未唯への手紙

未唯への手紙

乃木坂46時間TV

2016年06月13日 | 7.生活
乃木坂46時間TV

 46時間やったけど、生ちゃんが一番刺激的です。ディレクター的な立場になっていくんでしょうね。その枠をも超えていく。それに対してのメンバーがすごいことになっている。若月にしても、挑戦する心とグループを見る目が育っています。

 二日間、家から出ることができなかった。食パンと冷麦を消費した。ネット動画でコンテンツも一気に拡大した。

未唯空間を先に進めないと

 そろそろ、先を考えないといけない。早く、第10章まで行って、折り返さないといけない。

濃密な時間はチャレンジから起きる

 生ちゃんにしても濃密な時間を過ごしている。46時間TVの間に一つ仕事をしてきたみたいです。前回の白石の場合は「ちょっと、出番が少ない」ぐらいの感覚だったが、生ちゃんの場合は、居ないことが気になってしまう。存在感が異なります。

スタバのアプリで注文

 スタバのカードで自分のメニューを伝えることができるようになったみたい。スマホを持っていないので、明確にはわからないけど。大きな声で言わなくても、自分の拘りを表現できる。大きな声で他の人に言いたい人以外では機能します。

 スタバのデータベースでは項目が少なすぎます。クラウドを後ろに付けて、個人のデータベースにつながっていく。

 松屋のオーダーはボタンを押さないといけない。これも進化していくでしょう。回転寿司のオーダーも同様な形になっていく。このインプットに対して、何を頼んだかのアウトプットも変わっていく。これはより、清算も含んで、多くの業種を巻き込む可能性を持っている。

図書館の貸し出しシステム

 そこまで行くと、図書館の貸し出しシステムも変わっていく。

 借りた本を記憶しなくてもベースの本棚ができる。それと図書館の書誌データとつながっていく。そこに、自分の感想を織り込むことも、DNA部分を指摘することができる。それらの分化を統合するシステムはクラウドと大容量データ解析がつながっていく。マーケッティングそのものを個人から動かしていく。

 本を売って、おしまいの世界ではなく、本から社会を変えるシステムになっていく。

図書館クラウドの新しい機能

 図書館のデータベースそのものを使うのは、図書館法では許されないから、個人の観点からの第2のクラウドが必要になってくる。個人をキーにして、NDCをキーにして、図書館データベースから抜き出してくる。グーグル・アマゾン(グルゾン)なら、容易に作り出せる。

 ザナドゥー空間として、参考資料がつながっていく。これはグーグル・サーチのロジックと同様です。それで著作権を超えて、読んだ本がつながっていく。

 そこで、個人のナレッジ軸となるものが必要になる。それが未唯空間の目的そのものです。それがないものは当たり前。そんな世界です。

乃木坂から得るものを出していく

 3日ぶりに家から出て、駅前スタバに来ている。金曜夜9時から日曜7時まで乃木坂46時間tv。短かった。やはり、乃木坂というコミュニティはすごい!! 次の時代を感じます。

