえて、異を唱えさせてもらうよ」
エルキンドの言葉に、ほかのエンジニアは、容赦ない言葉の応酬が始まると興味津々で聞き耳を立てる。PARCの任務は未来のオフィスを形作ることであり、子どもの遊びに付き合うことではない、というのがエルキンドの主張だった。企業環境は企業が運用するコンピュータのタイムシェアリングに貢献するものなのだから、そちらを追求するのがPARCの取るべき道だろう。矢継ぎばやにそう攻め立てられ、ケイはいたたまれなくなった。話が終わったとき涙を浮かべていたほどだ。暫定ダイナブックを作ろうという提案は、完全に否定された。
この会議にはビル・イングリッシュが出席していた。エングルバートのもとで世界初のマウスを作ったのち、PARCに移ってきていたのだ。話し合いのあと、彼は久早を呼び寄せ、なぐさめの言葉をかけてから、アドバイスした。夢見がちな一匹狼でいるのをやめ、予算も考慮した提案にすべきだ、と。それに対するケイの答えがふるっている。
 「予算ってなんだ?」
実は、裏でボブ・テイラーが糸を引いていた。タイムシェアリング方式のコンピュータを作るのではなく、「ディスプレイを備えた小型マシンを相互につなぐ形」を考案してほしいと思っていたからだ。ランプソン、サッカー、ケイ--目をかけているエンジニア3人が協力してプロジェクトに取り組んだらどうなるかも楽しみだった。実際、彼らはプッシュプル回路のようないいチームになった。ランプソンとサッカーは現状で可能なことを把握していたし、ケイは究極的な夢のマシンに照準を定め、不可能を可能にするよう残りふたりに求めたのだ。
彼らが設計したマシンは、「ゼロックス・アルト」と名付けられた(ケィはかたくなに「暫定ダィナブック」と呼びつづけたが)。ディスプレイはビットマップ方式、つまり画面のピクセル一つひとつのオン・オフを切り替えてグラフィックから文字、筆書きの線までなんでも描画できる仕組みを採用した。。フルビットマップなので、画面1ピクセルにメインメモリーの1ビットを使うことになる。大量のメモリーが必要になるが、ムーアの法則でメモリーは指数関数的に安くなるはずと考えたのだ。操作は、エングルバートと同じくキーボードとマウスでおこなう。1973年3月にできあがった完成品には、セサミストリートのクッキーモンスターがクッキーの頭文字「C」を持っている絵が映し出された。アラン・ケイが描いた絵だ。
ケイたちは、あらゆる年齢の子どもを念頭に置き、簡単で親しみやすく、直感的に使える形で実現できるのだと示すことでエングルバートのコンセプトを発展させた。ところが、エングルバートはそのビジョンを受け入れない。できるだけ多くの機能をoNLineシステムに詰め込むことにこだわり、小型で個人向けのコンピュータを作ろうとは考えなかったのだ。同僚に彼はこう言っている。「私がめざすのとは、まったく違う道だ。あんな小さいスペースに押し込めるのなら、いろんなことをあきらめなければならない」
先見の明を持つ理論家でありながら、エングルバートがイノベーターとしていまいち成功できなかったのは、このためだ。機能も命令もボタンも次々追加して、システムを複雑にしてしまったのだ。対してケイは簡単にしようとした。そうすることで、シンプルという理想--親しみが感じられ、簡単に使える製品を作ること--が、コンピュータをパーソナルなものにするには欠かせないと実証したのだ。
アルトシステムが各地の研究所に送られ、PARCのエンジニアが夢見たイノベーションが全国に広まった。PARCユニバーサルパケットという、種類の異なるバケット交換方式のネットワークをつなげるインターネットプロトコルの先駆け的なものもあった。
 「インターネットを実現した技術のほとんどは、1970年代のゼロックスPARCで発明された」
と、テイラーは言い切っている。
だが、のちに明らかになるように、パーソナルコンピュータ、つまり自分だけのものと呼べるデバイスの世界をゼロックスPARCはめざしたにもかかわらず、その実現をゼロックス社がリードすることはなかった。およそ2000台のアルトが作られたが、ゼロックスのオフィスや関連機関などで使われるばかりで、消費者向けの製品として売られることはなかったのである。
ケイは回想する。
 「イノベーションを使いこなせる態勢じゃなかったんだ。パッケージングも新しくしなければならないしマニュアルも新たに作らなければならない。アップデートの処理やスタッフの研修も必要になるし、各国向けのローカライズも必要になるってことだからね」
