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豊田市図書館の30冊

367.3『<オトコの育児>の社会学)』

165.3『教養としてよむ世界の教典』

528.5『金持ちは、なぜ高いところに住むのか』近代都市はエレベーターが造った

147『人生は、約束』

164.31『ギリシア神話の森』古代美術が彩る世界

291.51『富士山ブック2016』一冊まるごと富士登山の教科書

779.13『落語九十九旅』全国落語名所ガイド

588.6『ソースの歴史』「食」の図書館

336.3『残業ゼロだからこそ目標達成!! 本気でやるチーム時短術』

332.1『新しい幸福論』

143.1『解決したがる男 共感がほしい女』

336.49『社会人用語ハンドブック』できる大人が使っている

319カプ『ポスト西洋世界はどこに向かうのか』「多様な近代」への大転換

673.93『人材派遣のことならこの一冊』実務者必携の1冊

159.4『仕事ができる人の「集中」する習慣とコツ』入社1年目から差がついていた!

222.04『実践版 三国志』曹操・劉備・孫権、諸葛孔明・・・・・・最強の人生戦略書に学ぶ

292.3『ぶらりあるき メコンの国々』カンボジア・ラオス・ベトナムヒトリ旅

491.6『よくわかる病理診断学の基本としくみ』図解入門 メディカルサイエンスシリーズ

017.2『読書イベント実践事例集』学校図書館が動かす

648.18『チーズ伝統国のチーズな人々』フランスとチーズ交流30年

913.6『親鸞 完結篇(上)』

913.6『親鸞 完結篇(下)』

837『天声人語 2016春』

611.3『ナショジオと考える地球と食の未来』私たちはイツマデ食糧を確保できるのか? 90億人の食

748『世界は広く、美しい 地球をつなぐ色<赤>』

913.6『天あり、命あり』百年先が見えた経営者 大原總一郎伝

914.6『くよくよマネジメント』

304『社会を変える23章』

333.6『世界経済大乱』

334.31『超少子化 異次元の処方箋』
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コーラン 平等の正義

『教養としてよむ世界の教典』より コーラン 一神教の再構築

「一」と「多」のジレンマ

 「道」が一本しかなく、選択の余地がないというのは、何か狭量な思考のように感じられるかもしれない。しかし、考えてみれば、老子の説く「道」もまた、結局のところただ単に一個の超越的な道があるだけであり、これと並ぶ道があるわけではない。道は宇宙の真理であり、あれこれ選べるようなものではなく、人が自ずとそこに向かわざるを得ない、そんな何かである。

 人間は普遍的に妥当する真理を求めるとき「一」なるものを思う。しかし、事実上我々はさまざまな候補の中から選んで自らの立脚点とするしかない。だから「一」の思考と「多」の思考はたいていセットになっている。イスラームとは唯一神への「帰依」を表す一般的・普遍的な概念であると同時に、歴史上の特定の信仰形態としてのイスラム教のことでもある。同様に、ムスリムは唯一神への「帰依者」一般を指す言葉であると同時に、狭い意昧でのイスラム教徒のことでもある。

 自らの宗教が普遍的なものか特殊的なものかをめぐって、いかなる宗教もジレンマを抱えている。自分が奉じている信仰が普遍的なものであるならば、他人に押し付けたくもなるだろう。歴史的にキリスト教はそのように考え、異教徒を改宗させることは宣教の使命であった。しかし、後発のイスラム教は、他の一神教を排斥せず、また、現実主義的な寛容の原理を明文化している。イスラム教ではユダヤ教徒もキリスト教徒も「啓典の民」(神に啓示された教典をもつ民)として尊重する。コーランは「宗教には強制があってはならない」と説く。

 宗教的寛容ないし共生の原則が中東世界で知られていた「一神教」以外に適用できるのかどうかは、解釈次第である。歴史的にはイスラム教徒は多神教のヒンドゥー教徒とも共存してきたし、日本のムスリムも日本の宗教的慣習に対してどうのこうのと言うことはない。

