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量子コンピュータで変わる自動車の未来

 『量子コンピュータが変える未来』より 量子コンピュータで変わる自動車の未来
 未来の車のシステム
  ここからは、未来の車に考えられるシステムとして、シェアリングエコノミーに端を発するカーシェア、ライドシェア、複数の乗り物を活用するマルチモーダルシステム、そして交通を誰でも楽しめるよティの世界を紹介します。また、現在、課題となっている物流量の増加についても触れていきます。これらは、どれも最適化の要素を大きく含むだけでなく、対象とする人や乗り物の数が増えれば増えるほど、より効率的な運用ができる可能性がある反面、計算量爆発を引き起こします。そのため、量子コンピュータが大きく寄与できる可能性があるものです。
 シェアリングエコノミーが起こす変革とカーシェアリング
  世の中はモノを保有する時代からシェア(共有)する時代へ変わってきたといわれています。たとえばAirbnbと呼ばれる、一般人が空いた部屋を他人に貸し出す取組みや、メルカリのメルチャリなどの自転車を好きなときだけ借りられる仕組み、DeNAのAnycaと呼ばれる個人の車のカーシェアリングなど、次々と新しいサービスが始まっています。
  このムーブメントの本質は、モノの稼働率の改善です。個人で保有されている自動車の稼働率は数%といわれています。車を片道1時間の通勤に使っていたとします。勤務地に到着して仕事をしている8時間の間は駐車場に止まったままです。家に帰ってからの夜の時間や寝ている間も車は止まったままです。そのため、このライフスタイルの場合は24時間中2時間しか車は稼働していないことになります。極論をいえば、もし2時間ずつ使う人12人でこの車をシェアすれば、保有コストは12分の一になる可能性だってあります。このような資産の有効活用の取組みは今後も拡大していくといわれています。この有効な活用もまた最適化であり、量子コンピュータで作れる未来があるのではないでしょうか。
 ライドシェアリング
  車のシェアリングには、カーシェアリングのほかにライドシェアリングというアプローチがあります。ライドシェアリングは日本語でいう相乗りで、タクシーに乗る際に行き先が似たお客さんが同乗するイメージです。ライドシェアリングは当然ながら、ほとんどの場合は個人の最適ルートとは異なるルートを走ることになります。そのため、時間の面ではデメリットになりますが、費用負担がシェアされることで料金は安くなります。そして、シェアする人数が増えれば増えるほど、どんどん費用は安くなっていくのです。
  このように、人や経路の要求のマッチングは、候補数が多ければ多いほど効率化を生んでいきます。その人の考え方によって、費用と時間をどうバランスさせたいかの最適値は異なります。個々人が満足できるような最適化をリアルタイムにすることができればどんどん良いサービスにできる可能性がありそうです。
 マルチモーダル
  実はライドシェアリングというのは、バスや電車といった公共交通機関では当たり前の考え方です。みんなで移動を共有するからタクシーよりもずっと安いわけです。公共交通機関での移動を考えてみると、遠くに行く場合には乗り継ぎをすると思います。在来線の電車から新幹線に乗り継ぎ、降りた先でバスに乗るといった具合に。ライドシェアリングを突き詰めていくと、車だけでなく公共交通機関も活用した乗り継ぎの最適化をするアプローチに行き着きそうです。
  こういった複数の乗り物を乗り継ぐシステムはマルチモーダルシステムと呼ばれ、北欧を中心にすでに運用され始めています。たとえば、ある地点からある地点へ行きたいとスマホのアプリでリクエストすると、そこに行き着くまでの電車、バスなどが案内され、料金もまとめて支払うことができて大変便利です。
  しかし、すでに運行されている多くのマルチモーダルのアプリでは、あくまで乗り継ぎの案内と支払いをしてくれるのみで配車をしてくれるわけではありません。そこで、乗り継ぎ先のライドシェアリングカーの到着タイミングや経路まで最適化してしまったらどうでしょう。こんな大胆なことが考えられるのも、もしかしたら量子コンピュータならではかもしれません。