本社でお偉いさんを説得しようとするたび固い壁にぶつかった、とテイラーは当時を語っている。ニューヨーク州ウェブスターにもゼロックスの研究施設があるのだが、そこの責任者には「コンピュータがコピー機ほどの意味を社会でもつことはない」とまで言われたそうだ。
フロリダ州ボカラトンで盛大に開かれたゼロックス社のカンファレンスに(基調講演はヘンリー・キッシンジャーだった)、アルトシステムは展示された。午前中にはエングルバートの「あらゆるデモの母」のようなデモがあり、午後には、試用できるアルトが展示室に30台並べられた。男性ばかりの重役は興味を示さなかったが、妻はみな、マウスやキーボードにさわりはじめた。テイラーも、様子が見たくて自費参加していた。
 「タイピングなど男がすることではないと、みんな、見下していたんだ。そんなの秘書の仕事ってわけさ。だから、アルトなど本気で取り組むものじゃない、気に入るのは女だけだと思っていた。ゼロックスがパーソナルコンピュータをものにできなかったのは、私に言わせれば、それが理由だよ」
結局、パーソナルコンピュータ市場の先陣を切るのはゼロックスではなく、起業家精神にあふれ、目端のきくイノベーターになる。ゼロックスPARCの技術を買う者や盗む者もいた。だがそれより早く出現した最初期のパーソナルコンピュータは自家製で、ごく一部のマニアにしか扱えないものだった。
 2019年10月25日(金) 働くことへの執着と思い入れ--仕事とUBI
『みんなにお金を配ったら』より 働くことへの執着と思い入れ--仕事とUBI
UBIは労働力を損ないアメリカを無職の国に変える政策と思えるかもしれないが、こうした実際のエビデンスを見る限り、そのような極端な結論はどうにも導かれないのだ。一部の例では、むしろUBIが労働を後押ししている。もしくは少なくとも、勤労意欲を削ぐシステムと入れ替え可能であることを示唆している。たとえばフィンランドの失業保険制度は非常に手厚い。だが国民は、追加収入があると政府からの支給を失うかもしれないので、パートタイムなどの仕事をしたがらない傾向がある。フィンランドの社会保健相ピルッコ・マッティラは、「給付を受けて家で引きこもっているよりも仕事をするほうがいい、という状態であるべきです」と『ニューヨーク・タイムズ』紙の取材に語った。現在のフィンランドでは失職中の個人に無条件で毎月560ユーロ(およそ680ドル)を支給し、彼らが労働市場に復帰するかどうか見守っている。しかし、もっと大きく、もっと幅広く、もっと深く掘り下げた視点として、UBIは仕事と人との関係をどう変えるのか、という疑問がある--そもそも仕事とは何なのか。給付を得ることにより、生活のために働いて稼ぐ必要がなくなったとしたら、仕事というものの位置づけはどうなるのか。2016年春、スイスでベーシックインカムに関する国民投票が実施されるに先立ち、推進派のグループが、ジュネーブの繁華街にある遊歩道に巨大なポスターを設置した。世界最大のポスターとしてギネスに認定されたほどの大きさで、一つの質問を投げかけていた。「もしもあなたの収入が確保されているなら、あなたはどんなことをしてみますか?」
おそらく世界で最も熱心なベーシックインカム推進論者であるスコット・サンテンスは、その問いに対する答えを持っている。彼はUBIを支持するシンクタンク「エコノミック・セキュリティ・プロジェクト」のメンバーであり、ニュースサイト「レディット」のベーシックインカム・コミュニティの管理人でもあり、ネットで熱心にベーシックインカム推進の発言をしている。本人の表現によれば、彼の肩書は「人類の文明が21世紀にしっかりと生き抜いていくにはどうしたらいいか、その可能性を追究する物書き」だ。そして彼自身が今まさにベーシックインカムの受給者であることも、ぜひ付け加えておくべきだろう。アーティストを支援するクラウドファンディングサイト「パトレオン」を利用して、毎月およそ1500ドルを受け取っている。ちょうど貧困線を上回っていられるだけの金額だ。本人いわく、ニューオーリンズで不自由なく暮らしていける額ではない。しかし、自分のワークライフのハンドルを自分で握るには充分な額だという。「ベーシックインカムがなかった頃のぼくは、50ドルの原稿料のためにまる1週間つぶして調査と執筆をするような仕事も引き受けていたものだった。割に合わない50ドルでも、ゼロよりはマシだという理由で」とサンテンスは語る。「ベーシックインカムがある今は、自分の仕事には価値があると思っていられる。自分の時間には価値がある、自分には価値がある、と感じている」