 日本人にとって、唯一神の信仰というのは馴染みが薄く、なかなか理解できないが、日本にとって縁のある仏教やヒンドゥー教や中国思想においても、ダルマ(仏法)、ブラフマン(梵)、タオ(道)とやはり唯一なる真理を求めてきたことを思い起こそう。そしてたとえば仏教徒は、仏法としての業や縁起の法則は、信者であろうとなかろうと、仏教徒であろうとクリスチャンであろうとイスラム教徒であろうと無神論者であろうと普遍的に妥当する真理であると思っている。この点で、唯一神の信仰が全人類にあてはまると考えているイスラム教徒など一神教徒の思考法と、大きく異なるわけではない。

平等の正義

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の別なく、唯一神の信仰は、地上のあらゆる権威の相対化と、社会的弱者への配慮の思想(社会的不平等への批判)とセットをなしている。

 地上的権威の相対化を端的に示すのが、モーセの十戒に見られるような偶像崇拝の禁止である。神が絶対だということは、地上のいかなるものも崇拝してはいけないということだが、これは単に絵に描いた神々の姿を拝むなというだけのことではない。地上のいかなるものもカミサマ扱いしてはいけないということであり、国王とか業界のドンとか映画スターとかセレブリティを崇拝してはいけないのである。ことにイスラム教では、あらゆる人間を神の僕=奴隷(アブド)と見なしているから、僕が僕を拝むのは、笑い話にしかならないのだ。

 そしてこれは、人類は皆兄弟として助け合わなければならないという思想とセットになる。

  正しく仕えるということは、あなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の(審判の)日、天使たち、諸啓典と預言者たちを信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。

 財産を近親に与えるばかりでなく、孤児や貧者や旅行者や物乞いに与え、奴隷解放に費やすというのが、神へのお勤めであるという。このあたりは典型的な救済宗教の思考である。なかでも目につくのは孤児への配慮だ。

  不当に孤児の財産を食い減らす者は、本当に腹の中に火を食らう者。かれらはやがて烈火に焼かれるであろう。

 ここにはシンプルな地獄思想も表われていて興味深い。死んだら善人は楽園へ、悪人は地獄(火獄という)へ行く。孤児といえば、そもそもムハンマドは孤児であった。孤児は遺産に与れない。借金して暮らすしかない。債務がたまれば奴隷の境遇に落とされる。そういう社会であった。そんな中で、ムハンマドは、幸いにも伯父の庇護を受け、まずまずの境遇で暮らすことができた。そして才覚を現わして立派な交易商人になることができた。孤児のようなまったく支えの無い人間がいかにきわどい立場におかれているか、ム(ンマド自身がよく知っていたに違いない。孤児を守れというのは確固とした正義であり、正義を語るのは神なのである。

  かれ〔アッラー〕は孤児のあなたを見付けられ、庇護なされたではないか。かれはさ迷っていたあなたを見付けて、導きを与え、また貧しいあなたを見付けて、裕福にされたではないか。だから孤児を虐げてはならない。請う者を揆ね付けてはならない。あなたの主の恩恵を宣べ伝えるがいい。

 ここで注意しなければならないのは、部族社会が一般的に不平等だというわけではなく、この時代のメッカにおいては経済的格差が進んで、部族社会が不平等に対処できなくなっていたということだ。経済中心の社会というのは、気をつけないと格差を絶望的に拡げる。旧来の社会システムが新たな事態に対処できないとき、新思想が台頭する。メッカの場合それは、「天地創造の昔から人間は平等に造られている」という一神教の思想であった。

 イスラムの平等主義は、喜捨(ザカート)という富の再分配の制度をもたらした。ザカートとは、富の十分の一を社会内の最も困窮する者たちに分け与えるシステムである。先はどの引用の中にも、敬虔とは「喜捨」することだと書かれていた。

 ムハンマドの告げる神の教えによれば、利子徴収も非合法なのであった。メッカの格差社会の根本的問題の一つが高利貸しであったためだろう。

  利息を貪る者は、悪魔にとりつかれて倒れたものがするような起き方しか出来ないであろう。それはかれらが「商売は利息をとるようなものだ。」と言うからである。しかしアッラーは、商売を許し、利息を禁じておられる。それで主から訓戒が下った後、止める者は、過去のことは許されよう。