 ラストマイル/ファーストマイル問題
  日本では総人口に占める高齢者の割合が増加してきています。高齢者のなかには事故を恐れて自主的に免許を返納される方も多くいらっしゃいます。しかし、バスなどの公共交通機関の停留所から家が遠ファーストマイル問題と呼びます。この言葉は、家から公共交通機関の停留所までの1マイルの移動が課題という意味です。しかし、毎回タクシーを使うのは高コストです。そこで、運転者が要らずに将来低コスト化の可能性もある自動運転車を活用する実証実験が始まっています。
  こういった個々のニーズに合わせて車やバスが無数に走る時代になれば、運行コストの低減や待ち時間の短縮など、サービスの質向上に向けた運行計画の最適化が必要になっていくと考えられます。量子コンピュータは・』のようなシステムを実現することで、あらゆる人に移動をする楽しみを提供していくキー技術になるかもしれません。
 物流
  Amazonや楽天などのオンラインショッピングの増加によって、物流量は年々増大しているそうです。それに伴い、時間指定や再配達などの要求が増大することで配達員の方々の負荷は日に日に増しています。さらには時々刻々と変化する渋滞状況も配送の困難さを助長しており、配送の効率化は大きな課題です。
  最近では、配送効率化を目指してドローンを活用した配送や、バスのなかに移動客と荷物を混在させた貨客混載と呼ばれる配送であったり、自動運転車での配送、個人の車を使った配送などさまざまな提案がされ始めています。
  こういったさまざまな手段を用いながら、時間通りに配送を行えるような最適化を量子コンピュータで実現できれば、配送コストが大きく低減され、さらなる物流量にも対応できるようになる未来が創れそうな気がしています。
 今後の発展
  ここまでに述べてきたように、さまざまな新しいモビリティサービスに量子コンピュー夕を適用できる可能性が生まれそうです。それでは、さらにその先のせ界はどうなるのでしょうか。
  2018年1月のCESや9月のITS世界会議を始めとした多くの場所で筆者は量子コンピュータが切り開く未来の可能性を発信してきました。その結果、アメリカやインド、シンガポール、韓国、オーストラリアなど、地域事情も多種多様な方々から多くの反響がありました。
  たとえば、交通の最適化は都市のデザインから始まるため、ビルの配置や道の設計といった都市の最適化をできるのではないかという話がありました。これは、交通を一段上のレイヤで捉える非常に面白い発想です。渋滞を回避すれば食品の配送が鮮度を保ちながらできるようになるのではないかという話もありました。これは、渋滞がなくなった先の新しい価値を生み出す考え方です。単純に渋滞を回避するだけでなく、渋滞を回避する経路として、新しい発見や人が楽しくなるような体験ができるような経路を作ったら面白いんじゃないかという話もありました。これはユーザーエクスペリエンスに価値を見いだすという、世の中の潮流に合った新しい考え方です。
  このような議論が活発に行われ始めたことこそが、まさに量子コンピュータの可能性をさまざまな業界の人々が見たことによって生まれるイノベーションの始まりだと思います。ここから、私はあることを感じています。最適化とは、多くの価値が組み合わされてできていることです。たとえば渋滞一つにしても、都市を良くするための1パーツと捉えれば都市の最適化となるように、CO2をなくして環境を良くするための1パーツと捉えれば、ほかの環境要因を組み合わせたシステムにもなるかもしれません。このように最適化の広がりは多面的です。今までのコンピュータの能力では、この多面的な世界の一部分しか扱えなかったかもしれません。しかし、量子コンピュータを手にした人類は、この多面的な世界への挑戦権を獲得したともいえそうです。以降でも紹介されるさまざまな取組みや、この本の読者の方々から出てくる発想との組合せによって、面白い世界が作られていきそうな予感がしています。

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日本の政治および思想に組み込まれた三つの「バグ」