サンテンスの考えでは、UBIは技術的失業への対策ではない。貧困撲滅の強力な手段でもない。社会的給付の一形式でもない。ワーキングプアの収入を増やす方法でもない。むしろUBIは、これらすべてを兼ね備え、そしてそれ以上の意味をもつ。サンテンスが考えるUBIとは、人はしたくない仕事でもしなければならない、という固定観念から人間を解放するパラダイムシフトだ。心理学者のアブラハム・マズローの「欲求階層説」では、空気、食べ物、水、住居に対するニーズがピラミッドの基盤にあり、自己実現に対するニーズが頂点にあるとされているが、UBIが導入される世界では、この底辺部分の確保に身をすり減らす必要がなくなる。人生において成し遂げたいことを追いかけていく経済的余裕ができる、とサンテンスは言う。雑用はロボットに任せればいい。人間は人間がしたい仕事をするべきだ。
 「目の前に迫りつつあるのは、仕事がない未来じゃない。雇用のない未来だ」とサンテンスは主張する。「そもそもぼくたちは、仕事はお金を生み出すもの、という保守的な考えに縛られている。だからお金が伴わなければ仕事ではないことになる。金融制度がある限り、いつでもお金が優先だ。でも、誰もが毎月お金を受け取る仕組みがあれば、自発的に意欲を感じる仕事に専念できるはずじゃないか。モノポリーだって手持ちのお金がゼロじゃ始められないのに、どうして経済はゼロから始めなければならないんだろう?全員一律のベーシックインカムなら、まったく新しいシステムヘと移行できる」
この新しいパラダイムにおけるUBIとは、破綻した経済に対する進歩的な修復策ではなく、賃金労働の資本主義体制から抜け出す架け橋なのだ。社会が全員の基礎的ニーズを満たすので、医療保険、住宅、食費にかかわる問題が市場の足を引っ張らない。労働者本人にとっても、これらのニーズが満たされていれば、したいことをしていく自由が生じる。自分がやりたい仕事では食えないからという理由であきらめる必要はない。起業するのも、育児に専念するのも、芸術活動を始めるのも自由だ。最近では、イギリスのジャーナリストのポール・メイソンや、デジタル経済専門家ニックースルニチェク、未来派のアレックス・ウィリアムズといった思想家たちが、その架け橋を各国経済が渡るための道筋として、まずオートメーション化を利用して人間を苦しいだけの仕事からできる限り解放し、それからUBIに加えて国民皆保険と、インターネットヘの無料アクセスと、国家による住宅提供を通じて家計を補助していくべきだと打ち出している。スルニチェクとウィリアムズは、『未来の発明--ポスト資本主義と、仕事のない世界』と題したラディカルな共著書において、「この先に採るべき一番有望な道は、近代化のあり方を見直し、最も難解な政治議論から最も赤裸々な発言まで、あらゆる議論を方向づけている新自由主義的常識を打破していくことにある」と書いた。「この反覇権的試みを叶えるためには、よりよい世界を思い描いていかなくてはならない--身を守るだけの戦いをやめ、その先へ踏み込んでいかなければならない。ぼくたちが考えるプロジェクトは、人が自分たちの手で生活とコミュニティを作っていく自由を生み出そうとするものだ。「仕事ありき」ではない政策を考えたいのだ」。彼らが掲げるビジョンがどれほどラディカルであるか、ぜひ強調しておきたい。経済成長も、世帯所得も、富の不平等すらも、指標として重要ではないと言っているのだ。健康、寿命、繁栄のほうが指標として意味があると想定している。実際、人間の幸せを質的に測る指標が伸びるとき、GDPはおそらく下がる。この考え方において、世界は欠乏によって定義されるものではなく、豊潤さによって測られ定義されるものになる。
当然ながら、このようなユートピア的ビジョンは、仕事に就けず友人の家を泊まり歩くジェンナー・バーリントン=ワードのような人々が抱える根深い精神的、感情的、金銭的苦しみを必ず、もしくはすぐさま解決するものではない。彼女たちはとにかく今、収入になる仕事がしたいのだ。また、何百万人という低所得層のアメリカ人が欲しているのは働くこと、そして自分の子どもも仕事に就けることであって、仕事に対する人間の思い入れを数十年さかのぼって調べる経済学や心理学や医学の研究ではない。働けない、稼げないという事実に対して、このユートピア的ビジョンが解決の手を差し出すわけではない。人が働かないことを許容する再分配システムは支持されない可能性がある点も、価値や労働に対する社会の認識を変えるには数十年かかるであろうことも、このビジョンの計算には入っていない。たとえばマーガレット・サッチャー政権になる前のイギリスには、「失業手当で暮らしていくことが事実上可能な福祉制度があった。「UB40を手に、リバプールでのんびりする」という歌もあったほどだ」と、ノーベル賞を受賞したリベラル派経済学者のポール・クルーグマンが最近の記事で指摘していた。「イギリスはアメリカと比べれば政治が人種的に偏極化していない国だが、そのイギリスでさえ、この制度は結局のところ非常に不人気だった。ただ働かない、ということを選択できる制度があってもかまわないのだ、とアメリカ人有権者の大多数に納得させるには、かなり長い年月がかかることだろう」