 甲府スタバの二時間弱の会話でも半分は乃木坂だった。メンバーがどんどん分化すると同時に、全体を見ていくメンバーが現れてきている。分化と統合そのものです。

 去年と同じことをするのでなく、メンバーが変わることを支援するコミュニティのあり方を早くまとめましょう。

誰のものでもない世界 新しい次の世界の原則

2016年06月13日 | 4.歴史
『ポスト西洋世界はどこに向かうのか』より

代表性と有効性のバランスをとる

 もしグローバル・ガバナンスを担う主要な多国間組織が正統性を維持しようとするなら、意思決定の仕組みを、新興国の影響力拡大を反映して変えなければならない。いいスタートを切った組織はある。世界銀行とIMFは二〇一〇年にアジア、アフリカ、南米の途上国の投票権の比率を増やすことに同意した。この変更により、西洋先進諸国の影響力は低下している。中国の投票権比率は二・七八パーセントから四・四二パーセントに上昇して、アメリカと日本に次ぐ第三位になった。いまや中国はこれらの金融機関の中で、イギリス、フランス、ドイツよりも力がある。G8は二〇〇九年のピッツバーグ・サミットで、これからは、もっと多くの国家が参加するG20が、経済政策を調整するための主要なグローバル・フォーラムになるべきだという結論に至った。G8が基本的には西洋のクラブである一方、G20には南アフリカ、メキシコ、アルゼンチン、ブラジル、中国、韓国、インド、インドネシア、サウジアラビア、トルコ、オーストラリアも参加している。同じ二〇〇九年には、BRICs諸国がロシアで初めてサミットを開催し、その後も二〇一〇年にブラジルで第二回、二〇一一年に中国で第三回のサミットを開催している。中国サミットのときに、南アフリカがグループに加わった。

 国連安保理の拡大は、その必要性が広く認められているにもかかわらず、きわめて実現が難しいことがわかっている。これまで妥当な提案がなされてきたものの、すぐにでも総会を通過できるような案も地域内の対立関係に巻き込まれて潰されてしまう。それでも現在の論争を見ていると、西洋も新興国も、国連の正統性のためにはいずれ安保理を拡大する必要があることは理解しているようである。検討されている中でもっとも現実的なプランは、ブラジル、ドイツ、インド、日本、そしてイスラム世界とアフリカの国々(インドネシア、エジプト、ナイジェリア、南アフリカなど)に新たに席を与えるという内容のものである。

 グループに参加できるプレイヤーの数を増やそうとする現在の取り組みは、不可欠なものだが、しかし問題もある。テーブルを囲む席が増えれば、それだけ実効的な決定に至るのが難しくなってしまう。G20は代表性が高いかもしれないが、その大きさと多様性が有効性の妨げになっている。パワーが従来の主導国から新興国へ移り続ける中で、考え方や利害の違いがさらに悪い結果を生むこととなり、そうした障害は大きくなる一方かもしれない。

 正統性と有効性のジレンマをやわらげるためには、グローバルな会議を拡大する際に、小さくてインフォーマルなグループもあわせて作る必要があるのかもしれない。そのグループとは、たとえば大国間の会議や協調、目的別の連合などである。したがって、グローバルーガバナンスの制度と方法をアップデートするには、単に仲間の輪を広げるだけでなく、それと同時に閉鎖的なグループ作りも必要になってくるのだろう。グローバルな連合や地域の連合に関して、いちばん賢明で異論も少ない方法は、アドホックにやるというものである。その時々の問題に応じて、能力がいちばん高く利害関心もいちばん強い国々がそこに参加するのである。さらに検討する価値があるのは、危機への対処の必要に応じてG20の会議の合間に集まるといったような、もう少し組織立った大国間協調を確立することである。おそらくそこに入るのは、アメリカ、EU、日本、ブラジル、中国、インド、ロシアだけだろう。

地域に任せる

 国際機関の有効性を上げるためには、地域アクターに責任と能力をさらに移していくことも必要になる。グローバルーレペルで話し合うことは、包括的な政策を作ったり、危機への対処を調整したりするためには必要である。しかしグローバル・ガバナンスにも限界がある。国連とG20の例から明らかなように、コンセンサスの形成や効果的な行動はそう簡単に実現できるものではない。

 世界の中でパワーが拡散すれば、究極的には国際的な責任も拡散する--欧米の民主主義諸国の共同体から、世界のあらゆる地域にいる数々の優良国へ。新しいパワーの配分には新しい責任の配分が必要であり、また、今日的課題もその多くが、解決するには地域や体制の垣根を越えた広範な協力関係が必要とされる。グローバル版NATOや民主主義諸国同盟といったような形で、西洋の組織を世界大に広げようという提案もあるが、それでは全く不十分である。重要な新興国はそこに入れないだろうし、西洋民主主義国にしても、そのように責任を拡大する意欲がほとんどない。