 『暴走する日本軍兵士』より 恐ろしいものと些細なもの
 第一のバグ--曖昧な正当性
  政治の正当性とは、政権が強制的な手段に頼ることなく大半の時期において大半の人々を従わせる能力と定義できる。それは根底において主に資源の問題である。世界中のいかなる政権にも全国民を絶えず抑圧するほどの力はない。銀行のように、政権は暴力という通貨を一部の人々に「支払う」ことができる。だが、あまりに多くの人々が「支払い」を受けなければならなくなると、銀行と同様に国家も破綻する。この観点から見ると、政治の正当性を支えるものは恐怖とイデオロギーという二つの柱である。政権を嫌う者でも制裁に対する恐怖はあるため、抑圧せずとも通常は政府に従うだろう。だがこれは、特に近代の政権においては、必要条件ではあっても十分条件ではない。たいていの政府は、メディア、国の公式発表、親政府系団体、そして何よりも教育制度を通じて、国民が自らの意思で従うように促す。ほとんどすべての近代国家において、大日本帝国も例外なく、政治の正当性は恐怖とイデオロギーの二つが土台となっている。
  一八六八年の維新後に樹立された明治政権は、以前の徳川政権における秩序が崩壊したため、政治の正当性を根本から再構築しなければならなかった。新たな指導者たちは権力を握るとただちに恐怖とイデオロギーを利用して新制度を正当化するため尽力し、理論どおりそれはうまくいった。西南戦争終結時における政権の軍事力に疑いの余地はなかった。さらに、イデオロギー構築の面でも政府は大きな成果を上げた。遅くとも二〇世紀になるころには国民の大多数が国家の中心としての天皇の権威、強い軍と経済および世界の列強と完全同等の関係をもつ必要性を受け入れ、ときには熱心に支持した。多くの国民、とりわけ陸軍軍人にとって、軍事力は中国大陸における領土拡大の範囲で示された。ただ、反体制派を別にしても日本が一枚岩の社会だったということはなく、むしろ国民はさまざまな意見をもっていた。それでも、大陸での権力行使を重んじる愛国主義はほとんどの日本国民が受け入れていた。この意味で、明治政権のイデオロギー構築は大きな成功を収めた。
  だが、完璧なように思えるこのイデオロギーには一つ根本的なバグが存在した。かつての藩閥の壁を越えて手を組み、明治政府において憲法の枠を越える権限をもった少数支配者たちは、自らの権力をイデオロギー面で正当化することはできなかった。むしろある意味では、正当化しようとさえしなかった。そうすれば天皇の絶対的権威を損なってしまうからである。一八七八年以後、彼らは恐怖を与えるとともに賢く政策上の妥協をすることで統治力を固めたが、その支配は確固たる正当性をもたなかった。長年の伝統もなく、洗練されたイデオロギーによる正当化もなされなかったため、天皇を除くほとんどの政府関係者はあらゆる場面で反抗的な者たちの挑戦を受けた。なぜ元老に従わなくてはならないのか? 首相に軍を動かす権限はあるのか? 文民政治家は帝国議会を通して多数決の原則を取るべきなのか? 天皇の権力が霞のように見えにくいためにこれらの問題は常に議論の的となり、交渉の末にはいかなる場合も必然的に誰かが不満を抱えることとなった。
  そのように不満を残した人々はさまざまな領域に及び、疎外され、搾取され、裏切られたと感じた。そうして反感をもった上級および下級将校の集団こそが本書の主題である。一八七八年から一九三一年にかけては政府が制裁の恐怖を与えていたため、彼らに反乱の成功を望むことはできなかった。また、不満を抱える軍人たちにも国家のイデオロギーは浸透していたため、帝国体制に抵抗することもなかった。だが、そのイデオロギー体系に組み込まれていた「バグ」を原因に、不満を表現できる手段が一つ残された。それは本書で「前線への逃亡」と名づけた行動、つまり十分に正当化されていない政府よりも早く、より優れた断固たる方法で領土拡大のために尽力することによって天皇を崇める行為である。