働くことと人との関係が変わるときが来るのだとすれば、そのときにはきっとUBIも導入されているだろう。だがそうこうしている今現在にも、アメリカで、そしてアメリカよりもはるかに逼迫している低所得・中所得の国家で、何百万という人々がマズローのピラミッドの底辺を確保するにも苦しむ生活を続けている。UBIに関する議論の拡大と拡散は、労働運動や進歩派の活動、あるいはシリコンバレーだけで生じているわけではない。裕福な国家の裕福な層だけで広がっているわけでもない。世界でも最底辺の過酷な貧困を緩和する策として、開発経済学者や貧困問題専門家も、UBIは効率的かつ効果的だと考えている。
世界でも最も貧しい地域で、UBIはなぜ、そして具体的にどういう効果を期待できるのか。わたしは自分の目で確認しにいくことにした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

世界の国々 関心のある国

『世界の国々』より               一
レバノン共和国
 シリアに抱かれるような形で地中海の東岸にあり、海の向こうはトルコやギリシア、南はイスラエルと接する。なんと18宗派の人々が暮らすというのも納得だ。古代は地中海貿易で栄えたフェニキア人の故郷で、様々な国の支配下に置かれるうち、多様な宗派が同居する国となった。
 第一次世界大戦後からフランスの委任統治下に入り、1943年に独立した。ところが、相容れない宗派の対立が火種となり1975年から10年以上に及ぶ内戦に突入。国民が血で血を洗う中、イスラエルからも侵略を受け、多くの犠牲者を出してしまった。現在も、国内外の緊張感は絶えず、各宗派には政治権力の配分をしてバランスが保たれている。そのため「モザイク国家]と呼ばれている。
 こうした複雑な背景はあるものの、戦禍に見舞われた都市は急ピッチで復興を遂げ、首都ベイルートは「中東のパリ」にふさわしい姿を取り戻している。モザイク国家らしく、服装も自由。アルコールにも寛容だ。
フィンランド共和国
 北部はオーロラや湖、湿地帯など北極圏の神秘的な光景、南西部は国つを代表するキャラクター・ムーミンの世界を感じられる緑豊かで素朴な風景が広がる。12世紀からスウェーデンの支配下だったが、19世紀にロシアに割譲された。この頃からフィンランド人の民族意識が芽生えたとされ、20世紀の独立につながる。第二次世界大戦でソ連に敗北後、貧しい時代も経験した。1970年代に貿易自由化で徐々に成長、1990年代にはノキアが携帯電話で世界シェアトップヘ昇りつめた。教育に注力し、国際的な学習到達度調査では常に上位をキープ。ヨーロッパで最初に女性参政権を認め、現代では女性が官民問わず活躍する。「世界幸福度ランキング2019」では第1位となった。
 フィンランドから広まったものにサウナがある。他にマリメッコ、アラビア、アルテックなどデザイン性の高い製品で知られるインテリアブランドも多い。
トルコ共和国
 ニョキニョキとキノコのような奇岩群がそびえるカッパドキアは、わずか40件程度しかない複合遺産に登録された、屈指の世界遺産。自然が造り上げた摩詞不思議な絶景の地に、紀元前1900年頃、世界で初めて製鉄技術を持ったヒッタイト人が帝国を築いた。これが、トルコという国の始まりだ。
 ギリシアに接するバルカン半島の一部と、シリアやイラクに接するアナトリア半島にまたがるため、歴史上、ヨーロッパ、アジア、アフリカから勢力拡大を目論む多民族の支配下に代わるがわる置かれてきた。トルコ人の勢力が強まったのは、13世紀末に興ったオスマン帝国の時代だ。16世紀の最盛期には現在のハンガリー、エジプト、サウジアラビアあたりまで領土を拡大したが、ヨーロッパ列強の進出によって衰退。第一次世界大戦後、ムスタファ・ケマルが新たに建設したのが「トルコ共和国」である。