 むしろ西洋の組織は、非西洋の地域ガバナンスを担うのではなく、そのモデルとなるべきである。NATOとEUが欧米諸国に安全と繁栄をもたらしたように、他の地域でも同じような組織が同じことをできる。地域への権限移譲は、多くの点から理にかなっている。何かの危機が起きたとき、それにいちばん近いところにいる国家というのは、単に近いからという理由だけでも有効な行動をとれる可能性がいちばん高い。くわえて、西洋もこれからしばらくは自分たちの問題に専念しそうな状況のなか、他の国々のポテンシャルを開発すれば、それだけタイムリーな外交・軍事行動が期待できる。そして最後に、西洋が欧米の外に介入すると必ず抵抗と怒りを招く。対照的に、地域の国家が行動すれば、当該地域の中で支持と正統性を得やすい。

 地域機関への権限移譲は、地域レベルでガバナンスと関与の能力が向上していることに助けられて、すでに進んでいる。東南アジア諸国連合(ASEAN)、湾岸協力会議(GCC)、アフリカ連合(AU)、西アフリカ経済共同体(ECOWAS)、南米諸国連合(UNASUR)など、多くの地域機関が発達しており、それらは各地域のために大きな責任を担う潜在力を十分もっている。

グローバリゼーションを制御する

 市場の自由化、グローバル経済の確立、繁栄の拡大は、西洋優位の時代の最大の遺産で心匹。西洋秩序の基本原理は、世界銀行や世界貿易機関のような制度に支えられて、しっかり定着している。しかし秩序の維持は大きな試練を迎えている。西洋民主主義諸国は自分たちの政治・経済の問題が原因で、もはや秩序の管理を続けられないだろう。すでにアメリカは、グローバルに貿易自由化を推進しようとするかつての熱意を失ったように見える。くわえて、新興国は自国経済や世界貿易の運営方法について欧米とは考え方が違うので、自分たちの利益と価値に有利なルール変更を求めてくるかもしれない。このような新しい状況でおそらく必要になるのは、国際経済の自由化に関する目標を控えめにすること、国家による市場への介入を増やすこと、そしてグローバリゼーションをもっと公平なものにすることだろう。

 西洋と非西洋は市場の自由化を進めようとする際に、少なくとも保護主義の回避には十分な注意を払うべきである。通貨市場が世界的に低迷し、不安定であるがゆえに、国家は国際市場の浸透を防ぐ壁を作りたくなる。二〇〇八年にG20のメンバーは保護主義に反対すると誓ったにもかかわらず、その翌年の世界銀行の報告書によれば、G20のうち一七カ国がすでにこの約束を破っており、貿易を制限して他国に損害を与えていた。グローバルシステムを管理する能力と意志をもつ圧倒的な経済大国がいない世界では、地域ブロックや新たな貿易障壁が現れる可能性もある。グローバルな自由化は減速する恐れがあるばかりか、逆戻りするかもしれない。そのような保護主義への逆戻りを防ぐためには、国家レベルでも多国間の協定においても相互の自制が必要となる。

 金融市場も規制の強化が必要である。それは、アメリカとヨーロッパを苦しめてきた金融・債務危機を見れば明らかである。グローバリゼーションは自由放任型経済にもっとも有利に働くものと期待されたが、監視が緩いことにはプラス面だけでなく大きなマイナス面もあることがわかった。経済ナショナリズムを煽る危険をはらんだ自己責任アプローチでいくよりも、新しくグローバルなルールを作るほうが賢明である。同じように、グローバル経済の構造的不均衡を是正すれば、金融の不安定さの根本原因をいくつか取り除けるかもしれない。アメリカは消費を減らして貯金を増やし、輸出を増加させる必要がある。これに対して中国やドイツのような世界トップクラスの輸出国は、国内需要を増やし、そして他の国々からもっとたくさん輸入する必要がある。必要な調整を行う時期と方法について話し合う場としては、G20がちょうどよい。

 最後に、新しい次の秩序は、繁栄がもっと公平に行き渡るような形のグローバリゼーションを促進すべきである。グローバル経済は、一国の中でも、国と国の間でも貧富の差を広げてきた。グローバルな不均衡を是正すれば状況はましになるだろう。しかし、グローバリゼーションの恩恵をさらに公平に配分するためには、それ以上の取り組みが必要になる。西洋において農業補助金と繊維製品の関税を減額すれば、経済的に苦しい途上国にとって大きな助けになるだろう。西洋の内部では、労働者の再訓練、戦略的な投資、雇用創出プログラムが格差の是正に役立つだろう。