  理論上では、この愛国的反抗心が国外侵略にまでエスカレートする必要はなかった。台湾出兵と西南戦争で活躍した谷干城中将は、小さな日本こそ天皇と国家体制をうまく支えると信じたため、政府の帝国主義政策を批判した。だが、谷は陸軍内で孤独な「野の花」だった。残念ながら、彼の思想とは逆の愛国主義のほうが、命令に逆らって領土拡大のため突き進むという行動によって表されることが多かった。この事実は、近代日本の政治に巣食った第二の重大なバグと関連している。
 第二のバグ--一方通行の領土拡大
  谷中将などの例外を除けば、国家の公式なイデオロギーは、軍、権力層、そして大衆の大半によって、領土拡大と経済発展の両視点における国家の成長だと解釈された。政策の費用と実行速度はしばしば議論の的になったが、その方向性について意見は分かれなかった。領土拡大は一方通行の道だった。国家全体が持続的成長というイデオロギーを受け入れている状況では、たとえ反抗的な軍人が法に反して手に入れた成果であろうと、それを手放すことは理屈に合わなかった。閔妃と張作霖の暗殺事件で示されるように、そうした軍人は本質的には政府と同じ道を歩んでいたため、反逆的とはいえ彼らを罰することも難しかった。その行動は間違っていても、「純粋な」動機には常に上層部も共感を示し、手段は支持しないにしても彼らの目的自体は正しいと考えた。これは、幕末の志士文化が遺した遺産のうち、最も消し去りがたく破滅的なものの一つであった。
  このような条件下で、一方通行の領土拡大路線に後押しされて軍人は他国への攻撃という形で政府への反抗を示し、さらに一度上げた功績が否定されることはないと確信をもった。軍や政府が秩序への反抗を許すごとに、法で罰せられないという印象が強まるとともに歴史による正当化が進み、不服従を通じて現実を変えられるといった楽観思考が人々の中に深く根づいた。これまでに述べたとおり、このような楽観主義は一八七〇年代から桜会の時代に至るまで軍人の反抗における燃料となった。
 第三のバグ--終わりなき領土拡大の道
  だが、この反抗的楽観主義をいつまでも持続させたのは、大日本帝国のイデオロギーに組み込まれた、もう一つの致命的なバグだった。領土拡大は一方通行だっただけでなく、その道は無限に続いていた。日本にとっては不幸なことに、このイデオロギーは危険なほど曖昧だった。たとえば、いつになれば軍力が十分だと知ることができるのか? 大正政変時にも一九二〇年代にも、軍は常により多くの師団、予算、そして政治的影響力を求めつづけた。また、日本はどれくらいの大きさであるべきなのか? 朝鮮、台湾、満州を手に入れるだけで十分だろうか、それとも、これまで獲得した領地を守るためには中国への領土拡大が必要だろうか? これらを知るすべも客観的基準もなく、日本の運命がいつまっとうされ、その使命が果たされるのかを定める合意もなかった。政府が何をしても、どれはどの領土を手にしようとも、日本の漠然とした帝国主義のもとでは常に多くの渇望が残り、文民および軍人の急進派が満たされることは決してなかった。
  この絶えない不満は一九二〇年代後半に著しく急進化し、国内でますますフラストレーションが生まれていった。大正政変研究の中で坂野潤治が指摘するように、日本の帝国主義は解消できない矛盾に苦しんでいた。つまり、資源の乏しい日本には、一流の帝国でありつづけるという夢を叶えるための軍力を維持する手段がなかったのである。橋本欣五郎や二・二六事件首謀者などの軍人は、日本の貧困と領土拡大の遅れをどちらも懸念していた。軍と軍事費を無限に拡大しつづけながらも経済的に国家を繁栄させるという彼らの目標は、決して実現しえないものだった。したがって、何か起きようと彼らには不満が残ると決まっていたのである。
  大川周明や北一輝など右翼思想家のイデオロギーは、一九二〇年代後半から強まっていた軍人の反抗心から恩恵を受けた。こうしてすでに混乱していた軍人たちの思想にまったく新しいユートピア的側面が加わったため、状況はいっそう悪化した。「昭和維新」によって軍、社会、精神など全領域の問題を解決するという夢も、実現不可能なユートピア的考えだった。当然ながら、そのような政権を構築する手段は誰も知らなかった。そのため、処刑前に二・二六事件の首謀者が自分たちの行動によって陸軍の立場が強化されたことを知ったとき、そのほとんどがまるで関心を示さなかったことも驚きではない。