神の支配する共同体のジレンマ

 ムハンマドの提示した神の下の平等の原理に基づく共同体は、中世イスラム帝国の時代にはたしかに世界でも先進的な、活発な社会であったようだが、近現代においては大きなジレンマを抱えるようになった。

 近代のアジア社会は、イスラム社会であれ、ヒンドゥー社会であれ、儒教の社会であれ、概ねヨーロッパ(およびヨーロッパの真似をした日本など)の政治的・軍事的支配下に置かれてきた。どうやら宗教優位のアジア社会は、戦略や安全保障という点で呑気すぎたようで、宗教と政治を切り離した宗教改革以降のヨーロッパの戦略的な抜け目の無さにまったくかなわなかった。そしてヨーロッパの効率よいシステムの前に、地元の宗教の威信も低下し続けた。

 イスラム社会においても、かつてはイスラム知識人層(ウラマー)が人生の万般の相談役であったが、その力も及ばなくなった。そんな中、新たに「覚醒」した知識人たちの主導のもとで、さまざまな形でイスラム復興が模索されるようになった。イスラムは預言者ムハンマドの範例に基づく政治や社会規範のシステムが精緻にできあかっていたので、いざ復興するとなると、インドや中国や日本などの場合に比べて、そう簡単に融通を利かすわけにはいかないようだ。

 理想としては、イスラムは平等主義なのである。人々を搾取から解放する共同体なのである。アジア各地に誕生した軍事独裁型の世俗主義政権よりも、はるかにましであるはずだ。しかし、イスラムが提示しているのは国家権力を超えた神の支配というモデルなのであり、それを革命的に推し進めようとすると、神の規範を社会の隅々にまで適用しようというラジカルな管理社会を招いてしまう。中世の昔ならいざ知らず、官僚機構から軍事テクノロジーまで緻密な支配の道具をもっている現代社会において「神の支配」がどこまで「慈悲あまねく慈愛深き」ものであり得るのかは、まったく不透明だ。

 ただここでイスラムのために弁じておけば、現代社会の根幹をなしている資本主義の競争原理もまた、内部に多くの矛盾を抱えており、システムというもののもつ「理想と現実」のギャップないし闘争関係は何もイスラムばかりの問題ではないということである。
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格差と貧困は、人間の尊厳と日本の社会の将来がかかった大きな問題

『社会を変える23章』より 格差の何が問題か

「貧富の差は努力の差ではないですか?」

 たしかに、同じ仕事をしても、早い人もあれば、遅い人もあります。また技術や知識も様々でしょう。しかし、一人の人間としての差が、今日のような「格差」を生むほどの差があるとは思いません。

 大企業の最高責任者のなかには10億円以上の年収を得ている人がゴロゴロいます。ソフトバンクの孫正義社長の報酬総額は約96億円にもなります。比較しやすく250万円(国民所得の中央値は244万円)と100億円とすると、ざっと4000倍の差です。最低賃金は1時間あたり780円(2014年全国平均)ですが、孫社長が平均的な労働時間だけ働いたとすると、時給500万円以上になります。最低賃金の6410倍です。

 どんなに力の差や条件の違いがあっても、二人の人間の活動によって生まれる結果が数千倍にもなるというのは、あまりに極端すぎます。これは個々人の人間としての能力の差をはるかにこえています。

 実は、大企業の経営者が会社からもらうのは賃金ではなく、「報酬」です。

 それは、社長が実際それだけ働ぃたかではなく、企業のもうけの大きさに左右されます。もうかれば、その分増やすことも可能です。さらに、自分の会社の株をもっていれば、その値上がり分は、まるまる自分のものになります。孫社長も自社株の配当収入が全報酬の99%を占めています。社長が株を上げるために汗をかいて働いたわけではありません。社員の働きによるものです。

 あとでくわしく見ることになりますが、大事なことは、このとてつもない格差は、一部に大金持ちがぃるということだけでなく、巨大な浪費を生みだすなど、今日の社会全体をゆるがす問題にもつながっていることです。