 保護主義の阻止、新しい金融ルールの確立、格差の是正といった目標を達成するには、明らかに、西洋が作り上げたリペラルな経済秩序を大幅に修正する必要があるだろう。しかしそうした修正によってこそ、その秩序の基本原則が保持され、さらに、西洋と、勃興する非西洋が、グローバルな成長促進のためのルールに基づく新しいシステムヘと導かれていく可能性もいちばん高くなる。

家父長独裁制 ソ連崩壊後のロシア--「主権民主主義」の定着

2016年06月13日 | 1.私
『ポスト西洋世界はどこに向かうのか』より

ソ連崩壊後のロシア国民が相変わらず国家に世話人の役割を期待したとはいえ、国家がそれに応えられないことはしばしばあった。一九九〇年代初頭にソ連が崩壊すると、ロシアの政治・経済のインフラは劣化した。一九九一~一九九九年にロシア大統領を務めたボリス・エリツィンは、長いこと待ち望まれていた民主的改革を始めたが、自由化の進展とともに、国の主要な政治制度と経済は衰退した。権力は中央から地方へ分散し、首都モスクワは犯罪と腐敗のはびこる無法地帯になった。銃をもったボディガードと、警察が賄賂をせしめようとして行うだけの交通違反の取り締まりが、当時の世相を象徴する風景だった。

ソ連の指令経済は崩れたが、自由市場への移行は行き詰った。凄まじいインフレが起こり、一九九三年には九〇〇パーセント近くにまで達した。民営化が進む中で、コネをもつロシア人は国家が売り払う資産を格安に、怪しげな取引であっという間に手に入れた。一九九〇年代後半までに、一握りの新興財閥(オリガルヒ)が巨万の富を築き、それに見合う政治力も有するようになる。インフレで所得格差が急拡大するのと同時に、平均的ロシア人の生活水準はいっきに下がった。モスクワの目抜き通りであるトベルスカヤ通りには、世界の一流デザイナーのショップが立ち並んだが、それはごく少数の富裕層以外には無縁のものだった。そして一九九八年の金融危機によって、景気は下落どころではなく急降下する。一九九七~九九年にロシアのGDPは五〇パーセント低下し、一九九七年末に一ドル=約六ルーブルで取引されていた通貨は、二年後には一ドル=二九ルーブル近くまで暴落していた。

二〇〇〇年にエリツィンの後継者に選ばれ、二〇〇八年からは首相となったウラジミール・プーチンは権力を再び中央に集中させ、経済を復活させながら国家再建に尽力し、あらゆる面で見事に成功した。中央政府の権威を立て直し、インフレを抑制し、そしてエネルギー価格の上昇にも助けられて大統領任期中に平均約七パーセントの成長率を達成した。しかしこのような国家の復活は、それ以前の一〇年間に行われた民主的改革を犠牲にして実現したものである。

議会選挙と大統領選挙はいまも行われているが、メディア統制、野党への脅迫、不正投票によって選挙はいつも台無しになる。中央政府は権力を取り戻し、法の支配を復活させたが、それはクレムリンの法であって、独立した司法府の法ではない。エリツィン時代、大幅に権力を拡大した地方知事は選挙で選ばれていた。ところがいまは、知事は中央政府によって任命されるようになり、中央に借りができる形になった。さらにプーチンは政敵を厳しく取り締まり、独立系の報道機関を閉鎖し、ロシア国内の外国組織の活動を制限した。そして彼は新興財閥にもねらいを定めた。政権を支持するか、もしくは政治に関わらないことに同意した人々は大部分が自由にビジネスを続けられたが、ウラジミール・グシンスキー、ボリス・ベレゾフスキー、ミハイル・ホドルコフスキーのように逆らった人々は迫害されるか、国外に追放されるか、投獄されるかのいずれかだった。

