古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

福島第一原発事故7つの謎

2015-04-11 | 読書
『福島第一原発事故7つの謎』(NHK[メルトダウン]取材班著、2015年1月刊)
 フクシマ原発事故の真相は明らかにされていないことが多い。本書の各章の見出しを下記するが、多くの人は「そんなことあったの?」と思われるだろう。
第1章1号機の冷却機能喪失はなぜ見逃されたのか?事故当日、1号機の非常用冷却装置が津波直後から動いていなかった、吉田所長らはなぜ気づかなかったか。
第2章ベント実施はなぜかくも遅れたのか
 管首相がヘリコプターで駆けつけ、実施を迫ったベント。何故遅れたか?
吉田のベント指示が12日0時、紆余曲折の結果、実施されたのは14時30分である。
運転人は以前化らベントの訓練は受けていた。しかし、その訓練は非常用電源から電気が供給されている前提だった。電源があれば中央操作室の制御盤の操作だけで容易にベントはできる。電源がないと、原子炉建屋に入って手動でいくつかの弁を動かさないといけない。その時立ちはだかったのは、高い放射能の壁である。
第3章ベントは本当に成功したのか?
「吉田所長は3月12日午後2時半ごろベントによる放射性物質の放出がなされたと判断」と事故調査報告書に記載されている。しかし、吉田は後日「ベントができたかどうかの自信はありません」と語る。
 排気筒口の線量計が機能しないため、放射性物質の計測が不可能で『成功した』とされているのは、格納容器の圧力低下や放射線量増加などの状況証拠からの推測であるという。
第4章爆発しなかった2号機で放射能大量放出が起きたのはなぜか?
 2号機の運転員がRCIC(非常用冷却装置)のレバーを往査して装置を起動させたのが11日午後3時39分。津波の浸水で中央制御室の1号機側の操作パネルのランプが次々消えていった兆区後、RCIC起動直後2号機の中央制御質も停電。RCIC起動が跡数十秒遅れたら2号機は冷却機能を失われ1号機同様早々にメルトダウしていたかもしれない。
2号機のベントを妨げたのは、放射性物質。その放射性物質の漏えいが疑われているのは、奇跡的に津波の被害を免れて2号機を3日間にわたって冷却してきたRCICのタービンの軸部分だった。
第5章消防車が送り込んだ400トンの水はどこに消えたか?
 3号機に消防車で注入した水は、シミュエーシヨンによると、45%が原子炉に流れ込んだが55%は復水器に漏水してしまっていた。消防ちゅうすいのうち75%が原子炉に入っていればメルトダウンはふせげたという解析結果も出ている。
第6章緊急時の減圧装置が働かなかったのはなぜか?
第7章「格納容器」が壊れたのはなぜか?
日本の原発で応力腐食割れが盛んに起こった場所は、高温に加え放射性物質にさらされた場所だった。ヨウ素、フッ素、塩素など原子炉の中で核分裂反応が起きることで発生する物質は腐食割れを加速する。
それに特別編東電原発トップが語る事故の「真実」
 この章の記述で興味深いのは、ヘリコプターによる放水は、優先順を間違えたという記述です。この時最優先で行うべきは、電源復旧工事で、ヘリコプター放水の間は電源工事が出来ず、放水した水も有効に原子炉を冷やしていなかったという記述です。
 全体を通読して、感ずるのは、現場従業員は必死で事故の収束に努力していたということ。
 そして、全電源喪失を「想定外」というが、原発のような事故の際の被害の重大な装置では「想定外」はあってはならない。「措定外」を防げないのなら、そういうシステムは実施すべきでない。と言うのが私の結論です。