渋川善助は国民に軍を信用しないよう訴えた。事件の中心人物のうち死刑を免れた数少ない軍人である末松太平は、彼の仲間が射殺した蔵相は軍の領地拡大方針を抑えようとしていたにもかかわらず、陸軍は国内の問題から気を逸らせるためだけに対外の強硬姿勢を利用しているのだと嫌悪感を溶ませた。村中孝次は次のように記した。「我々は軍の予算を増やすためや陸軍の立場を強めるために刀を抜いたのではない。それは貧しい農民のため、日本のため、そして世界のためだった」。そのような曖昧な目標のもとで村中が満足できなかったことに不思議はない。彼自身でさえ、自分が何を求めているのかほとんどわかっていなかった。
  これまでの内容をまとめると、近代日本の悲惨な現実は政治および思想におけるバグの結果として生まれた。第一のバグは、軍人に危険な形で不満を表現させた。第二のバグは彼らに楽観主義および自らを正当化する根拠を与えた。そして第三のバグを原因に、彼らは決して満たされることがなかった。政府も軍指導部も、叶わない夢を見つづける彼らを癒すことはできなかった。譲歩するか対立するほかはなく、さらにどちらも時が経つにつれ難しくなっていった。穏健派の政治家たちが繰り返し譲歩したことで、争いの道は満州から盧溝橋、南京、真珠湾、サイパン、沖縄、広島、長崎に至るまで伸びっづけた。そして自らが突き進んでいる方向に日本が気づいたとき、それを修正するにはもう遅すぎた。

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豊田市図書館の22冊

146.8『生きる-どんなにひどい世界でも』
326.3『犯罪学入門--ガバナンス・社会安全政策のアプローチ』
336.47『誰も教えてくれなかった 超人気研修講師になる法』
361.8『「差別はいけない」とみんなはいうけれど。』
379.9『思いどおりになんて育たない--反ペアレンティング之科学』
210.6『暴走する日本軍兵士--帝国を崩壊させた明治維新の「バグ」』
334.31『移民とAIは日本を変えるか』
302.38『ノニーン! フィンランド人はどうして幸せなの?』
302.38『幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年』
913.6『白夜物語』
007.1『量子コンピュータが変える未来』
371.3『大学なんか行っても意味はない? 教育反対の経済学』
134.4『ロゴスの存在--ヘーゲルの論理思想 第1巻 存在の諸相』
134.4『ロゴスの存在--ヘーゲルの論理思想 第2巻 本質の自己反照』
134.4『ロゴスの存在--ヘーゲルの論理思想 第3巻 概念の主体性』
410.4『幸せをつかむ数式 数学が教える健康・お金・恋愛の成功法則』
933.7『思考機械【完全版】第二巻 』
014.1『ちょっとマニアックな図書館コレクション談義』
493.76『精神医療のゆらぎとひらめき』
980.2『ドストエフスキー転回と障害』
689.5『なぜテーマパークでは朝から風船を売っているのか テーマパークで学ぶビジネスの教科書』
493.76『事例でわかる思春期・おとなの自閉スペクトラム症』

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構成WS完成

アジアの近未来
 併合は2025年と思われていたが、早まりそう。ドイツとは逆パターン。
 2025年の時点で中国は地域国家になっている。きっかけは香港と台湾。一億人の犠牲は意に介さない「毛沢東」が出てこない限りは、分割する。それが中国の歴史。
 統一朝鮮のターゲットは日本だが、それはアジアにとって、なんのメリットもない。あるとしたら、アジアの支援で日本が覚醒し、アジア連合に動き出すことぐらい。
構成WS完成。明日からの生活
 ひたすら、WSを埋める業。三色ボールペンを使う。
元町の336がかわいい。夏休みのバイト風。
 車がなくなったら、元町まで行くのがたいへん。366をモチベに木曜日は歩いて行こうか。

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