ロシアの経済エリートは脅されてきたのである。結果として、ロシアの民間部門は中国のそれより政治力が弱い。中国企業が国家と共生関係を築いたのに対して、ロシア企業は国家に従属してきた。それゆえロシアのビジネス環境は快適とはいえず、予測不能性が高く、いまだに中央政府の気まぐれに振り回されている。これは外国人投資家がロシアを敬遠してきた主な理由である。中国でビジネスをするなら、政治的なコネクションを作らなければならないし(ときに賄賂も必要となる)、官僚組織の面倒な壁も突破しなければならないが、それができれば投資はかなり安全である。ロシアでのビジネスは、同じくらい多くのお役所仕事に煩わされ、そしてそれを乗り越えたところで結局、投資は国家の餌食になりやすい。世界銀行の二〇一〇年版「ビジネス環境ランキング」を見ると、中国は七九位で、一二三位のロシアのはるか上にいる。外国人投資家はこれに準じて行動しており、二〇一〇年末の時点で、中国への直接対外投資は約六五八〇億ドルだが(世界第七位)、ロシアは二九七〇億ドルである(世界第一九位)。

こんにちのロシアが直面しているもう一つの問題は、統治制度が弱く、その力が及ぶ範囲も狭いことである。クレムリンはたしかに権力を取り戻したが、政策実施のためには怠慢や無能力、腐敗で機能不全に陥っている官僚組織に頼らざるを得ない。マクロ経済政策のような少数の主要官僚が監督・実施する政策分野ではおおむねスムーズに事が運ぶが、インフラ整備のように異なる省庁間、地域間の協力を必要とする分野は、いつもめちゃくちゃである。道路、鉄道、その他の交通・産業インフラの整備において、ロシアは中国に後れをとっている。

原因の一端は「石油の呪い」にある。ロシアは石油・ガスの売り上げが国の輸出および歳入の五〇パーセント以上を占めるため、他の多くの国で経済成長のカギとなった(イテク技術のノウハウ獲得や製造基盤の整備を怠ってきた。エネルギー収入が簡単に得られるし、同時にそれが為替レートをつり上げることで、他の国内産業の競争力を低下させてしまったのである。エネルギー収入は産業の多角化を妨げ、国家の懐を豊かにすることで中央集権化を後押しすることにもなった。また、エネルギー、交通、工業の巨大企業を国が所有しているため、労働者の約三分の一が公共部門で働く。ロシアの中産階級は国民の約三〇パーセントとされるが、実質的には一〇パーセント程度である。残りの二〇パーセントの大部分は、政府官僚とその他の公務員であり、彼らは単に収入面で中産階級だというだけで、メンタリティや経済活動の性質からすれば中産階級とはいえず、波風を立てるようなことはしそうにない。

ロシアは、真の起業家精神をもった階級が非常に脆弱で、超富裕エリートは脅されて政治的服従を強いられているので、政治や経済に変化を起こす原動力がない。社会変革は、もしかするとトップダウンで生まれるかもしれない。ドミトリー・メドベージェフ大統領〔二〇一二年時点〕(元弁護士)は、プーチン(元KGB職員)よりはリベラル志向であり、経済の多角化の重要性を強調してきた。しかし二〇〇八年のメドベージェフ大統領就任以降の政策変更は、漸進的なものに過ぎない。そして、大統領への返り咲きを図るプーチンは、しばらく陰の実力者として君臨するだろう。そうなればさまざまな局面でいまと同じ状況がいつまでも続くことになる。さらに、ロシア国民の中で西洋型の民主主義が必要と考える人は二五パーセント未満で、ソ連型の政府か、あるいは「国の伝統」に沿う独特の参加型政府を望む人々は六〇パーセント近くいる。ほとんどのロシア人が、民主主義の不確実性よりも家父長制の安定を好む。これは、一九九〇年代の経験から、人々が民主主義を腐敗や混乱、経済の衰退と同一視するようになったことがとくに大きい。ロシア人は資本主義に対して積極的になったが、自由民主主義に対してはそうなっていない。