「むかしから格差や貧困はあったのではないですか?」

 「アマオンで生き残れない人間」で見たように、様々な弱点をカバーしあうことができるのが人間社会の強みでした。経済的に困難な状態にある人々を、社会全体で助けていくいろいろな仕組みも、人間の歴史のなかで生まれてきました。

 例えば、農耕が発達すると、作物のとれ具合などによって収入の差が生まれます。そこで、もてる者が貧しい人にも収穫物や金銭を分け与えることがおこなわれるようになりました。仏教でお布施、イスラーム教ではザカートやサダカ、キリスト教ならチャリティーと言われるものが、そうしたものから生まれたと言われます。日本でも奈良時代には、道路や橋、池・用水をつくるといった貧困地域の対策がおこなわれ、平安時代には、上流貴族が各地で貧民救済の政策をおこなったとされています。

 資本主義の時代になると、労働者の失業や健康、貧困などが問題になりました。はじめは資本家や国も、「これは個人の問題だ」と言っていました。しかし、これらを放置すると社会や経済にも悪影響がでることや、労働者のたたかいもあって、次第に社会保障の制度がつくられていきます。19世紀から20世紀にかけて欧米では、貧富の差とそれによっておきる社会問題をやわらげるために、福祉政策がすすめられました。また、税金も、所得の多い人々や企業にたいして高く、所得の少ない層には低くする制度(累進課税)もつくられ、所得をすこしでも公平に配分するための政策がとられました。しかし、「こうしたやり方は、経済の活力を弱める」といった主張も資本家などから出され、労働者がこれに反対して運動するということもおこなわれてきました。

 やがて、20世紀の末ごろから、アメリカを中心に、何でも自由に競争して勝ったものが成果を手にする、という考え方がひろめられました。国や自治体が手助けをすることをとことん減らし、何でも民間や個人にまかせて、市場(お金で売買すること)で決めるというものです(新自由主義)。「貧しぃのは自己責任」[自分の努力でもうけて何が悪い]という考えです。その一方で、これにたいする労働者をはじめとする国民の運動が新たな広がりを見せているというのも、いまの時代の特徴です。

 人類の歴史は、ジグザグはあっても、格差や貧困という社会的な不正義をただす方向ですすんできたということを、強調しておきたいと思います。

「格差や貧困の解決と経済の成長は両立しますか?」

 むしろ、格差や貧困を放置すれば、国民のものを買う力をうばって国民総生産の6割をしめる内需(国内での消費)をほりくずすことになりかねません。そして、社会と経済の健全な活力をうばうことになるでしょう。日本の経済と国民のくらしが、これからもつづいていけるようにするには、この問題を解決しなければなりません。

 そのためには、企業や資本家の「善意」や努力にまつのではなく、外からの力、社会のルールが必要です。しかし、すぐにでもできることがあります。

 例えば生活保護の予算は、約3兆円(2015年度予算)です。政府は社会保障費が予算全体(96兆円)の3割をこえているから大変だ、などと言って、ここを削ろうとしています。これは、歴史的にも、世界にも例のない驚くべきことです。

 むしろ、国の経済の規模でみると日本の社会保障の費用は大変少ないのです。経済協力開発機構(OECD。日米欧の「先進国」34か国が参加)の調査(2007年)によると、日本の社会扶助費は、国内総生産(GDP)のわずか0.5 %です。イギリス5%、フランス4.1 %、ドイツ3.3%と比べてもいかに低いかわかります。OECDの平均(3.5%)の7分の1しかありません。

 しかも、生活保護の対象となる世帯のうち、実際に受けているのは、日本の場合はわずか15.3~18%です。つまり必要な人のうち2割も受けていないのです。一方、ドイツは64.6%、フランス91.6%、イギリス47~90%となっています。日本がこんなに低いのは、自分から申告して複雑な手続きをしないといけないなど、様々なハードルがあるからです。生活保護を他の国なみにするだけで、日本の状況は大きく変わるでしょう。

