古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

福井の旅(1)

2015-06-04 | 旅行
福井県の仏教遺跡と古城を訪ねる旅。6月2日10時、西岐阜駅に集まりました。30年来の仲間、Jさん、Sさん、小生、それに作務衣姿のHさんが愛車のデミオを駆って現われました。互いに久闊を叙し車にのりこみ。まずは羽島ICをめざします。名神で米原から北陸道へ、福井ICから国道158号線。最初の目的地は、一乗谷の朝倉遺跡資料館。

戦国期、浅井と連合し信長と戦い破れ滅亡した朝倉の遺跡、近年遺跡発掘が行われ、福井県の観光の目玉にしようと、県も力を入れているらしく、立派な資料館が作られていました。入館料はいくら?案内を見たら「70歳以上無料」でした。
 織田信長が上杉謙信にあてた書状が展示されていました。一乗寺川という川に沿って都市計画されていたようで、昔の街並みが再現されています。

http://www3.fctv.ne.jp/~asakura/10isekitoha/index.html
12時を過ぎたので、食事にしようかとレストランを探しました。
「利休庵がいいのじゃない」Jさんが蕎麦屋を見つけた。入って、そばを注文。運んできたお母さんと話す。
「この店、利休と関係があるの?」
「無関係です。遺跡を発掘したら、茶筅が出たの。茶筅が出るのは珍しいそうで、ではお茶に関係したなまえにしたら、と利休庵と命名したんです」
「すぐそこに駅があったね。一乗谷駅、越美北線ですね。越美北線はどこからどこまでなの?」
「福井から九頭竜ダムまで。越美南線とつながると名古屋方面からも近くなったのに、立派な政治家がいたんだけどだめだったね」という。
「ここまで来たら、佐々木小次郎に会って行きましょう」と小生。「ここは小次郎の出身地。この蕎麦屋の隣に「富田勢源道場跡」があったでしょう。富田勢源は小次郎の先生なの」。
「小次郎の銅像は遠いの?」お母さんに聞くと、「前の坂を上がって左、次に右。まっすぐ2㎞行くと一乗滝という滝があるの。そのそばで小次郎が頑張ってるよ。」と言う。
教えられた道をゆくと、頑張ってる小次郎が見えてきた。

一乗谷にいた頃は若かったと思うが、銅像の小次郎はいささかじじむさい表情だった。富田勢源は、小太刀の名人だったとのことだが、小次郎は勢源の小太刀をみていて、これを大刀に改めることを思いつき、この滝の傍らでトレーニングし、滝に飛びくるツバメを切り落とす練習をした。世に言う「ツバメ返しの剣法」である。
銅像はともかく、滝は一見の価値ある滝でした(巻頭写真)。
次は永平寺に行こう、とカーナビをセット。カーナビのアナウンスでは30分くらいで着くらしい。
カーナビなど珍しくはない時代になったが、考えてみると、カーナビのやっている仕事は大変な仕事です。車の位置を判断し目的地までの道情報を把握し、そこまではわかるとして、所要時間はどうやって計算するのだろう。おまけに「右です」とか「左です」とか、「700mで斜め右」とか、発声する仕組みはどうなっているのか。ともあれ、永平寺に着き、駐車場に車を入れた。

約760年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。
道元は日常の行動、食事、睡眠、掃除、入浴、等々の行動がすべて仏道修行の対象と考えたらしい。僧堂、大庫院(だいくいん;食堂・調理室など)浴室等、そういう発想で設置されている。法堂(はっとう)仏殿、などを見学した。

3時半ごろ見学を終え次に向かう。次は宿舎の越前三国休暇村の予定だが、お天気がおかしい。
「明日、雨の中を東尋坊を歩くのはたいへんだから今日、東尋坊に行っておいたら」Jさんの意見で、カーナビを「東尋坊」に設定して聞くと「到着は5時過ぎ」と言う。
一寸遅すぎるな、やはり予定通り宿舎に行こうと、セットし直すと、これも「到着は5時過ぎ」と言う。
東尋坊は明日の天気に期待することにして宿舎に行く。カーナビの指示で走ると「東尋坊」の前に来た。宿舎は東尋坊のすぐ前でした。(続く)