ロシアは、政治の停滞、エネルギー中心の経済、人口の減少傾向のせいで、中国とは対照的に、他国が飛びつくようなビジネスモデルを世界に提示しそうにない。だがそれでも、ロシア型の「主権民主主義」--ロシア政府は、民主主義と独裁制の独自の組み合わせをそう呼ぶ--は形のはっきりしない折衷モデルとして、これから数十年間に他の少なからぬ国が採用するかもしれない。実際、近隣諸国にとってはすでにロシアがお手本になっているようである。旧ソ連諸国のほとんどで民主的自由が後退している。フリーダム・ハウスの二〇一〇年の報告書によれば、政治的自由のレベルで、一二の旧ソ連諸国(バルト諸国を除く)のうち一一カ国は一〇年前より状況が悪くなった。中国の「ましな」タイプの共同体主義独裁制は旗手になるかもしれないが、ロシアのような、独裁と家父長主義と民主主義のごった煮のほうが世界に広まるかもしれない。

ロシアの近代モデルは、国内政治だけでなく外交面でも西洋に挑戦するだろう。プーチンは当初から、国内の立て直しだけでなく、地政学的な影響力の回復にも取り組んでいた。ナショナリズムの活用や、国民の大国願望を自在に操ることにかけては、彼の手腕は見事なものだった。彼はアメリカに毅然と立ち向かい、世界全体でパワーを均等に分散すべきだと声高に主張することで、自分の人気を国内でも海外でも高めるという妙技をやってのけた。たとえば二〇〇七年には、アメリカの覇権を、「主人が一人、あるいは支配者が一人の世界」と表現した。彼はさらにこう続けた。「結局のところ、そうした状況はシステム内のすべての人間ばかりか、支配者自身にとっても非常に危険である。なぜなら支配者は内部から自壊するからである」。

国内政治と同じように、ロシア政府は対外的な影響力を行使する際にも混合型手法でやってきた。一方で、ロシアは大国クラブの一員として振る舞っている。G8に参加し〔現在、ロシアはG8から除外されている(二〇一六年二月時点)〕、アメリカおよびアメリカのヨーロッパ同盟国と協力して、核軍縮やイランの核開発阻止に取り組んでいる。他方で、ロシアは西洋への対抗勢力としての地位を着実に築いている。アメリカのミサイル防衛やNATO拡大をめぐってアメリカと論争してきたし、二〇〇八年にはグルジアに侵攻し、アブハジアと南オセチアの両地域がジョージアから分離して独立国家となることを認めた。中国とともに中央アジア諸国と上海協力機構(SCO)も作り、この機構は、BRICsサミットと同様、西洋が支配する諸制度に対する競合相手となっている。

以上のような混合型手法をとっているロシアは、西洋秩序とポスト西洋秩序の橋渡しに貢献できる独特のポジションにいるのかもしれない。ロシアは西洋との間に長い外交関係の歴史を有する一方、新興国からも強い信頼を得ている。さらにいえば、米口関係の「リセット」を目指すオバマの取り組みが実を結び、アフガニスタン、イラン、軍備管理について米口の新しい協力関係が生まれてきた。ロシアがNATOに加盟する可能性も含めて、ロシアをしっかり西洋につなぎとめるための対話も続けられてきた。西洋がうまくロシアを自分たちの制度に組み込めれば、ポスト西洋秩序のあり方をめぐる交渉で、ロシアはかなり心強い仲介人になってくれるだろう。


次に来る大転換--非西洋の勃興

2016年06月13日 | 4.歴史
『ポスト西洋世界はどこに向かうのか』より

二一世紀がスタートしたとき、アメリカは、西洋の大勝利について、自信過剰とはいえないまでも満足感には浸っていた。歴史はまさに西洋の道を進むかに見えた。だがそんな自信も長くは続かなかった。二〇〇一年九月一一日のテロ攻撃、イラクとアフガニスタンで長引く戦争、グローバル金融危機、手に負えない党派対立が、アメリカに暗い影を落とした。ヨーロッパもまた、経済成長の鈍化やユーロ圏の脆弱性、EU内部の政治対立など、同じくらい多くの問題を抱えていた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期が終わる頃には、「歴史の終わり」の議論自体が歴史になっていた。代わって注目を集めたのは、ポスト・アメリカ時代が到来する、アジアの世紀が始まるという主張だった。