 多民族が交差した影響は、文化面にも色濃く薫る。シルクロードの中継地だったイスタンブールには、モザイクタイルが美しいモスクや宮殿が残る。国民のほぽすべてがイスラーム教だが、影を潜めていったキリスト教の名残は、カッパドキアの洞窟内に造られた修道院や地下都市にも見られる。
 また、スポーツではサッカーがポピュラー。近年では日本人選手が移籍して活躍している。
イスラエル国
 地中海東岸、カナンの地と呼ばれていた古代イスラエルには様々な民族が住んでいた。その中にユダヤ人の祖先にあたるヘブライ人もいて、やがてエジプトに移住。しかしそこでは奴隷として扱われたため、「出エジプト」を経て、再びカナンの地に帰還。紀元前11世紀頃、イスラエル王国を築いた。ところが内乱により国は南北に分断。どちらも大国に滅ぼされた末、ローマ帝国の支配下に置かれると、ユダヤ人は方々に追放され離散してしまった。
 歴史上、行く先々でキリスト教やイスラーム教の勢力下にあったユダヤ人の間で19世紀後半、「イスラエルにユダヤ人の国を再建する」というシオニズム運動が起こった。国連の決議で、パレスチナにユダヤ国家が認められたのが1947年。翌年、イスラエルは独立国家となった。ただし、イスラエルはその後4度の中東戦争などで領土を広げ、国連による永久信託統治が宣言されたイェルサレムも自国の首都だと主張。現在も解決の糸口が見えない紛争の火種となっている。そんな話題ばかりが目立つが、じっは科学技術の水準が世界トップレベル。テクニオン・イスラエルエ科大学は「頭脳の塔」と呼ばれ、世界の名だたるIT企業に人材を送り込んでいる。過去のノーペル賞受賞者も、2割以上がユダヤ人、あるいはその血を受け継ぐ人物。旧紙幣には、ドイツ出身のユダヤ人であるアインシュタインの肖像が描かれていた。
リトアニア共和国
 ラトビア、エストニアと併せてバルト三国と呼ばれる国の一つ。バスケットボールの強豪国で、1937年には欧州選手権で優勝したこともある。旧ソ連時代、リトアニアの選手がいたことがソ辿代表チームの強さの一因だった。
 リトアニアは紀元前2000年頃からバルト族が定住した歴史ある地域。国としては1253年、ミンダウガス大公が諸部族を統一。14世紀からはポーランドと連合し、18世紀にロシア帝国領となった。首都ビリニュスの歴史地区は中世の街並みを残す。 17世紀以降に建てられたバロック様式の建築物が特徴だ。
 ソ連からの独立は1990年。それまでのロシア依存経済から脱却するため、2015年にユーロに参加、EU中心型へ移行を図る。産業は乳製品の加工輸出で長い伝統を持つ。先端技術ではバイオテクノロジーやレーザー機器が主力。
 ユーロ導入後、EUに比べると物価が安く、観光地として注目度が上昇。首都ビリニュスや、カトリック信仰の強さを忍ばせる「十字架の丘」が観光客を集める。
ギリシア共和国
 青く美しいエーゲ海とイオニア海に囲まれ、豊かな自然が残る。無数の島々で構成されており、その中でも特に夕日スポットとして有名なサントリーニ島や、リゾート地として広く知られるクレタ島、風車の並ぶ丘で風を受けられるミコノス島などが観光スポットとして人気が高い。塩野七生の人気小説『ロードス島攻防記』の舞台となったロドス島も、ぜひ立ち寄っておきたいスポットの一つだ。
 神話の舞台としても知られ、切り立つ崖とその頂上にあるメテオラ修道院、女神アテナを祀るパルテノン神殿、全知全能の神ゼウスを祀ったゼウス神殿といった神秘的な遺跡を見ることができる。この神が見守る地で、人々は激動の時代を過ごしてきた。紀元前にはポリスと呼ばれる都市国家が多数成立。ポリス同士での抗争が続いていたが、マケドニア王国がギリシアを統一した。のちにローマ帝国の属国となるが、その後はオスマン帝国に支配された。1821年、独立戦争が勃発。1832年にギリシア王国が成立する。その後、1974年に共和制へと移行して共和国となった。
 ヨーロッパの文明が発祥した地であるといわれるギリシアからは、多くの有名な学者が生まれた。数学者のピタゴラス、哲学者アリストテレス、物理学者アルキメデスら、現在でも名が知られている学者たちが活躍。後年の学問や暮らしにも影響を与える発見が相次いだ。
エジプト・アラブ共和国