 GDPのなかには企業がかせぃだ分もあります。大企業にたまったもうけ(内部留保)は、285兆円(2014年)にもなっています。しかし、今の大企業のもうけが大きくふくらんできた背景は、派遣労働者を増やしたり、税金を減らしたりしてきたからです。福祉や医療なども市場にまかせて商売の対象にしてきました。生活保護を受ける人が増えはじめたのも、企業の活動がこうしたスタイルにかわっていった1990年代にはぃってからでした。ですから、大企業の責任も大きいのです。法人税率をもとにもどして(2015年度23.9 %、1984年度43.3%)、国におさめる税金を増やし、社会保障の充実にあてるべきです。

 社会保障は「ほどこし」ではなく権利です。貧困や格差がこれほど広がり、深刻となっていることは、これがもはや個人の問題ではなく、社会がとりくむべき問題であることを示しています。

 貧困と社会の差別に絶望した若者が、欧米や一部のアラブ諸国ではイスラムの名をかたるテロ集団の「理想」に共鳴して、ISILに参加しつつあります。若者が希望を持てる社会こそ、真の意味で平和な国です。ぃま日本がどの道をすすむのかが、鋭く問われていると言えます。
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岡山県奈義町 出生率2・81!

『超少子化』より 日本でもできる! 岡山県奈義町

フランスほどお金をかけずに出生率2・81に!

 フランスのようなまとまった現金給付に頼らず、少子化対策に成功した自治体が日本にある。

 2015年11月、その町で開かれた記者会見。町長が、両手に持ったパネルを記者団に披露した。書いてあったのは、驚きの数字だった。

  「合計特殊出生率2014年速報値 2・81」

 日本の全国平均1・42の倍近く、あのフランスをも上回る出生率を実現させた町。それは、岡山県奈義町。

 奈義町は、県の北部に位置する人口6000人ほどの町だ。

 JR山陽本線が通る岡山駅から車で2時間、山陰本線が通る鳥取駅からは車で1時間、北は鳥取県と接している。山間にありながら空を広く感じられる開けた地形で、四季折々の自然を楽しむことができる。

 国道53号線が町の東西を横断し、車とバスが主な交通手段だ。町の中心部に教育施設や福祉施設が集まっているので公共サービスの利便性は高い。

 南東部に製造業を中心とした工業団地があるほか、林業と農業が町の主な産業になっている。町外へ通勤や通学で出る人も多い。

 町役場には「子育て応援宣言のまち 子育てするなら奈義町で!!」の巨大な垂れ幕が3階部分から掲げられていた。

 この町で、14年、60人の赤ちゃんが生まれた。

 前年と比べると17人増で、内訳は第1子34人、第2子15人、第3子10人、第4子1人。おかげで出生率も前年よりO・93上昇した。

 長らく人口減少に苦しんできた奈義町。出生率が二時1・41まで落ち込んだこともあったが、03年から子育て支援に本格的に乗り出すと順調に回復。およそ10年で2倍になった。

子育て世代への徹底したサポート

 町が力を入れたこと。それは、子育て世代への徹底したサポートだ。

 町に在住する子育て世帯を支援するだけなく、他の県や市町村にいる子育て世帯までもが奈義町に住みたくなるような、魅力的な施策を打ち出している。

 その一つ一つを丁寧に見ていきたい。

 ①保育料が安い、「出産祝い金」も

 ②医療費が18歳まで無料、予防接種も町が負担

 ③子育て世帯向けに町営住宅も整備

 ④孤独な子育てとは無縁「なぎチャイルドホーム」

町の発展には、人を育てるのが一番確実

 町の発展を考えるなら、産業振興や企業誘致などを思い浮かべる人もいるかもしれない。財政面でダイレクトに効果があるからだ。

 しかし、産業や企業は経済状況によって変化してしまう。せっかく誘致して優遇策をとったとしても、経営方針が変われば町を出て行くこともあるだろう。経営状態が悪ければ期待した税収が見込めないかもしれない。

 一方、町の大人や自然と触れ合って豊かな子ども時代を送った人なら、町に愛着をもってくれる。町にある企業に勤めるのが難しかったとしても、暮らしの軸を町に残して住み続けてくれるかもしれない。