西洋への評価がこのようにからっと変わったのは、ある面では社会の雰囲気が劇的に変化したからである。つまり、アメリカとヨーロッパの相次ぐ挫折に人々が反応したのである。しかし、西洋の優位性の持続性に対するもっと冷静な見方は、一時的な状況へのつかの間の感情とは異なる。研究者も政策決定者も、冷戦終結にともなう勝利の喜びに惑わされることなく、ようやく厳然たる事実と向き合うようになった。その事実がはっきり示すのは、西洋のパワーがピークを過ぎたということである。

世界はこの先少しずつフラットになっていくだろう。これは数十年かかるプロセスであり、数年でどうこうというものではない。しかし全体的な趨勢は明白であり、それが物語る世界の大転換を止めることはできない。

経済力のバランス

 表は、二〇一〇年の世界の経済大国トップ5と、二〇五〇年に予想されるトップ5を並べたものである。もちろんこうした予想は推論にすぎない。その前提条件は変わり得るし、実際変わるものである。それでもなお、この「最有力の予想」からわかるのは、近い将来に順位が大きく入れ替わることである。

 二〇一〇年では、世界の経済大国トップ5のうち四カ国が西洋に属している。ゴールドマンーサックスによれば、二〇五〇年にはアメリカがトップ5に入る唯一の西洋大国になるという。さらには、図にあるように、アメリカは二〇五〇年に第二位につけているものの、その経済規模は中国よりかなり小さい。ゴールドマン・サックスの予想では、中国のGDPは二〇二七年までにアメリカのGDPに追いつき、それ以降はトップを独走するという。西洋全体の物質面での優位性についていえば、四つの主要な途上国(ブラジル、ロシア、インド、中国のいわゆるBRICs)のGDPの合計は、二〇三二年までにこんにちの西洋の主要諸国のGDPの合計に追いつきそうである。世界銀行の予想によると、二〇二五年までには米ドル、ユーロ、中国人民元が、「複数の基軸通貨」をもつ通貨システムの中で同格の存在となり、米ドルのグローバルな優位性はなくなるという。

 このような世界のパワー分布の変化を構成要素に細かく分解してみると、さらに興味深いことがわかる。経済成長についていえば、アメリカのGDPは二〇〇九~二〇五〇年に平均で年二・七パーセント伸びると予測されている。一パーセントと予想される日本を大きく上回り、一・七パーセントとされるヨーロッパの主要国(ドイツ、フランス、イギリス、イタリア)よりも高い数字である。同じ期間に、中国は平均で年五・六パーセント、インドは五・九八Iセントの成長が見込まれている。さらにいえば、成長率の差がいちばん開くのは、この期間の前半である。つまり、西洋先進諸国と、中国やインドなどの新興国のギャップが埋まるのは、いつかそのうちではなく、これからすぐなのである。

 中国はすでに日本を抜いて世界第二位の経済大国となった。中国がアメリカを抜いて第一位となるにはゆうにあと一〇年はかかるが、さまざまな数字から趨勢は明白である。アメリカは、二〇一〇年に経常収支の赤字が四七〇〇億ドルに上ることを公表した。それは世界的な不均衡を助長して、アメリカの将来の経済成長を脅かすものだった。一方で中国は、同年に三〇五〇億ドルの黒字を達成している。アメリカの過去一〇年の平均消費率はGDPの七〇パーセントで、貯蓄率は約三・五パーセントである。対照的に中国は、過去一〇年の平均消費率がGDPの三五パーセント、貯蓄率は四〇パーセントにも達する。中国政府は増え続ける黒字の一部を政府系ファンドに投入し、それを世界中で戦略的に投資している。二〇一〇年春の時点で、中国三大ファンドはあわせて約七八〇〇億ドルの資産を保有していた。この金額はオランダのGDPとほぼ同規模である。一方、アメリカは公的債務が二〇一一年初頭に一四兆ドル(GDPの九〇八Iセント超)に達しており、年間の財政赤字も、第二次世界大戦後の数年間以来、最大のレペルになった゜アメリカの債務が積み重なるなか、中国はアメリカ国債を購入する主要な外国投資家となった。二〇一〇年の終わりには、約一・二兆ドル分のアメリカ国債を中国が引き受けている。これは、外国人が保有するアメリカ国債全体の二五パーセントを超える額である。実のところ、二〇一〇年までに全アメリカ国債の半分超を外国人が保有しており、そのせいでアメリカは金融面でかなり脆弱な状態に置かれているのである。

