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常識に囚われない女性として生きる

常識に囚われない女性として生きる

 部屋とか家具とかも女性らしいものに変えていきます。心が感じるものにしていきます。

 心は過去に向かわない以上、前に進めます。前しか見ないようにします。思い出はありません。

リトアニアの対話

 日本人は寂しくなるとハラキリをする。これに感動しています。その心は私の中にはあります。

 これはリトアニアの自殺率とも関係するのでしょうか。なぜ、これがでてきたのかと考えると、深い意味があります。

 ハラキリの場合は自分ひとりが死ぬだけではありません。介錯人が必要です。彼が殺すのです。リアルな世界としては

7時16分のバスは名古屋に早く着きすぎ

 まだ、エスココも開いていません。スタバも開いていません。やはり、36分か56分にしましょう。

韓非子の生き方

 韓非子みたいに実践家を求めながら、結局は理論家に終わる。それを誰かが実践して、理論が認められる。そういうことかもしれません。

 韓非子は自分の理論が自分のみにかかると知りながら、敢えて行ってきた。今の私と同じようなものです。

 理論がうまくいくとは思えないが、何でこんな道を選ばないといけないのか、自分でもつくづく思います。世の中はもっといい加減な連中が支配しています。

 今は君主はいないけど、似たようなものはいくらでもいます。大衆かもしれません。それをどういう世界にするのかをハッキリさせないといけません。

いまやバルト三国は私にとってはなじみのある国です。

 行ってきたような感じになっています。

 だから、ちょっと行けば大丈夫です。

もしかすると、私がμかもしれない

 私自身の中にあるものがμかもしれません

創る喜び

 生産する喜びとか労働する喜びとは異なります。一番近い概念は消費する喜びです。みんなのために創る、消費する替わりに作る。いくらでも消費の側に立てる。

 消費にはそれを提供する側が存在する。それを効率化すると大量生産・大量消費になり、必要ないものをつくる。お互い様に近い近い感覚です。工夫が効く世界です。仕事のジャンルとしてはサービス業に近いです。

インスピレーションの入力が終わる

 そうすると空っぽです。空っぽを楽しみます。新しく、何かを作り上げる楽しみです。これはきついけど。色々なものの出番です。

部屋を片付けるにはどうしたらいいか

 パソコンを置かなくしたから、机の空間は開きました。

 テレビを消して、床の上にモノを置かないようにすれば、かなり空間はできるでしょう。

 かといって、以前に試みたようにコーヒーを入れるかはやめましょう。あくまでも下で入れないと面倒くさいです。

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