 子どもを安心してのびのびと育てられる環境なら、他地域の親も奈義町に興昧をもってくれる。実際に子育てしやすければ、少なくとも子どもが独り立ちするまでは奈義町にいてくれるだろう。地道ではあるが、人を育てるのが一番確実だと町は考えた。

 奈義町は03年からそのスタートラインに立ち、走り始めた。そして、日本の子育て政策のトップランナーとも言うべき存在になりつつある。

社会に関わる人みんなで考える

 こうした海外事例や奈義町を含めて、成功している地域の類似点を探ると、浮かび上がってくることがある。

 それは、社会全体で子育てを支援しようという、行政と市民の姿勢だ。

 子育て世帯も、そうでない世帯も、これから子育てを支援しなければいけないという〈合意形成〉ができている。だからこそ〈財源〉からの出費が認められ、予算が有効に使われている。

 また「施設は子どもを預かるだけ」「親はサービスを利用するだけ」という決めつけがない。施設やサービスの役割を非常に柔軟に捉えている。そのなかで何ができるのか、関わる人みんなが考えている。

 奈義町役場の職員が備品のムダ遣いを減らすのも、高齢者の町民が「チャイルドホーム」に立ち寄って子どもたちの相手をするのも、その一つだ。

 多くの人が、生活の軸を子どものためにシフトすることが、巡り巡って自分たちや自分たちの住む町を守る、持続可能なものにしていくということを、奈義町の例は私たちに教えてくれている。
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松屋のシステムが変わった

松屋のシステムが変わった

 松屋のシステムが変わり、「ごはん軽め」が「ライスミニ」でメニュー設定された。30円引きです。明確に伝わることになる。本当は「軽め」という日本的な表現が良かったけど。「大盛り」に対抗できる。

 最初にカレーにするかとか定食にするかが出てくる。細部でミニライスとか豚汁切替が下に出てくる。カレーと豚汁は従来の券で出てくる。

午前中の時間の過ごし方

 午前中の時間がアイドル状態です。ダメなものはダメで、散歩かスタバに行くのが一番いいかもしれない。胸の違和感が気になるけど。もう少し不可を掛けないと症状がハッキリしない。

 朝、寝ていると身体がだるくなる。上半身が膨らんでいる。易きに流れるのはやめて、遠出した月曜みたいに動くことをしないとやばい。その時も、高速バスの車内ではずーと寝ていた。読書できなかった。次のステージに進むのを避けている。

生活のバリエーション

 久しぶりに「ほっと館」です。家の風呂の順番が回ってこないので、風呂に入りに来ました。図書館とスタバだけの生活からバリエーションを作らないと。

 天気のいい日は外の風呂で潜りましょう。スキューバ-ダイビングとは行かないけど、音がない世界を体験できる。ついでに、水中歩行。だけど、メインはラウンジでの読書にしましょう。

生活ルール

 個人の反応は記憶しておくべきでしょう。ルールは単純に8時に、服を着替えることにしましょう。これなら、ゴミ捨てもできます。

2011年の長倉洋海さんとの出会い

 一冊の枠を残して、再度5階へ。そこで、長倉洋海さんの新刊書が残っていた。ぴったんこです。彼は、2001.9.11の前日に自爆テロで暗殺されたマスードの写真を撮り続けていた。自分の無知を改めて知り、2倍の多読をはじめた。

 いかに自分が物事を知らないのかを痛感して、借りる本を倍増した。週15冊から30冊。今は岡崎市図書館の10冊が更に増えている。

 名古屋で長倉さんのお話があると言うことで、出掛けていった。取り囲むカタチでの講演会。

シナリオまで作り込まないと

 磯部さん、とりあえずを示すだけではダメですよ。最期はどこまで持って行くのかがないといけないし、そこまでのシナリオがないとダメです。

 マルクスはそれができなかった。最初の理論付けもあるけど、どこを出発点にするのか、どうやって、移行するのかを明確にしたけど、彼らは動かなかった。なぜ、動かないのか、そこまでのシナリオが必要でした。
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