 中国の経済はいずれ落ち着くだろう。成長率、貯蓄率、財政黒字というのは普通、国の経済が成熟すると下かっていくものである。しかし、中国、インドやその他の途上国の成長について明るい見通しをもてる根拠には、人口にまつわる不変の現実もある。西洋の人口は世界全体の二〇パーセントにも満たない。しかもこの先、相対的にも絶対的にも減る流れにある。アメリカの人口と労働力は、西洋の平均を上回る移民の割合と出生率に支えられてこの先の数十年間は少しずつ増えていくが、ヨーロッパの人口は減っていく。EU全体の出生率は人口置換水準〔人口が安定するために必要な出生率〕に届いていないし、移民の割合もアメリカを下回っている。日本も急速に高齢化が進んでいる。一方で、中国の人口は二〇二五年頃から減り始めるものの(その原因は、一九七八年に実施された一人っ子政策である)、図4・2が示すように中国にもインドにも膨大な労働人口があり、この先ある程度の期間は安泰である。他の多くの途上国でも、労働人口が大幅に増加する流れがしばらく続く。

 西洋の労働人口が縮小し、非西洋の労働人口が劇的に拡大していくだけではなく、知的資本も、グローバルシステムの中心から周縁へ移っていくだろう。アメリカにはいまもなお世界最高峰の大学制度がある。しかし、それを利用している人間の多くが外国人であり、その数は増え続けている。そして、彼らはたいてい身につけたスキルを母国に持ち帰っていくのである。

西洋の経済面での優位性はすでに陰りが見え始めている。富のグローバルな分散はこの一〇年以内に加速するだろう。アメリカは引き続き何十年も世界最大の軍事大国でありっづけるが、複数の地域で優位性を保つ能力は、新興国が海軍力を増強しつづけるにつれて低下していく。そして経済の世界がもっとフラットになれば、そこからかなりのタイム・ラグはあるものの、最終的には軍事力も世界の中でいまより均等に分散していくだろう。

このように、アメリカは一代前の覇権国であるイギリスがかつて通った道を歩んでいるように見える。イギリスの経済面での優位性は、一九世紀の終わりにはアメリカとドイツの台頭によって脅かされていた。イギリス海軍は、世紀が変わる頃にはまだ他に劣らない存在だったが、アメリカ、日本、ドイツで同時に進んでいた造船計画のせいで、帝国全域で制海権を維持することができなくなったのである。イギリスは巧みな外交を駆使してアメリカおよび日本との関係改善を進めたおかげで、艦隊をドイツとの戦いに集中的に振り向けられたし、ひいては第一次世界大戦で勝利した。しかし、その間ずっとイギリスの経済こ辱上覇権は弱まり続けていたのである。一九三〇年代には経済の弱体化によって軍備の再建もままならず、ナチス・ドイツと帝国日本の脅威に対して哀れなほど準備ができなかった。イギリスはアメリカと他の同盟国に助けられて、第二次世界大戦の勝利国になることはできた。しかしこの戦争は、イギリスがパクス・ブリタニカの時代以降どれほど落ちぶれていたのかを、白日の下にさらしたのである。

歴史は決してそっくりそのまま繰り返さない。だが大きな趨勢は間違いなく繰り返されるものである。アメリカの軍事面での優位性は、次の一〇年間も揺るがないだろう。しかし、その優位性にともなう影響力は、経済の世界がフラットになってきたせいですでに低下している。この先の数年間で、勃興する非西洋は新たな地政学的野心を抱くようになるだろうし、それを実現できるだけの軍事力ももつことになるだろう。