 地中海と紅海を結ぶスエズ運河は、ヨーロッパからアジアヘの近道として開削された人工運河。一時期カイロ領事も務めたフランス人実業家と当時オスマン帝国の支配下にあったエジプトの副王が、1859年に工事をスタートさせ、1869年に完成した。その後イギリスに独占されることもあったが、1956年の第二次中東戦争、通称スエズ動乱を経てエジプトが国有化を宣言。現在はエジプト政府直轄のスエズ運河庁が運営している。なお、運河を利用する海運会社は通航料を支払わなくてはならない。本来この国の外貨獲得源は観光収入などだが、2011年の民主化運動「アラブの春」以降、政情不安により観光客が激減したこともあり、エジプトにとって通航料は貴重な収入源なのである。
 とはいえ、複数の古代遺跡を有するエジプトは世界屈指の観光大国である。世界遺産もメジャーなものが多く、「メンフィスとその墓地遺跡・ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯」、「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」といった見どころが目白押しだ。首都カイロにはイスラーム地区があり、東南部の旧市街には約600ものモスク、1000を超えるミナレットが立ち並ぶ。これも「カイロ歴史地区」として世界遺産に登録されているが、ピラミッドなどのエジプト文明に直接紐付く世界遺産とは趣が異なっており、7世紀にイスラームによって征服されたエジプトの歴史を垣間見ることができる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

車が通るのであれば、乗ってくれればいい

車は雨の日は一段とやかましい。これだけ、車が通るのであれば、乗ってくれればいい。被害者的な発想。それは今のウーバーにつながる。コレによって、エネルギー効率は倍以上になる。結局、ストーリーを付けています。 #歩行生活
歩くとなるとまともな傘がいる。 #歩行生活
共借りた新刊書。28冊中、日本人以外の著者の本が15冊(54%)。金額換算では78,680円の内、52,560円(67%)。日本人はじっくりした本を書いていない。 #新刊書傾向
存在と時間をそろそろ読み込まないといけない。ドイツではハイデガー研究はされていないようだけど。 #存在と時間
図書館人は好きになれない。当てにならない。 #図書館人

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

豊田市図書館の28冊

162.3『ローマ宗教文化事典』
198.22『悩めるローマ法王 フランシスコの改革』
383.1『リクルートスーツの社会史』
361.85『イギリス最下層の怒り』
210.7『昭和史七つの裏側』
332.06『ホモ・デジタリスの時代』AIと戦うための(革命の)哲学
311.23『ベニカルロの夜会』スペイン戦争についての対話
367.3『家族心理学』理論・研究・実践
451.85『グレタたったひとりのストライキ』
570.21『最新化学業界の動向とカラクリがよ~くわかる本』
131.3『プラトン哲学への旅』エロースとは何者か
159.8『心やすまる絶景ポエム』「おやすみなさい」の前にほんの1分
778.21『こんな雨の日に』映画「真実」をめぐるいくつかのこと
331『マンキュー入門経済学』
290『地理×文化×雑学で今が見える世界の国々』
235『教養としての「フランス史」の読み方』
289.3『私はこうして世界を理解できるようになった』
364『みんなにお金を配ったら 』ベーシックインカムは世界でどう議論されているか?
007.2『イノベーターズ 1 』天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史
007.2『イノベーターズ 2』天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史
950.27『書くこと生きること』ベルナール・マニエとの対話
319.53『良い占領?』第二次世界大戦後の日独で米兵は何をしたか
350.9『地図でみる世界の地域格差 2018年版』OECD地域指標
141.5『東大で25年使い続けられている「自分の意見」の方程式』
010.4『図書館・まち育て・デモクラシー』瀬戸内市民図書館で考えたこと
950.27『エリ・ヴィーゼルの教室から 』世界と本と自分の読み方を学ぶ
289.3『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた』
336.17『GAFAに克つデジタルシフト』経営者のためのデジタル人材革命

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )